第61話 帝国軍、慌てる
「この二週間に渡る戦闘では、被害だけで見れば我々は非常に不利な状況に有ります。全体の三割弱の兵を失い敵軍には碌な被害を与えられていない」
「あの堀はそれ程までに厄介か」
「正直に申し上げますが、陛下。我々は野戦では無く、攻城戦をしているとお考え下さいませ」
「第一に、袋の壁を超えた先にある斜傾堀。角度が有る為降りる際は慎重に降りねば槍に串刺しにされ、かと言って怯えていれば矢で射殺されます」
指揮官はライムント帝にそう告げると、別の指揮官が言葉を継いだ。
「第二に、逆茂木を越えた際ですが落とし穴が隠蔽されており露呈した現在は進軍を防ぐ防壁として機能しております」
「極めつけは度重なるカタパルトからの投石か」
「加えまして……、こちらが使用できる土地の広さに限りが有ります。攻撃の際には多くとも四百程度が展開出来るか否か、そして野営には峠道を使って前後に長く設置する必要が有ります」
「このままではあの落石攻撃のように頭上を取られて更に被害が出る可能性が……」
「兵站担当として申し上げますが、ここで九千近い兵を足止めしていると兵糧が尽きてしまいます。予定では道中の村落・都市から略奪で賄うはずでしたので……」
そこまで言われると頭に登っていた血がライムント帝からも引き始めた、理性ではこの泥沼からさっさと足抜けするべきだと訴えかけている。
各指揮官らも言いたいことはそれなのだろう、口籠ってはいるが目が物語っていた。
「だが、親征してなんの功績も無く引かば有力諸侯に誤解を与える。特にジューアン公は娘二人を失って居るのだ」
パリスエスがあるイル・ド・クランフ地方に程近いジューアン地方で挙兵されれば皇族の親戚であるアンレオル公も野心を手に挙兵するやもしれない。
二公が立ったならばその他の地方貴族らの旗印も不鮮明になる、出来るだけ早くにアシリチを制圧し仇討ちの完了を堂々と告げる予定であった。
だが、それもこの忌々しい防衛線が無ければの話である。
誰もが撤退の言葉を待っていた、ともすれば皇帝自身ですらだ。
そして短慮によって動いた結果、どの道やらねばならなかった事であるにせよ少しずつ追い込まれている。
「一度転進し、ズートゥールで船を調達して防衛線を迂回、上陸により後背を強襲する……というのは」
「だが、後退したという事実が残る」
「この場に残る兵を選びます、陛下はズートゥールへ。挟み撃ちならばまだ格好が付きます」
選ぼうとしたのは、この場に残ってアシリチ軍と睨み合いをしてその間に船で上陸戦を仕掛けて後方を遮断する作戦だ。
だが、金も時間も掛かるし行き当たりばったりな作戦行動だ。
負けて帰るよりまだマシ程度の意味合いしか無い。
皇帝がその案を採用しようと口を開けたその時、馬が駆ける音が響いた。
「急伝!急伝!ライムント陛下は何処におわすか!」
騎乗の騎士が喉が張り裂けんばかりの声を出す、旗を持った兵士が高く掲げると馬を移動させた。
伝令には正確な情報を素早く知らせるために、例え皇帝を前にしていても下馬せず鐙に足を掛けたままで良いという特権がある。
「馬上からお許しを!本国にてスーノ人が襲来!デレンフラン、ネトリアウス、ニュブタールが総数九千のヴァイキングに襲われました!」
「こ、こんな時にだと!?」
「デレンフラン公はパリスエスへ後退なされましたがネトリアウス公御討死!ニュブタール公はテブリン島南部のウォーンルーコの御親類の下へ逃れました!」
「そんな、三地方も落ちたのか!?」
「それだけではなく、スーノ人はパリスエスを標的として南下しつつあり!陛下におかれましては一刻も速い御帰還を!」
パリスエスが、華の都が、北の海を越えてきた野蛮人に蹂躙される。
その想像がその場の全員に過った時、最早仇討ちだの面子だのという言葉は存在しなかった。
「陣払いだ!パリスエスへ戻るぞ!」
危機ではあった、だが同時にこのどうしようもない状況から逃げる口実が出来たのが嬉しかった。
