第82話 ルベリンの壁

 闇森人ダークエルフの主だった部族を支配下に置いたエレウノーラは戦士階級の者らを徴発し、正式に軍として編制するも元々個人技で戦っていた彼らに集団戦をにわか仕込みとするのに時間を要した。

 更には流民からも志願者を募り投石兵として訓練も重ねると時間は更に掛かる、その間も外交交渉にて黒森シュヴァルツヴァルトの小さい部族は闇森人・深森人エルフ問わず兵の数や訓練の様子を使者から伝えられ、実際に目にした事で臣下の礼を取っていた。

 そんな中、森林要塞都市ルベリンでは1人の男が門の前に立っていた。

 人間の男で本来ならば立ち入る事も許されないはずなのだが、重く音を立てながら扉は開いていく。

 その男はかつて、アシリチ王国のトーナメントに出場しエレウノーラと準決勝で戦った流れのトーナメント荒らしの遍歴騎士アルブレヒト・ツー・レイオンブルクであった。


「お帰りなさいませ、ヴィルヘルム様」


「ああ、帰った。何か変化はあったか?」


「……御父上から御聴きになられた方が宜しいかと」


 侍従のエルフの言葉に少し眉根を顰めたアルブレヒト……、いや偽名を使う必要も無くなったヴィルヘルムは変化の無い黒森での挨拶の慣用句が返ってこない(何か変化は無いかと問われればいつも通りの風と葉ですと答える)事で何か変事が有ったと悟る。

 急ぎ足で防衛本陣たる本丸へと向かうと、そこにはルベリンを運営するに当たり欠かせない人員が揃っていた。


「兄様!」


「おっと!大きくなったな!レーア」


 ポスっと飛び込んだ少女は兄に抱えられると嬉しげに笑った。


「おお、戻ったか息子よ」


「父上、風がよこしまな物を運びましたか」


 ヴィルヘルムの問いにルベリンの主、エルフ王オフランが答えた。


「……臣従していた村々が離反しておる、ロプセイン王国なる国へと従うと」


「ロプセイン?」


「うむ、エルフもダークエルフも問わずに人間が集めている。曰く、岩石の如く屈強な体、天へと至るような上背、短い金の髪と碧眼の女だと」


 そこまで言われてヴィルヘルムははた、と気付く。

 自分が戦い、負けた相手と特徴がそっくりだと。


「……知っている相手やもしれませぬ」


「なんと、其れは?」


「武者修行にて訪れたタイリアの国の武者です」


 笹葉が擦れるような小声で囁き、閣僚らは話し合いオフランが手を挙げることで静まる。


「其の者は何と申す」


「エレウノーラ・ディ・カミタフィーラ、タイリア1の武人……。大会で優勝し、その後の戦では指揮を取ってロリアンギタ帝国を攻め滅ぼしました」


「なんと……」


 オフランの驚愕はその場の全てのエルフの代弁でもある、いずれ侵略してきたであろう大帝国を討ち滅ぼした人間が軍を組織しつつ有り、国として立とうとしている。


「其の……ロプセインは何か動きが?」


「周辺の村々に臣従を強いておる、大抵の場合はそのまま受け入れておるな。拒否した話は聞かぬ、ツィプヒライにクデマブルクすら傘下となった」


「あの2都が……、となるとそこから兵も募るとなると800以上は固い」


 ダークエルフの兵が1000近く、更に村落からも10数名出されたならまず確定で1000は達しているだろう。

 ルベリンでは動員を掛けて700だ、要塞があるので防衛だけ考えるなら十分な数字である。


「急ぎ兵を集め、防衛体制を整えた方が良いでしょう。話し合うにしてもこちらにも戦力が有る事を見せつけねば」


「うむ、ヴィルヘルムの言う通りじゃ。疾く───」


「御報告!スクロットめが転びました!ロプセインへと帰順すると通達が!」


 伝令兵が駆け込み、北部都市スクロットがロプセイン王国へと臣従した事を伝えると城内の空気は凍りついた。

 西・南・北と半包囲された形になるが、東部はポラニア・アトリニアである事を考えれば包囲完了と言えたからだ。


「……これは来ますな」







「ルベリンに向かう、軍の調整は?」


「歩兵隊500、弓兵隊200、投石隊100、輜重隊300の計1100名。教練中は400程」


「上出来だ、短い期間で良く仕上げてくれたな」


「ダークエルフは人間よりも俊敏だ、流民も市民権付与を餌にしたら血反吐吐くまで食らいついてきたよ」


 エレウノーラは軍の編制をジョルジュに聞くと1000を超える兵団の編制が完了した事を知る、元より数を集める事を優先していたが辺境としては十分な数が集まった事に安堵した。


