第6話 事件


 カレーフェアの大成功は、かえでの生活を大きく変えた。


 これて十分です、これ以上ご迷惑はかけられませんと断ったのだが、乗りかかった船だ、もう少し協力しようと東野ひがしのが買い取ったチケットは、最終的に300枚にもなっていた。


 住人たちはチケットを手に知り合いの元へと奔走し、連日店は客で賑わったのだった。そして住人たちは、チケットの販促と並行して店の宣伝にも努め、フェア以来、店は大繁盛していったのだった。


 業績を右肩上がりにした最大の功労者として、楓は入社5か月にしてホールのサブリーダーに昇格した。

 通常の業務に加え、スタッフ管理や仕入れ、在庫管理等も彼女の担当になり、楓は慌ただしい毎日を送るようになっていった。


 シフトが終わった後も、居残り業務に励む多忙な日々。しかし楓は、そこに喜びを感じていた。

 家に帰れば、楽園の住人たちが温かく迎えてくれる。自分の昇進を我がことのように喜び、祝賀会まで開いてくれた。


 毎日が充実していた。

 こんな日がずっと続いてほしい、そう思った。





 ある日、事務処理で帰宅が遅くなった楓は、近所のコンビニで夕食を買っていた。


 最近、こんなのばっかりだな。

 それに、楽園の集会にも顔を出せていない。

 忙しいのは仕方ないことだし、それにみんな、自分のことを応援してくれている。でも……いや、だからこそ、何か恩返しがしたい。

 せめて週に一度の集会には顔を出したい。それにもうすぐ、楽園の敷地内で秋祭りが催される。今、住人たちはその準備に大忙しだ。

 それなのに自分は、仕事を言い訳に参加出来ていない。

 今の自分があるのは、楽園のみなさんのおかげなんだ。それを忘れてはいけない。

 そんなこと思いながら、楓は小さくため息をついた。





「おねーさん、一人?」


 店を出た楓に、入口でたむろしている三人組の男が声をかけてきた。


「……」


 無視だ、無視。

 こんな時間に、コンビニ前でたむろしてる男。碌なものじゃない。

 こういうのは関わったら負けなんだ。相手にしないでやり過ごす、それが一番なんだ。

 そう思い、楓は彼らを無視して歩き出した。


「ちょっとちょっとお姉さん。どうしたの、そんな怖い顔して」


「無視しなくてもいいんじゃない? お姉さんが綺麗だから、声かけただけなんだし」


 楓の前に立ちはだかり、ニヤニヤと笑みを浮かべる。


「……どいてもらっていいですか。急いでますので」


「ははっ、やっと喋ってくれたよ。でも折角なら、もっと優しい言葉がいいなぁ」


 そう言って腕をつかむ。


「一緒に遊ぼうよ。きっと楽しいよ」


 強引に腕をつかまれた楓は、その力と圧に恐怖した。




 どこまでも続く田園風景。長閑のどかな場所で育った楓。

 そんな彼女にとってここは、物騒極まりない場所だった。

 ニュースで取り上げられる凄惨な事件。そのほとんどが、今自分が生活している様な都会で起こっている。

 しかしこれまで、彼女はその怖さを忘れていた。

 いつも自分の周りには、楽園の人たちがいたから。


 守られていることに慣れてしまってた自分。

 どうしてこんな時間に、一人で来たんだろう。

 後悔と恐怖が彼女の心を覆った。





「楓ちゃん? 大丈夫?」


 耳に飛び込んできた優しい声。

 正に今、自分が欲していた声。

 祥太郎しょうたろうだった。


「助けて!」


 男の腕を振りほどき、楓は祥太郎の元へと駆け寄った。

 彼の背中に顔を埋め、安堵のため息を漏らす。


「おいおいお前、いきなり来てそれはないんちゃうか」


 先程とは打って変わり、好戦的な声で威嚇する男たち。

 そんな彼らに呆れた顔を向けながら、祥太郎が楓の手を優しく握った。


「ごめんね、怖い思いをさせちゃって」


 その声があまりにも穏やかで、あまりにも温かくて。

 楓は肩を震わせながら何度もうなずいた。


「おいお前、何シカトしとるんじゃ!」


 小さく息を吐いた祥太郎は、努めて穏やかな口調で男たちに言った。


「……一度だけだよ。一度しか言わないから、ちゃんと聞くように。彼女は僕の大切な人だ。その彼女をこんなに怯えさせるだなんて、とても許せることじゃない。

 でもまあ、彼女はこの通り、眉目麗みめうるわしい女性だ。お近づきになりたいのもよく分かる。だから……今すぐこの場から立ち去るなら、これ以上何もしない」


「何を格好つけとるんじゃごらあっ!」


 祥太郎の言葉に、男が苛立ちの感情をぶつける。

 すると祥太郎はもう一度息を吐き、小さくうなずいた。


「……分かった。それが答えなら、仕方ないね。さ、楓ちゃん、帰ろう」


 楓の肩に手をやり、祥太郎が男たちに背を向ける。


「待てやおらあっ! 何勝手にまとめとるんじゃ!」


 突っかかって来る男たち。しかし祥太郎は歩く速度を緩めることなく、楓を抱き寄せたまま楽園へと向かう。


「大丈夫かい?」


「う……うん……」


 祥太郎は手を楓の耳に近付け、そっと塞いだ。

 その楓の耳に僅かに、男たちの怒鳴り声が聞こえた。


「何……何が起こってるの?」


「楓ちゃんは聞かなくていいんだ。何も心配いらない。君のことは、僕たちが守るから」


 怒鳴り声に交じり、悲鳴が聞こえる。

 何が起こっているんだろう。

 そんな思いがよぎったが、振り返ることが出来なかった。


 それよりも今は、祥太郎の温もりを欲していた。

 楓は目をつむり、ただただその温もりに身を委ねた。







 数日後。

 身元不明、三人の死体が発見された事件が、小さく報道された。



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