この妖精、かわいがるべし

 軽い自己紹介を終えた後、倒壊した神殿を出るとそこは草木の生い茂る森だった。

 建物の中とは違い、強い日差しが目に刺さり思わず目が眩む。


「大丈夫ですか?」

「ん、ああ。大丈夫、すぐ慣れる」


 先程までとは違い文字通り地に足をつけることなく浮遊しているエティは、やや心配そうに聞いてきた。


「それならいいんですが……歩くのに疲れたり体調が変だったりしたら言ってくださいね?」

「わかった。ありがとな」


 エティの言葉に俺は一つ頷いて。


「さて、そんじゃまあ、行きますか」


 異世界での新たな一歩を踏み出した。

 

 


「えっと、ここからしばらく歩いて森を抜けると海が見えます。一先ずそこまで行きましょう」


 歩く俺の近くをふわふわと浮きながらこれからの道行について説明し始めるエティ。

 浮いている彼女の背にある羽はどうやら浮遊のためのものではないらしく、特にパタパタとか動いたりはしてはいなかった。


「海か……その後はどうするんだ?」

「海沿いを行くと、ケイルという街に着きます。かなり大きな街なので、ひとまずはそこでこの世界についてゆっくり知っていただければと思います」

「海沿いだし、港町みたいな?」

「そうですね。おいしい海産物や観光名所があってそれを求めて観光客が集まったり、商いのために商船と商人が集まったり、そんな活気のある街です」


 

 歩きながら、目的地についての想像をふくらませる。


「海産物か。寿司とか食べたいな」


 ふと、そんなことを言ってみたり。

 まあ異世界だし文化の違いだとかで俺の記憶の中にある美味しいものは食べれないんだろうなぁ。


「お寿司かぁ……いいですね! 私も食べてみたいです!」

「えっ寿司あるんすか?」


 だいぶ食い気味に言ってしまった。

 いや、正味まだここがどんな世界なのかなんてきちんと知りもしないけども、まさかの寿司があるんですか。


「はい! 他にもお刺身天ぷら姿焼き……えへへぇ」

「……あーっと、エティ? エティさーん?」


 エティはそのまま途轍もなくだらしのない表情でブツブツと呟きはじめてしまった。


「あー、駄目だこりゃ」

 

 まあ、移動は続けているのでしばらくは放っておくか。


 エティのことはひとまず置いておいて、足を動かしながらあたりを見回してみた。

 木々と草が鬱蒼とした中、獣道のようなものが所々にあり現在はそれを辿るようにして歩いている。

 また、俺達の歩いてきた方を見ると――


「……んー、でかすぎないか?」


 天を衝き、雲をも貫いている大きな樹が、視界いっぱいに広がった。

 さっきの神殿の中にも木の根はあったが、まさかあんな巨大な木の根だったとは流石に思いもしなかった。


「世界樹、ねぇ」


 言って、先程エティから聞いたことを思い出す。

 

 この世界が生まれたときから存在する樹。

 長い間朽ちず、衰えず、今も世界を見守っている世界の傍観者。

 ただそこにあるだけで、たとえ世界が滅びるときでさえ何かをすることもなく、世界と存亡を共にするもの。


 正直、拍子抜けというか。

 世界樹というからにはもう少し特別な何かがあってもいいんじゃないかなぁ、と思ってみたり。


「まあ、そんなこと考えてても仕方ないしなぁ」

「ふんふ〜ん、おすしおさしみ〜てんぷら〜すがたやき〜♪」


 適当な海鮮料理盛り合わせの歌を口ずさみ始めてしまったエティを尻目に、改めて先に向けて歩を進める。


「〜♪ らんら――――レイジさんこっちへ!」

「は?」

「はっはやくっ!」


 突然だった。

 歌をやめたと思ったらいきなり硬い表情を見せた彼女は、当惑する俺の手を思いっきり引いて草むらに倒した。

 幸いにも幾重にも重なる草がクッションとなってある程度の衝撃を吸収してくれたが、それでも地面との一瞬の接触により頭に鈍痛が走る。


「いっつ! ちょっ、いきなりなんだって――」

「しっ、静かにしてくださいっ」


 抗議の声にエティは必死の形相でそう言い、深呼吸をして言葉を発する。


「魔物が、近くにいます」


 魔物。

 剣と魔法のファンタジーと聞いて、イメージするものの一つにそれはあった。

 人と敵対し、害意のあるなしに関わらずに害をなすもの。

 大抵の場合、戦う力のない人はその存在に蹂躙される運命にある。


「今の私達にあまり戦う余裕はありませんから、隠れてやり過ごしましょう」

「あ、あぁ」


 そう言ってより深く草むらに身を潜めるエティに倣って、俺も身を潜める。


 そうして、先程まで俺たちの通っていた獣道にそれは現れた。


 特に目立ったのは、毛むくじゃらの体毛の中にある、牙をむき出しにした鬼のような顔だった。

 歯と歯の間から大きな唸り声と息を吐きながら、どしりと音を立てて歩行するそれは、俺たちに気づくことなく、ゆっくりと目の前を通過していった。


「……鬼人型オーク、なんでここに」


 ボソリと、側に伏せているエティが呟く。


「もしかして、普段はこのあたりには出ないとか?」

 

