第8話 疑念


 あの日から、かえではどうにかして休めないかと動き回った。

 休日になっているスタッフにも再度声をかけ、何とか出てもらえないかと頭を下げた。

 他店舗からヘルプを回してもらえないか、店長にも相談した。

 しかし、希望は叶えられそうにない空気だった。


 人手不足な状況も改善しなかった。中々ホールから抜け出すことも出来ず、その他の業務は、シフトが終わってからでないと手をつけられない状態が続いていた。

 それに加えて、ホールリーダーが急病で入院することになり、楓はリーダーの業務も引き継がなければならない状況に陥っていった。


 限界だった。


 何もなくても、楓一人でこなせる量を超えていた。

 その上彼女の両肩には、楽園秋祭りというプレッシャーが重くし掛かっていた。


 あれ以来、楽園での空気は日に日に重いものになっていた。

 住人たちもどこかよそよそしくて、これまでのような居心地の良さはなくなっていた。

 深夜家に戻った楓は一人、ぬいぐるみを抱いて涙を浮かべるのだった。





 秋祭り前夜祭当日。

 夕刻より、集会場で宴会が催されることになっていた。


 参加出来る時間には帰れそうにない。そう思いため息をついていた楓の元に、店長が現れた。


西條さいじょうさん、ちょっといいかな」


「はい、どうかされましたか」


「今日のシフトは確か、中番だったよね」


「はい。ですのでそれが終わってから、棚卸をしようと思ってるのですが」


「そのことなんだけどね……棚卸はいいから、今日は定時であがってほしいんだ」


「定時ですか? でも棚卸は」


「それはこちらで何とかするから。西條さんには随分無理を言ってるし、少し任せ過ぎたと反省してるんだ」


「……定時であがれるのは助かるんですけど、でもリーダーも入院されてますし、私一人がそんな勝手なこと」


「とにかく今日は定時、定時で帰るように。あと以前言われてた件だけど、明日も休みにしておいたから」


「ええっ? そんな、急にどうしてですか? どうやっても明日の人数、足りないじゃないですか」


「大丈夫、大丈夫だから。こっちのことは気にせず、明日は希望通り、休んでくれていいから」


「……」


 違和感しか感じられない店長の言葉に、楓は不信感を抱いた。どう考えても明日、自分がいないと店は回らない。棚卸業務だって、5分10分で終わるようなものではない。誰が代わりにやると言うのか。

 そんな疑念を抱く楓だったが、とにかく今日は帰ってくれという店長の勢いに押され、


「……分かりました。では今日は、定時であがらせてもらいます」


 そう言って頭を下げたのだった。





 退勤時刻になり着替えた楓が、タイムカードを押しに事務所に入ろうとしたその時、中から店長の声が聞こえてきた。

 誰かと電話している様子だった。

 いつもなら邪魔にならないよう、静かに入ってタイムカードを押すのだが、なぜか入ってはいけないような気がした。

 楓はドアの前に立ったまま、中の様子をうかがった。


「はい、はい……ですからエリア長、私にも何が何だかさっぱりなんです……確かに西條くんには、ホール以外でも色々と業務を任せてました。ですがそれは、彼女も同意の上なんです……それに残業と言っても、法定時間の範囲内ですし、何らやましいことはありません……事務作業や仕入れ業務にしても、彼女が自分の意思で、タイムカードを押した上で自主的に残ってくれていたんです……はい、はい……勿論、彼女に甘えていたことについては、反省しなくてはいけないのですが……」


 自分のことについて、この辺りを統括しているエリア長と話しているようだった。


「ですがまさか、本社にその様な苦情が行くとは……しかも大量に……」


「え……」


 思わず声が漏れた。

 苦情って何のこと?


「はい、はい……ですので今日からしばらくは、何があっても定時で帰らせるように致します……明日も人手が足りないのですが……通報するとまで言われたら、仕方ないと思います……はい、勿論です……西條くんのことはともかく、そんなことで監査が入ったりしたら、色々と面倒なことになりますし……」





 楓はその場から、逃げるように走っていった。

 頭の中を様々な疑問が渦巻き、混乱した。


 何、今の話。

 通報ってどういうこと?

 それに今のって、全部私のことだったよね?

 誰がそんなことしたの?

 私、そんなこと望んでないのに。

 一体誰が?

 何の為に?





 気が付くと駅の前だった。

 楓は思わず前屈みになり、口を押えた。

 吐きそうだった。


 その彼女の背中に、誰かの手がそっと添えられた。

 慌てて振り返ると、そこには楽園の住人、北見ちづるが立っていた。


「大丈夫?」


「ちづる……さん……」


「ひょっとしたらって思って声をかけたんだけど、やっぱり楓ちゃんだった。どうしたの楓ちゃん、気分でも悪い?」


 見るとちづるの傍には、ぬいぐるみを抱いた千春もいた。


「私……私……」


 ちづるの顔を見た途端、楓の中に不思議な感情が生まれた。


 安心感と疑念。


 本社に届いたという大量の苦情。

 それが誰によるものなのか。

 認めるのが怖かった。

 でも、考えるまでもないことだった。


 自分が残業して不快に思う人。

 秋祭りを欠席して、気分を害する人たち。

 そう。楽園の人たちだ。

 秋祭りに参加させる為、彼らが動いたんだ。


 そしてちづるさん。

 どうして今、ここにいるの?

 もう前夜祭、始まってるよね。

 宴会大好きなあなたが、どうしてこんな所にいるの?

 私に会ったのは、本当に偶然なの?


 考えてみれば、これまでもそうだった。

 祥太郎しょうたろうさんを始め、楽園の人たちと何度となく会った。


 こんな偶然あるんだね、そう言ってみんな笑っていた。

 でも、本当に偶然なの?

 電車で二駅の場所。私が仕事を終える時間にたまたま会うなんて、そんな偶然、本当にあるものなの?

 そう思うと膝が震えてきた。

 立ってられなくなってきた。


「楓ちゃん? 大丈夫?」


 ちづるの心配そうな声が聞こえる中、楓の意識はそこで途絶えた。






 本当に偶然なの?

 あなたたちって、一体何なの?



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