第28話 王太子殿下、苛立つ

「お前は王になるのだからこの位は簡単にこなさないといけないわ」


 何度この言葉を聞いて来たのだろうか、数える事すら億劫になるくらいは聞いてきたことだけは確かであり、事実ファビアーノは数えることを諦めていた。

 王妃は才媛であり、また教育にも熱心であったが故にファビアーノは厳しく育てられることとなるが、それに不満は無かった。何ともなれば己は明日の王であり、なにより優秀であればならないからだ。

 彼が許せなかったのは、努力を重ねる彼より何もしていなかった今では他国に嫁いだ姉の存在であった。

 彼女はいつも薄らぼんやりとした顔付きで自室の外を眺めているような少女で、ファビアーノはそんな姉と詳しく話すこともなかったが彼女が家庭教師や学園からのテストでは満点以外取った事が無かったのだけは知っていた。


「お前も姉のように知識を得なさい」


 初めに言われたことの次に言われたのがこの言葉であった。

 いつしかファビアーノは姉を疎ましく思うようになるのだが、姉は気にもとめていなかった。

 それがやけに腹立だしかったのだけ覚えている。

 そんな姉が嫌いになったのは彼にとって普通の事であった。

 致命的だったのは王妃が、つまりは王子の母親が亡くなる時の今際の言葉であった。


「姉を越えるようになさい」


 残されるファビアーノへ母としての愛を囁いてはくれなかったのが彼の境界線を越えることとなった。


「姉上よりも優れた男だと誰からも言われるようになります」


 その日、間もなく嫁ぐ姉へと宣戦布告のように言ったファビアーノへ、いつも通り薄らぼんやりとした眼を向けて姉は言った。


「そう」


 それからどれ位経っただろう、次の言葉は何かと立ち続けるファビアーノへまた顔を向けた姉はたった一言。


「頑張ってね」


 頑張ってね?今は何も頑張っていないとでも?

 寝る間を惜しんで学問書を読んでいるあの時間は?

 痛い思いをしながら鍛錬をしているあの時間は?

 なんで何もしていないこの女より劣っていると言われなければならない?


 ファビアーノは握りしめた拳から血が出ていることにも気づかずに部屋を飛び出した。

 何かを言っていたような気もするが、どうでも良いことであった。

 それ以来、ファビアーノ王太子殿下は優秀な女が憎く感じるようになった。

 だが、次代を担う者へと付けられる女は皆優秀な者ばかりであるし血筋も確かな女ばかりでありそれが彼のトラウマを刺激し続けることとなる。

 いつしか彼の安寧は何処にも無いと感じるようになった。

 例外が、血筋だけであまり学のない学園を卒業したばかりの王宮付侍女との時間であった。

 彼女は学問に熱心ではなく仕事も結婚するまでの腰掛けとしか考えておらず両親も末の子だからと甘く接していてそれを良しとしてしまった。

 その分、心根は優しかったので子育て失敗かと問われるとどうであろうか。

 兎角大事なのは彼女が王子の茶の世話をするようになり、王子は彼女の愚鈍さに安寧を覚えたことである。

 婚約者の大公令嬢は自分と同じ位の知識があり、熱心に勉学を納め更には石鹸やら香水やらを作る商会を齢11にしてなしたと言う。

 姉を思い返させる優秀さに苛立ちが募り続けてその侍女に当たった時だ。

 優しく頭を撫でてきた彼女に、怒りで顔を真っ赤にさせながら怒鳴ろうとして彼女の顔を射竦めた。

 優しく、癇癪を起こした弟を宥めるような彼女の顔を見た瞬間に涙が溢れてしまった。

 誰も自分を見てくれない中、彼女だけが真っ直ぐに見ていたことに泣いてしまったその瞬間、ふわりと良い香りと柔らかく暖かな人の温もりを感じた。

 こんな風に抱きしめられた事などあっただろうか?

 恥も外聞もなく泣き喚いて、疲れて寝てしまうまで彼女は背中を優しく叩いてくれていた。


 婚約者は彼女に変えてもらおう、学が無くったって良い。

 最低限の血筋はあるのだから誰も文句は言うまい。

 そう決意し、侍女を探すが何処にも見かけない。

 侍女頭を捕まえて行方を聞いた。


「彼女は結婚するので退職致しました」


 大事な宝物はさっさと宝箱に閉まっておくべきである、それが今回のファビアーノ王太子殿下の学びであった。


 ファビアーノ王太子殿下は優秀な女性を嫌い、憎んでいると同時に自分を優しく包んでくれる海のような包容力を持つ女性を求めるような面倒臭い青年であるが、それでも王たらんと努力してきた。

 1つ下の実弟はまあ、敵にはなるまい。

 昔から波風立てないように縮こまって生きてきたような蚤の心臓だ。

 問題は異母弟である、彼は幼いながらも叡明でかつてのファビアーノのように努力家でもある。

 時折、憎しみを込めた目でファビアーノを見つめている時がありこの間ぼそりと呟いていた一言が耳を離れないのだ。


「兄上はいつか国を滅ぼす」


 子供の戯言と流すには余りにも主語が大きすぎる。

 王位を狙っているのは間違いない、骨肉相食む関係となるのは時間の問題であろうと考えるとかつての癇癪癖が顔を出した。

 そんな時に出逢ったのが、高身長で巌の如き女性騎士エレウノーラである。

 傭兵出の成り上がり貴族、平民に毛が生えた程度の身分で上位貴族子息の面子も考えずに打ち勝つなどファビアーノの癇に障るのは当たり前の事であり学園の中だからこそ、このように接していたが普段であればどれ程の勘気を発していただろうか。

 それはファビアーノ本人にも分からぬことであり、1年後に彼が凋落する第一歩であったのは誰も知らないままであった。

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