砂浜
今も静かに泣き続けているエティを抱きかかえて、森の中を早足に歩く。右足首の痛みはいつの間にかなくなっていた。きっと、これもさっきエティが治してくれたんだろう。
魔物との遭遇は怖かったが、鼻をすすりながらもエティが魔物の気配を探ってくれると言うので、それを信じて歩を進めることにした。
「……抜けた」
幾分か経った頃、特に何事もなく森を抜けた。
眼前に現れたのは見渡す限りの草原。
風が青々とした草を揺らしながら、潮の香りを運んでくる。風が吹いてきた方を見ると、少し遠くに砂浜が見えていた。
あれはさっき、森の中にある崖で見た海で間違いないだろうな。
「あの、レイジさん」
「ん?」
「その。もう、大丈夫なので……下ろしてくれませんか?」
「あいよ」
さっきは怒られてしまったので、今度はゆっくりと腕の力を緩めてエティを離す。
「ほんとに平気か?」
「……はい。ご迷惑をおかけしました」
そう言って、深々と頭を下げるエティの目尻には、まだ涙が残っている。
多分、心はまだ落ち着いてはいないんだろう。
「いや、別にいいって。それで、この後は海に沿って進んでいく感じでいいんだよな?」
俺の問いかけに頷く彼女の表情は暗い。
「……行きましょう。早くしないとケイルに着く前に日が暮れちゃいますから」
そのまま、ふわふわと前を進んでいくエティに付いていく。
風で草の擦れる音の中、時たま聞こえるエティが鼻をすする音が聞こえる。
先程までとは違い、彼女はこちらを振り返ったりはしてこない。俺とエティの間に会話はなく、暗い雰囲気が漂っている。
エティの気持ちは、わかる。
多分、俺を守れなかった負い目。傷つけてしまった自責。そんなものを感じているんだろう。
特に、彼女のようにすぐに自分を責めてしまうような人なら、なおさらだ。
でも、それでも俺を死の淵から助け出したのは彼女なのだから、必要以上に自分を責めないでほしいとも思う。
なにか、彼女の気を紛らわせる方法はないか……
「……うぁっ! いってぇなっ! クソっ」
一際強い風が吹いて、何かが口と目に入った。
目の痛みに思わず悪態が口を衝いてしまう。
何事かと思いながら辺りを見回すと、考え事をしているうちにさっき見た砂浜の近くまで来ていたみたいだ。
なるほど、砂浜の砂だったか、これ。
「……っ! いったぁ……」
少し霞んだ目で前を見ると、エティの目も砂に襲われたらしいことが見て取れた。
「大丈夫か?」
「は、はい! 大丈夫です!」
先程までの雰囲気はどこへやら、目を手で覆いながらも気丈に答えるエティ。
「ちなみに俺は大丈夫じゃないぞ」
「えっ!?」
いやほんとに大丈夫じゃない。目がめちゃくちゃ痛くて涙が出てくるし、口の中もジャリジャリしてる。
「えっ、あのっ大丈夫ですか!?」
「いや大丈夫じゃないってば」
「あっ、すみません……」
慌てるように近寄ってきたエティを尻目に、口から砂をぺっぺと吐き出す。
目は……擦ると多分痛いから涙に任せよう。
「……あ、そういえば。海、見ないのか?」
ふと、魔物に襲われる前に彼女が言っていたことを思い出した。
確か、海を見ながら歩こうだとかなんとか。
「それは……いいんです。私のせいで…本当に色々と迷惑かけちゃったし……先を急がないと」
「俺は見たいけどな、海」
「…………」
今の彼女に、俺の提案に反論することはできないだろうと理解ながらも言う。
でも、このまま進んでいても心地がいいわけでもないし、むしろ俺もエティに釣られて暗い気分になってしまいそうだった。
それに、これは彼女が提案してきたことだし、彼女の心を少しでも癒せるかもしれない。
少しでもエティの気分を変えられるなら、それに越したことはないしな。
「また、少し寄り道しようぜ。な?」
「……わかり、ました」
「すごい、砂浜の砂ってこんなにさらさらなんですね!」
俺の提案は正解だったようで、自分の足で砂浜に立つ彼女は、俺に眩しいほど純粋な笑顔を向けてきていた。
「波打ち際はそうでもないぞ」
「えっ? ……あっ、海で濡れてるからですね!」
