第69話 元聖職者の陰謀

「サイモンさんよぉ、俺等に何をさせたいんでぃ」


「人殺しだ」


 その言葉にぎゅっと口を窄めた破落戸は聞き出した。


「誰を殺れって?」


「エレウノーラなる女騎士だ」


 その名が出た瞬間、二人は笑い転げる。


「面白い冗談だな!」


「戦争を勝たせたあの元帥さんかい!」


 ひとしきり笑い、サイモンが表情を変えない事を確かめた破落戸はすんっと真顔になると机に肘をついた。


「無理だろ、噂じゃロリアンギタの強え騎士を何人も殺してんだろ?俺等みたいなチンピラに何を期待してんだよ」


「お前達に殺せるとは思えんな、だが正面から挑めばの話だろう」


「暗殺なんてそれこそ無理だぞ、やり方なんか知らねえよ」


 普段は酒を飲み、喧嘩をして暴れて気の弱そうな通りすがりを脅して金を取る。

 そんな生き方をしていて悪ぶってはいるが、最後のラインとも言える殺しだけは二の足を踏む。

 結局の所、使い捨て以外に道が見えない人間だ。

 それで良かった、サイモンからすれば下手に自信のある奴はコントロールし辛い。


「工作はする、人手が儂だけでは足らん。お前達は言う通りに動けば良い」


「……直接俺等が殺るわけじゃないんだな?」


「お前達如きで殺せたらロリアンギタは誰も苦労しておらん」


 ムカッとしたが、サイモンの言う通りだ。

 毎日手から血が出るまで剣や槍を振るっていた騎士を事もなげに殺すような女をどうこうできるとは考えれなかった。


「出入りの業者になれ、そして貴族の屋敷に潜り込むのだ」


「……そんで?」


「そこからは儂の話術の出番よ、お前達は何も知る必要がない」


 見下す様な目と口、だからこそ本気だと破落戸は感じ取ると同時にあまりリスクを感じ取らなかった。

 尻尾切りに使われる立場だが、やる事は要するに使いっ走りだ。

 最悪捕まっても知らぬ存ぜぬで命までは取られまいと踏んだ。


「……報酬は?」


「金貨五枚くれてやる」


「三倍貰ったってやだね、なんならこのままタレ込んでやっても良いんだぜ。そしたら十倍の金貨は貰えるかもな」


 チッ、と舌打ちするとサイモンの目に憎悪が宿る。

 どうにも己の言う事を聞かぬ人間に強く害意を抱くらしい。


「金貨三十、儂の金貨はこれ以上出んぞ」


「良いぜ、手をうとう」





「あの業突張りが!」


 ガン、と蹴り飛ばした樽から溢れた水が床を濡らす。

 その先には聖職者の格好をした少年がおり、怯えながらも頭を垂れていた。


「サイモン様、何卒御平に……。夜も深く周囲の人々に聞かれます」


「エミリオ、すまぬ。しかし、お前がこの街に居たのは僥倖だった」


「恩義有るサイモン様の為ならば……」


 スッと伸ばされた手がエミリオの金の髪を梳いた、ビクリと身を震わせたエミリオは拳を握りしめると声を出す。


「エレウノーラめは私も聖女様の事で一度会ったことが有りますが、秩序をなんとも思わぬであろう目をしておりました」


 あの時はそんな事は感じなかったが、そう言ってヨイショしておかねば怖かった。


「そうであろう、よもや神の法へと言及するような女よ。本来ならば処刑物だ」


「しかし、勝ちました。それが故に処そうにも、貴族らからの反発は予期されます」


「それよ、先ずは貴族の反発を無くさねばなるまい。その為に、消えてもらう男がいる」


「それは……?」


 エミリオの問いにサイモンは口角を上げた。


「あの時の旗は覚えている、ポニエット男爵だ」


「……ですが、その男爵を、その、サイモン様が害したとて」


「違う、エミリオ。男爵を殺すのはエレウノーラだ」


「は?その、無理では?」


「【無理】から【出来る】にするのがはかりごとだ」


 雨が降り出した闇の空を見上げながら、サイモンは続ける。


「どんな形であれ、身内を殺されたならば仇を討つのが貴族の面子なのだよ」






 ジョヴァンニ・ディ・ポニエットと言う男は漸く見つけた【美】を残そうと足掻いていた。

 筆を取ってはキャンバスへと向き合って描き、羽根ペンの先が折れるほどに羊皮紙へと文を書き連ね、睡眠不足で目の隈が真っ黒になり眼球は血走り、家臣らから強制的にベッドに叩き込まれようが頭の中は英雄の事で一杯だ。

