魔女、再び立ち上がる

 絶望に打ちひしがれたメリルの脳裏には、思い出したくもない、いくつもの過去の記憶がよぎる。


『あんたみたいなのを本当に大事に思ってくれる人なんていると思ってるの? 都合のいい女ってだけでしょ』

『ぱっとしない見た目なんだから、馬鹿みたいに尽くすぐらいしかあんたの価値なんてないんじゃないの?』


 あの頃はいつも否定されてばかりで、実際、全てその通りなのだと思っていた。

 だから、選んでもらえたことが自分にとっては奇跡みたいなことで、それに感謝しなければならないのだと、ただ必死に尽くしていた。

 でも、必死にしがみついて手に入れたその居場所は、過去の自分を幸せにしてくれなかった。

 自分から手を伸ばして、自分が本当に求めて手に入れたものではなかったから。

 そんな過去を後悔して。

 変わってやろうと思って、違う自分を作り上げて来た。

 ふてぶてしく、ありのままに、やりたいことを我慢しない。

 そして「自分で」選んだ大切にしたい人のそばに居場所を作ろうとした。

 そんな理想の自分に少しずつ近づいていた。


 でも、それは幻だったのかもしれない。


(おばあちゃん……やっぱり私には、無理だったのかな。私なんかが、何かを決める側の人間になんてなれるわけなかったんだ。そんな大それたことを考えたから、罰があたったんだ)


 本当の自分はこんなにも弱くて情けない。

 自分が信じて来たものがたった一つ崩れただけで、こんなにももろく崩れてしまうほどに。 

 そんな情けない自分が、何かを選んで、実現する側の人間になんかなれるはずもなかったのだ。


 暗く沈みこむ思考の片隅で、ふと、声が聞こえたような気がした。


――全く、まただよ、お前は。いつもいつも、自分を否定してばかりいて。


(おばあ、ちゃん?)


――あたしが教えてやったことを、ちゃんと思い出すんだよ。教えただろう。


 どこからか聞こえて来たその声は、懐かしい先代のものだった。

 先代のメリルの声がメリルの胸の内に入り込み、暗く淀んだメリルの内側を温かいもので満たしていく。

 先代は、温かい言葉と愛情でいつもメリルを励ましてくれた。


――お前は、人のために動くことができる、優しい子さ。それは、どんな能力にも勝る、人として愛されるべき資質なんじゃよ。


――つらい時ほど、周りをよく見るんだよ。きちんと目を凝らしてね。ほら、あたしの自慢の孫の周りは、温かさに満ち溢れてるじゃないか。


 先代に導かれるようにメリルは顔を上げた。


「おい魔女! ぼけてんな、しっかりしろ!」


 沈み込みかけたメリルの意識を現実に引き戻す声は、口の悪い人狼の暗殺者のものだった。

 デュークと剣を切り結ぶロウガの姿が目に入る。


(そうだ。ロウガは、私が巻き込んだんだ)


 ロウガは、本当ならこの場にいなかった。聖女の暗殺のために雇われた彼は、彼一人だけならこんな窮地に陥ることなんてなかった。メリルが巻き込んだために、魔獣と戦い怪我を負い、今またデュークと死闘を演じている。

 ロウガはまだ、こんな情けないメリルを、守ろうと、支えようとしてくれている。

 メリルが、同郷の仲間だからという、優しい理由で。


――そう、お前は一人じゃないんだよ。お前が誰かを思うように、お前を大切に思ってくれる人もいるんじゃないかい?


「おい、くそったれ王子! あの魔女は俺が連れて行く。てめえもあの魔法使いも全部倒して連れて行く」


 例えデュークの全てが嘘だったとしても、デュークとの絆が全て失われていたとしても、メリルを支えてくれる人がいるのだ。

 メリルはそれに応えるためにも立ち上がらなければならなかった。


 でも、まだ体が動かなかった。


 初めて自分から手を伸ばして、努力して、つかみ取ろうとした居場所を断ち切られたショックから、体が動くことを拒否していた。


(だって、だって、あれが全部、まやかしで、幻で、偽りだとしたら、私は、何を信じて、何のためにここまで――)


――よく見るんだよ。目を凝らしてね。


 その時、じわりとにじんだ視界の先にいるデュークと――目が合った。


 勘違いだろうか?

 いや、違う。

 デュークは、メリルの視線の先で、目を逸らさない。

 金の瞳の奥の灯が揺れるのは、何故だろう。


 メリルは、今までのデュークの行動を思い出す。

 ふてぶてしく、ちょっと意地悪だったけれど、大義のために動く、正義感の強い優しい人。

 魅了にかかったのが本当だとしても、その前にデュークが積み重ねて来たものは全て本物だったはずだ。

 積み重ねて来た過去の全てがあったから、メリルは彼を信じ、彼の側に居場所を求め、彼の役に立ちたいと願ったのだ。

 

 そんな嘘に揺るがされて、自分は何を見失っていたのだろう。


 デュークはきっと戦ってる。今も魅了に抗って戦っているはずだ。

 それをメリルが信じなくて誰が信じるんだろう?


