魔女、真の敵に遭遇する
「ちっ」
ロドニーに気づかれたのを悟った途端に、ロウガはジョゼフに体当たりをして意識を刈り取った。ジョゼフは内通者、あるいは魅了に操られていたのだ。そのままロドニーに向かって駆け出すロウガに対し、魔法使いロドニーは長い髪をかき上げ、イヤリングを揺らすと小さくつぶやいた。
「そこでおとなしく待っていてください」
その声に呼応するようにロウガは動きを止めて跪く。
メリルはロウガの姿を見てぎゅっと唇をかみしめた。
メリルはこの状況で自分が何をすべきかを考える。
「知っているでしょう、魅了のアーティファクトです。あなたとは、これを使わないでお話をしたいのです。さあ、怯えないで、こちらに来てくれませんか?――予言の魔女メリル」
「私の事を知っているのね」
「もちろん。私はあなたが来るのをずっと待っていたのですから。私はあなたにずっとお会いしたかったのです」
事件の黒幕がメリルに会いたかったと言う理由がさっぱりわからなくてメリルは眉を顰める。
ロドニーの周囲に目を向けると、その背後には、王太子、第二王子、護衛騎士達が表情を失くして立っていた。申し訳ないけれど、彼らをどうするかは今は二の次だ。
ロドニーの側に近づければ、メリルにも少しは勝機があるかもしれない。メリルはロドニーの方へ一歩ずつ踏み出す。
「何のために、こんなことを?」
「折角なので教えてあげましょう。今回の件は、私の所属する魔導士ギルド『混迷の闇』が主導して起こしました。このギルドは、世界神の復活を信じていましてね。大量の命を捧げると世界神が復活し叡智を授けてくれるというおろかな伝承を信じているんですよ。そのために各地に人を派遣して戦争を起こそうとしているのです。彼らを抑えきれなければこれから混迷の時代が訪れるでしょう」
「戦争って、何考えてるのよっ!?」
「ふふ、そこは同意しましょう。全く馬鹿馬鹿しい限りだ。世界神などと、無駄な労力をかけて、無駄なことをしようとしている。ただ、目くらましにはちょうどよかった。誰にも気づかれず、真の目的のための準備ができたのですから」
「何言ってるのよっ」
「私の目的は、魔女メリル――あなたです」
メリルは、政治や宗教や魔法の絡む、複雑な世界の表舞台に急に自分が引き上げられたように感じて戸惑った。
しかも急に土俵に上げられたのみならず、メリル自身がすでに交渉材料になってしまっているらしい。慎重に言葉を選ぶ。
「なんで私なのか理由はわからないけど、私の協力が必要なら、こんなことする必要ないわっ。私は魔女だもの。相応な対価があれば依頼には応じるわ」
「そうしたかったのですが、先代に一度断られましてね。以来、あの山に私は入れなくなってしまったのです。あなたの閉ざされたスキルをこじ開けて、その中身を確認したいのだと言ったら、廃人にする気かと怒られてしまいました」
柔らかく微笑みながら告げる内容に、メリルは背中が泡立つのを感じた。
「なんでそんなこと」
「私の目的は、存在するかもわからない神の、授けてくれるかも分からない叡智ではありません。厳然たる事実として存在する奇跡の力だ。――私は求めているのですよ。十年前のあの奇跡の再現を」
十年前。あの頃のメリルの記憶は正直曖昧だ。
荒廃し、滅んだメリルの故郷――ソウゲツコク。
メリルは、そこで何かの力を使ったのだ。
結果として、命が戻った。荒廃していた土地が戻った。
それが奇跡に近い何かだったとは、先代にも聞いて知っている。
「私は、奇跡を起こさなければならないのです」
今度は、ロドニーが迎え入れるかのように両手を広げ、メリルの方へ一歩を踏み出した。
「残念だけど、私は覚えてないの。――それに、あの時の力はもうないわ」
「っふざけるな!!!」
たたきつけるような叫び声をあげたロドニーの変化は異様だった。落ち着いた表情は消え、見開いたその目の奥にはぎらぎらとした光が灯っていた。
「ない? ないだと? そんなことはあってはならない。ありえないんだ。奇跡は存在しなければならない。存在するんだ、そうだ、眠っているだけだ。眠っているだけなら薬で起こせばいい。消えていても、魔術回路を引きずり出して、調べて再現すればいい。大丈夫だ、問題ない、問題ない」
ぶつぶつと呟くロドニーの姿に、メリルは、狂気に近い何かを感じ一歩後ろに下がった。
ロドニーはそんなメリルに気づくと、顔をあげ、取り繕ったような笑みを浮かべる。
「――ああ、怯えさせるつもりはなかったのです。私も簡単にあきらめるわけにはいかないのですよ。せめてあなたの中身をこじ開けて、その残滓をさらって確かめてみるぐらいはしないと。さあ、いらっしゃい。おとなしくしていてくださいね。あなたも魔女ならば私との力の差は分かるでしょう。魅了は使いたくはないのですよ。あなたの中身を壊したら、あなたの力に影響があるかもしれないですからね」
ロドニーは、メリルの方へさらに近づいてくる。
