第4話 三年前のあの日


「姉が、あなたに会いたがっているんです」



 確かに奏汰も、七瀬さんはお姉さんから話を聞いて、俺の事を知っていると言ってた。

 そして俺も奏汰には言った。

 お姉さんがいる事も知らなかったし、会ったこともない、と


「あの…それ、俺のことですか?」

「え?」

「何かの勘違いかなにかで、人違いじゃ…」

「いいえ、そんなわけないです」


 七瀬さんはしっかりとこちらに視線を向け、そう断言する


「でも、会ったこともないのに…」

「は?」


 こわっ…

 あ…でもそのジト目も…好き…



 俺は、自分の中の変な性癖が目覚める前に、ここはちゃんと確認しようと思い、口を開こうとすると、


「あの日、あなたにちゃんと会っています」


 と、そう言ってまた断言する


「すみません…あの日っていうのは…?」

「それは…その…ここではなんですので…」


 今度は少し気まずそうにそう言い淀み、そして次の瞬間、ふわっと、柔らかい甘い香りが鼻腔を擽る


(え!?なに…?)


 俺の目線の先にいた彼女はいなくなり、その代わりに、視界の端には艶のある黒髪が…


(え…どういう…)


 どういう事なのか理解が追いつかない。そして耳元で、本当に俺だけに聞こえるように、小さな小さな声でこう囁かれる


「三年前のあの日、ですよ」


 微かに漂うフローラルの香りに、さらに彼女の吐息を直に感じてしまい、


「ひゃうっ!」

「ちょ、ちょっと、変な声出さないで…」

「す、すみません…」


 無理だよ!ていうかわざとだろ!

 そうだ、そうに違いない!

 え…?…じゃあ、そういうこと…?



 でも、咲希ばりの冷たい視線で俺は我に返り、すぐにそれが単なる誤解、願望だったということを悟る


(俺…案外変態なんじゃないか…?)


 そう思って一人落ち込んでいると、


「思い出してもらえましたか?」

「え?」

「だから、あの日のことです」

「え?なんの話でしたっけ?」

「……話、聞いてます?」

「すみません…聞いてたような、聞いてなかったような…」

「…本当に、八神遥斗さんですよね?」

「たぶん…」


 俺、八神遥斗…だよな?違うんだっけ?

 違うんならじゃあ、俺、誰だっけ…?


「…本当に忘れてるんですね」

「え…す、すみません」

「(私はどうでもいいんだけど)、どうしても姉があなたにきちんとお礼したいと」


 七瀬さんは小声で何か言ったけど、ばっちり聞こえた。どうやら俺への心象はよろしくないらしい。でもお姉さんはお礼がしたい、と


 三年前…あの日…お姉さん…お礼…

 ん?…七瀬さんのお姉さんということは、お姉さんももちろん七瀬さん、だよな…



「あ!!もしかして…」

「…やっと思い出しましたか」


 やれやれといった感じでこちらを見てくる彼女。

 でも、俺の考えはあの頃と変わらない


「じゃあ、お姉さんに伝えて貰えますか?」

「ん?はい、いいですけど」

「あの時にも言ったように、辛い思いをしたのはあなたです。それが少しでも和らいでくれたなら、それだけで俺は十分です。だから、お礼なんて、そういうのは本当にいりません」

「ちょっと…何を言って…」

「このまま伝えて貰えたら、お姉さんには分かって貰えるはずなんで大丈夫です」

「そうじゃなくて、そういう事を普通に言って、恥ずかしくないんです?」


 え?恥ずかしい?そうなの?

 一般的に恥ずかしい事言ってたんだ、俺


「そういうふうに言われると恥ずかしいですけど、まあ大丈夫です」

「はぁ…分かりました。伝えます」

「ありがとうございます」


 少し呆れたようにそう言った七瀬さんだったけど、そこまでたいしたことをしたというつもりも俺にはなかった




 三年前のあの日…


 俺がまだ中一だった時に、たまたま電車に乗ってて見つけてしまったんだ。

 少し震えながら、今にも泣き出しそうな、でもそれを必死で我慢して、周りの人に助けを求めるように視線を送っているのに、みんなそれに気付かない。いや、もしかしたら、気付いてても見て見ぬふりだったのかも。


 車内の端で、少し離れた所にいた彼女と、そのすぐ後ろにいたオヤジ。彼女の辛そうな表情とは対照的にニヤニヤしたその顔は、思い出した今でも虫唾が走る


 そう、それは、


 ある女の子が痴漢に遭っている現場だった






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る