「スクロット市は掻き集めた兵の数を聞いて臣従して来たし、ルベリンさえ落とせば他の弱小勢力も自ら降るだろう」


「そこが問題だ、出来れば血を双方流したくない」


「お前らしくも無いな」


「建国の名乗りを姫様が上げたらおにいたま2人が許さんだろ」


 おにいたま……、旧ロリアンギタ帝国第1・2皇子の事である。

 東と西に別れたクランフ王国を名乗り、お互いにロリアンギタ帝国再統一を掲げて今なお戦っている最中である。

 継承1位西クランフ王シャルルはテアヌーキ州州都ドボルーを暫定王都としており、傭兵を募っては中央進出を画策している。

 継承2位東クランフ王シメオンは西ケンランフ州州都クランフフルトにて兵の調練を行っている。



「……連中はパリスエスを巡って戦っているだろう」


「東は低地国家と北部を切り取ってこちらにも手を伸ばすさ、その程度の兵数は居る」


 東クランフがマゲルン他の北・東ナーロッパを制して国力を付けてから南部へと進出するとエレウノーラは当たりを付けた。

 西クランフは南のベイアリ半島を攻めようとしても陸路ではレピネー山脈が邪魔になり、海路から行くとしてもトゥアリスアス・オレン王国海軍が立ちはだかる。

 東はそれこそトラウマのタイリア半島なので西が拡張競争では完全に負けている。

 旧帝都パリスエスを抑えたいのは両名共共通認識だが、戦乱の影響で完全に荒れ果てており周囲には土着したスーノ人が彷徨いているとなれば【文明的】な場所を抑えていきたいのが人の性だ。


