41.三者面談
これでいい、とルリカは自分に言い聞かせた。
テッペイは自由に過ごす方が、テッペイらしい。
ルリカがいなくても、テッペイの容姿とあのエロテクがあれば、他に同棲してくれる人はいるだろう。
ルリカじゃなくたって、テッペイは適当に楽しく暮らしていけるのだから。わざわざ責任を押し付けて、テッペイに窮屈な思いをさせてしまう必要はない。
しかし、あの家にテッペイと一緒に住む『誰か』の存在を想像すると、胸が涙を流しているかのように、しくしくと痛んだ。
一晩泣き明かしても立ち直れず、朝からなにもせずにうだうだと過ごしていたが、夕方近くになり、ようやく立ち上がった。こんな精神状態で家に引きこもっているのは、きっと胎教によくない。
気分転換を兼ねて、携帯電話を買い替えに行くことにした。
携帯ショップでどれにしようかしばらく決めかねていたが、一番容量の多いものに決めた。これからきっと、子どもの写真をいっぱい撮るに違いない。
元のスマホからデータを移し終えと、ルリカはホクホクと家路についた。
帰りはバスを利用して家の近くで降りると、少し先にスーツを着た男の人がスマホ片手にキョロキョロしている。
誰かの家でも探しているのかなと声を掛けようとして、思わず隠れた。
チラリと見えた横顔が、テッペイそのものだったのだ。
うわわ、と出そうな声を抑えて、道陰から忍者のように窺い見る。
この時間に着いているということは、朝の一番早い時間のバスに乗ったのだろう。
スーツなんて買う暇はなかったに違いないのに、どうして持っているのだろうか。誰かに借りたのかとも思ったが、いやにピッタリ体に添っている。
テッペイはスタスタと、ルリカの実家に向かって歩き始めた。声を掛けるべきかどうか悩んでいたら、うだうだしているうちにテッペイは来栖家に着いてしまった。
表札を確かめたテッペイは、戸惑うことなく門を入って玄関前に立っている。そしてチャイムを堂々と鳴らしていて、家の中からはルリカの母親の一華が出てきた。
「あら……もしかして、テッペイくん?」
「そうです、初めまして」
名乗る前に一華が言い当てる。驚いたことにテッペイは、割と普通に挨拶しているではないか。
「わざわざ来てくれたのね、ありがとう」
「ルリカが中絶したって聞いたんで、とりあえずその分のお金を持ってきました」
茶色い封筒をぺらぺらしながら差し出すテッペイ。割と普通だと思ったのも束の間、渡し方も話し方も雑なのは、やはりテッペイであった。
対応したのが父の渉でなくてよかったと、ルリカは心底思う。しかし一華はその封筒を押し返しながら言った。
「あら、あの子、中絶なんかしてないのよ。産む気まんまん!」
「ふーん」
孕ませた女の親に向かって、まさかの『ふーん』。
「ちょっとー!! 親に向かってフーンはないでしょーー!! お母さんも、なんであっさり堕してないことをバラしてくれてるのよーーッ?!」
門扉に隠れていたルリカは、ツッコミながら飛び出てしまった。はたと気付くと、テッペイがこっちを見てニヤニヤと笑っている。
「帰ってたのね、理香。おかえり。テッペイくんって、いい男ねぇ」
一華はすでに、テッペイの毒牙に掛かってしまっているようだ。テッペイは酷い対応をしていたというのに、男前補正というのは恐ろしい。
「ルリカのお母さん、ちょっと中に入れて話をさせてくれよー」
「あらー、いいわよ」
「ちょちょちょ?!」
一華が勝手にテッペイを招き入れてしまう。ルリカも慌てて入ると、三人はダイニングテーブルに着いた。渉と京太はまだ帰ってきていないようだ。
「ルリカのお母さんの名前はなんて言うんだ?」
「私? 一華よ」
「一華さん、俺ビールが飲みてぇなー」
「バカなの?!」
ルリカは思わずテーブルをドンと叩いた。
いきなりフレンドリーに人の母親の名前を呼び、しかもビールを要求するとは何事だ。
わかってはいたが、テッペイは真正のバカだ。
「まぁ、テッペイくんってば正直ねぇ。でも、お父さんが帰ってきた時に怒ると思うから、コーヒーで我慢してくれる?」
「おー、サンキューサンキュー」
このやりとりを父親の渉が見ていたら、雷どころでは済まなかっただろう。これからその渉が帰ってくると思うと、胃がキリキリと痛んだ。
