第4章 僕が恋した風切る彼女

第16話 僕が思い出せない大切なヒト

 大学での後期試験を終えた僕は、年末に訪れたスキー場を再び訪問することにした。前回は失恋の傷を癒すためだったのだが、今回のスキーは目的が違う。


 年末のスキーでは、雪姫という着物を着た女性と知り合った。その女性と、一緒に食事をしたり、滑ったりした筈だ。しかし今では、メモに記録があっても、全く実感がない。欠けた記憶は、数日間のごく一部だが、とても大切なことを忘れている気がするのだ。


 家族に相談すると、普段は気の合わない妹が心配してくれた。その妹の勧めもあって、一度だけ心療内科を受診した。

 すると、遭難したショックによりPTSDを発症し、解離性健忘の症状が出ていると診断された。睡眠障害など他の症状もないため、特に治療はなく、経過観察をすることになった。


 経験したことの中には、思い出さない方が良いことだってある。それは分かっていたが、思い出さないといけない気がするのだ。今回のスキーは、数日間の欠けた記憶を取り戻すことが目的だった。


◇――


 年末のスキーから帰ると、先輩への気持ちは吹っ切れていた。もう未練もわだかまりもないのだ。だからバイト先でも大学でも、先輩とは何事もなかったように接することができた。

 スノーボードのサークル活動に誘われて、一緒にスキー場にも出掛けた。そのときには、先輩が以前より優しくなったような気がした。


『アキラ君、変わったね。告白をしてくれたときより大人になったよ。また告白されたら、今度は受けちゃうかもね』


 そう言って先輩は笑った。


(きっと先輩なりに気を遣っているんだろう。でも、確かに年末のスキーから自分でも変わったと思う)


 年末の遭難騒動を経て、僕は精神的に鍛えられた。そして肉体的にも強くなりたいと思い、授業の合間に大学のトレーニング施設に通うようになった。これまではスキーに関連する練習はしていても、あまり身体は鍛えていなかったのだ。


(運動神経は良い方だけど、それだけではダメだ。その理由は分からない……)


――◇

 

 駅から旅館に続く道を一人で歩いていると、街宣車が横を過ぎる。最近になって活動が活発になった、新興の強権主義の政治団体だ。


 ここ最近になり、怪しい政治団体や宗教団体が、方々でデモや集会をするようになっていた。地球温暖化など環境問題に取り組んでいるようだが、活動がエスカレートして、過激そのものになっていた。世界各地での異常気象による大災害が、過激な活動を正当化する理由に繋がっている。


 海外では大国が隣国に侵攻を開始し、世界中の脅威となった。情報の高度化が進んだ現代では、小さな紛争はあっても、大規模な侵略戦争など起こらないと思っていた。その予想が大きく覆ったのだ。

 世界の多くが戦争を非難したが、動き出した大国を、どの国も止めることはできなかった。国際秩序が崩れて、争いの火種は世界中に広がっている。


 止められない戦争、これまで経験のなかった大きな自然災害、一部の団体は、そうした不安を利用して、人々を扇動しようとしていた。

 目的のためには手段を選ばない活動など、僕には到底支持ができない。世界中で、そういう団体が増えつつあり、この流れに大きな違和感があった。正論を言っているようで、実は筋が通っていないのだ。


(綺麗ごとでは世の中は変わらない。大きな革命には、犠牲も必要なのかも知れない。だけど、実力行使や体制批判より、先にすべきことがあると思う)


 受け取られなかったビラが、道路に何枚も落ちている。それには、『戦争反対! 自然を守れ!』と大きく書かれている。


(落ちたビラを片づけないなんて、言っていることと、やっていることが違うだろ……)


 僕は道に散らかっている政治団体のビラを一枚拾い、クシャクシャにしてポケットに詰め込んだ。


――


 旅館の開き戸を開けると、割烹着姿の若女将が振り向いた。


「……お帰り、アキラ君」 


「ただいま」


「少ししか経っていないのに、随分精悍になったね。見違えたよ」


 若女将はそう言って笑った。


――


 僕は荷物を片付け、部屋で着替えを済ませると、スキー場に一人で向かった。


 そのスキー場では、年末に吹雪で遭難し、雪姫という女性と山小屋に避難した筈だった。僕はそれを確かめるために、山頂からバックカントリーエリアに入り、山小屋に向かった。まだ三月の中旬だったが、今年は異常な暖冬のため、積雪が少ない。


 このスキー場のバックカントリーエリアは、天候さえ悪くなければ、あまり危険な場所ではない。僕は、特に問題なく、山小屋に辿り着くことができた。


 ここで、吹雪から避難して、彼女と過ごした筈なのだ。


 スキーを外し、扉を開けてみた。そこには何もなく、僕が過ごした痕跡もない。


(悔しいな……何も思い出せない。ここでトラウマになるような何かがあって、記憶が欠けてしまったのかな? 雪姫、いったいキミはどこの誰なんだ?)


