19.妊娠
ある日、ルリカはテッペイと共に、午後七時から始まるいつものバレーの練習にやってきた。
ルリカはよくミジュの練習に付き合い、一緒にトスをしている。日中は漫画を描くか読むことしかしていないので、こういう腕や肩を動かすのはいい運動になる。
体育館の端でトスをしたり打ち合っていると、結衣がやってきて「ちょっと聞いてもらいたいことが」とルリカたちを呼んだ。
「どうしたの、結衣ちゃん」
ルリカがあげたボールをミジュがパシッと受け取って、結衣の所に集まる。結衣は自分のお腹に手を当てて、はにかんでから口を開いた。
「あの、実は、私……」
「なに?」
「妊娠、したんです」
「「ええ?!」」
ルリカとミジュから驚きの声が上がった。
結衣は製菓専門学校を、来月で卒業だ。つまり今はまだ、学生という身分である。
「え、相手は……あの、大和くんだよね?」
練習試合でスパイクを決めている
付き合っているとはいえ、まだ結衣は二十歳の学生である。まさか大和が妊娠させてしまうなんて、思ってもいなかった。
「もちろん、大和さんが相手ですよー、決まってるじゃないですか!」
嬉しそうに言っているところを見ると、産むつもりなのだろう。まぁ相手が大和ならば、経済力もあるしまったく問題はないのだが。
「結婚するの?」
ミジュが問い掛けると、結衣は嬉しそうに笑った。
「はい。私が卒業して、四月に入ってからですけどね」
「わああ、いいなぁ!」
そう声を上げたのは、ルリカではなくミジュだ。ミジュは拓真というミッドブロッカーの若い男の子と付き合っているので、ルリカにしてみればミジュも十分『いいなあ』の範囲内なのだが。
「ミジュさんは、タクマといつ結婚するんですか?」
結衣は幸せオーラを撒き散らしながら聞くも、ミジュは顔を沈ませた。
「えー、私はまだまだだよ……拓真くん、しばらく修行しながらお店を開くための資金を貯めるんだって。結婚は待たせることになると思うって、付き合うときに言われちゃってるの」
「あ……そうなんですか……」
二人が肩を落とした姿を見て、ルリカは贅沢だなぁと思う。
将来をちゃんと見据えている若人が、結婚の約束をしてくれている。それだけでとんでもなく幸せなことだと、二人はわかっていないのだ。
テッペイなど、妊娠しても結婚してくれるかわからない上に、結婚したとしてもちゃんと働いてくれるかはまったくの謎である。将来の見通しがゼロ人間は、テッペイがナンバーワンに違いない。
はぁ、とルリカが息を吐くと、結衣がニマニマ笑いながらこちらを見ていた。
「……なに、結衣ちゃん?」
「うふふ。私、今日更新された大地コミックの『ダメクズ』、読んじゃったんですよー」
「え、ええええーー?!」
いきなりの結衣の告白に、頭がついていかない。結衣は以前、読まないから安心してくれと言ってはいなかっただろうか。
「ダメクズって?」
「ほら、前にルリカさんが言ってた、大地コミックの漫画エッセイですよ。タイトルが『ネットでダメ男はリアルもクズ男でした』で、略してダメクズです」
「えー、結衣ちゃん読んでたの? ずるいー、私も読みたかったけど我慢してたのにー!」
「だってー、ルリカさんと鉄平さんがどうなってるのか、気になるじゃないですかぁ」
語尾にハートマークをつけるようにしてクスクス笑っている結衣。
今日の更新部分は……矢日子山で、テッペイに無理矢理キスされた話だ。くらっと目眩がしてきた。
「すみません、勝手に読んじゃって」
「いや、うん、誰でも読めるようになってるし……ってか、課金して読んでくれてるんだよね。ありがとね」
「平気ですよー、動画みたりアンケート答えたりして、コインで読んでるんで」
大地コミックは、動画を見たりアンケートに答える事で、コインを貯めることができる。それがお金の代わりになるのだ。
しかしルリカはしょっちゅう更新している上に、最初の六話以外は全て有料のため、それだけでは賄えずにお金も投入させてしまっているだろう。
学生に申し訳ないなと思いつつも、それが収入になるのでありがたい。
「で、キスされてからどうなったんですか?!」
