第97話 忘れ物(彩香side)


「遥くん…?」

「ほら、八神くん。あの子が待ってるから」

「はい…」


 遥くんはどこか落ち着きない様子で、そわそわしてるのかおろおろしてるのか、どっちなのか、それとも両方なのか、そんな感じ


 でも、女の子の部屋に入るのは緊張するか


 私もお見舞いで彼の家に行った時は、一緒に莉子ちゃんもいたけど緊張した


「どうぞ…」

「うん…お邪魔します…」


 彼は扉のすぐ横に腰を下ろすと、なぜか正座して座ってて、もしかして、お母さんに何か言われて萎縮しちゃってるの?


「お母さんに、何か言われたの?」

「いや、大丈夫…」


 いや、全然大丈夫じゃないでしょ。

 遥くん、目が泳いでるよ



「えっと、なんか彩香っぽい部屋だね」

「なによ、それ。私っぽいって」

「綺麗に整理されてて、でも所々可愛らしい感じもして、うん、そう思ったよ?」

「そ、そう…」


 それって、私も可愛いってこと?

 もう…急にそんなこと言われたら…

 甘えたい…くっつきたい…


「あの、いつまでそこで正座してる気?」

「あはは…なんとなくね」

「こっち…来ていいよ…?」


 彼は立ち上がると、ベッドに腰掛けていた私の隣に、遠慮がちに、少し間を空けて座る


「あの…さっき言ってたのって…」

「さっき?」

「私…優しい…?」

「…うん、優しいよ…」

「…一緒にいると、楽しい?」

「…うん…楽しい…」


 そ、そっか…そうなんだ…えへへ…


「…あのね…今の私が…好き…?」


 私が彼の手に触れると、なんとなく遥くんが緊張してるのが伝わってくる


「…うん、好きだよ…」

「遥くん…」

「一緒にいるといろんな顔見せてくれて、本当に嬉しいし、楽しいし、可愛いし、全部…全部好きだよ…」

「うぅ…」


 私も同じ…


 すぐ恥ずかしそうに照れるところも、私が落ち込んでると優しくしてくれるところも、私のことをちゃんと見てくれてるところも、少しわがまま言っても、いつも応えてくれるところも…全部…全部好き…


「全部好きだよ」とか、そんなこと言われて、我慢なんて出来るわけないよ


 遥くん…遥くん…!



「もう無理…」

「え…」


 彼の胸に飛び込み、ギュッと抱き締めて、遥くんの温もりを感じ幸せな気持ちになる


 本当はいつもこうしてくっつきたいの。

 遥くんを感じていたいし、私のことも感じて欲しいの


「お願い…遥くんも……あの時、私…約束したもん…」


 彼はそっと私の背中に手を回すと、優しく、でもあの時よりも力強く抱いてくれて、何かが満たされるのが分かる


「はぁ…」

「彩香…」


 もっと…もっと遥くんを感じていたい…


「遥くん…もっと…」

「うん…分かった」

「んぁ…んぅ…」


 これ…こんなに強く抱き締められてるのに、全然苦しいとか思わなくて、なんだか頭が真っ白になりそう


 彼の吐息が、背中から感じる手が、そして何より、こうして密着している体が…

 ああ…だめ…ゾクゾクする…



 ふと彼の顔を見上げると、遥くんは顔を赤くして、なんだかとろんとした目をして、私のことを見ている


 もっと…もっと遥くんが欲しい…




(キス…したい…)


「遥くん…」

「彩香…」


 私は目を閉じ、でも遥くんの顔が近付いて来てるのを感じて、その時を待っていると、



「彩香ぁー!もう降りて来ていいよー!」


 !?


 お…お母さん!?


 私達はお互いにビクっとなって、咄嗟に慌てて離れる


「もう…」


 あともう少しで…キス出来たのに…





 下に降りてお母さんの所に行くと、もう雨も止んだから遥くんを送って行ってあげるという話だった。

 確かにいつまでもうちにいても、彼のご両親も心配するだしろうし、仕方ないよね…


 じゃ、私も着いて行こうかな


「彩香?悪いんだけど、お父さんもそろそろ帰って来るから、お留守番しててくれる?」

「は?」

「お願いね?彩香?」

「分かった…」


 くっ…なんで私が…

 仕方ないけど、ちょっと納得出来ない



 玄関に見送りに行くけど、さっきまでのこともあるし、このまま今日お別れなのは寂し過ぎる。せめて…


「あ!」

「どうしたの?」

「遥くん、忘れ物」

「何か忘れてた?」

「うん。ちょっとだけこっち来て」


 お母さんには待っててもらって、遥くんを連れてリビングに入る。


 彼は何か忘れてたっけ?みたいな顔してるけど、そうだね、忘れ物と言えば忘れ物かな



 私は遥くんの手を引いてこちらに引き寄せると、彼の肩に手をかけ、少し背伸びして…


「え…彩香…?」

「ふふ…もういいよ。遥くん、お母さん待ってるから」


 少しだけ照れちゃったけど、私は彼の頬に軽くキスした。

 もちろん本当は唇にしたかったけど、なんだかこんな不意打ちみたいにするのは違うと思ってそうした


 それにファーストキスは、もっと、ちゃんとした形で彼にあげたい



「彩香?もういいの?」

「うん。誕生日プレゼント渡しただけ。それじゃあお母さん、遥くんのことよろしくね」

「娘の彼氏に手は出さないから大丈夫よ」

「ちょっと!」

「それじゃ、八神くん、行きましょうか」

「はい…」

「遥くん、バイバイ。またね…」

「うん…」

「八神くん?大丈夫?」

「大丈夫です…」




 お盆の間、暫くは遥くんとも会えなくなる


 やっぱりちょっと寂しかったけど、私の部屋で抱き締めてくれた時、なんだか凄く満たされた気持ちになれた


 もしあのままキスしてたら、私…もう色々と我慢出来なかったかも……




「うぅ…」


 その先のことを想像して、ソファに置かれていたクッションで顔を隠す。今ここにいるのが私一人で、本当によかったなと、お母さんに少しだけ感謝する私だった





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