 ゆっくり部屋を見まわしてから、扉を閉めた。山麓に向かって滑り出すが、スキーがあまり滑らない。春の雪の所為かもしれないが、雪より気持ちの方が重かった。


―― 


 山麓まで下りると、僕はレストランに向かった。まだお昼には少し早い時間だったが、メモにあった「カレーとサイダー」を確認したかったのだ。


(ここで、どんな話をしたんだろう?)


 メモの通りに注文し、カレーとサイダーをテーブルに運ぶ。椅子に腰かけて、サイダーが注がれたグラスを手に取った。


(メモに、サイダーのような色の髪って書いてあった。雪姫の髪は、透き通るような水色だったんだ――。どうして顔すら思い出せないのだろう?)


 思い出そうとする度に、頭の中に霧が広がってしまう。記憶に何か覆いがされているようなのだ。


(記憶障害が、こんなに苦しいものだったなんて……)


―― 


 食べ終えた僕はレストランを出て、パークエリアに向かった。キッカーの整備を終えたディガーが近づいてくる。


「ねえ、キミって、去年のクリスマス、ここでダブルコークをしたよね?」


「はい。したと思います……。あまり覚えていないんですが……」


「そうなんだ。あれから遭難したって聞いていたから、心配していたんだ。一緒だった彼女は、まだ行方が分からないんだよね?」


「えっ? 彼女のこと、覚えているんですか?」


「そりゃあ、覚えているよ。ほら、着物姿の、この娘だろ?」


 彼はポケットからスマートフォンを取り出し、僕に写真を見せてくれた。ウサギのぬいぐるみを抱いている着物姿の女性が写っていた。その写真を見て、僅かに記憶が甦る。


(――これは、雪姫とそらだ――)


 僕は自分のスマートフォンに、彼から雪姫の写真を送ってもらった。彼にお礼を伝え、リフト乗り場までスケーティングする。昼過ぎになって雪が緩んでいる筈なのに、さっきまでより僕の足取りは軽かった。やっと手掛かりがあったのだ。心は軽くなっていた。


 僕はこのスキー場で一番大きいキッカーのスタート位置に並んだ。そのキッカーは年末にダブルコークを飛んだときより、一回り大きいサイズになっている。


(どこかで、ダブルコークより上の技を飛んだ気がする。きっと飛べば、何かを思い出す)


 僕が飛ぶ順番となり、勢いよくスタートする。タイミングを合わせて踏み切り、宙を飛びながら身体を捻る。斜めの軸で3回転、水平方向に4回転、なぜか身体が覚えている。


(もっと高く、もっと大きく飛べる!)


 トランポリンで練習していただけの、トリプルコーク1440を、僕は余裕を持ってメイクできたのだ。


(この技を見た雪姫は、喜んで僕に飛びついてきた。それは、ここではない別の場所だ!)


 トリプルコークを見ていた人たちの、大きな歓声が聞こえる。僕は駆け寄ってきたディガーとハイタッチをした。


―― 


 パークエリアで暫く過ごし、僕はゲレンデ内にある小さな神社に向かった。2年前に怪我をしたウサギを見つけた場所の近くだ。


(そら、キミがあのウサギの生まれ変わりなのかい?) 


 小さな社に向かって祈る。


 僕はスマホを取り出した。画面の写真を見ていると、このスキー場で雪姫と過ごしたことを、少しだけ思い出した。やはり彼女は、僕にとって、とても大切な存在だったのだ。


(強くなりたいと思うようになったのは、きっと雪姫を支えたいからだ)


 祈っている内に、どこからか雪姫が現れてくれないかと思った。でも、社の前で幾ら待っても、雪姫もそらも現れてはくれなかった。


(お願いですから、もう一度、雪姫に会わせてください)


 チリン。


 祈りつづけていると、遠くの方で小さく鈴音が鳴ったような気がした。


(雪姫!)


 鈴の音が聴こえた方に目を向けたが、そこには何もない。


「雪姫、僕は決して弱くない。キミの力になる。キミに会いたい」


 きっと届くと信じて、声を出した。



  つづく

――――――――――――――――――――

【GIF漫画】僕が思い出せない大切なヒト

 https://kakuyomu.jp/users/tuyo64/news/16817330661459778740

――――――――――――――――――――

第17話 僕が彼女のためにできるコト

 記憶を取り戻したアキラが彼女のためにできることとは?――――――――――――――――――――

校正協力:スナツキン さん


★★★ 最終章がはじまりました。

  あと少しよろしくお願いいたします。 ★★★

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る