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 ルナは日傘をさし、シャルルと王宮の薔薇園を歩いていた。

 護衛や侍女には少し離れてもらっている。

「ルイ前国王陛下とカトリーヌ前王妃殿下の追悼式、ご無事に済んで良かったですね、ルナ様。来賓の方々も他国から遥々いらしてましたし」

「ええ。ネンガルド王国からはアイリーン女王陛下とお兄様、そしてアシルス帝国からは皇帝陛下ご夫妻が遥々お越しくださいましたから」

「確かアシルス帝国の皇帝陛下ご夫妻は、ルナ様のお祖父じい様とお祖母ばあ様に当たる方々ですよね?」

「ええ。お母様はアシルス帝国の第一皇女でしたわ」

「実は僕の祖母もアシルス帝国の皇女でした。現皇帝陛下の妹です」

「それで皇帝陛下と親しかったのですね」

 ルナは上品な微笑みを浮かべた。

「お父様とお母様も、きっと天国で穏やかになさっておりますでしょう」

 ルナは憂いを帯びた笑みで空を見上げた。

「お二人がお亡くなりになってもう二年が経つのですね。僕も当時事故を知って驚きました」

 シャルルも空を見上げる。

わたくしもですわ。ただ、当時は悲しむ時間もありませんでした。直ちに女王として即位して、混乱する国民や貴族、そして近隣諸国を落ち着かせる事が最優先でしたので。わたくしは薄情者ですわね」

 ルナは悲しみを振り払い、いつもの上品な微笑みを浮かべる。

「ルナ様はお強いですね。十五歳で即位して、このナルフェック王国をここまで発展させたのですから。ただ、悲しみになられて涙を流したり、弱音を吐いても良いのではありませんか?」

「お父様とお母様の死を悲しんでいない訳ではありませんわ。ただ、わたくしはナルフェック王国の女王です。わたくしがしっかりしなくては、国民に心配をかけてしまいます。それでは女王として失格ですの」

 ルナはいつもの上品な微笑みだが、アメジストの目の奥にはしっかりとした覚悟が見えた。

「でしたら、せめて僕の前だけでは涙を流したり、弱音を吐いてください。僕はルナ様の夫なのですから」

 シャルルは明るい笑みだが、そのサファイアの目は真剣だった。

 その時、冷たい風が吹いた。

 シャルルは着ていた重厚な赤いコートをルナにかけた。

「そろそろ戻りましょう。ルナ様が風邪をひいては大変です」

 ルナの心には、シャルルの優しさがゆっくりと染み渡っていた。






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 ある日、ルナとシャルルは公務でナルフェック王国南部の視察に出向いていた。王都からかなり離れた場所なので、視察は数日程かかりそうである。

