40.連絡

 翌朝、実家に着いたルリカは、家族に驚かれながらも迎え入れられた。

 みんな仕事だったので、帰ってきてから詳しい話を告げる。

 案の定と言うべきか、父親の渉は大激怒で、テッペイを殺しそうな勢いだった。

 母親の一華も本当に産んでいいのかと何度も尋ねてきて、暗に堕すことを提案された。

 弟の京太けいただけは、今時シングルなんて珍しくもないから、世間体なんて気にするなと両親を説得してくれる。尊重すべきは生まれてくる命と、お姉ちゃんの気持ちだからと。

 京太の言い分は的を射たもので、両親は結局諦めたように納得してくれた。


「まさか、理香が妊娠して帰ってくるとは思わなかったわぁ」


 話し合いをした翌日、一華は洗濯物を干しながらそんな風に呟いた。

 ルリカは母の手伝いをしながら、なんだか悪戯をした小さな子どものような気分になって、身を縮ませる。


「でも、理香は一生一人で生きていくのかと思ってたから、子どもを産んでくれるのは、親として嬉しいのよ」


 ニッコリ笑ってくれる一華。その笑顔に安堵して、ルリカはほっと息を吐いた。まさか、ルリカが未婚の母になるとは思いもしてなかっただろうが、受け入れてくれた一華に感謝する。


「その、テッペイくんって子とは、ちゃんと話さなくていいの? もしかしたら、ちょっとビックリしちゃっただけかもしれないわよ?」


 ルリカはそんな一華の言葉には、首を横に振った。

 テッペイをよく知らないからそう思うのだろう。ビックリしただけであんな行動をとる男ではない。

 携帯電話は昨夜充電器を貸してもらい、満タンになっているはずだが、起動はしていない。きっと誰かから連絡が入ってるだろうが、それらに対応できるほど、まだ気力は回復していないのだ。


