魔女、魔獣と対峙する

 スキルで見た、隠し祭壇の間へ続く通路の仕掛けを解除し、メリルはロウガとその扉の前に立った。

 ゴゴッと重い石を引きずるような音を立てて扉は開かれる。

 開かれた途端、魔法によるものと思しき明かりが部屋の中を照らす。

 二十メートル四方の思ったよりも広い空間がそこには広がっていた。

 そして正面の祭壇の少し前には、鈍色のうろこを持つ獣が床の上に丸くなっていた。

 メリルは実物としては初めて見る古代種の魔獣の大きさと異様な姿に、ごくり、と唾を飲み込んだ。


「寝てるみたい。アーティファクトは、奥の祭壇に祭られているの。今のうちにとってこれるかな」

「期待できねえな。つうか、あいつ起きてる」

「え?」


 ロウガは、脇からミスリルの二本の短剣を取り出し、両手に構える。


「俺が三歩前に出たら、お前、大地の魔法であいつを床に縛り付けておけ」

「分かった」


 メリルは床にしゃがむと大地の魔術の魔法陣を石の床に描き始める。

 ロウガが、一歩前に出る。魔獣テキーラは動かない。本当に生きているか疑問なくらいだ。

 メリルは床の魔法陣を完成させ、魔力をいきわたらせながら、横目でロウガのか動きを追う。

 二歩目、三歩目。

 メリルは魔力を陣を発動させると、テキーラの側の石が変質し、触手のように寝ている魔獣を包み込む。


(やった!)


 ロウガは、即座にナイフを構え魔獣の側に走り込む。

 急所だという首の後ろに回り込んで、体重をかけて攻撃をしかける――しかし、その瞬間。

 めきめきという音をたててメリルの石の拘束がほどけるように破られていく。

 ロウガは魔獣の首の後ろに短剣を突き立てるが、鈍色のうろこのかけらがわずかに飛び散っただけだった。

 魔獣は体をブルリと振るって、何事もなかったのように拘束していた石のかけらを振るい落とした。


「おい魔女、お前下がってろ。ぜってえ出てくんな」

「分かった」


 メリルは自分の無力さに歯噛みするが、ロウガの邪魔にならないように祭壇の間の隅に寄った。すぐに風の盾で防御できるように、手の中に守りの陣を描いて握り込む。


 そこからは、ロウガと魔獣との戦いをじっと見つめ続けた。固い鈍色のうろこでおおわれた魔獣テキーラは、虎のような体つきに、蜥蜴のような顔と尾を持つ。三メートルを優に超える体長での牙と爪と丸太のような尾の攻撃は破壊力がすさまじく、祭壇の間の床は見る間に敷石がひっくり返り、ぼろぼろになっていった。

 はらはらしながら見守る中、ロウガはテキーラの重い攻撃をぎりぎりでかわし、その合間に首の後ろに短剣を突き入れ、うろこを少しずつ削っている。


 メリルは、ロウガの戦闘を見ながら、あることに気づいた。

 戦闘が不自然なのだ。


(テキーラが、あの場所から動いていない)


 なぜかは分からない。

 でも、本当に動けないなら、倒さずアーティファクトだけ取って逃げるのも手かもしれない。

 デュークのために必ず倒さなければと思ったが、魔獣が動けないのならば、デュークの危険は激減する。聖女の件が解決した後に王国の精鋭部隊を使って倒した方が、ロウガ一人に任せるより絶対に安全だ。

 ロウガとの契約は、「アーティファクト入手に協力する事」で、魔獣を倒すことではない。

 ロウガの為にもその方がいい。


 メリルは、集中しているロウガに声をかけるか迷う。試しにそのままそろそろと一メートルほど場所を移動するが、ロウガは気づいた様子はなく、戦闘の状況は変わらなかった。

 むしろ、少しずつ気づかれないように動いた方がいいかもしれないと思いなおし、少しずつ祭壇へ近づいた。

 テキーラの尾が穿った床石のかけらが飛んでくるのを、時々風の盾で防ぐ。


 メリルは、テキーラの背後を回り、祭壇のあるひな壇へ一歩、足を踏み出した。

 その時、テキーラが突如攻撃の矛先を変え、くるりとメリルの方へ向き直った。


「おい、お前逃げろ!」


 テキーラの赤い瞳が正面からメリルを穿ち、メリルは思わず動きを止める。

 魔獣はメリルに向かい、距離を詰めると右前足の爪を振り上げた。


(殺られる)