言いながら波打ち際に移動するエティ。
ふと、裸足で歩く彼女の姿を見る。綺麗な翡翠の髪にはまだ血が付いていて、掌も傷だらけのままだ。それと、さっきまではあまり気づかなかったが、下側の1対の羽が何故が黒く変色していた。
なんだろうか、あれ。
「海、綺麗………痛ぃっ!?」
そんなことを考えていると、エティの体が大きく跳ねるのが見えた。
どうやらあのまま海に手を伸ばして、海水が傷に滲みたみたいだった。
というか、もしかして手が傷だらけなことに気づいてなかったのか。どうりで治してなかったわけだ。
……言ってあげればよかったかな。
「うぁぁ……レイジさんっ痛いですぅ」
「教えてあげればよかったな、ごめん。今のうちに治しちゃえばいいんじゃないか?」
「ぅ、はい……そうします。『
エティがそう言うと、彼女の手が翡翠の光に包まれる。
「……っ! ぅぁっ! ぃうぁ……」
それと同時に彼女がうめき声を上げながら蹲るものだから、思わず心配になってしまった。
「えっ、おい大丈夫か?」
「っ!………はぁっ……ふぅ。平気です」
そう言いながら彼女の見せてきた手からは、確かに傷という傷が消えていた。
ただ、彼女の目尻からは新しい涙の粒が溢れていた。
「……今のやつで、俺のことを治してくれたやつだよな?」
「はい、そうです」
やっぱり、と思った。
意識を失う着前に文字通り胸を引き裂かれるような痛みは、あの魔法のせいだったのだろうか。
俺がそう思考を巡らせていると、彼女は少し思案したようにしてから、少し離れたところにあった岩場を指差す。
「あの……少しお話したいことがあるので、あの辺りまで歩きませんか?」
「話?」
「はい……私の能力について、何もお話してなかったので」
彼女の小さな歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く。
エティは歩きながら深呼吸を一つして、自分の力について話し始めた。
「攻撃魔法の『
「えっと、ルインが敵を撃ったやつで、サンクチュアリがステンドグラスみたいな壁、だな?」
「はい。それと、レイジさんを治すために使ったのが『
自分の見た光景と、彼女の発する固有名詞を繋ぎ合わせていく。
「んー、もしかして、全部デメリットとかあったりする?」
「っ!?」
あ、多分図星だこれ。
「あ……あはは、ご明答です……」
そう言って肩を落とすエティ。
まあ、そのくらいなら流石に想像できる。
最初に魔物との遭遇を避けようとしたのも、おそらくこれが要因なんだろう。
「……『
痛み、か。エティがさっき蹲ってたのはこれが原因か。
それと、痛みすら感じなくなっていたはずの俺が感じていた痛みも……
「それと『
「……羽の数だけ撃てる、か?」
「は、はい。大体そうです」
俺の予想に若干面食らいながら答えるエティに、思わず笑みが溢れる。
「うぅ、笑わないでくださいよ……ちょっと驚いただけなのに……」
「わ、悪い悪い」
若干膨れながらも彼女はそのまま言葉を継ぐ。
「正確には、機能している羽の数だけ、です」
「機能している?」
「私の羽、飛ぶためのものじゃなくて、魔力を集めるためのものなんです」
そう言いながら、彼女は羽を少し広げる。
上にある4枚はまだ翡翠を保っていて、太陽の光を浴びて輝いて見える。
「その内1枚の機能を限界まで使って、ようやく1発が撃てるんです。それと、その……魔力を集めること自体は他の魔法を使う時にも行うので、1枚が使えなくなる分次の1発の威力が弱くなったり、他の魔法を使うのにも少し時間が必要だったり、なんです」
魔力の供給源の欠如、か。確かに、魔法を使うならデメリットなのか……
俺的には、あの壁と回復のデメリットのほうがきつい気がするな。俺は魔法を使わないし、そもそも壁と回復についてはデメリットを実感しているからそう感じる、というのもあるかもしれないが。
「その黒くなった羽、しばらくしたら治る感じなのか?」
エティは俺の問いに頷いて、俺に弱々しい笑顔を向ける。