 俺の予測あてずっぽうに、エティは一つ肯く。


「この森にほとんど魔物はいないんです。遭遇しても狼型ウルフくらい、のはずなんですけど……何かの要因で迷い込んだのかな。それとも生息地の移動とか……」


 狼も丸腰の人間が相手できるような存在ではないはずなんだが、という言葉は飲み込んで。


「あー、まあ。何はともあれ今のうちに進むべきじゃないか?」


 考え込むようにしているエティに、俺はそう提言する。


「あっそっそうですね、すみません。ホント、なんか、一人で勝手に考え込んじゃって、こんなだからダメな妖精やつって思われちゃうんですよね……」


 何か唐突にいじけモードに入りそうになっているエティを、俺は問答無用で後ろから抱えあげる。

 エティはその見た目通りに軽く、力のない俺でも簡単に持ち上げることができた。羽が服に少し引っかかるかと思ったが、だいぶ柔らかいらしく、ふにゃりと俺の体に張り付くようにフィットしていた。


「――ふぇぁっ!? えっ、ちょっとレイジさん!?」

「いいから、行くぞ?」


 答えを聞かずに、俺は彼女を前に抱えたまま歩き出す。


「わっわかりました! わかりましたから下ろしてください! はっ恥ずかしいですぅ!」


 そう言いながらジタバタと暴れ始めるエティ。

 その拍子に彼女の柔らかな部分がふにふにと腕に押し付けられて、一瞬そちらに意識が持ってかれたりしたりしなかったりした。

 まあ恥ずかしいとは言っているが、ここには俺とエティしかいないんだ。別に誰に見られるわけでもないだろうに。


「そんなに嫌なら、これからいじけるたびにこうするって言ったら、少しは卑屈にならなくなるか?」

「えっあっこれ罰なんですか!? あっいや、でも別にいじけたくていじけてるわけじゃ……私、ほんとは案内ナビゲートとかできるわけではなくて……その、弟や妹たちのほうが適任だったっていうか……」

「いや、そんなん俺は知らないし。俺の案内人ナビゲーターって言われたのは君だし。そんな君がすぐにいじけちゃうと俺も困っちゃうし」

「あっ……うぅ」


 ぐうの音も出ないのか、俺の腕の中で縮こまるように体を抱くエティ。


「それに案内ナビゲート頑張りたいって自分で言ってたし。別に完璧じゃなくていいから、もう少し自分に寛容になってみないか?」

「……んぅ」

「それはそれとして、さっきまたいじけたから一時間はこのままな」

「えっなっ!? さっ流石にそれはホントに恥ずかしいですぅっ!」


 なんだか不満そうなエティに、少しだけ意地悪にそう言った。



「……い、一時間位経ちました…よ?」

「ん、もうそんなに経ったか?」

「はっ、はい! それはもう経ちましたから! だから下ろしてください!」


 微かに感じる海の匂い、体にまとわりつく特有の湿気。

 そんなものを感じる場所まで進んだところで、腕の中のエティが再びジタバタと暴れ始めた。


「はいよ、っと」

 

 特に言ってはいなかったが、流石に長い間抱えていて腕が痛くなってきていたので、ちょうどよかった。

 俺が腕の力を緩めると彼女の纏う白い衣服がすべすべなこともあり、特に摩擦の抵抗もなくエティはするりと俺の足元付近に落ちていく。


「ちょっ!? ……っと、乱暴すぎませんか?」


 彼女の足が地面につく寸前の所で、エティはふわりと浮かんで俺の視界に入ってきた。


「あー、いや。うん、それは確かに、ごめん」

「〜ッ! もう!」


 ぷくりと頬を膨らませてそっぽを向く彼女は、しかしその次には少し恥ずかしそうにして聞いてきた。


「あの、その、重くなかったですか? そっそれと、匂い……とか……」

「……いや、別に」


 大分デリケートな質問をされて、思わず差しあたりのない返しをしておく。

 だが、彼女はなんだかそのあたりが気になってしまっているみたいで。


「……あの、臭かったら言ってください。半径十メートルは近づかないようにするくらいなら何とか声も届くと思うので」

「いや、あの。別に臭くはなかったから平気だって」

「本当です?」


 むしろ女の子特有の甘い匂いでした、なんて言葉が口に出そうになったが、とりあえずは飲み込んで頷いておく。


「それなら……まぁ……うん」


 一応納得はしてくれた様子のエティ。

 多分あのままお茶濁ししてたらまた卑屈になっちゃうんだろうなぁ。


「……それより、エティが言ってた海が近いんじゃないか?」

「えっ――あっ、そうですね。あと一息でこの森を抜けれそうです」


 頑張りましょうね、とにこりと笑いかけるエティを見て、神殿でのことを少し思い出す。

 頑張って明るく努めようとしたり、ネガティブになって暗い顔をしたり、自虐的にヘラヘラ笑ったりと、コロコロと表情を変えるエティ。

 そんな彼女だが本当に顔が整っていて、なんというか、どの表情も魅力があるように思える。


 特に、あまり見せてくれていない笑顔は、格段に可愛いと感じる。


 と、まあそんなことを考えていると。

 

