08.漫画エッセイ

 ふわふわと景色が揺れる。

 夢の中で、夢だと認識したルリカは、その心地良さに身を委ねていた。

 誰かに体を優しく触れられているような気持ち良さ。

 胸や、脚や、そして……


 ガバッ。


「お、ルリカ、起きたか」


 悪びれないテッペイの顔。今彼は、一心にルリカの生足を触っていた。なぜかパンツ丸出しで、そこにあったはずのジャージは足首のあたりに絡まっている。


「ちょ、なにしてんのよーー! 脱がすな、触るなーー!!」

「ち、ちげーーって!! 俺のジャージのウエストが緩かったんだろ! 朝起きたらお前が勝手に脱いでたっつの!! 俺はやってねー!!」

「とか言って、触ってんでしょーーが!!」

「生足が目の前にあったら触れってのがじいちゃんの遺言だ!!」

「あんたのじいちゃん、ろくなこと言わないね?! ってか、胸も触ったでしょ!!」

「だってそこに胸があるんだぜ!!?」

「そこに山があるからみたいな言い訳すな!!」


 慌ててジャージを履き、急いでベッドから飛び降りる。やはり、この男と一緒に寝るのは危険だ。


「んだよ、そんなに逃げなくてもいーじゃんか」

「なんで逃げてると思ってんの!」

「一発やれば慣れるだろ。ヤろうぜ」

「それがダメだっつってんの! ってか、テッペイは今日バイトじゃなかった?」

「めんどくせーからサボる」

「バカッ!! 職場に迷惑かけるんじゃない! 早くご飯食べて行きなさいっ」

「っち」


 テッペイは心底嫌そうに立ち上がって台所に向かった。

 なにを食べる気だろうと見ていたら、レンチンの白いご飯、冷凍の豚ロース生姜焼き、コンビニで買ったであろう野菜サラダ、ゆで卵、その上に大豆の水煮を大量にかけて食べている。


