第60話 TS女騎士、堤防になる

「通り道はここしか無いのか」


 ロリアンギタ兵の一人が心底うんざりした表情でそう漏らした。

 何せ細い山道がぐねぐねと続いて歩くのが嫌になる。


「陛下もおわすんだぞ、ぐちぐち言うな」


「でもよぉ、船で行きゃあ良かったじゃねえか。ルーズートゥの港からならタイリア半島なんざすぐそこだ」


「アホ、一万の兵隊乗せる船用意すんのにどんだけ時間食うと思ってんだ。皇子殿下の仇討ちぞ、早くそのエレなんたらとか言う女の首をとらにゃならんだろうが」


 あいも変わらず代わり映えのない景色を見ながら機械的に足を動かしていれば、そんな風に雑談も出て来る。

 ロリアンギタ兵の意識は散漫になりつつあったのは、この大軍に場所は確かに悪いが仕掛けて来ることは無かろうと油断していた。

 仮に、仕掛けてきたとしてこれだけ大勢なのだから死ぬのは自分ではないとバイアスの掛かった根拠のない判断で安心していた。


 そんな彼らに地面に前もって描かれていた火炎と爆発の魔法陣が付与されていた条件である【特定数の人間が通行したら】を満たし、真上に炎を噴き上げ、そして爆炎が兵士や物資を積んだ馬車を襲った。

 炎に巻かれた兵士が助けを求めて、前や後ろの兵士に抱きつきそのまま諸共に遠目から見たら崖からポロポロと落ちていく。

 巻き込まれなかったとしても兵も馬も混乱し、逃げ出した馬に突進されて怪我を負いあるいは踏みつけられて死んだ。


「何があった!」


「待ち伏せです、恐らくは魔法陣をあらかじめ設置していたのでしょう」


「進行ルートが一つしか無いから容易に仕掛けられたか……」


 ライムント帝は拙速が過ぎたかと後悔するがここまで来た以上、後戻りも出来ない。

 何より息子の仇討ちを諦める理由になりはしなかった。


「足元に気をつけて進め、何か様子がおかしければ知らせよ!」


 そこからの進軍ははたから見れば滑稽なものだった、誰もがうつむき地面に何か無いかと目を皿のようにして見ながら歩くのでのろのろと亀のように遅い。

 時には別に何ともない小石がバラバラに置かれているのを見て飛び跳ねて驚く兵がいた。

 エレウノーラの心理的奇襲は成功に終わり、ロリアンギタ軍の行軍速度は非常にゆったりとした物になるがやがてこれ以上は何も無さそうだと判断した各指揮官の号令の下、また足が早まった。


「ちきしょう!こんな卑怯な真似をしやがって!」


「見つけたらただじゃおかねえぞ、許しを乞うまでゆっくり斬り刻んで───」


 爆発、爆炎、そして死。

 先程の光景が再度、上映されたかのような中で別の要素が追加された。

 カラカラと上から小石が落ちてきた程度では誰も気にも止めなかったが、それが岩へと変わったなら大違いである。

 ただ、エレウノーラにも予想外であったのは存外にロリアンギタ兵が怯え腰だったせいか、予定よりも進んでいなかった軍勢を遮断するかのように中央付近に岩が落ちロリアンギタ軍は分割されてしまった。


「陛下!ご無事で!?」


「儂はなんとも無い!此方側で開通の為の作業を行う、お前達は先んじてアシリチ軍を排除せよ!」


 後方に構えていたライムント帝側の軍が早速、岩石撤去の為に動き出す。

 一方、前衛部隊はまたのそりのそりとゆっくりと動き始めるがこの時点で将兵らの士気は低くなっていた。

 それから先は魔法陣も落石もなく落ち着きを取り戻した前衛が見えたのは、逆茂木と袋を積み上げられた簡易的なバリケードと敵本陣前の斜面、そして同じように袋を積み上げた防衛ラインとカタパルトだった。


