魔女、誘拐犯になる

 あの方は力を欲していた。

 狂おしいほどに望み、憧れ、かつえるほどに焦がれ、欲し、希ったが、あの方はそれを得ることができなかった。

 ゆえに、あの方は、それを持つ者を欲した。


 この世界のあらゆる事象を知り、操る、人の身には過ぎたるその力。

 全知であり、全能ともいうべきその力。


 なぜそれを持つ者が彼女だったのだろうか。

 彼女でなければいけなかったのだろうか。

 

 けれど、その問いに意味はない。


 あの方が求めた。

 それが全て。

 だから。


 ――自分は、あの方のために、彼女を捧げなければならない。


 ◇◇◇◇◇◇


 王都には、辺境騎士団の拠点が点在している。

 名義が分からないよう偽装された屋敷もいくつかあり、あまり手入れのされていない木が生い茂った庭に、住宅と小さな離れがあるこの屋敷もその一つだ。

 公爵令嬢であるクローディア=ルウェリンは、中産階級が住む住宅街の一角のこの屋敷で、辺境騎士団に保護されていた。

 メリルがサアヤの姿でクローディア嬢を訪ねると、宿で何度か顔を会わせたこともある騎士団のメンバーは、すんなりと中へ通してくれた。一緒に連れて来たメイド姿の少女も、新しく雇うことになったと告げると問題なく受け入れてくれた。

 デュークは、メリルの外出に対しては制限をかけていたが、サアヤに対しては他の拠点を含め手を回していないらしい。だめなら窓から出入りをしようと思っていたメリルは正直ほっとした。このメイドはちょっと体が浮いただけでぎゃあぎゃあとうるさいのだ。


「なんだかしみったれたところに住んでるのねえ。あの女。いい気味い」


 メイドはもちろん、大きめのモブキャップにピンクの髪を押し込んだマリアである。

 メリルは、クローディアに会うためにこの屋敷にやって来た。

 思えば、聖女選定の儀からしておかしかったのだ。本来、魅了のアーティファクトを手に入れるはずのクローディアがそれを手に入れていなかった。マリアが魅了のアーティファクトを奪い取ったのだと思い込んでいたが、実際の所はマリアはゲームの内容を知らず、魅了と解呪のアーティファクトの存在も知らなかった。現状、魅了のアーティファクトは何者かに奪われ、解呪のアーティファクトも破壊されている。アーティファクトの祭壇は聖女によってしか開くことができないため、黒幕がいるのなら、聖女選定の儀の時点で介入されていたことになる。クローディアとマリアの当時の状況が、黒幕にたどり着くカギとなるかもしれない。

 そしてもう一つ、メリルはクローディアにも試してもらいたいことがあったのだ。


「マリア、何度も言ったけどクローディア様の前でそんな態度はとらないでね」

「わ、わかってるわよ。あの女の前では黙ってるわよ。でも、あの女、むかつくのよね。マリアのこと好きにならないんだもの。ちょっと美人でかっこよくて頭がいいからって生意気なのよ!」

「マ・リ・ア?」

「わかってるってばっ……でもでも、マリアがお姉さまって呼ぶぐらいいいじゃない」


 ぶつぶつとなおもつぶやくマリアを見て、メリルはこの日何度目か知れないため息をつくのだった。



「久しぶりね。サアヤ、と言ったかしら。予言の魔女メリルの血縁で、デューク様の協力者だそうね。あの時はひどい目に合わせてしまったわね」

「お久しぶりです。クローディア様。あの時はお互いに誤解があったものと理解しています。今日は、聖女選定の儀の当時の状況について聞かせて頂きたいのと、少し、試したいことがあって伺いました」


 クローディアは、屋敷の応接室で落ち着きをもってメリル達を迎えてくれた。一時期の追いつめられ、張り詰めた危うい様子はなくなっている。


(デュークと話したからかな――幼馴染で、婚約者の兄弟って、きっと特別な存在だったよね)


 二人の間には、メリルとの間には消えてしまった信頼がきっとあるのだろう。よかったと思う気持ちと一緒に、もやもやとした何かが胸の奥をつつきだしそうになって、メリルは慌てて思考を引き戻した。

 今は、メリルの些末な感情にかまっている暇などないのだ。


「聖女選定の儀の時の状況を教えていただけますか? 選定の流れ、地下神殿で行ったこと、触れたもの。その日、やり取りをした人物と会話の内容について、順番に教えて頂きたいのです」