いや、逃げるのでは無い首都防衛の為の転進だ。
家臣らへの言い訳は十分に立つ。
「とかなんとか浅ェ事考えてんだろうなぁ」
「はぁ……?と、言うと?」
アルレッキーノ王子の質問にエレウノーラはニヤニヤと笑いながら答えた。
「単に偶々スーノ人が略奪に来た、これの対応を終えたら船の準備をして海路から侵攻経路を選ぶ。まぁ、実際にはスーノ人はこちらと呼応しているので実質包囲網に自分から飛び込む形になるのですがね」
「カミタフィーラ卿、兵を前に出して追撃するぞ」
「ああー、駄目ですな。レオナルド卿、ロリアンギタ軍は一旦放置です」
「何故だ?追撃するなら今だろう」
「地形がね、追い討ちに向いとらんので。背中から襲いかかっても数十人か、足場が悪いのでこちらの兵が滑落する可能性が高い。まずは王都に残した兵をこちらに寄越してもらって再編、ゆっくりで構いませんよ」
「では再編の後に……」
「ロルチ地方とアヴォイサ地方に兵を進めて実効支配します」
その言葉にアシリチ側の騎士や貴族は騒然となった、金と物と人が流れるだけの防衛戦争と思っていたのが領地拡大を意図するという。
「で、ですがそれではスーノ人との合流が遅れて彼らに被害が出るのでは?」
アルレッキーノが震えた声で問うと、エレウノーラは別になんでもないように言い放った。
「それが何か」
「な、何かって……」
「私はスーノ人に実力での切り取り自由と言っただけで、臣下の礼を取れとか同盟を組もうとか一言も書いておりません。戦闘に伴う被害は全て彼らの自己負担です、当たり前の事ですが」
「もし、スーノ人が全滅したら?」
オルランドの問いにエレウノーラは愉快そうに笑う。
「その時は多大な被害を出しているであろうロリアンギタ軍を背中から襲うだけのこと、骸は埋めてやる位の義理は果たしてやりましょうか」
「うぅ~ん、この発言は書き留めておくか悩ましいな」
ポニエット男爵が羽根ペンを手慰みに弄りながら悩む、ここ最近の彼はエレウノーラの発言を逐一羊皮紙に書き留めては何やら構想を練っていた。
「別に新しく恩賞になる土地が欲しくないと言うならこのまま付かず離れずで追っても構いませんよ、その場合勲功を上げた者への褒美に王家が七転八倒するだけの話」
「いや、それを言われると」
「ロルチは鉱物資源が豊富で、アヴォイサは海運や商業が盛んな土地。旨味は十分か……」
飛び地になるだろうがそこは部屋住みの息子や弟に分け与えて分家とし、宗家への送金を幾らか課せば十分に利益が出る。
アシリチ貴族らの瞳に欲望の火が灯った瞬間である。
「殿下も約束事をする時はあまり確約しないことを覚えられたほうが宜しいですな」
「……はい」
「はい、ではなく分かったと言うべきですが」
「分かった」
アルレッキーノの返答に満足そうに頷いたエレウノーラは立ち上がる。
「兵士諸君!喜べ、暫く休みだ!そしてこれから成り上がる機会がやって来るぞ、うまく行けばどこか村一つで自作農になれるほどにはな!」
おお、とどよめきが兵士らの中で漏れ出る。
大半は小作人だ、富農に使われて碌に金も持っていない。
それが自作農、人を使う側に回れるかもしれないならば命を張る価値はあると思わせた。
「いずれはパリスエスに乗り込むことになる、宮殿の宝物庫を想像してみろ!金銀財宝が唸るほどあるぞ、略奪は戦争に参加した兵士の正当なる権利だ!一山当ててみろ!」
大国ロリアンギタの宝物庫、そこに眠る金貨や銀貨に宝石類という妄想は騎士も貧農も関係なく欲望を燃えたぎらせた、侵略者である奴らを返り討ちにして宝物を奪う事は罪悪感を低下させていた。
先に手を出してきたから、自分より相手の方が豊かなのだからこれくらいは別にどうということはない、正当なる権利と【
アシリチ軍は被害者の立場から明確に逆転しようとしていた。
そして誰もがそれを、自分達の正義なのだと信じ込んでいた。
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