一華はコポコポとコーヒーを用意してくれている。いい香りが漂ってくる空間の中、正面に座るテッペイがルリカに向かって口を開いた。
「堕してねーんだって?」
「う、うん……」
「やっぱ、ミジュちゃんの言った通りだなー」
「え?」
「堕すには相手の男の同意が必要だから、多分まだ堕してねーって。新しい病院で診察して堕胎の予約取るのも、時間が掛かるしってさ」
渉とルリカの嘘は、簡単に見破られていたらしい。
ルリカはバツが悪くなって、身を潜ませる。
「嘘だってわかってたのに、わざわざ費用を持ってきてくれたの?」
「こっち来るのに理由もほしかったしなー」
「テッペイ、お金ないのにどうやって調達したのよ」
「雄大さんに借りた」
「あんたね?!」
「ちゃんと返すって! 使わなかったんだからよ!」
そんな言い合いをしていると、一華がクスクスと笑いながらコーヒーをテッペイに出している。妊婦にカフェインはよくないので、ルリカには麦茶だ。
「理香のこんな楽しそうな姿、初めて見たわよ」
「た、楽しんでなんかないから!」
「あら、そう? テッペイくんが来てくれて、とっても嬉しそうよ?」
一華の言葉を受けて、テッペイはルリカの顔を見ながらニヤニヤ笑っている。それが少し悔しくて、恥ずかしい。
「戻ってこいよ、ルリカ。あの家でまた一緒に暮らそうぜ」
「あのね、聞いてた? 私、産むつもりなんだけど」
「産めばいーじゃん」
テッペイはさらりとそう言った。
これはつまり、あれか。あの家で勝手に子育てしろと。家賃とエッセイの売り上げの一部は、今まで通り払えと。そういうことか。
「あの家で、一人でなんて育てられないよ! ここだったら、お母さんに助けてもらえるし」
「俺も手伝うって」
簡単に言ってのけるテッペイに、苛立ちが募る。無責任男の言うことなど、ちっとも信じられない。
「あんた、私が妊娠したって言ったら、逃げ出したじゃん!!」
「逃げ出してねーって!!」
「ウソばっか、出てったし!!」
「あれは……ちょ、ちょっとよー……」
「ちょっと、なによ??」
テッペイは言いにくそうに口を尖らせ、ルリカから目を逸らせた。
ギロっと睨むと、テッペイはチラリとルリカの怒り顔を確認した後、微妙に視線を外しながら叫んでくる。
「なんか! すっげー、胸にきたんだよ!」
「は? 胸? 頭にきたの間違いでしょ?」
「ちげーって! なんでかすっげー泣けてきて……はずかしーだろ、男が涙なんか見せんの!」
「……っへ?」
予想外。まさに予想外の答えが返ってきて、ルリカはキョトンと目を
いつも自信満々でニヤニヤ笑っている男の、恥ずかしがっている姿。ルリカはそんなテッペイを初めて見た。
「うそぉ……泣いてたの? あの動画を見て?」
「おー。そしたらさー、やべー、ルリカの両親に挨拶に行かねーとって思って、その足でコレ買いに行ってた」
テッペイが自分の着ているスーツをピッピと指差す。どうやらそのときにスーツを買ったらしい。
「出来合いの安もんだけどよ。その場で直してもらって、ルリカを驚かせようと着て帰ったら……お前、消えてんだもんよ」
やっぱり口を尖らせたままのテッペイ。隣では一華が、にまにまとこっちを見ていて、すごく居心地が悪い。
「どっかに隠れてんのかと思って家ん中探してたら、ミジュちゃんから電話きてさー。お前が実家に帰ったとか言われるんだぜ!」
「う……だって……」
「ソッコーで電話したのに繋がらねーしよー」
「ご、ごめん……」
「誰もお前の実家知らねーし連絡とれねーし、もう二度と会えねーかと思った俺の気持ち、想像しろよ!!」
「ほ、ホントにごめんーー!!」
まさか、テッペイに叱られる日がくるとは思ってもいなかった。申し訳なさと罪悪感で一杯になり、肩をすくめる。
「まぁ会えたからいいけどよ。産むんだろ? 結婚しようぜ」
あっさりと重要なワードを言われて、ルリカはまたもキョトンとテッペイを見た。一華は「あら〜」と口元に手を置いて、にまついている。
「な、なに言ってんの? テッペイは結婚なんてしたくないんでしょ?」
「誰がそんなこと言ったよ」
「だって、詩織さんが、テッペイは結婚願望ないって……」
「あー、まぁあの頃はなー」
「それに、私にも結婚なんかするなって言ってたじゃない!」
「それは、お前が俺に惚れてもメリットがないとかなんとか言ったからじゃねーか!」
