23.究極の二択

 綺麗に片付けてあるはずの部屋の床に、スケッチブックが不自然に落ちている。

 絶対に絶対に、ちゃんと棚にあったはずのものが、床に。


「ほ、ほら!! 落ちてるじゃん!!」

「最初っからここに置いてたんじゃねーの?」

「違うもん!!」


 そう叫んだ途端、キュッと蛇口の捻られる音がした。ビクンと体が反応する。


「ひぃっ!!」

「台所か」

「待って、待ってよテッペイ!!」


 スタスタと歩くテッペイに必死でしがみつき、台所へと戻ってくる。

 いつもはピチャンピチャンと雫しか垂れていないというのに、今日はザーッとたくさんの水が流れ出ていた。


「すっげー、霊って本当にいるんだなー」


 そう言いながら、テッペイは気にもしない様子でキュッキュと水を止めている。


「めっちゃきつく締めといたから、これで霊程度じゃ開けらんねーだろ」

「そういう問題じゃないしーー!!」

「でも別に悪さしてねーし。ほっとけばよくね?」

「怖くないの、テッペイ!」

「全然」


 ルリカの肌は先ほどから鳥肌が立ちっぱなし、足も手も勝手に震えてしまって止まらない。

 霊がいると認識して、まったく怖がらないこの男の頭は多分おかしい。いや、元々からおかしいのは知ってはいたが。


「おはらい……お祓いとかしてもらってないの?」

「さぁ知らね。してないんじゃねぇ?」

「しようよ、してよ、お祓い!」

「金もったいねーじゃん」

「私が払うからっ!!」


 ここには絶対、なにかがいる。かなりの確率で、詩織の亡くなった夫が。

 知らなかった時ならまだしも、知ってしまうと平常心でいられるはずもない。


「まーどっちにしろ、明日以降だな。もう遅ぇし」

「えええ、私、あの部屋で寝なきゃいけないの……っ?!」


 夜に必ず聞こえてくる、う……う……というくぐもった声。

 テッペイの声だと思っていたから我慢もできたが、そうでないなら怖くて発狂してしまう。


「んじゃあ、俺の部屋に来いよ」

「寝る場所、替わってくれるの?!」


 ソファのあるリビングも嫌だ。隣接しているダイニングの水がいきなり流れ出しては、心臓が持たない。


「替わるわけねーだろ。一緒に寝りゃーいーじゃん」

「あんた、よくそんなひどいことが言えるよね?!」

「ベッドを半分貸してやるんだぜ! まぁ、その見返りはもらうけどな!」

「見返りって、まさか……」

「そのカラダで許してやるよ」


 ニヤニヤといやらしい目でルリカを見てくる。

 ずっとしがみついて密着していた体から、ルリカは慌てて離れた。


「お、お願い、テッペイ……ベッドを借りなくていい、部屋の隅っこでいいから、お祓いするまで泊まらせてよ……」

「隅っこの部屋料金、ルリカのカラダ」

「あんたほんっと鬼畜だよね?!」

「こんなチャンス、逃してたまるかっての!!」


 本当にこの男はクズだ、と唇を噛み締める。

 恐怖をガマンして自分の部屋に泊まるか、体を捧げてまでテッペイの部屋に泊まらせてもらうか。究極の二択だ。


「べっつに俺は、どっちでもいいんだぜ?」


 ルリカの弱みに漬け込み、自信満々のテッペイ。お祓いするまで、どこかのホテルにでも泊まった方がマシだろうか。

 しかしそこでも怪奇現象が起きたらどうすればいいだろうと、ネガティヴなことばかりが頭を支配する。こんな状態で一人ホテルに行くことすら怖い。

 脳内でいつもの『う……』という声が再生されて、身震いした瞬間。


 ガタッ

 ガタガタガタッ


 建物が大きく揺れ出した。びっくんと体が浮いてテッペイにしがみつく。


「きゃーーーー、もういやーーー!! テッペイと一緒に寝る! 一緒に寝てぇええ!!」

「おい落ち着けって、地震だっつの!」


 テッペイの言葉は右から左に通り抜ける。

 揺れる視界。恐怖のあまり、両目から涙が勝手にドバドバ溢れてくる。


 カタタタ……カタ、カタ……


 振動が収まり、はぁはぁと肩で息をするルリカ。

 テッペイはギュッとルリカの頭と腰を抱きしめてくれている。


「結構デカかったな、大丈夫か? ルリカ」

「いいいい、今の、ポルターガイスト……ッ」

「ただの地震だっての」


 そう言ってテッペイはスマホを取り出して、画面を見せてくれた。


「震度、さん……」

「ここ、七階だからなー。結構揺れるよな」

「霊が起こした地震?!」

「んな幽霊いたらすごすぎだろ!」


 抱きついて離れられないルリカの頭を、よしよしと撫でてくれるテッペイ。なんだか、とてもたくましく見える。


「テッペイが、こんなに優しいなんて……」

「エッチするって約束したしな!」

「うっ」

「泊まるんだろ、俺の部屋」


 チラリと振り返って、自分の部屋を覗く。地震のせいなのか霊のせいなのか、閉じていたスケッチブックが開いていて、ゾッと身震いした。


「テッペイの部屋に泊まる!! 私の部屋、ほんっと無理ッ!!」


 ルリカがそう叫ぶと、テッペイは嬉しそうにニヤついていた。

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