第9話 大きな国の王様・2




 赤へと向かう俺を、誰も咎めようとしない。念のために側近の男を一瞥すると、微かに頷きを返してくれた。俺が一歩踏み出すことにザッと一歩下がる貴族共は放置して、赤の飛沫の目の前に立った。

 クレブス、と言う名の貴族だったはずの頭を見る。高貴な身分には不相応に荒れた肌は小汚くて、眉を顰める。折角美しい赤を流すのに、本体がこれでは勿体ない。人目がなければ蹴り飛ばしている所だが流石に殺されそうなので放置だ。


 殿下以外の全員の視線が俺に集中していて若干の気まずさを覚えつつも、俺は赤を【凍らせていく】。【火】と対極にある【水】が珍しいようで、離れつつも此方を見ていた貴族達が息を呑んだ。

 ピキッ、パキッ、と氷が割れる心地の良い音に、笑みが零れる。


 ーー初めて己の手から氷の結晶が零れ落ちた瞬間だけは、忘れられずにいる。



「……な、何をしているんだい、君は……」

「……」



 俺の行動を最も近くで見ることになった見目麗しい貴族の男が声を震わせている。何って、綺麗なものを綺麗なままにしておくだけのことだ。

 真紅の氷を、自分なりに洒落た装飾になるよう構築していく。折角大量に出血しているし、小刀にでもしてみようか。装飾品だと呪われそうだし。


 真紅の水溜まり全てを使って創った小刀の柄を掴み、眺める。新鮮な動脈血がたくさん流れたからか、その刀身は半透明に澄み切っている。綺麗に構築するために空気中の水蒸気の力も借りたから希釈された可能性もあるが。

 完成品に満足した俺は、ゆったりと側近の男の方を振り向いた。



「綺麗です?」

「えぇ、とっても。なんて神秘的で美しい……」



 息を詰めたまま何度も頷く側近の男に、俺も頬を緩める。ついでに新たに血を流しそうとする胴体と頭の接合部分をそれぞれ氷で覆っておく。こうした方が掃除も楽だろう?

 とはいえ、これをどうしたものか。この国の人間で創られた剣なら、所有権はこの国の人間になるのが当然だ。しばし小刀を見つめたまま迷っていると、そんな俺の思考を読んだのか、側近の男が再び声をかけてきた。



「ーー陛下が、貴方の技術に関心を持たれたようです。その小刀を頂くことは出来ますか?」

「勿論ですが……一応念の為に……素材は血液ですが、国王陛下への捧げ物として相応しいのでしょうか」

「えぇ、陛下のご希望ですから」

「……では」



 殿下に一言許可を取って、前に出る。同じように一歩前に出た側近の男に真紅の小刀を手渡せば、彼は穏やかな微笑をたたえてそれを受け取った。近くに寄ったことで、10人男達と国王の視線が益々ビシビシ突き刺さってくるが、気付いていないことにする。

 しかし、小刀にしたとはいえ氷であることに変わりはないので、「恐らく自分の手を離れたあと、一日も経てば溶けて血液戻るかと……」とだけ告げておく。厳密には血液を剣として保持しておくことは可能だけれど、それには魔法具化しなければならないので。それは目の前の男も分かっていたのだろう。静かな頷きだけがかえってきた。


 いそいそと殿下のもとに戻ると、何処か呆れたような彼と視線が合う。『悪趣味な……』とでも言いたげな様子だ。この技術、案外便利なんですよ。主に戦場で。



「素晴らしい【氷魔法】ですね。素晴らしいものを見せていただき光栄です。確かに貴殿ほどの実力者であれば、護衛騎士を増やす必要はないやもしれません」

「……身に余るお言葉でございます」

「どうぞご謙遜なさらず……あぁ陛下。此方をどうぞ」



 当初とは比較にならないほど機嫌の良さそうな側近の男によって手渡された小刀を、国王の白磁の様な手が受け取る。度々戦を経験していると言うだけあってごつごつと剣豆が出来てはいるが、それでも傷一つない美しい手には違いなかった。