「……笑うとホント可愛いんだよな」


 と、思考が口をついてしまうんだなぁ、これが。

 

「あ、やべ」

「…………ッ!? えっ!? あっ!?」


 思わず口元に手を当てるがどう考えても意味はなかった。


「かっ! えっ? かわっ!? いい――〜〜ッ!」


 どうやらきちんと聞こえてしまったようで、途端に顔を朱く染めてそんな顔を両手で覆い隠すエティ。

 そんな彼女の背から生えている羽が、彼女の心を表すかのようにパタパタと動き始めた。

 俺が呟いてしまった言葉は、自己評価の低そうな彼女には結構強めなボディブローになってしまったみたいだった。


「――う、そじゃないですよね?」

「……うん、まあ」

「ほ、ホントに思ってくれてるんですか……?」


 なんだか信じられない、といったように顔を隠しながらおずおずと聞いてくるエティ。


 いやエティ、顔隠しきれてないよ、指の間からチラチラ見てきてるの気づけちゃうよ。


 と、そんなことを指摘してしまうと、余計に爆発してしまいそうに見える。


「うん。まあ、思ってるよ」


 正直、卑屈になってるときもかわいいとは思っていた。まあ、そのまま放置しておくといつまで経っても終わらなそうだから終わらせてるだけであって。


「……直に言って欲しいです」

「へ?」


 彼女の口から予想外の言葉に、俺の口から変な声が出た。


「ち、直接言って、くれませんか?」


 俺の声を聞き返しと勘違いしてか、そう訂正して聞いてきたエティ。

 指の間から覗く瞳はもはや隠す様子もなく、こちらに目線を合わせてきていた。


「……かわいい」


 求められてるし、嘘でもないし、今の状態もかわいいし、とりあえずは言う。というか言った。

 ただ、さっき呟いたときよりもちょっと恥ずかしかった。


「〜〜ッ!」


 俺の言葉を聞いて、地団駄を踏むように足をバタバタさせながら声にならない声を上げるエティ。


「…………そ、そんなこと言っちゃうと、好きになっちゃいますよ!?」


 え、なんかキレ気味?


「いや、それは流石にちょろすぎるだろ」

「いいんですぅ! 私ってほんとにちょろいんですから! ちょろい妖精やつなんです! なんだったら名前をつけてくれたときから大好きでした!」

「いやマジで早すぎだしちょろすぎだろ!?」


 いやまあ、ちょっと意味は頑張って考えてみたりしたけど、あれだけで大好きになっちゃうのはどうなんだよ!?


「――――あ、あは、あははは!」


 と、一心不乱に叫んでいた彼女は途端に笑い声を上げた。


 そして、


「……楽しい!」

 

 と、そう一言を発した。


「レイジさん、なんだか私、元気出てきました」

「いや、さっきまでも結構元気なように見えたけど」

「もっと、です!」


 とても嬉しそうな笑顔を向けられて、なんだか眩しく感じてしまった。


「あの、良ければもっと言ってくださいね?」

「……かわいい?」

「…………えへっえへへぇ」


 今度はにへらぁと崩れた笑い顔を見せてくるエティ。


 いや、うん。かわいいさ、かわいいよ、かわいすぎます。

 にっこりとした確かな笑顔には心が晴れやかになるようなかわいさが、崩れた笑顔には一緒に頬が緩んでしまいそうなほどの微笑ましさがあるさ、うん。

 でもまぁ、それはそうなんだけど。

 俺達、確か森の外に向かってたはずだよね?

 いや、まあ脱線したのは俺のせいかもだけど、とりあえず先に進むべきかなとは思ったので、きちんと提案をすることにした。


「あー、そろそろ、進まない?」

「……あっ」


 ……え、もしかして本当に忘れてたの?


「そっ、そっそうですね! 行きましょ行きましょ! いざ森の外へー!」


 誤魔化すようにエティは右腕を上げて元気よくそう言い放って、先を行き始めた。


 ただ、一度こちらに振り返って。


「……あの、本当に良ければなんですけど、また、かわいいって言ってください……ね?」


 不安半分、期待半分みたいな複雑な表情で、そう言ってきた。

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