 メリルは眼前の魔法使いを見上げた。


「私は諦めないわ。だって、デュークはあなたの魅了に負けてないし、今も戦ってる。あなたの口先だけの言葉になんて、惑わされない」


  ◇◇◇◇◇◇


「はっ、それでこそ俺の見込んだ魔女だ」


 立ち上がり強い視線で魔法使いを見返したメリルを見て、ロウガは不敵な笑みを浮かべ、デュークを見据えた。


「魔女はてめえを信じるってさ。魔女に応えたかったら証明して見せろ! てめえの敵は俺じゃねえ、あの魔法使いだ。だが、俺は気が長くねえ。証明できねえんなら、さっさと寝とけ! あの魔法使いは、俺が倒す。てめえは邪魔だ!」


 ロウガは、短剣を手に、デュークの懐に切り込む。

 二本の双剣で、いなすことはせず、初めてデュークの大剣を受け止めた。

 腕だけを獣化させ膂力を強化する。


「連れて……かせない。渡さ……ない」

「はっ、意識あんのかよ。なら話ははええな。誰に渡したくないんだ? 俺じゃねえだろ、あの魔法使いにだろ! 間違えんな!」

「渡さ……い、メリルは」


 その言葉と共に、デュークがロウガの短剣を弾き飛ばし、床に叩き伏せる。


「がっ……はっ」


 肺の空気を絞り出すように床に叩きつけられたロウガの視線の先で、デュークの剣速が急激に早まった――。



  ◇◇◇◇◇◇


 メリルは立ち上がり、玉座に座ったままのロドニーに挑む。

 手の奥に風の魔法陣を描き、投げつけると、魔法壁によってそれは阻まれる。

 王城の中は側に土がなく、メリルの得意な大地の魔術はほとんど役に立たない。


「あなたは魔法で私に勝つことはできないのはおわかりでしょう。かといって、武術に秀でているわけでもないのは一目瞭然です。あなたが私に勝つには、あなたがなくしたと言っているあの力を使うしかないでしょう――そうですね、こじ開ける前に試してみるといいかもしれません。例えば、命が危険にさらされれば、力は再び目覚めるかもしれません」


 ロドニーは、玉座に座ったままメリルに手の平を向けた。

 メリルも得意とする風魔法が、メリルを襲う。暴風がメリルにたたきつけられ、メリルは壁まで吹っ飛んだ。


「風魔法とは、このように使うのです」

「かっ……はっ」

「どうです、力は目覚めませんか? ほら、目覚めないと大変ですよ。あなたの大事な暗殺者が、あのように」


 メリルの視線の先では、床に仰向けに転がるロウガに向かって、今まさにデュークの大剣が振り下ろされようとしていた。


(ロウガ!)


 ロウガは、床を転がり、かろうじてデュークの剣先から難を逃れた。

 メリルは遠くなりそうな意識の端で安堵する。


「ふむ。まだ足りない? ではこれも試してみましょう」


 ロドニーの手の平の上では、メリルに向けられた電撃がバチバチと音を立てて爆ぜている。

 ロウガも、また、デュークの剣の前でまだ立ち上がることができない。


(助けたい。助けなきゃ。ロウガ、ロウガだけでも)


 けれど、必死に風の魔法陣を描こうとするメリルの想いとは裏腹に、その手はピクリとも動かなかった。

 ロドニーは、微笑みながら、手の平の雷撃をメリルに向かって投げつける。


(終わりなの? 違う、終わらせたくない、お願い、正気に戻って、デューク、デューク!!)


 メリルは壁に寄りかかったまま、目の前に迫る雷撃に、ぎゅっと目を閉じた。

 はじけるような轟音がこだまする。

 けれど、不思議と、雷撃による衝撃も、痛みも、熱さも、何も感じなかった。


(私、死んじゃった……のかな)


「全くっ、君はいつもいつもなんでそんなに傷ついてるんだっ!! 君はほんとに詰めが甘い。見極めが甘い。だからダメなんだ。おとなしく僕が来るまで待っていればよかったのにっ」


 死を覚悟したメリルのすぐ上から降ってくるその声は、ここでは聞くはずのないものだった。育ちの良さがにじみ出る澄んだ品のある声のはずが、イライラとした焦りのせいで台無しだ。

 声に導かれるように目を開けると、視界は真っ白に染まっていた。


(ヴァレ……リウス? そっか、魔法のスクロール、防御壁の)