 王室所有の城で、ルナとシャルルは晩餐の最中だ。

「シャルル様、初めてのこの土地はいかがですか?」

「とても素敵な場所です。果樹園の葡萄ぶどうは丸々と大きくて美味しいですし、チーズも新鮮です」

 シャルルは満面の笑みを浮かべた。

「食べ物のことばかりですわね」

 ルナはクスッと笑った。だが、同時にシャルルのその笑顔をずっと見ていたいと思った。

「はい。葡萄やチーズ以外にも、美味しい食材がたくさんある。国民全員にこの土地の良さを知ってもらいたいくらいですよ」

 キラキラと目を輝かせるシャルル。

 ルナは優しく微笑んだ。

「お待たせいたしました。本日のメイン、牛フィレ肉の赤ワイン煮込み、黒トリュフ乗せでございます。こちらは全てこの土地の食材を使っております」

 運ばれてきた料理の、鼻を掠める香りにより食欲が刺激される。

 柔らかい牛フィレ肉に濃厚な赤ワインが絡み、アクセントに香り高い黒トリュフ。

 ルナは一口食べて満足そうに微笑む。

「実はこのお料理、わたくしの大好物ですわ」

「確かに、とても美味しいです。牛フィレ肉が口の中でとろけています」

 シャルルも満足そうに微笑んでいた。






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 晩餐が終わり、ルナはバルコニーで星空を眺めていた。

 シャルルはそんなルナの隣に並ぶ。

「今夜は星が綺麗ですね、ルナ様」

「ええ、シャルル様。空気が澄んでおりますから」

 二人の間に沈黙が続くが、その沈黙はとても心地よく感じた。

「こうしてルナ様と星空を共有できるなんて、僕は幸せ者です」

 シャルルは微笑んだ。

「公務とはいえ、食材が豊富で星空も綺麗な場所に来る事ができて嬉しいです」

 クスッと笑うシャルル。

 ルナはこの時、もっとシャルルを喜ばせたいと思った。

 それと同時に、自身の感情に戸惑っていた。

 両親や兄を喜ばせたいと思った事は何度もあったが、シャルルに対してはそれが特段大きかった。こんなことはルナにとって初めてせある。

「シャルル様のお好きなお料理やデザートはどういったものでしょうか?」

 どうすれば喜んでもらえるか考えた末、ルナはそう聞いてみた。

 シャルルの好きなものを共有したいという気持ちもあった。

「フォアグラのソテーと苺のミルフィーユが僕の好物です」

「でしたら、今度シェフに提案してみますわ」

「それは嬉しいですね。ルナ様、ありがとうございます」

 シャルルは満面の笑みを浮かべた。

 ルナはその笑みを見て嬉しくなった。






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翌日の視察では、武器庫に異常が無いかの確認をする。

「武器庫の管理はこのわたくしイアサントがしております。何か問題がございましたらどのようなことでもお申し付けくださいませ、女王陛下」

「ええ、貴方の事は信用していますわ、イアサント」

 ルナはいつもの上品な微笑みだ。

「ありがたきお言葉でございます」

 ルナはシャルルと従者を連れて武器庫へ入る。

 だが、武器庫の柱にヒビが入っている事に誰も気付かなかった。

「銃、大砲、剣、盾……どれも問題はありませんわね。ただ、念の為に銃と大砲を増やしておいてちょうだい」

「かしこまりました」

 ルナはイアサントに指示した後、再び武器庫をじっくり回る。

「近年は平和だとはいえ、いつ隣国から戦争を仕掛けられるか分からないですからね」

「ええ。特にこの土地はニサップ王国に近いですから、万が一に備えておかないといけませんわ」

 ルナとシャルルはその他に異常がないかを確認し、武器庫を出ようとした。

 しかしその瞬間、ヒビの入った柱が崩れ落ちる。そしてそれにより、支えがなくなった天井の一部が落ちてくる。下敷きになれば一溜まりもないだろう。

 そして丁度落ちてくる天井の真下にいたのがシャルルだ。

 このままではシャルルが天井の下敷きになってしまう。そうなればシャルルは……。

 最悪な事態を想像したルナ。

 女王である自分に何かが起これば国は混乱してしまう。だから立場をわきまえて行動しなければならない。そのことは理解していたが、ルナは咄嗟とっさにシャルルを強く押し退けた。

 シャルルには生きていてほしい。

 ルナは心の底からそう思ったのだ。

 ルナはそのまま崩れ落ちる重厚な天井の下敷きになった。

「ルナ様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 シャルルは泣き叫んだ。






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 政略結婚で、愛はないはずだった。

 しかし、シャルルの無邪気さ、明るさ、真っ直ぐさ、前向きな所にルナは救われていた。そしていつの間にか、シャルルの笑顔が見たい、喜ばせたいと思う様になっていた。

 シャルルには、笑って生きていてほしい。

 天井が崩れ落ちる時、その思いだけで動いていた。

(シャルル様……どうかこの先も笑顔で、幸せに生きていてください)






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 ゆっくりと目を開けると、よく見慣れた豪華絢爛ごうかけんらんな天井が視界に入った。

「ルナ様!!」

 声の方にゆっくり顔を向けると、涙を流しながら心底ホッとした表情のシャルルがいた。

「シャルル……様」

 ルナはぼんやりとしていた。

「よかった……。本当に、よかったです」

 ポタポタと大粒の涙を零すシャルル。

「シャルル様……わたくしは、生きているのですね」

 ルナはシャルルの涙を拭おうと、ゆっくりと手を伸ばす。すると、その華奢な手はシャルルの大きな手に包まれる。

 シャルルは大きく何度も頷く。

「ええ、ええ。本当によかったですルナ様が生きておられて、そしてお目覚めになって」

 シャルルの涙は止まる様子がない。

何故なぜ……? 何故あの時身を呈して僕を庇ったのですか? ルナ様はこの国の女王ですよ。貴女に何かありましたら、国民はとても心配するでしょう。それに、ルナ様を失ってしまえば僕は……僕は……」

 嗚咽を漏らし、ルナの手を握る力が強くなるシャルル。

わたくしは、貴方に生きていてほしい。そう思ったのです」

「ルナ様……」

 シャルルは顔を上げた。

 ルナのアメジストの目は、真っ直ぐシャルルのサファイアの目を見つめていた。

「だってわたくしは、貴方を愛しているのですから」

「ルナ様……」

 シャルルは目を丸くする。

 共に過ごすうちに、ルナにはシャルルに対する愛が芽生えていたのだ。

 二人は手を握り微笑みあっていた。

 こうして、ナルフェック王国の女王陛下夫妻は仲睦まじい夫婦として語り継がれるのであった。

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