40、カスミに突き刺さる誘惑

ユキとプライドが旅に出て数日。

ずっと家に引き込もっていたカスミはシャワーを浴びていた。


「今日はー、ユキとアークの森で冒険者ごっこをする日だからぁー。きちんと準備しないとねー」


ハイライトのない目でカスミはお湯を頭から被っていた。

月1でユキと狩りに行く日と決めていたのがちょうどこの日だったのだ。

はじめて冒険者ごっこをしてから、毎月第3土曜日が彼とガルガルやロック鳥、ゴブリンなどのモンスターと狩りまくる取り決めになっていた。


「久し振りに部屋から出たから身体鈍っちゃったかな」


あとは、最近は風呂もロクに入っていなかったので普段よりもよくよく泡立てて、シャワーで流す。

お風呂にも長風呂を心がけて肌をキレイにする。


「最近、胸も成長してきてユキが目のやり場に困っているのが面白いんだよねー」


家を出る1時間前まで悠々と念入りにお風呂を楽しんだあとは、バスタオルで身体を拭く。

それから駆け出し冒険者の装備を身にまとっていく。

あとは玄関にあるユキにガルガル狩りで得たゴールドを使って買ってもらった格闘チャートに活かせる『疾風迅雷』という靴を履けばいつもの冒険者風の格好になる。


「ユキは回復チャートをカンストしちゃったけど、次はどんなチャートを進めるのかな?」


『まだもったいなくてチャートポイント振れないよ!』とワクワクしていて可愛い彼を思い出すと、カスミの口も緩んでしまった。


「か、カスミ……?部屋を出たの?引きこもりは終わった?」

「…………」


1人で勝手にシャワーを浴び、ご機嫌に鼻歌を歌っているところへ彼女の母親が声を掛ける。

ユキが旅に出て以降、殻に閉じ籠ってばかりいたカスミが、いきなり普段の彼女に戻った。

その突然の変化に、家族もどう接すれば良いのかわからない。

しかし、当のカスミは母親の顔を見るなり、細目になって知らんぷりをしてそのまま通り過ぎようとした。


「聞いてるのカスミ!?私の話を聞きなさい!」

「それは命令?」

「……は?」

「それは命令ですか?と、私はお母さんに尋ねています」


聞き慣れないカスミの酷く低い声に、母親の背中からブツブツと鳥肌が立つ。

ニッコリとした笑顔と低い声のギャップに、彼女の闇が母親に当てられる。


「あなたが王様じゃないのであれば、そんな命令には従いません。では、さようなら」

「ま、待ちなさいカスミ!」


母親がガシッとカスミの腕を握る。

彼女の虚ろな目や気配が明らかにおかしい。

制止させるために腕を掴んだが、カスミは止まることなく玄関へ目を向ける。


「私、鍛えているから余裕でお母さんの腕引きちぎれるよ」

「は……?」

「私はガルガルの身体、裂けられるんだ。それより弱い人間の身体はガルガルより強いと思う?どうかな?」

「っ!」


カスミの闘気が母親に突き刺さっていく。

蛇に睨まれたカエルのように、そのまま腕を離してしまう。

その姿に「ありがとう」とカスミはお礼を言う。


「じゃあね、お母さん。ユキと遊びに行ってくるね」

「ゆ、ユキ君は村にいないでしょ……?」

「来るもん!ユキは絶対来るっ!」


抑えていた気持ちを爆発させたカスミは、そのまま走っていき玄関を飛び出していく。

ユキが不在になったことで、彼女がユキに依存していたことが浮き彫りになった。

そんな娘が、なにか悪いことをするのではないか……。

それくらいに12歳のカスミの姿は危うかった。

しかし、止める者はいない。

カスミはそのまますぐに村を出てしまった……。





─────





「まったく!ユキは寝坊助なんだから!」


プリプリとカスミは怒りを口にしながら、アーク村を飛び出した。


「仕方ない。私が先に森に行ってユキをあっと言わせなきゃ!」


10分待ってもいつも待ち合わせしている場所に彼が来ない。

だからカスミは来るはずがない待ち人より先にアークの森に向かった。

「まったく!」「ユキは私がいないと弱いんだから!」そんなことをぼやきながら歩を進めた。


それからはアーク森に入り、いつものようにガルガルに1発の蹴りを入れる。

他愛ない手応えに、カスミはつまらなそうにする。


「あー……。そういえばドロップしたアイテムどうしよ?山ほどアイテムが入るユキのリュックがないと不便だね……。早く来ないかなユキ……」


ユキを心配しながら心ここにあらずの状態で、蹴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る殴る殴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る殴る殴る蹴る殴る蹴る。


「そこっ!ユキ、叩き込みなさっ──」


自分の隙をユキの攻撃でフォローして貰おうといつものように彼へ指示するも、人影はない。

カスミの隙を狙ってガルガルが2体同時に襲ってくるも、舌打ちしながら即座に動き、両方の首根っこを掴み左右の手でお互いを激突させて討伐する。

その時、カスミの胸に虚無感が一気に込み上げてきた。








「…………おっそーい!ユキ!早く来なさぁぁぁぁぁい!」






カスミは森で叫ぶも、ユキはやって来ない。

1時間経っても姿を見せないことに、徐々にイライラが溜まってきた時だった。


『キヒッ。待ち人が来ぬなら追い掛けたらよろしいかと。旅の者……』

「だ、誰!?」


突然、人間の言語で声を掛けられてカスミはハッとする。

たまに余所から来た商人や冒険者を見掛けたことはあるが、アークの森は基本的には人がやって来ない土地である。

それだけなのにも驚きだが、ユキよりも高い気配察知能力を持つカスミがしゃべり掛けられるまで無人だと思い込むほどに気配を殺していた人物が居たと思うと急に恐怖が込み上げてきた。


(た、助けてユキ──!い、いや……。私がユキを助けてあげないと!)


しかし、その恐怖をユキより大人だと自分に言い聞かせて一瞬で克服した。


「何者ですかあなた!?」

「なぁに。ただの通りすがりのババアですよ。キヒッ」

「通りすがりのババア?」


深く魔女のような三角帽子を被り、顔を見せないようにババアは下を向いている。

腰も曲がり、杖を付いて本人の申告通り確かに通りすがりのババアである。


(こ、怖い……)


しかし、そのババアが立っているだけでカスミは足が震えていた。

殴りかかった瞬間、首を落とされるイメージしか沸かない。

それこそ、さっきまで自分がガルガルに対して無双していたように蹂躙される。

カスミの目が震えた。


「『エメラルドの証』を持った少年に用があるのは通りすがりのババアも同じですよ」

「え、『エメラルドの証』!そ、それっ!」


ユキが旅に出掛ける動機になったアイテム。

カスミが憎くて、握り潰してやりたいと思っていたアイテムがババアの口から出された。

そんなカスミの姿に、付け入る隙をババアは見付けた。

そこに悪魔の誘惑がぬるっと放たれる。


「会いたい人がいるのなら会いに行きましょう……。なぁに、この通りすがりのババアがいるなら探し人くらい簡単に見付かりますよ」


カスミは服従するように、そのババアへ頭を下げた。


「ユキに会わせてください……」


涙を流して、ババアに懇願する。

その願いを聞き届けるために、ただ黙ってカスミの願いに頷いてみせた。

彼女の口は、三日月の形に歪みカスミを誘惑していった──。

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