「まぁこうなった以上、お母さんもお父さんも京太も、理香の味方だからね」


 そう言って一華は洗濯物の手を止めて、ルリカを優しく抱きしめてくれた。

 母親に抱きしめられるなんていつぶりだろうか。こんな自分を受け入れてくれる一華がありがたくて、嬉しくて、つい涙腺が緩む。


「ありがとう、お母さん……」

「元気な子を産みましょうね! 今から楽しみになってきちゃった」


 にこりと笑う母親を見て、母は強しだなぁとうなずいた。

 産むと決めたのだから。母親になると決めたのだから。自分も強く、ならなくてはと。


「じゃあ、仕事に行ってくるわね!」

「うん、いってらっしゃい!」


 そうして家族を送り出すと、ルリカはいつものように漫画エッセイを描いた。

 今日の出来事まで書き終えたら、この『ネットでダメ男はリアルもクズ男でした』の連載は終了しよう。

 それからは、子育てエッセイに切り替えようと心に決めて。


 そうやってルリカは三日、実家で時を過ごした。

 ずっと放置していた携帯だが、さすがに周りに心配を掛け過ぎているだろうなと不安になってくる。テッペイの家に置いたままの私物もどうにかしないといけない。

 せめて、ミジュにだけは連絡を取ろうと思い、携帯の電源を入れて起動した。その瞬間、ピロピロというメッセージの着信音が鳴り響く。

 テッペイ以外のバレーのメンバーから、たくさんの心配の言葉が届いていた。

 誰からどうやって返事をしようと思いながら、まずはミジュに『心配かけてごめんね。実家で元気に過ごしてるよ』と書いて送信する。

 するとすぐに、ミジュから電話が掛かってきた。


「もしも……」

『ルリカさん! よかった、出てくれた……!!』


 ミジュはグスッと鼻をすすっている。どう聞いても泣いているその声に、なにも泣かなくても、とルリカは苦笑した。


「ごめんね、ミジュちゃん」

『心配したんですよ! あれから全然連絡とれなくなっちゃったし……思い余って、自殺でもしちゃったんじゃないかと思ったら、もう私……っ』

「いやいやいや、自殺はないから!」


 どうやら、ルリカが思っていた以上に心配してくれていたようである。申し訳ないと思うと同時に、その気持ちが嬉しくもあった。


『ああ、もう、なにから話していいのか……とにかく、緑川さんに替わりますから!』

「ええ?!」


 ハッと時計を見ると、時刻は午後八時半。しかも今日はバレーのある日だ。

 スマホの向こう側から『緑川さん、ルリカさんと連絡つきました!』と叫んでいるのが聞こえてくる。

 どうしようとあわあわしていると、はぁはぁという激しい息遣いが耳の近くで鳴った。


『はぁ、はぁ、はぁ……おい、ルリカ』

「変態?」

『息あがってんだっつの! はぁ!』


 苦しそうにゼーゼーと肩を揺らしている姿が容易に想像できた。

 こんな他愛もないやりとりが久しぶりで嬉しくて、思わずクスリと笑ってしまう。

 ごくんと息を飲んで整える音がし、再びテッペイの声が聞こえてきた。


『なんでいきなり出てったんだよ!』

「出てってないし!」

『出てんじゃねーか!』


 その頭ごなしの言い草にルリカはムッとした。どうしてこちらが悪者にされているというのか。


「テッペイが悪いんでしょ!!」

『俺が? なんでだよ!』

「自分の胸に聞いてみなさいよ!」

『なにをだよ?!』

「出てったのは、テッペイでしょ! 先に逃げ出したの、テッペイじゃん!!」


 大きな声で叫んでしまったので、家族がどうしたどうしたとルリカの部屋に集まってくる。しまった、と思うも、時すでに遅し。


『あのなぁ、俺は……っ』

「理香、貸せ」


 後ろに来ていた父親が、ルリカの持つスマホを勝手に奪っていく。


「ちょ、お父さん!」

「君か、テッペイというのは」


 父親が、今まで聞いたこともない低くドスの効いた声を出した。

 テッペイの反応はわからないが、きっと『誰だよお前』とか言っているに違いない。


「私は理香の父親だ。理香は、お腹の子を堕した。君とはもうなんの関係もない。関わらんでもらおう」


 それだけいうと、父親は勝手に通話を切ってしまった。唖然、である。


「ちょっと、理香が可哀想じゃないですか!」

「理香もあの男とは別れるつもりだったんだろ。しっかり縁を切っといた方がいい。後々面倒だ」


 ルリカが放心している間に、家族は部屋から言い争いをしながら出ていった。

 確かに、そうだ。テッペイとは関わりを持たないつもりだからこそ、シングルを選んだのである。

 それでもこの心は、どこかで期待をしてしまっていたというのだろうか。


 ルリカはしっかりしなくちゃと、パンッと自分の顔を叩いた。

 それでも先程のテッペイとのやりとりを、つい反芻してしまう。今、あちらではどうなっているだろうか。気になっていると、またミジュの携帯電話から着信が入る。音が鳴り響いて家族に気付かれる前に、急いで応答した。


「はいっ」

『俺の携帯、着拒否ってんじゃねーよ!!』


 飛び込んできたのは、テッペイの怒り声。

 父親にあんなことを言われて、ルリカに着信拒否にされ、腹の立たないはずはないだろう。


「ご、ごめん」

『なんだよルリカ、お前、もう堕したのか?』

「それは……」


 父の嘘だと言おうとして、言葉を止めた。

 テッペイは、そう思っていた方が幸せかもしれない。どうせ、責任なんて言葉をテッペイは知らないのだ。働くことをなにより嫌っているこの男に、責任を負えるわけがない。

 まだルリカが妊娠していると知ったところで、迷惑としか感じないに決まっている。


「うん……もう堕した」

『ふーん』


 だから、ルリカはそう嘘をついた。テッペイの抑揚のない声は、喜んでいるでもなく、悲しんでいる風でもない。興味のなさそうな声で。


『じゃあ、帰ってくんだろ』

「ううん、私はもう、実家で暮らそうと思ってる」

『あそこの家賃、俺一人で払えると思ってんのかよ?!』


 テッペイの心配は、やはりそちらだ。わかっていても、心は沈んでいく。


「来月分は振り込むよ。そのあとは、自分でどうにかして」

『マジかよ。お前の置きっ放しの荷物はどうすんだ』

「手間かけさせてごめんだけど、全部こっちに送って」

『じゃあお前の実家の住所、後でメッセージに送っとけよな』


 テッペイからの通話は、それで切られた。

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