魔法は使えない。この魔法使いなら、メリルが魔法を発動する前に気づいてしまう。こんなにも力の差があるとは思わなかった。メリルは怯えて胸を押さえるふりをして懐に手を伸ばす。
「私をどうしたいの?」
「あなたには私に協力していただきたいのです。根源へと至る道への扉を開きたい。私は、帰りたいのです」
「どこへ」
「わかるでしょう? 同じ転生者であるあなたなら」
(やっぱり)
彼もまた転生者だったのだ。
(だけど、違う)
帰りたいという思いは、誰もが抱くものだと思う。
しかし、それは誰かを傷つけてまで成し遂げてよいものではない。
メリルは、懐から眠りの香り袋を取り出し――すばやくロドニーに投げつけた。
「愚かな」
ロドニーの前には物理結界が現れ、メリルの香り袋を跳ね返した。
メリルは、すぐに風の魔法陣を描き、ロドニーにかまいたちを投げつける。
物理結界と魔法結界とは両立しない。それはこの世界の法則だ。
ロドニーの纏ったローブが風に揺れ、本来なら無数の切り傷を作るはずのかまいたちが魔法使いの周囲を揺るがす。けれど、ロドニーの皮膚を傷つけることはできなかった。当然のように自身に強化魔法を使っているのだ。
即座に反撃が来るかと思ったが、ロドニーは、メリルに魔法を放とうとして一瞬ためらったようだった。
(私を殺すわけにはいかないってことね)
メリルは、ロドニーの視線を引き付けるように、正面から向かっていく。
魔法の種類を変えたのだろう。メリルに放たれる魔法は、拘束魔法だった。見えないロープが絡みつくように動きを奪う。けれど、メリルだってそれなりに魔法耐性はある。派手に転ぶことはせずに、ゆっくりと動きを止め、その場にしゃがみ込んだ。
そして、ロドニーがメリルに視線を奪われているうちに、密やかに彼の背後に近づいた者がいた。
ミスリルナイフが空を切る音がして、魔法使いの首元にかざされる。
「わりーな」
魔法使いの耳に付けられた魅了のアーティファクトは、暗殺者のナイフではじけ飛んだ。
ロウガは、動けなくなっているメリルを抱えると、ロドニーから即座に距離を取った。メリルを縛っていた拘束の魔術は、ほどなく解ける。
「ああ、魅了にかかった振りをしていたのですね。貴重なものだったのに惜しいことをしました。しかし、残念ながら、この魅了のアーティファクトが壊れたからと言って、魅了にかかった人々は元に戻りません。ご存じのように、解呪のアーティファクトは壊してしまいましたから」
さして惜しくもなさそうにロドニーは耳に残ったアーティファクトのかけらを投げ捨てた。
「それでも。これで魅了の被害者は増えないわ」
「ええ。増えないけれど減りもしないでしょう。国王や王太子も含めたこの国の頂点にある者達は魅了の支配下にあるままです。彼らを一体誰がどのように扱えるというのでしょう。国はまとまらず、混乱を極めるでしょう。そして、これを機に攻め込む国も出てくる」
「デュークがいるわ」
「第三王子ですか……ああ、来たようですね」
謁見の間の外からバタバタと音が響いて来た。
開かれた扉からは、デューク、アランをはじめとした騎士団のメンバーが現れる。皆、黒地に銀で縁取られた辺境騎士団の制服を身に付けていた。
その中でもひときわ視線を引き付けるデュークの姿に、メリルは胸の内がぐっと熱くなるのを感じた。
彼ならば、きっとどうにかしてくれる。
――それは、信頼と期待。
大剣を抜き放ち、デュークは、金の瞳でまっすぐにロドニーを見据えた。
こちらには、ロウガもいるのだ。魅了のアーティファクトもない今、二人で力を合わせれば、絶対に勝てる。
「デューク! ロドニーが持つ魅了のアーティファクトは破壊したわ!」
「え? サアヤさん、何でここに?? それより、魅了のアーティファクトを破壊? 魔法使い殿が持ってたってことっすか??」
「ええ、黒幕はロドニーだったのよ。彼が、闇ギルドの指示を受けて今回の事件を起こした主犯よ」
驚いた顔のアランに、メリルは真相を伝える。
しかし、メリルの言葉を聞いても、剣を構えるデュークは、金色の目を細めたまま動かない。
その表情は徐々に抜け落ちていく。
「デューク?」
ロドニーは余裕の表情のまま、静かに告げる。
「デューク王子、久しぶりですね」
「はい」
「あなたの働きには感謝しています。あなたは見事に、予言の魔女メリルを私の前に連れてきましたから」
「え?」
「もったいなきお言葉です」
「ちっ、そういうことかよ!」
混乱するメリルを抱えたまま、ロウガは、デュークの脇を抜けて外へ出ようとするが、デュークの剣に阻まれた。
デュークの大剣をロウガのミスリルナイフがいなし、床に傷を作るが、扉から引かざるを得なかった。
「デューク王子、次の指令です。その暗殺者を殺しなさい。ですが、魔女には傷一つつけることは許しません」
「はい」
感情の消えたデュークの声が、まるで絶望の海のようにメリルを飲み込んだ。
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