「なんだ、この布陣は……。野戦でもなく籠城でも無い中途半端な」


 だが、狭い峠道の出口に作られており迂回することも出来無さそうだ。

 この奇妙な陣地を攻略せねばこれより先には進めない。

 皇帝が指示を出してしまった以上、これを攻略しアシリチ軍を殲滅する義務が指揮官には課せられてしまっていた。


 ガコン、とカタパルトが音を立てて何かを射出する。

 岩石かと警戒したが、落下してきたのは全く別のものであった。

 べチャリ、と嫌な音を立ててロリアンギタ前衛部隊に落ちてきたのは先の戦いで戦死したルイ皇子配下の兵士の腐乱死体だ。

 死臭と植え付けられていたウジが散乱しパニックが起こりかけた。


「静まれぃ!斯様な非道を行うアシリチに目にもの見せるぞ!死んだ兵士達の、ルイ皇子殿下の弔いである!かかれぇー!」


 死体から目を背けるように、雑兵達は走り出す。

 何故か通りにくい逆茂木が中途半端に置かれ袋を積み上げているが木材が足りなかったのだろうか。

 だが、乗り越えやすい袋から行けば良い。

 そう判断し、飛び越えたり手を掛けてひらりと乗り越えた兵士達は袋のせいで見えなかった坂を転げ回った。

 その先には斜めに固定された数打ちの槍が獲物を今か今かと待ち構えている。


「ぎぃあああ!!」


「ごふっ……」


 腹を、喉を、体の何処かを貫いた槍には人間の大便が塗りたくられており斜面の途中で首を折ったり槍で即死出来た者はとても幸運だった。

 致命傷を免れた不幸な兵士らは折れた足や糞まみれの槍で貫かれた腕を庇いながら斜面を登ろうとするが傾斜に耐えきれずにずずっとずり落ちて行く。


「あれは助けられんな……」


 指揮官が呟くとアシリチ兵らが土嚢から身を乗り出して弓を射掛けると生き延びていた兵士らも矢達磨となり戦死していく。


「抜け道がないか物見を出せ」


「承知しました」


 峠道の出口から塹壕線は半月を描くように設置されており、これを避けようと少数の兵士らが森へと踏み入っていく。


「そもそも場所が悪い……、狭くて大軍で突撃もかけられんし突撃した所であの堀が壁になっている……」


 ロリアンギタ前衛部隊の指揮官は知らぬことだが、塹壕戦術が主流となった地球世界の第一次世界大戦ではたった三度か四度の戦いで数十万人が戦死するようになり、それでも互いの塹壕を攻略するのはほぼ無理だった。

 壁も門も天守も無いが、今この場にはどんな名城よりも堅い要塞が作り上げられていた。

 ロリアンギタ前衛部隊三千は進路の作りとして一度に二百か三百程度の兵士しか使えず、アシリチ側は塹壕に籠もる千二百の兵で楽々と跳ね返し続けていく。

 そんな折、森に放った斥候が一人戻ってきた。


「将軍!森も駄目です!落とし穴に吊り上げ罠で三人殺られました!」


「……迂回も無理、正面からの戦いを強制させる。これを考えた奴は底抜けに意地が悪いな」


 これまでは土嚢を越えてゆっくりと降りている所を遠距離から仕留められていたが、逆茂木からは攻撃を仕掛けていない。

 本来なら時間が掛かり攻撃を受けるリスクのある逆茂木から進軍路を開くのは上策とは言えない、しかし今の状況では打開策がここにあるように思えた。


「こちらも弓で援護しつつ、少数部隊で逆茂木を撤去させよ」


 ロリアンギタ側から弓矢が射掛けられ、アシリチ側の射撃が沈黙する。

 その隙に工作兵が斧や鉈を持って逆茂木の撤去に当たる。

 急いで切り裂き、割っていくとそこには本陣へと続く道が真っ直ぐに続いていた。


「進めぇ!」


「これで終わらせるぞ!もうこんな頭がおかしくなりそうなのは御免だ!」


「待て!そんな簡単な訳が───」


 指揮官が止めるが、下級騎士や兵士達は突撃を始める。

 通常行われるような戦では無く、恐怖がジワジワとにじみ寄って来た状況でようやく終わらせられるかもしれない蜘蛛の糸へと縋った。

 が、その糸はすぐに切られてしまった。

 突撃の先頭が落とし穴に落ちていくのを見ても急には足は止まらない、止まったとしても後ろの味方に押されて諸共に落とし穴へと落ちては剣山に貫かれて死んでいく。

 人間の心理を利用した要塞を前に指揮官は全軍に攻撃中止を発するとどうしようもない攻略方法を参謀と思案するほか無かった。



「凌ぎきったか、壊された逆茂木を設置し直せ」


「はっ!」


 エレウノーラの指示に正規軍兵士が答えると五名程引き連れて修復へと向かう。


「凄えよな、こんな地面に穴掘っただけであんな大軍押し留めちまってるぜ」


「馬鹿、あの人は闇ん中で敵の皇子の陣地に突っ込んだし一騎打ちでは一番強え騎士も素手で討ち取ったんだぞ。人としての出来が俺等とは違うのよ」


「へぇ~、英雄って奴なのかねぇ」


 ボソボソと雑兵らが雑談する余裕までアシリチ側には存在していた、この戦いで既に合算して千人以上はロリアンギタに被害を出している。

 このまま粘り続ければ物資の無くなった相手は撤退するだろうと。

 日が落ちた頃、岩石を撤去し終わり進軍を再開した皇帝本隊が前衛部隊へと合流し峠道での死者と塹壕攻略戦での死者を合わせれば二千五百。

 ロリアンギタ軍は一万を呆気なく割り込み、未だに塹壕攻略の目処が立つ見込みすら無かった。

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