第3話 幸運
コロナ感染者の速報はとにかくしんどい。
小説家になるなんていう、夢を叶えられなかった事実よりもずっと苦痛で、底なし沼のように悪夢が続いている。
その冬枯れの昼下がり、私は心療内科へ通院していた。
もうすぐ、バレンタインデーなのに駅前の百貨店は閑散とし、人通りもまばらでちっとも賑わっていなかった。
私が受診するようになってから担当の主治医だけには拙作を読んでもらったことがあった。
義理チョコで主治医に手作りのチョコレートを送ったのも今は昔、コロナ禍になってから新規の受診者が増え、待ち時間も長くなったせいか、もう前のように長い時間、交流するのもままならなくなっていた。
コロナが拡大し、医療が逼迫する中、主治医の安否はたまらなく心配になる。
受付を済ませ、問診になると主治医は私に信じられない言葉を口にした。
「知り合いの編集者にたまたま、あなたの書いた作品を見せたらすごく褒めていてね。必ず書くことを続けたら芽が出るよ、と言っていたよ」
先生は心理系の出版社から何冊も本を出版し、知り合いにも編集者は多い。まさか、とは思っていたものの、思いがけない幸運に私は鳥肌が止まらなかった。
いつかの銀髪の青年の台詞を思い出した。
幸運はまだ続いた。
自動販売機でココアの缶を買ったら、おまけでもう一本当たったのだ。
コロナ禍で多くの人が陰鬱になっているのに、私は小さな幸せを噛み締められている。
ああ、これのことを彼は言っていたのか。
問診後、私は主治医にお礼を言い、アパートに帰宅すると恐る恐る、隣の部屋へピンポンを鳴らした。
もちろん、そんな迷惑行為をしたら怒られる、と分かっていたものの、彼にありがとう、と何としてでも言いたかったのだ。
チョコレート色の夕闇が迫っていたので諦めかけたそのとき、ドアが開いた。
ドアから銀髪ではない、凛々しそうな顔立ちの青年がひょっこりと顔を見せた。
「すいません、この前の」
私がしどろもどろに答えると青年は知り得たように苦笑した。
「ああ、隣人さんね」
中からは甘いチョコレートの香りがした。
バレンタインデーが近いとはいえ、一人暮らしの男性がチョコレートを自作するとは、珍しいな、と見惚れていると、彼の顔にチョコレートの染みが付いていた。
「ここ。付いていますよ」
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