魔女、信頼を失う

 その日の夜中、騎士団の拠点となっていた宿屋の一室には重苦しい空気が流れていた。

 アランら騎士団のメンバーが訪れた地下神殿の隠し祭壇から発見されたのは、壊れたアーティファクトだったからだ。

 サアヤの姿で同行したメリルは、体調不良を訴えて一足先に宿に戻り、老婆の姿で一行を出迎える。

 解呪のアーティファクトが乙女でなければ手に取ることができないという設定は、サアヤがアーティファクトの管理を任されるためについた嘘だった。

 当初の計画では、ロウガとの契約を遂行するために、手に入れたアーティファクトを持ってロウガと一緒に王宮へ潜入し、聖女の元までロウガを案内する予定だった。その後、デューク達と神殿へ同行して、こっそりアーティファクトを戻しておくつもりだったのだ。しかし、神殿への同行もアーティファクトの管理も、アーティファクトの破損が分かった今となっては何の意味も持たなかった。


 老婆の姿になったメリルは、宿に戻ったアランからそのアーティファクトを受け取る。メリルは、しわの刻まれた手の上で壊れたアーティファクトを転がした。

 数日前にロウガと取りに行ったアーティファクトは既にこの状態だった。砕けたそれには、わずかに魔力の残滓が残るのみ。とても解呪の力を発揮できるようなものではなかった。

 メリルとロウガは、数日後、騎士団がそこを訪れる時のためにアーティファクトを元の場所に置いてその場を離れた。

 メリルは正直ショックでその時のことをあまり覚えていない。


「隠し祭壇の間は、中で戦闘でもあったかのように荒れていました。多分、最近の出来事だと思います。そこには壊れたアーティファクト以外、宝物は何もありませんでした。きっとこれは壊れて価値がなさそうだからって捨ておかれたんっすね」

「メリル殿、直せるだろうか?」

「無理だね。これには古代魔術の術式が織り込まれてるようだ。あたしには理解できない類のものさ。古代魔術のアーティファクトは、壊れちまったら、魔塔の叡智をもってしても直せないのさ」


 メリルの言葉にデュークはアーティファクトに向けていた顔を上げた。


「立ち止まっている暇はない。聖女の力を覆す方法が見つからなかった場合に想定していたプランで行く」

「……はい」

「それは、どういったプランなんじゃ?」


 固い表情をしたアランとデュークに気になって問うメリルに、デュークは固い表情のまま告げた。


「あなたは何も心配することはない」


 デュークの重ねて問うことを許さない意思を感じて、メリルは膝の上に置いた両の手をぎゅっと握り締める。


「アラン、隊員達に準備の指示を。決行時刻は別途連絡する」

「わかりました」


 アランと数人の隊員は、デュークと二言三言言葉を交わすと、そのまま部屋を後にした。

 部屋には、メリルとデュークの二人だけが残された。


「メリル殿。俺に話すことはないか」

「予言はこないだ話したことが全てじゃよ。ただ、あたしの予言が今回は役に立たなかったのが残念で仕方ないよ」


 老婆のメリルは、訳知り顔で、心底残念そうな表情を浮かべて見せる。取り繕った表情はお互い様かと、メリルも内心自嘲する。

 それは、メリルがロウガと地下神殿に赴いた日、サアヤの姿でデュークと遭遇した時以来、幾度か繰り返された会話だった。

 デュークは、メリルが予言の一部を隠していること、そしてそれが自分の死に関係しているとすら感づいているようだった。

 おそらく、あの日メリルがサアヤの姿で何かをしようとしていることにも気づいていた。

 ――結果として得た、壊れたアーティファクトを見て、何を思ったのだろうか。


「俺は、あなたを信じたい」

「ああ、信じておくれ。あんたとサアヤとが色々あったのは聞いてるよ。申し訳なかったね。サアヤはあの日、男と逢引きしてたのが恥ずかしくてやりすぎちまったみたいだよ。性質の悪い男と付き合ってるみたいであたしも叱り飛ばしといたさ。サアヤとは色々あったみたいだけど、あたしはあんたに雇われてるんだ。あんたの不利になることなんか何もしやしないさ」

「ならば!!」


 メリルは困ったような表情を浮かべて見せる。

 年長者が、血気にはやった若者をなだめるように。


 メリルは迷った末、デュークに地下神殿で魔獣テキーラを取り逃がしてしまった事を伝えるのは、聖女の件が片付いた後にすることに決めた。

 幸いなことに魔獣テキーラは、ロウガによって瀕死の状態まで追い詰められた。デュークに向かってくる余力はまだないはずだ。

 今は余計なことでデュークを煩わせたくなかった。

 デュークのことだ。テキーラが近くにいるとわかれば、単独行動や、捨て身の行動などをとりかねない。


(私は、デュークを守る。今、デュークを守れるのは私しかいない)


 だからメリルは、何も知らないふりを続ける。嘘をつき続ける。

 痛む心に蓋をして。


 デュークは、沈黙を貫くメリルを見ると、小さく告げた。


「分かった。それならばもう言うことはない。けれど、何も話さないあなたを自由にするわけにはいかない。契約が完了した今、本来なら魔女の庵へ戻ってもらう予定だったが、あなたにはこのままここに留まってもらう」

「ああ、あんたの心配のないようにおし。あたしも、予言の行く末を最後まで見届けたいからね」

「ならば、あなたも城に……いや、違う、そうじゃない。危険だ」

「デューク?」

「何でもない――あなたはここに残るんだ。連れていけない」

「ああ、わかったよ」


 デュークの顔色が心なしか悪い。

 心配だが、今のメリルが何かを尋ねても、デュークが答えることはないだろう。

 デュークはそのまま目を合わせることなく部屋を出て行った。


(でも、これでいい)


 デュークはあの日以来、メリルに触れようとはしなかった。

 メリルは、二人の間に確かにあった信頼が、失われてしまったことに気づいていたが見ないふりをした。


(今は、いいの。そんなことより、もっと大事なことがある)


 失くしてしまった信頼は戻らないかもしれないという事も、メリルは見ないふりをした。


  ◇◇◇◇◇◇


「性質の悪い男で悪かったな」

「ふん、盗み聞きするような奴は性質の悪い男に決まっとるじゃろ」

「つーかそれやめろよ。性格までばばあモードかよ」


 深夜、二階の部屋に戻ったメリルは、窓枠に腰かけたロウガの姿にさして驚かなかった。

 老婆の姿の変身を解くと、ロウガの側まで来て腕に手を触れた。


「な、なななんだ」

「傷は……大丈夫そうね」

「あー、心配ねえよ」


 なんだよ、確認かよ、とぶつぶついうロウガの変わらぬ様子にメリルは少し安心する。

 デュークの信頼を失くしてしまった今、ロウガの変わらぬ態度がとても心に沁みる。

 でも、自分で決めたことだ。

 メリルは前を向く。


「それより、忘れてねえだろうな。契約不履行を起こしたらどうなるか」

「ええ、心配しなくてもいいわ。そんなことにしないから。そのために、行くわよ」

「は?」

「自分で言ったんでしょ。契約を実行するわ」


 メリルは、ロウガにびしっと指を突きつけた。


「私があなたを『目的』の――聖女のいる場所まで手引きするわ」

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