第96話 秘密です


『でも、キスより先はまだ駄目だからね?』



 とんでもない爆弾を落とされたと思った


「遥くん…?」


 こちらを訝しげに見る彼女に、俺はまだ動けないでいた


「ほら、八神くん。あの子が待ってるから」

「はい…」



 彩香に案内されて部屋に入るけど、整理整頓され、白を基調としてシンプルだけど、所々に女の子っぽい飾りもあり、彼女らしい部屋だなと思う


「どうぞ…」

「うん…お邪魔します…」


 さっきの爆弾のせいで、彩香のことを直視出来ない。


 そりゃそうだろう


 ついこの前初めて彼女ができたばかりの俺に、なんてことを言ってくれたんだよ。

 彼女はベッドに腰を降ろしてるけど、俺は入口付近で正座して座るのがやっとだ


「お母さんに、何か言われたの?」

「いや、大丈夫…」


 こんなに焦ってて、何が大丈夫なものか


 心配そうに聞いてきてくれる彼女の、その唇をついつい見てしまい、心臓の鼓動が早まるのが分かる



 …いやいや、このままなのはマズい


 俺、今絶対挙動不審になってるだろ。

 いくら下にお母さんがいるとは言っても、彼女の部屋で二人きりで、こんなのダメだ


 それに、さっきのはたぶん俺のことを信頼してくれてるから、変なことはしないだろうって思って言ってくれたに違いない


 そうじゃなければ、いくらなんでもあれはないと思う。だって「キスしていいよ」って言ってるようなもんじゃないか。

 そんなこと母親が言うわけないだろ


 うん。そうだ、そういうことだったんだ。

 よし、ちょっと落ち着いた



「えっと、なんか彩香っぽい部屋だね」

「なによ、それ。私っぽいって」

「綺麗に整理されてて、でも所々可愛らしい感じもして、うん、そう思ったよ?」

「そ、そう…」


 ちょっと嬉しそうだ

 だって口元がによによ緩んでる


「あの、いつまでそこで正座してる気?」

「あはは…なんとなくね」

「こっち…来ていいよ…?」


 ぽんぽん、と自分の座っている横を軽く手で叩き、ちょっと恥ずかしそうにそう言う


 俺はいつもより少し距離を空けて、彼女の隣に座った



「あの…さっき言ってたのって…」

「さっき?」

「私…優しい…?」


 ああ、お母さんに聞かれて答えたやつか


「…うん、優しいよ…」

「…一緒にいると、楽しい?」

「…うん…楽しい…」


 気のせいか、彩香が少し近付いた気がする


「…あの…今の私が…好き…?」


 え…


 膝の上で握りこぶししてた俺の手を、上からそっと包むように触れてくる


「…うん、好きだよ…」

「遥くん…」

「一緒にいるといろんな顔見せてくれて、本当に嬉しいし、楽しいし、可愛いし、全部…全部好きだよ…」

「うぅ…」


 なんとなく流れで思ってるまんま言っちゃったけど、これは言い過ぎた。

 いくらなんでもこれは照れる。恥ずい。

 もう彩香の方なんて見れないし、体が熱くて、なんか背中が痒くなってきた


 俺は自分の背中に手を回そうと、気持ちプルプルと震えてる彩香から手を離し、無意識に距離を取ろうとした


「もう無理…」

「え…」


 少し離した体を引き寄せられる


 そして俺の背中には、俺のじゃなくて、彼女の手があり、その手で強く抱き締められる


 あの時…そう、海で告白した時も、こうやって彩香に抱き締められたけど、でもあの時よりもその力は強く、


「お願い…遥くんも…」


 俺の首元に顔をうずめながらそう言ってくる彩香の、その吐息は熱くて


「…あの時、私…約束したもん…」


 …そうだったな。

 本当にちゃんと覚えてたんだ


 俺も彼女の背中に手を回し、あの時よりは力を込めて抱き締める


「はぁ…」

「彩香…」

「遥くん…もっと…」

「うん…分かった」

「んぁ…んぅ…」


 女の子って、こんなに細くて、柔らかくて、壊れちゃうんじゃないか、って思うのに、でも今ここにいて、俺のことを強く求めてくれてる気がして、心地よくて、好きとか、そういうのより、本当に愛おしい



 どれくらいの間、抱き合っていたんだろう


 ほんの数分のような、でも何十分のような、いつまでもこうしていたくなるような、そんな甘い時間だった


 お互いにふっ、っと力が弱まり、少しだけ体が離れる。

 彼女の方を見ると、彩香は頬を染めて、俺の顔をとろんとした目で見上げている


「遥くん…」


 そっと目を閉じる彼女


「彩香…」


 もう今の俺には、下でお母さんに言われたことなんて、頭に残っていなかった。

 そして俺も目を閉じ、そのまま彼女の唇に自分の…




 と思ったところで、


「彩香ぁー!もう降りて来ていいよー!」


 !?



 二人してビクってなって、慌てて離れる


「もう…」


 たぶん我に返ったのか、それとも恥ずかしくてこっちを見れないのか。

 彼女は俺に背を向け、その肩はプルプルと震えながらも、耳は真っ赤だった



 少し残念な気がしないでもないけど、もう今更そういう雰囲気にはなれないだろうし、これはもう仕方ない


 下に降りてリビングに入ると、


「もう雨も止んだし、八神くん、おうちまで送って行ってあげるわね」

「はい。ありがとうございます」

「彩香?悪いんだけど、お父さんもそろそろ帰って来るから、お留守番しててくれる?」

「は?」


 彩香さん…母親に「は?」は駄目だよ


「お願いね?彩香?」

「分かった…」

「それじゃあ行きましょうか」

「すみません。よろしくお願いします」



 玄関に行き靴を履こうとしたら、「あ!」と彩香が思い出したように言うので、


「どうしたの?」

「遥くん、忘れ物…」

「何か忘れてた?」

「うん。ちょっとだけこっち来て」


 先に靴を履いていたお母さんに待っててもらい、彩香の後ろをついてリビングに入る


 俺が「どこにあるの?」と彼女に聞こうとしたその時、手をキュッと掴まれ、体を少し引き寄せられる


 そして次の瞬間、「チュッ」という小さい音と共に、頬に柔らかくて温かい感触が



 え…これ…



「え…彩香…?」

「ふふ…もういいよ。遥くん、お母さん待ってるから」


 はにかんだ笑顔でそう言われ、手を引かれたまま二人で玄関に戻る


「彩香?もういいの?」

「うん。誕生日プレゼント渡しただけ。それじゃあお母さん、遥くんのことよろしくね」

「娘の彼氏に手は出さないから大丈夫よ」

「ちょっと!」

「それじゃ、八神くん、行きましょうか」

「はい…」

「遥くん、バイバイ。またね…」

「うん…」


 腰の辺りで控えめに手を振るその姿は、少し悲しげにも見えて、一気に名残惜しさが押し寄せて来る


「八神くん?大丈夫?」

「大丈夫です…」





 こうして彼女の家を後にする



 帰りの車中にて、


「ねえ、最後忘れ物って言ってたけど、あの子にプレゼント、何貰ったの?」


 もちろん運転しているから、前を向いて俺の顔を見ることなくそう訊ねられたけど、


「秘密です…」

「ふふ…そう。よかったわね」

「はい」



 こうして俺の17才の、初めて彼女と過ごした俺の誕生日は、この先忘れることのない、思い出の一日となった





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