結衣がワクワクと聞いてきた。あんなところで終わったら、確かに先が気になるに違いない。そういう引きで終わらせているのだから、当然だ。
「えーー、ルリカさん、緑川さんとキスしちゃったんですか?! ちょっと待って、私も読みたいー! 読んでいいです?!」
「あー、もう、勝手にどうぞ……」
そう言うとミジュは喜び、結衣とキャッキャと盛り上がりを見せている。そして練習そっちのけで課金済みの結衣のスマホを覗き、読み始めてしまった。
そのテンションにどうにもついていけず、フラフラと彼女たちの輪を抜けたルリカは、オカシな国対おじさま〜ずの練習試合を見にいく。
「どうしたんっすか? ルリカさん」
コート横で待機しているリベロの晴臣が、ルリカに気付いて話しかけてくれた。
「いや、女の子って、すごいなぁって思って……」
「ルリカさんも女の子じゃないっすか」
「いや、私もう枯れてるから」
「全然枯れてないっすよ。なに言ってるんですか」
ピッ、と音がして、テッペイがサーブをする。全身バネと言っても過言でないほどのテッペイのジャンプサーブは強烈だ。
高く飛び上がって大きくしなったかと思うと、くの字に体が折れ曲がる。相手チームが手に触れるも、取りきれずにドゴンと吹っ飛ばされている。
「相変わらず強烈っすねー、鉄平さんのジャンサー!」
しかしその直後のサーブは大ホームランだった。決まる時と決まらない時の差が激しいのもまた、テッペイである。
「ね、晴臣くん」
「なんですか?」
「テッペイって、バレーすごい方?」
「すごいっすよ。バレーの競技指導の資格も持ってますし」
「ええ? そんな資格持ってたの?!」
「知らなかったんですか? あ、すんません、交代だ」
そう言って晴臣はコートの中に入っていき、代わりにテッペイが出てきた。
「お、ルリカ! 俺のサーブ見たか?!」
「見たよ。大ホームランだったね」
「そっちちげーーしっ!!」
テッペイが怒るのを見て、ルリカはクックと笑う。膨れっ面のテッペイは子どものようで、この男がバレーの競技指導の資格を持っているとは、夢にも思っていなかった。
「今晴臣くんに聞いたけど、バレーの指導員の資格持ってるってホント?」
「そーいや、そんなのあったなー」
テッペイは興味なさげにゴキュゴキュとスポーツドリンクを飲んでいる。
「せっかく資格あるんだから、そういう仕事に就けばいいのに! バレー好きでしょ!」
「俺は人に教えるより、自分でやる方が好きなんだよ。スポ少とかこの辺のコーチはほぼボランティアで金になんねーし」
確かに、テッペイが誰かにものを教えている姿はちっとも想像つかない。じゃあなんで指導員の資格をとったのかと言いそうになったが、黙っておいた。
「他になにか資格持ってないの?」
「あとはスキーのインストラクターくらいだな」
「スキー……うーん、期間限定かー」
テッペイの得意なことで楽しく仕事ができればと思ったが、中々上手くはいかないらしい。
視線をテッペイからコートに戻すと、大和の姿が目に入った。
「そういや結衣ちゃんのこと、大和くんに聞いた?」
「あ? なにを?」
「結衣ちゃん、妊娠したんだって」
「マジ?! くっそーー、大和さん、結衣ちゃんと生でヤったのかよーー!!」
「ちょ、そういうことを叫ばない!!」
テッペイが叫んだせいか、バックアタックをしようとした大和が、盛大にミスをしていた。ピッと笛がなって相手にサーブ権が移る。
「ちょっと聞いてくれよみんな! 大和さんが結衣ちゃんを孕ませたらしいぜ!」
「な、テッペイ! 試合中になに言ってんのよ!」
ルリカが
「まじっすか!」
「結衣が妊娠?!」
「大和さん、父親になるんですねー!」
「大和、結婚するのか?」
「はい。結衣が卒業して、四月になったら必ず」
「おめでとうございます、大和さん」
練習試合はそっちのけになって、相手チームからもお祝いの言葉が掛けられている。
大和はとても照れ臭そうに笑っていたが、その顔はとても男らしくて。
隣で「くっそー、生でヤれるなんて羨ましい」と恨みがましく言っている男を見て、ルリカは息を吐きたくなった。
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