「私の能力については、こんな感じです。なんというか、パッとしないですよね。使ったら弱くなったり、守るはずなのに傷つけちゃったり……」
「んー、俺はそれに助けられたんだけど」
「でも、それでレイジさんを傷つけました」
「だとしても、俺は今生きてるぞ」
足を止めて彼女の顔を見る。そんな俺に合わせるように、エティも歩くのを止めた。そんな彼女に視線を合わせるように屈んで、続ける。
「確かに、死ぬほど痛い思いした……いや死にかけたけども。でも、助けてくれたのはエティだろ?」
「…………」
「あの魔物を倒せたのだって、俺が足挫いて少しの間動けなかったときだって、エティが助けてくれたじゃんか」
そうだ。俺は彼女の言うぱっとしない能力に助けられた。
それなのに当の本人が未だに暗い顔でいるのは、少し忍びない。
「反省するのはいいけどさ、必要以上に自分を責めないほうがいいよ」
「でも、弟たちだったら、きっともっと……」
「ここにはその弟や妹はいないだろ?」
「――それでも……考えちゃうんです。ここにいるのがあの子達なら……私があの子達みたいな力を持ってたら……」
「まあ、分からなくはないけどさ」
ないものねだりをするような彼女を見て少しだけ、俺も少し思い出した。
自分の身内のこと。
その身内に対する、劣等感を。
「……俺にも優秀な兄さんと
学校ではだいぶちやほやされている姿を見かけて、平々凡々な生活を送っている俺とは明らかに違う存在に見えて。
そんな二人に憧れと、劣等感を抱くのはまあ、当然だったと思う。
「よく思ったよ、俺も二人みたいになれたらって。でも、そんなこと考えても何も起きるわけないし、兄さんにも義妹にもなれるわけじゃない」
黙って俺の話を聞いているエティに、再度目線を合わせる。
「まあ、要は考えるだけ無駄なんだよ。そんなことよりも、今日の体育だるい〜とか、弁当の中身はなんだろう〜、なんて考えてる方がまだ楽しかった」
「……」
「だからさ、なんというか。エティも弟とか妹と自分を比較するのはやめてさ。こう……もっと自分のこととか考えよう。な?」
上手く言葉にできなくて、言いたいことばっか言って、おまけに最後はだいぶふわっとしたことを言ってしまった。
「……ふふっ」
「な、なんだよ」
「いえ、その……あんまり、お話としてまとまってないかなぁ、なんて」
「悪かったな、口下手で」
今度は俺がむくれる番だった。
「ごっ、ごめんなさいっ! その……でも、わかりました。私……もっと、弟妹達だったらとかじゃなくて、自分ができることとか、いっぱい考えてみます」
そう言って、少しだけ明るくなった顔を見せてくるエティ。そして、彼女はそのまま歩き始めた。
先程彼女の指していた岩場に着くと同時に、俺の腹がなった。
多分、さっき言いながら弁当のこと考えたせいだ。
「今日の弁当、何だったんだろう」
空腹を感じて口から漏れた言葉に、エティが反応する。
「……あっ」
え、なにそのしまった! みたいな顔は。
「『
「え、なにそのウィンドウみたいなの」
突如として彼女の目の前に半透明の平面体が現れる。
「『
エティがそう言うと、もう一個小さな平面体が出てきた。
そしてそれを彼女が少しいじっているのを見ていると。
俺の目の前に、なんだか見慣れたものが落ちてきた。
「え、俺の鞄じゃん」
「す、すみません! 最初に渡してあげてってお母さんに言われたのにすっかり忘れちゃってましたっ!」
なるほど、どうやら
一応鞄の中を確認してみる。
そこには――
「なんか見慣れない革袋? あれ、教科書とかなくなってるけど――お、あったあった」
俺の記憶とは違う鞄の中身を確認しながら、底に埋もれていたそれを鷲掴みで引き抜く。
「あ、その革袋なんですけど」
「んー、その話はあとにしようか」
エティの言葉を遮るような形になったが、先にやりたいことがあった。
「エティ、飯にしよう」
色々あったし、流石に腹が減りました。
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