 自分の人生の意味を見出だせた今は、彼にとっての絶頂と言ってよく、それまでやってきた見合い用の似顔絵はとんと描くことが無くなっていた。

 今も描いている絵は、十二宝剣の女騎士が槍に貫かれる瞬間を描いておりその背を蹴りつける悪魔の如き姿。


「何かが足りぬ」


 次は傅く英雄とそれを称える王と諸侯、賛歌を捧げるは聖十字教徒達。


「何が足りぬ」


 英雄譚に相応しい渾身の一筆だ、自分の作品の中でも一番と言って良い。

 だが、心の中で何かが欠けていた。


「旦那様、新しい絵の具が届きました」


「そこへ置いておいてくれ」


「それが……、変な手紙がついていまして」


 メイドが告げると、漸く顔を上げて手に持っている手紙と絵の具を見た。

 男爵は絵の具を先に取ると普段使いの物が届いた事を確認してから手紙を受け取り、ナイフで開封した。


「……あの坊主め」


 内容を確認した男爵はクシャリと手紙を握りしめ、口を窄めた。

 サイモン元大司教と最後に書かれた名を見たからだ、自分達アシリチの人間にさぞや恨み骨髄かと思いきや会って話したいとのこと。

 こんなもの、即捨てれば良いビリビリに破いてやろうか、それとも燃やそうか……。

 それなのに、生来の好奇心が鎌首をもたげ始めた。

 何故自分と会いたがるのか、話とは何か、そもそも罠か。


「罠か、それも一興」


 こんな世の中で少しでも騒々しく過ごせるのであれば、ポニエット男爵は罠でも構わないと考えてしまった。


「今夜、人と会う。案内人を出してくれ」



 深夜、油で燃える炎が二人の男を照らしていた。

 ポニエット男爵とサイモン元大司教である、アトリエでは嫌な緊張が張り詰めていた。


「それで、用向きは」


「素晴らしい絵ですな、描き手の情念が宿っている」


 サイモンはエレウノーラが描かれている絵を目聡く見つけると世辞を言い放つ。


「ふん、俗世から離れていた人間に理解出来るとは甚だ疑問だがね」


「これは意な事を、教会では美術も教養の内。素晴らしい色使いだ」


 褒められて嫌な気持ちではないのか、そんな自分が嫌なのかポニエット男爵は鼻を鳴らして顔を背けた。


「しかし、英雄譚を描くのであれば肝心要の絵が抜けている」


「何?」


「そもそも、男爵程の文化人が気付いて居ないとは考えにくい。知らず知らず避けていたのか、或いは気付いて居ながら無視していたか」


「貴様、何を」


 クルリとサイモンはポニエット男爵を射抜くように見つめると口の端を歪めながら言う。


「英雄譚ならば、悲劇的な英雄の死が必要でしょうに」


 パチリとポニエット男爵の中でパズルのピースが嵌った音が鳴った、そうだ英雄とは惜しまれながら死ぬのだ。

 そしてその死が絵画となり文となり未来永劫に渡って語り継がれる。


「巫山戯るな!」


 咄嗟に手に取ったナイフをサイモンへと向ける、後はこのまま心臓目掛けて突進すれば良い。

 英雄の話はまだ続く、それを見なければ───



 ───爵位は弟に譲り、私は下野致します。


 何故、こんな時に限って思い出すのだろう。

 もう彼女は舞台から降りるのだ。

 ジョヴァンニ・ディ・ポニエットがこれ以上の英雄譚を見る事は無い。


「ならばいっそ、男爵の手で幕を引くのは如何かな?」


「……」


 呼吸が荒く、激しく息を求めていた。

 芸術家の己がそれを是としていたのだ、そして人としての己が否を突きつける。


「戯けた事を!己の恨みを私に押し付けるな!」


「だが、貴方はそれに魅力を感じている」


 ゆっくりと近づくサイモンに、一歩ポニエット男爵は引いた。


「何時までも観客席ではつまらなかろうて、此処らで舞台に上がられてはどうかな?」


「囀るな下郎!」


「歴史に……、己が名を刻みたくは無いか?」


 ───救国の英雄を殺した男


「さすれば求めていた最後の一枚も描けよう」


 元聖職者とは思えぬ悪魔の囁きは、ポニエット男爵の心に深く打ち込まれ手からナイフが抜け落ちた。


「……何を、させたい」


「祝宴を開きましょうぞ、英雄の末期に相応しい祝宴を」


 その二人の顔は幽鬼のように青白かった。

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