 メリルは、ロドニーの雷撃を防いだそれが、ヴァレリウスの使った魔法のスクロールであることに気づいた。

 同時にはっとして白い光の壁の向こうに目を凝らす。


「デュ、……ク」


 メリルの視線の先では、デュークが、自分の振り上げた剣を、素手でつかんで止めていた。

 デュークの振り上げようとする剣をつかむ左手からは、血がしたたり落ち、床を濡らしている。

 けれど、デュークの金の瞳は、意思の光を取りもどしつつあるのがわかった。

 メリルはほっとして小さく息を吐いた。


「大丈夫。彼は魅了を抑え込んでいる。それに、聖女二人が魅了を解く術を見出した――今、彼の元に向かっている」


 デュークは、ロウガに振り上げていた剣を下ろし、床に突き立てていた。彼の後ろには聖女マリアとクローディアの姿、そして、侍従のイアンの姿があった。

 聖女一人の力なら、魅了を防ぐ効果しかないが、聖女と同種のクローディアの力、そして破損した解呪のアーティファクトの力を重ねれば、解呪が可能ではなかろうか? そんな推測をしたクローディアが、見事にその技を成功させたのだろう。魅了に侵されて、離れで拘束されていたはずのイアンが彼女の側にいることからもわかる。

 聖女二人のかざす手から放たれる光が、デュークを包み込む。


「よ、……かっ」

「また自分の心配より他人の心配? だから君は放っておけないんだ……こんなに、傷ついて」


 ヴァレリウスの顔が近い。いつの間にかメリルは抱き上げられていた。ヴァレリウスは、険しい顔のまま唇をかみしめ、懐から別のスクロールを取り出すとメリルの前で広げた。治癒のスクロールだ。壁にたたきつけられて、ずきずきと痛んだ肺と頭から痛みが引いていく。メリルの体に力が行き渡り、やっと物事をまともに考えられるようになる。

 メリルはぶつぶつ言うヴァレリウスの膝の上から体を起こした。服はボロボロ。床には結構な血が流れた跡がある。ヴァレリウスの洋服も血塗れで、思ったより凄惨な光景だった。険しいヴァレリウスの顔を見て、もしかして結構危ない状況だったのかも、と思う。メリルに何かあると、ヴァレリウスはともかく彼の祖父のパーセン公爵はとても悲しむ。きっとメリルの窮地を知った公爵閣下が彼をよこしてくれたに違いない。


「ヴァレリウス、ありがとうって公爵様に伝えて。魔女メリルがとても感謝していたと」

「……なんで閣下が………………君は、予言以外は対した力はないのだから身の程をわきまえることを少しは学んだらどうかな?」

「そこまで言わなくったっていいじゃない。自分だって強くないくせに!」

「そう、だから準備に時間がかかったんだ。大魔導士に頼み込んで最高レベルの破壊魔法に、照準追尾魔法を組み込んでもらったからね。僕に力があれば、もっと早くっ」

「え、大魔導士って、あのがめついおじいちゃん……いくらかかったの」

「……それはそれは恐ろしいほどだよ。ただの魔女には一生かかっても返せないほどのね。君は借りを作るのが嫌いだったよね。この借りは将来公爵家に入り、閣下の義理の孫として返してもらう以外ないね。期待してるよ、婚約者殿」

「婚約者じゃないっていつも言ってるでしょ!」

「時間の問題だろう? 閣下の命令なんだから。閣下に借りを返したいんだろう? まさか借りを返すって、口先だけじゃないだろうね?」

「ううっ」


 ヴァレリウスと話すといつもこうなってしまう。少しは嫌味を押さえてくれたらもう少しまともな会話が成り立つと思うのだ。


 そうこうするうちに、メリルを守るように、デューク、ロウガが玉座に座るロドニーの前に立ち塞がった。ロウガも聖女の力で回復したようだ。

 広間の端に目を向けると、クローディアとマリアが王太子達の所へ向かうのがわかった。


 デュークの後ろ姿に、魔獣の前に立ちふさがってくれたあの日の姿が重なり、涙が出そうになる。

 デュークは、振り返らない。けれど、これでもう安心なのだと、背中だけでわかった。魅了の悪夢は終わったのだ。

 ヴァレリウスも涙ぐむメリルの脇から立ち上がり、銀色の光輝く銃身に魔法の弾丸を込めて使う、愛用の改造銃を構えた。

 けれど、魔法使いロドニーは余裕の表情を崩さなかった。


「おやおや、これは失敗してしまったようですね。仕方ありません。勝負は預けましょう。魔女メリル、また日を改めてあなたを迎えに来ます。――そうだ、最後に手土産を差し上げましょう」

「てめえ、ふざけんな!」


 ロドニーの正面の床に大きな魔法陣が浮かび上がる。

 覚えのあるそれに、メリルは目を見開いた。

 その中央に、徐々に浮かび上がるのは、鈍色の大きな影。

 固いうろこでおおわれた猛獣の体躯に、蜥蜴の頭と丸太のような尾。

 うろこが所々削り取られているのは、ロウガのミスリルナイフによってつけられた傷だ。

 

「魔獣テキーラ」


 ロドニーは、従順に差し出された魔獣の、鈍色のうろこでおおわれた頭をなでる。

 その様子に、メリルは、魔獣テキーラが、ロドニーの魅了の支配下にあることを悟る。


「第三王子に魔獣の刻印をつけた主だ。お互い惹き合うのを感じるだろう――さあ、テキーラ。お前の贄だ。そろそろ熟しているだろう。――貪り尽くせ」


 召喚の陣の中から現れたのは、地下神殿の祭壇の間から消え去った魔獣テキーラだった。

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