 ーーそれはつまり、彼の手に傷を付けられた敵はいないということ。


 色白の手が真紅の小刀を撫でる姿をぼんやりと見つめる。貴族共の何人かがほうっと陶酔したように溜息を吐くから、きっとその顔面も相まって相当に美しい光景なのだろう。とはいえ、俺はじろじろと国王を見て良い身分にないので、その光景を拝むことは出来ないのだが。

 刀身を撫でる手は、その手の主にまつわる噂話にそぐわぬほど丁寧だった。静かで、穏やかで、艶やか。刀身に残った自分の魔力を直接撫でられている様な気分になって、ぞわりと変な感覚になる。……いやいや、何を考えているんだ俺は。


 俺の手を離れたのだから、感覚共有などないはずなのに。

 するりと柄を撫でる手からバッと目を逸らし、伏せる。なんかぞわぞわする手つきやめろ。



「随分と……お気に召したようで何よりです陛下」



 そう静かに声をかける側近の男に、国王は手を止める。「……あぁ」と耳に響く低音で呟いた彼は、小刀を己の顔面の前まで持ち上げた。全ての装飾を見逃さぬとばかりに目を凝らすその仕草に、またしても何故かぞわりと怖気が走る。

 


「……クレブスの魔力が宿っているな」

「えぇ。火属性も消えていないのが分かります。護衛騎士殿、これはどのような仕組みですか?守秘義務がなければ是非教えていただきたい」

「…………」



 なんだか面倒なことになってきた。とはいえ、ここで反論などすれば今度は俺の首がプッツン行かれることは目に見えているので、素直に口を開く。

 

 血液には魔力元素が豊富に含まれているので、血液を氷魔法で結晶化すると、血液の持ち主の魔力元素もそのまま結晶化される。ただ、結晶化されることによって【封印】に近い状態になるので持ち主の魔力元素を扱うことは今のところ出来ない。目下研究中である。行き詰まってるけど。

 とはいえ魔力は消えずにそこに宿り続けるので、彼を惜しむ遺族がいれば、彼の名残が明確に残り続ける遺品として渡すことなどが出来る。地属性ばかりのフローライト王国で異端の水属性が受け入れられる為には有効な手段だった。


 そんなことを懇切丁寧な口調で話しきれば、じろじろと俺を見ていた男達は感心したかのように息を吐いた。



「では、クレブス様の魔力は、この小刀が生きている限りは消えることがないと」

「はい。氷が溶けてしまえば、自然と空気中の魔力に還っていきます」

「この小刀で、ものを切ることは?」

「出来ますが、肉体を切れば血が混ざって感染症などで死に至りますし、ものを切ろうとすると血が滲みます」

「成程、暗殺や拷問向けですね」

「…………そ、ういう意図で渡したつもりでは……」

「あぁ、分かってます分かってます」



 何を言うんだこの男。案の定「陛下を暗殺するつもりか」と貴族共が警戒の眼差しを向けてくる。勘弁してくれ。

 しげしげと小刀を眺めていた国王は、ふと視線を俺に寄越す。



「貴殿の血液を結晶化した場合はどうなる」

「…………」



 はい?


 何でもないような口振りで問いかけてくる国王の言葉を、もう一度心の中で反芻する。これは、どういうことだろうか。無言で側近の男を見やれば、ニッコリと笑って頷いた。どうやら自由に話して良いらしい。

 別に、自分の血液で試したことがないわけではない。何なら自分の魔法と自分の血液なのだから当然親和性が高くなり、結晶化の時間が延びた。他にも色々とあるのだが、正直出し惜しみしたい所。だって敵地だし。



「……結晶化の時間が延びます」

「どの程度だ」

「……半永久的に。破壊されない限りは残ります」

「では、其方を」

「……え」

「クレブスの魔力ではつまらん。貴殿の血液で創った刀が欲しい」



 あれ、これ俺、処刑される?


 思わず顔を上げれば、国王の愉悦に満ちた真紅と目がかち合った。

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