「朝からお肉なんか食べるの?!」

「ルリカも食べるか?」

「いや、私、昨日食べ過ぎたしあんまり……サラダだけもらっていい?」

「おー」


 サラダが入っていた蓋に取り分けてくれ、ルリカはそれを食べる。おいしくないわけではないが、ドレッシングの量が少なくて物足りない。


「んで、ルリカはいつ引っ越してくんだよ」


 何度も断ったというのに、この男の耳に都合の悪いことは聞こえない仕様になっているらしい。


「あのね、引っ越さないってば。そりゃ……魅力的な話ではあるけど……」

「頼む、ルリカ! めっちゃ困ってんだよ! 一緒に住んで、家賃半分払ってくれ!」

「困るような家に住むくらいなら、家賃の安い家に住みなさいよ?!」

「色々俺にも事情があんだよ!」


 それは、ここの家賃が安いことと関係があるのだろうか。

 鳥白市の物価はよくわからないが、家賃が十万円してもおかしくない物件だとは思う。

 しかしそれがどんな理由であれ関係のないことだ。ルリカは、この家に住むつもりなどないのだから。


「とーにーかーく! 私はもう帰るから!」

「ちぇ、わかったって。でもまぁ、また遊びに来るだろ?」

「うん。またそのうちね」

「同棲したくなったら、いつでも連絡くれよー」

「同居でしょ。ま、気が向いたらね……」


 テッペイは少しふてくされているような顔をしていたが、それ以上の無理を言われることはなかった。


 こうしてルリカは、テッペイとの初めてのオフ会を終わらせたのだった。



***



「はーー、疲れたー!」


 どすんと買い物した荷物を床へと下ろす。

 重い漫画本を抱えて、電車に乗りバスに乗り、周りが山と畑ばかりの家へと帰ってきた。

 建て付けの悪い雨戸をガタガタ揺らしながらこじ開け、ゴロリと床に寝そべる。

 一日家を開けていただけなのに、なんだかすごく懐かしい気がした。テッペイと会った一日が、色々とあり過ぎたためだろう。


「今日はネタ、いっぱいあるなぁ。よし、頑張って仕事しよ」


 ルリカの仕事は、漫画エッセイを書くことだ。

 〝大地コミック〟という漫画サイトに投稿して、その広告収入で生活している。それ以外にも、ブログを書いて投稿したりして、そのアフィリエイトも収入源だ。

 最近の漫画エッセイは多岐に渡り、引きこもりエッセイだとか、セクハラやモラハラされた人のエッセイ、定番の婚活エッセイ、BLごっこエッセイなど、多種多様である。

 そんな中でルリカは、ゲームの漫画エッセイを描いて投稿していた。

 読者数は悪くはないが良くもない。いつも最新三話分だけを有料にしているのだが、そこまでして読もうという人は少ないのだろう。

 各話の訪問者数を確認すると、だいたいが無料話だけ読んでいる状態であった。それでも収入になるのだから、見てくれることはとても有り難いのだが。


「うーん、今までの続きで書くんじゃなくて、新しい連載として描こうかなぁ」


 今回のテッペイとの話は、旧エッセイの客を引き込みつつ、新連載と称して新しい読者層を取り入れたい。

 どこまで集客できるかは、わからなかったが。


「タイトルは……『ネットでダメ男は、リアルもクズ男でした』でいいかな」


 インパクトに欠けるだろうかと思いつつも、結局はこれで行くことにした。

 そう、テッペイとのやり取りのあれこれを、赤裸々に描いて漫画にするのだ。

 少し恥ずかしい気もするが、こういうことを仕事にした以上、恥ずかしがってなどいられない。なんでもネタにしてしまわなければ。

 それに、ルリカ自身、思い出に残すために描いておきたい気持ちもあった。

 ちなみに、前の漫画エッセイを描き始める時に、テッペイを出演させる許可は得ている。ゲーム漫画エッセイを描くために、固定パーティーを組んでいたテッペイを出すのは必須だったからだ。

 その時はテッペイが本名だとは知らず、そのままの名前を使ってしまったが、今回はどうしようかと頭を悩ませる。しかし、このゲームキャラの中の人と会うという話になるのだから、旧読者を引き継ぐためにも結局テッペイという名前を使わせてもらうことにした。


 一話目は、ルリカが駅に降り立って探し回り、テッペイが寝坊したとわかるところまで。

 二話目はテッペイが走ってやってきて、熱いからと真冬に半裸になり、ルリカの胸を揉むところまで。

 そうやって少しずつ区切っていって、八話までをラフで書き上げた。それでもまだ、クリスマスパーティーまでも辿り着けなかったが。


 とりあえず三話までを仕上げて投稿し、無料公開にした。

 次の日は、四話と五話と六話を無料公開。

 また翌日は、七話目を投稿し、これは有料公開に設定してみる。八話目を投稿した時には、そっちを有料にして、こちらは無料に切り替える予定だ。

 どうせみんな、無料公開まで待つのだろう……と、ルリカはそう思っていた。

しかし、話別の訪問者数を確認をすると、驚いたことに七話目も相当読まれていた。つまり、課金して読んでくれている人が多かったのだ。


「えええ、ホントに?!」


 今まで、こんなに読者に課金してもらったことはない。ちょうど、無料公開の六話目が、エロ本を読んでいたテッペイに襲われそうになったところで終わっていたからかもしれない。

 根本的な読者数も、ゲームエッセイを描いていた頃の比ではなかった。三倍以上の読者数に膨れ上がっている。


「え、うそ……これ、いくらになるんだろ……」


 ドキドキと心拍数が上がる。

 単純に考えて、漫画エッセイの収入だけで三倍にはなるはずだ。

 ブログの方で漫画エッセイの宣伝をしていて、そちらも確認してみる。漫画の投稿サイトは作者に直接感想を書けない仕様になっているので、ブログの方で感想を書いてくれている人が多かった。


『テッペイさんと、とうとう会ったんですね。前のエッセイから追いかけています。最初からテッペイさんらしくて笑っちゃいました!』

『ヤりたいだけの男だと思います。気をつけてください』

『テッペイのめっちゃファンです! リアルもクズ! テッペイ最高!!』

『胸糞の悪いエッセイ。女も尻軽』

『初めまして。面白そうなエッセイなので追いかけます。テッペイさんと一緒に住むのか、楽しみにしています』

『同棲しちゃえー!』


 ブログのコメントは、いろんな感想で溢れかえっている。

 もちろん、好意的なものばかりではなかったが、それも人気が出ている証だと思うことにした。


「テッペイ、前のエッセイでは結構人気だったんだよね……」


 いつも、テッペイの無茶苦茶な行動が、読者にウケていたのだ。

 今回はゲームではなく、リアルの話。だから余計にウケているのかもしれない。


 八話目を描いて投稿し、有料公開にした。七話目は無料に切り替える予定だったが、そのまま有料にしておく。

 もしかしたら七話目は気まぐれで課金してくれたのかもしれない……そう思ったが、八話目も課金者が多かった。

 次の日も、次の日も、そのまた次の日も。

 毎日描いて有料公開したが、読者は減るどころか増えている。

 しかし、このままではネタが尽きてしまうだろう。一時的にだけ読者が増えても、仕方がないのだ。


 続けなきゃ。


 ルリカは携帯電話を手に取ると、スルスルと入力していく。


『同居の件で話があるんだけど、今度会いに行っていい?』


 そんなメッセージを、ルリカは迷いなく送信した。

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