「そこへ妹が国を創りました〜、なんてやってみろよ【保護】を大義名分に攻めるさ。だから出来るだけ流血無しに統一し、守る」


「はぁ……、身を守る為に建国のはずだが」


「そう、野垂れ死にはせんよ。城に籠もらせれば姫様は死なない、お前にとってはそれが全てのはずだ」


「アンタは?」


 ジョルジュの問いに皮肉げにエレウノーラは笑った。


「俺か?俺の願いはもう壊れちまったから今は風の吹くままさ、いつかやりたい事が見つかれば良いんだが」


 コンコン、とドアがノックされ立ち上がったエレウノーラがドアを開けるとドアから下がった所で膝をつき頭を下げるダークエルフの男が居た。


「エーリカ様より御連絡です、ルベリンに動き有り」


「アドルフ、直ぐに伝えろ。軍を率いて向かうと」


 伝令を聞いたアドルフなるダークエルフはスゥっと、消えると遠くでキィと扉が軋む音が静かに聞こえた。


「いざ、ルベリン」




 軍を移動させ、1000を超える兵団はルベリンの街を取り囲む壁を目にした。

 その荘厳さとこれまで幾度も攻撃を跳ね返してきた実績に、誰かの喉が生唾を飲み込む。


「白旗を貸せ、軍使として赴く」


「将軍、流石にそれはのう……。儂じゃいかんか?」


 ヴィクトールが渋るもエレウノーラは強引に旗をもぎ取り、魔剣を預けた。


「少ししたら戻る」


 カポカポとリンカーを歩ませると天高く白い旗を掲げエレウノーラは進む、中間まで来た所で誰何すいか(身元の確認の為に呼びかけること)の声が響いた。


「このルベリンに何用か!」


「軍使として参った!話し合おう!」


 暫くの沈黙の後に扉が開く、只の人間としては初の来訪者となったエレウノーラは扉の先の街並みを見て感嘆した。


「なんて美しい街並みだろうか」


 木造ではあるが、区画整理され几帳面な程に整地された地面は土とは思えぬ程に綺麗に均されていた。

 家々はスペースを空けつつも寒々しさを感じさせない間隔を保って建てられており、屋根からは子供がエレウノーラの様子を伺っていた。


「軍使殿、城まで御案内致す」


かたじけない」



 ルベリン城も木製だが、火除けの魔法が掛けられており早々出火で燃え落ちるような造りではない。

 そんな城へと案内され、エレウノーラの周りには兵士らが青銅の剣で武装してぐるりと逃さぬようにしていた。


「そなたがあの軍の将軍か」


「御初に御目に掛かる、ロプセイン軍の指揮を取っているエレウノーラと申す」


 頭を下げたエレウノーラにオフランは鷹揚に返礼した、格としてはエレウノーラが下だからだ……現状の力関係は兎も角。


「此度は何用かな?」


「我がロプセインの旗の下、御力を合わせて頂きたい」


「それは我に臣下となれというか」


「……恐らくは一時的には」


「一時的?」


 オフランの鸚鵡おうむ返しに、エレウノーラは今後の己の予測を話していく。


「マゲルン統一の際には、東クランフ王が食指を伸ばす事でしょう。これを討穿ち、東クランフを突破。パリスエスにエロディ姫殿下を凱旋させます」


「……そして?」


「正統なるロリアンギタ復興ともなれば正式に教皇から認可を受けた訳でも無いロプセインは不要、陛下がお継ぎになられれば良い」


 思わぬ国譲りの話に王だけでは無くその場の誰もが驚いた、しかしだからといって大人しく降るのは権威に傷がつく。

 そんな中、ヴィルヘルムがエレウノーラの前に出た。


「この姿では分からないかもしれないが……、トーナメントで負けた者だ」


「……二刀流の?」


 ニヤリと笑みを深めるヴィルヘルムに、エレウノーラは思い当たったソレを言い当てた。


「血を流したくないという思いは理解出来た、しかし何もせずに降れば父王の名にも傷がつく。なので、一勝負どうだろうか」


「またぞろ、決闘でもしろと?」


「いや、我らルベリンエルフは壁に自信を持っている。なので、競争と行こうか」


 競争の言葉に疑問が浮かぶ、なにかしらのレースとしても地元である彼らが有利だからだ。


「やることは簡単だ、そちらの陣からこちらの壁まで走り壁に手を触れたらそちらの勝ち。阻止できたらこちらの勝ち」


「そう言うなら妨害有りって事だよな?」


「私だけが弓を射る、それを避けて壁に向かえば良い……。先に言っておくが、剣よりも弓が得意だ」


 ヴィルヘルムが弓を見せるとエレウノーラもそれを受け入れた、勝負が伝えられると両軍共に武器を下ろして行く末を見守る。


「兄様頑張って!」


「姐さん!やってくれ!」


 声援に片手で応えるとエレウノーラは一呼吸吸い込むとリンカーへと合図を出す、その瞬間にリンカーも全力をもって走る事で主の期待に沿った。


 ───ヒュウ


 風切音が聞こえたその瞬間にエレウノーラは首を傾ける、視線の端には矢羽根が見えた。

 リンカーは更に速度を上げ、壁へと突撃していくが2射目が解き放たれる。

 正確に左胸に向かって来たそれをトットノックを抜き放ち切り捨てた。


「んだよ、殺す気でやってんじゃねえか」


 エレウノーラは選別で貰った耳飾りが熱く熱を発しているのを感じると更に速度を上げさせた。





「まあ、この程度では止まらんわな」


 ヴィルヘルムは3射目の矢を3つ手に取ると弓につがえ、自身の魔力を込めて連続で射掛ける。

 その3本の矢はリンカーの進行方向手前の地面に落ちると、時間差で次々へと爆発した。


「これはどうだ?」


 点での攻撃が効かぬのであれば面で迎え撃つ、基本に忠実な攻撃を加えるヴィルヘルムはさりとて予知染みた想像が頭を過った。


「そうこなくては!」


 土煙を掻き分け、リンカーは最高速度に達する。

 時間的にこの矢が最後になるだろう、ヴィルヘルムは【取っておき】の大型矢を手にすると天に向けた。

 放たれた矢の鏃が剥がれると内部に格納されていた棘が広範囲にばら撒かれ落下していく。


「散弾ではなぁ!」


 棘は1つ1つは小さい、当たった所で致命傷にはなり得ない。

 そう判断したエレウノーラは突っ込み、そして棘の1つがリンカーの背に刺さった瞬間、激痛によってリンカーは立ち上がりエレウノーラは落馬を避ける為に飛び降りる。


「リンカー……、すまん!」


 あと少しで辿り着く、そんな位置だった。

 思わず壁の上を見たエレウノーラは矢をつがえたヴィルヘルムと目が合った。


「……」


 一瞬の間を置き、ヴィルヘルムはその矢を下げる。

 エレウノーラは走り出し、壁に手を付くとそのまままた反対へと走り出した。


「リンカー!」


 痛みに暴れる軍馬を前に、それでもエレウノーラは宥めようと手綱を掴む。

 普段なら主人の言う事を忠実に聞くリンカーも初めて味わう痛みで我を忘れていた。


「この水を使え、炎木ウラスの棘がすぐ落ちる」


 何時の間にかやって来たヴィルヘルムは桶一杯に注がれた水を差し出す、思いっきり振りかぶって水を撒くとそれまでの暴れぶりが嘘のようにリンカーは落ち着きを取り戻した。


「妹が創る魔水は効果が高くてね、誤って刺さった時は良く世話になった」


 ヴィルヘルムはそう言うとリンカーを撫でようとするが威嚇されて手を引っ込めた。


「そう怒らないでくれ、悪い事したとは思ってるんだ」


「賢いから絶対忘れないぞ、リンカーは」


 エレウノーラは鬣を撫でてやるとリンカーは甘えるように顔を押し付けてくる、それを見てからヴィルヘルムは弓を地面に付くと片膝を着いた。


「我の矢を避け、ルベリンの壁に手を付けた勇者よ。その剣の下にこの弓を捧げたい」


「アンタらとは関係無い戦争も起きると思うぞ」


「望む所だ、変化無き生は素晴らしい物だったが……。一度位は激流に身を委ねるのも一興」


 エレウノーラは鼻を鳴らすとトットノックを掲げ、それを見た配下の兵士らは歓声を上げた。

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