生きるためには

「大自然……?」

「具体的に言うと、海に落とす」


 海の方に早歩きで向かいながらエティに策を伝える。


「本当はあいつが追ってこなければそれでいいんだけど。もし仮にあいつが俺たちを追ってきたら、俺自身を囮にして崖際まで惹きつける。それが成功したらあの魔物の足元をさっきのやつで吹き飛ばしてほしい」

「囮……き、危険すぎます!」

「それはそうだけど、正直これ以外の策が思いつかない」

「でも……うぅ……」


 青い顔をしたエティは、しかしそれ以上の抗議の声を上げなかった。彼女にも、どうやらこれ以上の作戦を考えつくことはできなかったようだ。


「……こんなこと言うのも何だけど、正直成功する確率はあんまり高くはないと思う」

「…………だったら!」

「でも、このまま何もしなくても結局死ぬだけだろ。ならやってみるしかない」


 そう。生きたいならやるしかない。

 やって、やり遂げるしかないんだ。

 俺は竦んだ心をなんとか奮い立たせ、歩を進める。


 少し遠くから、何かが割れるような音と、その後に大きな唸り声が響いた。


「あの……本当にやるんですか?」


 後ろを気にするような素振りを見せながら、エティが心配そうに聞いてくる。


「……もし、俺が殺されそうになったらさっきの壁を出して守ってほしい」


 後ろから、先程よりも大きな唸り声と地響きが近づいてくるのを感じる。


 もう時間がないな。


「頼むな?」


 自身の激しい鼓動を感じながら、エティに向かって軽く笑いかける。


「…………わかりました。なんとか、頑張ってみます」


 そんな俺に彼女は、不安げな表情ながらも強く頷いて答えた。




 先程訪れたような、海の見える崖。

 そこに辿り着いてから、エティに少し離れた木の陰に隠れているように頼んでおいた。

 俺が合図を出したら、手筈通りに行動してくれるはずだ。


 そして予想より少し遅く、それは目の前に現れた。

 赤い体毛に覆われた巨体に、鬼のような顔。そして腹には穴が一つ。

 そんな魔物やつが俺を見下ろして、今にも襲いかかってきそうな雰囲気を醸し出している。

 そして俺の後ろからは何度も波の音が聞こえてくる。これ以上下がれば、魔物に殺されるまでもなく死ぬことになるだろう。


 背水の陣。

 そう言うのがぴったりな状況だった。


 相も変わらず殺気をぶつけてくる魔物を前に心臓が早鐘を打ち、胃液がこみ上げるような感覚を覚える。死への恐怖に足が震えるが、気を強く持つように務める。


 ふと、そんな俺の目の前にいる魔物の毛の中の何かがきらりと光る。

 その瞬きに一瞬目が眩んだその時。


 ――――ウオオオオォォォッ!!!


 今までのどの雄叫びよりもけたたましい声を上げて、俺の顔ほどはあるであろう拳が振り上げられた。


「このっ!」


 勢いよく振り下ろされる拳を、オークの体の横側に飛び込むようにしてなんとか回避する。


 その瞬間に背中に大きな衝撃を受けて俺の体はそのまま地面に倒れ込むようにして地面に激突してしまう。

 体の痛みを感じながら体制を立て直して魔物の方を見ると、俺が先程いた場所には大きな窪みが出来ていた。


 ああ、あれを受けたら間違いなく死ぬな。


 明確な死の想像を駆り立てさせられる中、その双眸を変わらずに俺に向けている鬼人オークは、すでに俺にむけてもう片方の拳を繰り出していた。


 それを避けようと足を動かそうとした瞬間に、右足の膝から突如として力が抜けた。


「――っ!?」


 強い痛みが足首に走り、体を支えられなくなった俺はその場に尻餅をつく形となる。

 そしてそこに迫りくる魔物の拳。


 ――あ、これ死んだか。



「『拒絶領域サンクチュアリ』!」


 背後からの声とともに、俺と魔物の間に虹色の継ぎ接ぎな壁が現れる。

 そして、魔物の拳がその壁に激突して――


 壁は大きな音を立ててあっけなく砕け散った。

 そして砕け散る壁は破片となって、俺の身に降り掛かってくる。


「なっ!? ――ぐうぅぅっ!?」

「レイジさんっ!?」


 奇跡的な反応をして腕で顔を覆うも、隠した顔以外に刺されるような途轍もない痛みが飛来し、思わず声が出る。

 腕、胸、腹、足、至る所が熱くなり、意識が一瞬飛んだ。


 ――ウゥグウウオオオッ!?


 だがその意識は、前から聞こえてくるうめき声のようなものによって引き戻される。

 自分の全身に残る痛みを覚えながらも前を見やると、そこには顔を手で覆いながら悶え苦しむような様子の魔物。


 ――紛れもないチャンスだ。


「エティ! 今だ!」


 尻餅をついた体制のまま後ろを向いて、木陰から出てきていたエティにむけて手をそう叫ぶ。

 だがエティはなにやら顔を青白くして放心しているようで、どうやら俺の声が届いてないようだった。

 

「エタニティっ!」

「――――ぁ……はっはいっ!」 


 もう一度強く叫ぶと、彼女ははっとして両手で銃の形を作った。

 それと同時に彼女の羽が一枚、淡く発光する。

 そして羽が光を失い、エティの指先に輝く翡翠と灰の混じったような色の銃弾が形成される。


「『崩壊銃弾ルイン』ッ!!!」


 エティがそう叫ぶと、それは翡翠の軌跡を残して魔物に飛んでいく。


「っ!? エティ違うっ!」


 狙うのでは魔物ではなくその足元だ、と。

 そう言おうとしたこと瞬間に、その軌跡は急激に落ちていって。


 轟音と共に、鬼人オークの足元の崖を破壊した。


 そうして、魔物はあっけなく海へと落ちていった。






「レイジさん! レイジさんっ! 私っ……私っ!」

「ああ、エティ。なんとかなったな」


 泣きそうな顔をして飛んでくるエティに、俺は笑って答える。


「しゃっ喋らないでください! 死んじゃいますっ!」

「えっ?」


 青白い顔のまま俺にそう言ったエティ。


「ごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっ私のせいで死んじゃうっこのままじゃ死んじゃうっ『拒絶領域サンクチュアリ』がっ破裂しちゃってっレイジさんがっごめんなさいっごめんなさいっ」

「ちょ、ちょっと。どうしたんだ?」


 ついには涙を流しながら要領の得ない謝罪を繰り返す彼女に思わずそう聞き返した。


「き……気づいてないんですか!?」

「えっと、何を?」

「自分の体を見てくださいっ!」


 言われて、俺は自分の体を見下ろす。


 

 わかっていた。尋常じゃないことくらい。

 それ以外のことに意識を割いていて、頭で意識する暇がなかっただけだって。



「…………えっ」



 視界に、あの壁の破片が俺の胸に深々と突き刺さっているのが映っていた。

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