「どれほど役に立つか分かりませんが、お答えしますわ。この国を混沌に陥れる悪しき聖女を倒すために、今は誰もが力を尽くすべき時ですもの」


 メリルとクローディアが頷き合い、友好的な雰囲気で大人の会話を始めようとしたその時だった。


「ちょおっと! 何言ってんのよ! マリアそんなひどいことなんてしてないんだから!」

「なっ、聖女マリア! サアヤ、これは一体どういうことです!? あなたは私達を裏切ったの!? それともあなたもこの女に?」


 メリルの背後から、耐え切れずにマリアが叫び出す。黙っていると自分で宣言しておきながらこの体たらくだ。


「違います。クローディア様。まずは話を……」

「ふん、このマリアが協力してあげるのよ? まずは跪いて感謝なさい」

「感謝? よくもぬけぬけと! お前のせいでイアンが!」

「なあーによ! マリアがいればすっごいことができるってわかったんだから! あんたなんか、そのうち、マリアにお姉さまって呼んでーって泣きつく羽目に……ふみいぃぃっ」


 音もなくマリアの背後に立った黒い影が、マリアの頭をつかんで、ソファに顔面からめり込ませた。


「話が進まねえ。さっさと続けろ」


 暗殺者の登場に、部屋にいた全員が固まった。


「聖女選定の儀には、誰も立ち会うことが許されませんの。聖女候補だけが選定の間に入ることができ、聖女はそこで祈りを捧げます」


 ソファの上で押さえ込まれてじたばたともがくマリアの姿から目を逸らしながら、クローディアは聖女選定の儀の当日の様子を語ってくれた。

 クローディアはメリルの説明で聖女がなぜここにいるのかという事情を理解してくれた。賢い彼女は、感情的なわだかまりをも飲み込んでくれたようで、当日の様子を淡々と話し続ける。


「選定の基準は単純ですわ。より大きな光属性の魔力を持っていること。より力の強い聖女に、聖女の光が降り注ぎ、聖女の力が宿るのです。聖女の光の降りる先が私ではないことを悟り……、私はマリア嬢より先に選定の間の外へ出ました」


 クローディアは、その時のことを思い出したのか一瞬表情を曇らせたが、すぐに何事もなかったように言葉を続けた。

 メリルがスキルで見た光景では、その後、聖女の祈りによって神殿に満ちた光の魔力によって、祭壇の間が開かれていた。


「わた……祖母である魔女メリルの予言によると、クローディア様はその後、別の祭壇の間へたどり着くのですが、お心当たりはありますか?」

「いいえ。……その時は入り口に戻ろうとして迷ってしまい、しばらく神殿内を道を探して彷徨っていただけです」


 魅了のアーティファクトが祀られた祭壇の間は、聖女候補しか開けることができないのだ。魅了のアーティファクトが盗まれたということは、確実に祭壇の間は開かれたのだ。開けたのがクローディアでないとすれば。


「……ま、マリア知らないもんねえ」

「おい、てめえ」

「痛い痛いー。もう、この人やだあ。なんでこんなに怖いのお? マリアにもっと優しくしなさいよ。ふぐっ。マリアばっかいじめないでよ。えぐっ」

「ロウガ、女の子なんだから、さすがにもうちょっとやさしくしない? こんなに泣いてるし」


 おねえさまっと叫ぶマリアは、再びロウガによってソファに押し付けられる。さすがにちょっとかわいそうだ。


「はあ? この女嘘泣きしかしてねえだろ」

「嘘泣き」

「お前も気づけよ。……おい、聖女。いい加減にしとけよ。俺の仕事、忘れてんのかあ? 全部吐け」


 ロウガの脅しにかぶせるように、メリルも、微笑みながらマリアに冷たい視線を送る。


「マ・リ・ア? 女の涙は、ここぞって時のために取っておくものなのよ?」

「ぴっ」


 マリアは途端に泣くのをやめて姿勢を正すと、カタカタと震えながらメリルから視線をそらしてしまった。


「だ、だだだって、あの人が言ったのよ。隠し財宝の間だって」

「財宝?」

「素敵なアクセサリーとか、宝物とかがいっぱいある場所があって、選定の儀を早く終わらせれば、誰もいないうちにそこに行って取って来れるよって。誰も知らないから、マリアと二人だけでもらっちゃってもばれないって。クローディア様にもばれないように扉に認識疎外の魔法をかけておくから心配ないって」

「どういうことですの? 聖女選定の儀は、部外者は入ってはいけない筈です。あの人とはいったい誰ですの?」

「えっと、それは……内緒って」

「てめえ、この期に及んで」

「言うわ! 言うってば!」

「――――よっ」


 メリル達が、倒すべき黒幕の正体が明らかになった。



 魅了のアーティファクトは、黒幕によって持ち去られていたことがあきらかになった。マリアは、自分が訪れた場所に魅了のアーティファクトがあることを知らず、まんまと彼に協力してしまったらしい。