「そんなこと言った?! あ、言ったわ!」
同居し始めたばかりのことを思い出す。
確かにあの頃のルリカは、自分の気持ちを知られるのが嫌で、そんな風に言った、気がする。
メリットがないとルリカが言ったから、自分と結婚させたくなかったのだろうか。
そういえば以前、『俺と結婚しても、苦労するのは目に見えてる』と言っていたことを思い出す。
テッペイにはその自覚があったために、ルリカに苦労させたくはなくて結婚するなと言ったのか。それはルリカも、同じ気持ちではあったが。
「だって、テッペイといても、未来が見えなかったんだもん。将来のこと、全然想像つかなかったから……」
「だから、別にお互い結婚しなくても、一緒に暮らせばいいと思ってたんだよ。その方が楽だし、楽しいし」
テッペイは、その楽な道があると知っていながらも『結婚しようぜ』と言ってくれたらしい。そう思うと、胸の奥がじわじわと熱くなってきた。
「まー、俺も仕事頑張るようにするしよ」
「え?! ほ、ホントに?!」
「バイト二つに増やす!」
「就職しなさいよ?! スーツ買ったんだし!!」
ルリカが突っ込むと、隣にいる一華が『耐えきれない』というようにアハハと笑い始めた。
ルリカもテッペイも会話を中断し、お腹を抱えている一華に注目する。
「お、お母さん?」
「あは、もう、面白いわねー、あなたたち!」
クックと溜まった涙を拭くようにして、一華は笑いをこらえていた。そしてそれが少し収まると、真面目な顔でルリカを見てくる。
「あのね、理香。人生なんて未来が見えないのは当然なのよ。なにが起きるかもわからない。きちんと働いている人を捕まえたって、事故や病気で若くして亡くなってしまうこともある」
一華の言葉に、ルリカは夫を若くして亡くしてしまった人のことを思い浮かべた。
詩織は未来を描ける人と結婚したに違いない。けれども結局、彼女の思い描いた未来とは、まったく違うものになってしまったのだと思う。
「あんまり、働くことに執着しなくてもいいじゃないの。あなただって昔、パワハラとモラハラに遭って、頑張りすぎた挙句に引きこもっちゃったじゃない」
「それは……」
「それに今は理香だって稼いでるんでしょう? お互いにできるところを分担して、できなければ補佐していけばいいの」
「おー、俺、働くより子どもの世話の方がやれると思うぜ!」
「あんた、子どもの世話を舐めてない?!」
子どもの世話ならやれるという軽はずみな言動に、ルリカはキッと睨んだ。子どもを育てる大変さは、ルリカもまだわかっていないのだが。
「理香、怒らないの。子育てに関わろうとしてくれるだなんて、素敵じゃない」
それはそうだけど、とルリカは一華を見る。穏やかに笑う母の顔を見ると、なんだか怒っている自分がバカらしくなってきた。
『結婚するときには男はしっかり就職すべき』という固定観念に囚われていたのは、ルリカだけだったのかもしれない。
夫婦には色んな形がある。ルリカとテッペイに関しては、その『すべき』形に当て嵌めない方が、おそらく上手くいくだろう。
そう考えると、今まで見えなかった未来に、急に光が差し始めた。
「一華さん、いいこと言うぜー」
「うふふ、そうでしょ?」
「さすが、ルリカのお母さんだな!」
ルリカの母親をそんな風に褒めてくれるテッペイ。その褒め言葉が嬉しく、一華の娘である自分を誇らしく感じる。
テッペイはいつも、ルリカに自信と誇りを与えてくれる。
それはテッペイが計算せずに、思ったことを飾らずに、心のまま伝えてくれるからだろう。そこだけは、本当に信頼している。
「な、結婚しようぜ、ルリカ!」
このイケメンでそんな風に言われると、断るなどできようはずがないではないか。
ルリカは、テッペイが大好きなのだから。
「う、うん……結婚する!」
「ったく、手間かけさせんなよなー!」
テッペイは嬉しそうに笑って、ガガっと椅子から立ち上がると。
向かい側にいたルリカの頭をぎゅっと引き寄せ、深いキスをされる。
跳ねのける気は起きず、ルリカはその優しい唇を享受する。
隣で見ていた一華の「あら〜」という声をバックに、テッペイとルリカはキスし続けた。
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