 一瞬遅れて風の盾を出したが、それだけで防ぎきれるとは思えなかった。迫りくる恐怖にメリルは固く目をつぶった。

 横から突き飛ばされるような衝撃が襲い呼吸ができなくなったが、想像していた痛みとは違った。

 引き裂かれるような鋭い痛みではなく、たたきつけられるような鈍痛。


「おい魔女、お前、死んでねえな」


 ロウガの声に目を開けると、メリルは、自分が入り口近くまで吹き飛ばされているのと、ロウガの腕の中にしっかり抱き込まれているのに気づいた。


「私は多分、大丈夫。……っ、でも、でも、ロウガがっ」


 メリルはあわてて起き上がる。あちこち痛むが、自分の体は大きな怪我がないことは分かる。

 しかし、ロウガはそうではない。メリルをかばって、テキーラの爪をうけたのだろう。左腕がずたずたになり血塗れだ。


「ああ、まあ、どうにかなんだろ。それより、てめえ、すっこんでろ! あいつは俺がどうにかするから。てめえにウロチョロされたら目障りなんだよっ」

「ごめん」


 見捨てて、置いて逃げてと言ったのに。

 彼がメリルのために命を張る必要なんてない。こんなことにならないようにそう告げたのに。

 メリルが見誤ったのだ。彼の情の厚さを。

 彼は、もう、メリルの事を懐に入れてしまったのだ。

 守るべきものとして。


「ほんとに、ごめ」

「黙ってろ……ああ、落ち着く匂いだ」


 ロウガは、メリルの首筋に顔をうずめた。

 もう、以前のように嫌な気持はしなかった。

 ロウガが落ち着くというのなら、したいようにさせてあげようと思った。


 魔獣テキーラは、ロウガとメリルを入り口近くまで下がらせると、そのまま床に伏せ、動かなくなった。おそらく、何らかの制約がかけられてるのだろう。祭壇に近づく敵を排除する時だけ、その場所を離れられる、といった類の。


 しばらく体を休めると、ロウガは何事もなかったように、腕の処置をする。包帯を巻こうとするメリルに、邪魔だからと言って巻かせてくれなかった。


「ねえ、ロウガ。出直そう。デュークには正直に話す」

「馬鹿言うな。俺は、契約は違えねえ」


 ロウガは、立ち上がるとテキーラに向かってゆっくりと近づいていく。上着を脱ぎ捨て、上半身裸になると、肩と首を大きく回した。


「いい子で見てな。俺は負けねえから」


 そして。

 見つめるメリルの目の前で、ロウガの体が一回り大きくなった。

 ロウガの頭には、いつの間にか、獣の耳が立ち、背中の一部は、灰色の毛で覆われていた。


――人狼。


 メリルは息を飲む。

 スキルで見たゲームにその設定はなかった。

 でも、その人狼の姿を見て、メリルはなんとなく彼を知っているような気がした。

 もしかしたら、力を失う前のメリルの知っていた物語と、絡んでいるのかもしれない。

 この世界は複数の物語が綾なす軌跡によって作られているのだから。


 ロウガが、テキーラに向かって踏み込む。

 先ほどまでと段違いの速さだ。

 テキーラの頭に、握った両手をハンマーの用に打ち下ろすと、テキーラの頭がゴッと大きな音を立てて石の床にめり込んだ。

 力の強さも全く違う。

 背後に回り込もうとしたロウガにテキーラの尾が振るわれ、ロウガはそれをかわしきる。

 そして、テキーラの首の後ろにミスリルの短剣をたたきつけた。

 鈍色のうろこが飛び散った場所に、デウスの毒針が突き立てられる。


 途端にテキーラが暴れ出し、ロウガは、メリルの側まで戻り魔獣から距離を取った。


「ロウガ! 怪我は!?」

「ああ? 見てたろ。問題ねえ。この体になると、たいていの怪我はどうにかなる――お前、俺が怖くねえのか」

「え? こわい?」

「あーいい、何でもねえ」


 一回り大きくなったロウガの体からは、確かに先ほどの左腕のひどい裂傷は見当たらない。切り傷程度の傷が残る程度だ。

 暴れるテキーラは、徐々に動きを鈍くしていくと、どっと音を立てて床に倒れた。

 メリルはほっとすると、うずうずしていた欲求が、胸の奥でもたげてくる。


(これは、元日本人としては、健全な要求だと思うの。やっぱり、これを目にしたらしないわけにはいかないと思うの。いいよね? テキーラは倒れたし、もう安全だし、いいよね?)


「ね、ねえ、触っていい? 耳?」

「ばっ、おまっ、何言って」

「ねえ、しっぽでもいいよ。しっぽ! 触りたい!」


 自然に手がわきわきしてくる。


「おまっ、人狼に対してそれ、意味分かって言ってんのかよ」

「ねえ、しっぽないの?」

「そんなもん出さねえよ! 服が破れんだろうが!」

「ええ? そんな現実問題聞きたくない。可愛いのにい!」

「か、かわっ」


 メリルの目の前でロウガは、耳をしまい、体も元の大きさに戻ってしまった。

 

「ええーー」

「それよりっ、アーティファクトを取ってこい! お宝も見に行くぞ!」


 ロウガの顔がなんだかちょっと赤い。

 つい、テンションがあがってロウガを困らせてしまったが、そう、今はそれどころではない。


 二人が祭壇に向かおうとすると、突如、テキーラのもだえていた床に魔法陣が浮かび上がった。

 そして、二人が呆然とする目の前で、テキーラの体が光に包まれて消えてしまった。


「空間転移!」


 慌てて駆け寄るメリルだが、魔獣ごと魔法陣は消えてしまっていた。


「だめ、わかんない。こんな魔術見たことない。魔獣がここにいた証拠を残したくなかったってこと?」

「かもな。だが確認してる時間がねえ。もう朝になる。行くぞ」

「うん」


 色々気になるところはあるけれど、とりあえず解呪のアーティファクトさえ手に入ればよい。誰も命を落とすことなく、ここまでたどり着けたのだ。目的は達成できた。

 そう思っていた。

 しかし。


「壊れ……てる」


 祭壇に祭られたそれは、粉々になった、アーティファクトのかけらだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る