魔女、裏切りにあう
ヴァレリウス=ファン=パーセンがルフト王国の王都に着いたのは、聖女誘拐による検問が敷かれる直前だった。
洗練された文化と交易で栄えるカルガハット協和国の公爵家本家の次男であり、公爵家の手がける事業を一手に引き受けるヴァレリウスは二十三歳。長身で優雅な立ち居振る舞いに、金髪に青い瞳の整った涼し気な風貌のこの青年は、カルガハットの社交界では絶大な人気を誇っていた。
ただし、現在の彼は、額にかかる髪は乱れ、若干クマがういた目元に焦りを隠せないでいた。
彼の目的地であったこの宿屋は現在、近衛兵が大勢入り込み家探しをしている最中だったのだ。
宿の周りには、見物人の人垣ができている。
(遅かった)
ヴァレリウスは、間に合わなかった自分に激しい自責の念を抱く。
彼が会いに来た亜麻色の髪の魔女が、この場所にいたはずなのだ。
しかし、中から引きたてられる捕らえられた者の中に女性の姿はないようだった。
これから彼女を探してどう行動すべきか思案していると、見物人の中からこそこそと囁き合う二人の女性と一人の男性の声がする。
「これからどうすんのよっ」
「どうもこうもなくてよ。私達が助けに行かなければ、彼らに勝機はないわ。これから彼らの所に向かいます」
「だーかーらぁ。どうやって行くのかって聞いてんのよ」
「あら、しっぽを巻いて逃げ出すのかと思ったわ」
「マリア、そこまで恩知らずじゃないもん」
「まあ、連れ出してくれってサアヤに泣きついていたんじゃなくて?」
「あれは、何をどうすればいいかわかんなかったから!! 一人だったし、寂しかったし、怖かったし……今は、お、お姉さま達がいるから」
「お、おね……っ、まあ、そ、そうね。確かにそんな状況なら心細かったかもしれないわね。これからは安心なさいな。あなた一人ぐらい、事が終わっても、私の力で守って差し上げてよ」
「お姉さま……」
「お嬢様。それは魅了がとけた後、公爵様にご相談なさってからお返事なさるべきではないでしょうか。今はどうやって王宮に向かうかの話が先でございます」
「ごほん、イアン……あなたちょっと空気読んだらどうかしら。怪我が大したことなかったのはよかったけど、魅了が解けた途端にこれなんだから」
「お嬢様は情に厚くほだされやすくて、利用されて馬鹿を見ることが多すぎますので、従者の私は常に厳しく身辺を管理しなければなりません。聖女様と言えど例外はありません……ご理解いただけますよね?」
「ぴっ」
「失礼、レディ」
ヴァレリウスが彼女たちの側に近づき声をかけると、彼女の侍従と思われる若者が、さっとヴァレリウスの前に立ちはだかった。
外見は商家のお嬢様とそのメイドと侍従といったこの三人から、よく知る名前が飛び出したのは聞き間違いではない。
「お話を聞かせて頂けませんか? 私はサアヤの婚約者、ヴァレリウス=ファン=パーセンと申します」
◇◇◇◇◇◇
剣戟の音が広間を飛び交う。
この謁見の間は既に大混乱に陥っていた。
「ちっ」
ロウガは、両手に構えたミスリルの双剣を使い、デュークの大剣をいなしながら、隙を狙っていた。
デュークとは一度街中でやりあったことがあったが、あの時は剣を抜かせる間もなく、不意を打って意識を奪っただけだった。
今は、そんな余裕もなく防戦一方だ。
目の端で周囲の状況を見ると、王太子と第二王子、護衛騎士の三人は、デュークの連れて来た辺境騎士団の面々と切り結んでいる。ロドニーを守るように、との命令を受けた三人は剣に迷いがないが、辺境騎士団の面々は彼らを生け捕りにしなければならず、手を出しあぐねていた。
メリルはというと呆然と座り込んだまま、まだ立ち直る気配がない。
「おい魔女! ぼけてんな、しっかりしろ!」
メリルの方を見て声をかけるが、すぐにデュークの体がロウガの視線の先に割り込んできた。
魅了によって光の消えたデュークの金の瞳を、ロウガはきっと睨みつける。
目の前のこの男が気に喰わない。
とにかく気に喰わない。
懐かしい匂いがする同郷の女に目が留まったのは、匂いに敏感な人狼としては当然だった。故郷に対し目を背けていた罪悪感からちょっと助けてやろうと思ったのは気まぐれに近かった。
本当に危なくなったら当然のように切り捨てて目的だけ達してさっさと立ち去るつもりだった。
それなのに。
なぜここまで肩入れしているのか始めは自分でも分からなかった。
自分の獲物に手を出されたようで気に喰わないのだと、獣人の本能がそうさせるのだと無理矢理結論づけていたが、そろそろそれも難しい。
魔法使いはメリルに傷一つつけるなと命令していた。おそらく、メリルを盾にすれば、勝機は簡単に見つかる。
この危機的な状況でそれを選択しない自分の中に、ぴたりとはまる答えを見つけてしまって、そんな感情に振り回される自分にも猛烈に腹が立つ。
けれど、今まで感じたことのない感情に抗うべきか迷ったのは一瞬だった。
自分は人狼だ。
原初の欲望に近いこの本能には逆らえない。
逆らうくらいなら力に変えてしまえばいい。
自分の欲しいものを守るために、感情を目の前の男への怒りに変える。
(あいつは、魅了なんかにかかっちまっているこんな男のために命まで投げ出そうとしてた。でも、こいつにそんな価値はねえ!)