「彼の元にあるアーティファクトを破壊するのは難しいだろうから、これはいったん見送るわ。まずは、新たな魅了の犠牲者を出さないことを優先する」

「どうなさるの? 魅了を防ぐアーティファクトはないとは言いませんが、ほとんど手に入らないはずですわ」

「魅了を防ぐ方法を考える上で、一つ、疑問に思ったことがあるの。クローディア様、あなたはなぜ魅了にかからなかったのかしら?」

「『私』ではなく正確には『私達』ですわね。私は、聖女マリアが私の苦しむさまを見たいがために、あえて私にだけ魅了をかけなかったのだと思っていましたの……でも、違いましたのね。黒幕のあの方は、本当は私にも、聖女マリアにも魅了をかけたかったに違いありません。少なくともこんなに扱いづらい方に魅了をかけないなんてありえませんもの。魅了がきかないのは『私達』――私と聖女マリアなのでしょう」

「あたしが魅了にかからないのなんて、あたしがヒロインだからでしょう!? ぴぎっ」


 奇声をあげるマリアの方はもはや誰も見ようとしない。


「もしかしたら、地下神殿での聖女選定の儀を受けることと関係しているのかもしれませんわね。光属性の魔術使いなら他にもいますもの」

「理由はわかりませんが、あなた達二人だけが魅了がきかない特別な人間なことは確かだと思います。だから、あなた達が作り出すものも、魅了を防ぐ効果があるかもしれないと思って試したのです。これを見てもらえますか? これは、マリアに聖女の光の力を込めてもらった宝石です」


 メリルは、昨日マリアに力を込めてもらった宝石を取り出してクローディアに渡した。

 そしてその脇に、ヴァレリウスから受け取った魅了を防ぐ指輪のアーティファクトを置く。


「そして、これは魅了を防ぐ効果のある古代魔術のアーティファクトです。感じ取れるでしょう? ――この二つが、を放っているのが」


  ◇◇◇◇◇◇


「オスカー殿下! 聖女様が昨夜から部屋にこもられて出てこられないのです」


 お食事もとらずに、このままでは体調を崩されてしまいます、と泣き崩れる女官をうっとおしそうに押しのけると、オスカーは、聖女の部屋の扉の前に立った。その背後には護衛騎士のクライドが不安そうな表情で控えている。

 王太子宮から呼びつけられたオスカーは、疲れた顔に不機嫌な表情をのせてこぼれた金髪をかき上げる。


「マリア、扉を開けるんだ」

「一人にしてくれる?」


 部屋の奥から聞こえる声にオスカーは眉をしかめる。


「マリア、俺だ。話をしよう」

「もう、いいからっ放っといてよ!」

「寂しい思いをさせて悪かったね。明日からはまた茶会を再開しよう」

「そんなにいうんなら殿下を連れて来なさいよ」


 オスカーは、眉を顰める。「殿下」はここにいる。


「開けろ」

「魔法により施錠されていてマスターキーが使えないのです」

「扉を壊せ」

「王太子殿下、私が」


 遅れてかけつけた魔法使いのロドニーが、王太子に礼を取り、魔法を解除し、扉を開けた。


「マリア様!」

「聖女様!」

「部屋に聖女様がいらっしゃいません」


 部屋の奥へ確認に行った女官達は聖女の姿を見つけることができなかった。

 テーブルの上に、不自然に置かれた空の花瓶が目に付く。

 オスカーは、周囲の人々を手で制し、黙らせた。


「マリア、出てこい」

「あんたたちの言う事なんか信じないんだから」

「マリア、いいかげんにしろ」

「一人にしてくれる?」


 先ほどと同じセリフを、しゃべる。


「風魔法の一種、言霊の魔法です。なかなかの使い手です――状況から見て、マリア様はさらわれたのかと」

「王太子の婚約者を攫うとは、俺も随分と馬鹿にされたものだ――王都を封鎖しろ」

「殿下、時間との勝負になります。近衛も出された方がよいでしょう。マリア様は我々にとって、なくてはならないお方です。城の護りは私にお任せを」

「ああ、そうだな。城の防備は最低限にし、それ以外は全て王都内の捜索に当てろ。必ず見つけ出せ――マリアは我々にとってなくてはならない」

「はっ」


 王都全域に、聖女マリアの捜索網が敷かれた。

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