「おい、くそったれ王子! あの魔女は俺が連れて行く。てめえもあの魔法使いも全部倒してな」
感情を失くしたかのようなデュークの金の瞳の中に、わずかな感情の揺らめきが見えたような気がした。
◇◇◇◇◇◇
(ええっ?? どういう事っすか?)
アランは、胸の内に混乱を秘めたまま隊の指揮をとり、王族の前に立つ護衛騎士クライド=ハリスンに休む暇のない連携攻撃をかけさせる。個々の実力ではかなわぬ魔獣を前に、お互いを補い合う戦術を磨いてきた辺境騎士団ならではの連携プレイだ。実力では王国一と言われる護衛騎士クライド相手でも自分たちの攻撃は通用している。
辺境騎士団は、王宮へ、王太子や第二王子含めた王族の拘束のために赴いた。
それなのに、サアヤは黒幕が魔法使いロドニーだと叫び、デュークは魔法使いに命令されてサアヤが連れているあの暗殺者っぽいのと戦っている。デュークと対等にやりあっているのを見るに相当の手練れだ。
(いやいや、どういう事かは分かっているっす。俺が迷ってるのは、どうすべきかってことっす)
デュークは魅了にかかっていたのだ。
自分達にも分からないように巧妙に。
そして今は、魔法使いの命令でサアヤを守る暗殺者と戦っている。
デュークから自分達への命令は変更されていないため、アラン達辺境騎士団のすべきことは、王族の拘束のままだ。
でも、デュークがこのまま、自分達に魔法使いに従うことを命令したらどうなるのか? あるいは、デュークが自分たちに剣を向けたら?
騎士団の副官の責務の中には、「上司が正常な判断を失くした場合は指揮権を引き継ぐ」との条項もある。副官としてはデュークに刃を向けるべきだが、アランは自分がそれを迷いなく遂行できるとは思えなかった。
(うー、めちゃくちゃ気が進まないっす)
アランは、いったん全ての考えを押しやって、王太子達の拘束に力を注ぐのであった。
◇◇◇◇◇◇
魔獣の刻印は全ての魔を払う。
デュークは、そんな魔獣の刻印に侵されていて。
だから、メリルの魔力も受け付けなかったし、メリルの攻撃魔法もはじき返していた。
では、魅了魔法は――。
『聖女の悪しき力が俺にきかなった理由は、おそらくこれのおかげだ』
メリルの知識ではない。デュークがそう言ったのだ。巧みに誘導され、メリルはそれを信じ込んでしまった。
魅了魔法は古代魔術だった。魔獣やメリル達の持つ魔術とは全く別の体系で、魔法防御の在り方も全く異なるものだ。魔獣の刻印の持つ魔法防御は、魅了魔法を防げるものではなかったのだ。魔塔までも魅了の支配下に置かれていると聞いた時点で気づいてもよかったのに。
デュークは、魅了にかかっていないふりをするためにそう言うようロドニーに指示されていたのかもしれない。
メリルの足はもう、体を支えることができなかった。
(じゃあ、全部なの? 全部、魅了魔法に操られての行動だったの?)
『あなたは見事に、予言の魔女メリルを私の前に連れてきましたから』
魔女の庵に、メリルを迎えに来たのも。
旅で老女のメリルを気づかったのも。
メリルの予言を実行するために力を合わせたのも。
メリルを身を挺して炎の中から救い出したのも。
触れ合った手の温かさも。
一緒に見上げた星灯りの下での誓いも。
「そろそろ現実を見たらどうでしょう、魔女メリル。そうですね、せっかくだから、あなたを納得させるために、あなたが知らないことを教えてあげましょう。デュークは、聖女の謁見に王宮に来た三か月前に、魅了の支配下に置かれました。彼への指示は、不自然のないように、周りに疑われないようにこっそりと魔女メリルを私の元へ連れてくること。しかし、デュークは思った以上に優秀でしてね。以前、聖女の茶会の時に王宮へ忍び込んできた時があったでしょう。早すぎてむしろ焦りました。あの時はまだ色々と準備が整っていなかったので『去れ』と慌てて指示を送りました」
メリルが自分の居場所だと求め、全てをかけようとしていたそれが、がらがらと音を立てて崩れていく。
「隠し通路はもちろん知っていましたよ。でも、あなた達が私の元を訪れやすいように、わざと知らないふりをしていました。その後はもっと早く真相にたどり着いて私のところまで来てくれると思っていました。おそらくデュークもそれを狙ってあなたの行動を制限しなかったのでしょう。それなのに、あなたは中々訪れないし。仕方なく、聖女誘拐にかこつけて近衛を王宮内から下がらせて、あなた達がここに来やすいようにするしかありませんでした。まあ、聖女はそろそろいらなくなったので連れ出してくれてちょうどよかったのですが」
ロドニーの言葉が毒のようにメリルの心臓に染み込む。
「そろそろ現実をみたらどうでしょう、魔女メリル。あきらめて私の元へいらっしゃい」
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