第8話 大きな国の王様





 漆黒の髪に、冴え渡るような深紅の瞳。静かな表情とは打って変わって業火のような荒れ狂う魔力。この世界全てを焼き尽くさんとばかりに揺らめく力の在処を見上げ、俺は小さく深呼吸をした。



「ーーーー」



 凜と立って【魔法誓約書】の内容を読み上げる殿下に視線を戻す。緊張のあまりに細かく震える手はしっかりと契約書を握りしめ、なんとか声を震わせまいと気丈に振る舞う姿のなんと健気なことか。

 船旅の途中から監視をしていた誰かが殿下に恋をしてしまうかもしれない。それが王族であったなら婚約が成立するので全然ありだが、それ以外の誰かなら面倒なことになりそうだ。まぁ、それら全てから守るのが俺の役目だけれど。


 対等な同盟関係ということで、殿下と俺は跪くことなく立って国王に相まみえる許可をもらっている。それを良いことに俺は先程からチラチラと周囲を見渡しているのだがーー、視線の刺さること刺さること。何故か俺を凝視している男達が立つ一帯とは目を合わせないように注意する必要があった。

 絢爛豪華な赤と金を基調とした謁見の間は、広大な領土を象徴するかのように、見るだけで分かる程高価な装飾がちりばめられている。国民も赤髪、金色、など派手な髪色が多いようだ。


 だからこそ、国王の漆黒の髪は何処か異様に映る。



「本日より、留学の機会をいただき感謝いたします。我が名はルッツ・フローライト。フローライト王国第四王子です。貴国とフローライト王国の関係がより良いものになることを願っております」



 対等だぞ、と暗に主張する口調で締めくくった殿下が、ギュッと手を握り締める。そりゃ怖いよな。偉い偉い。後で褒めてあげよう。



「ーー……ようこそ、フォスフォフィライト王国へ。貴殿にとってーーそして、我が国にとって、この留学が良いものになることを願う」

「感謝いたします」



 耳心地の良い、芯のある美しい低音が、謁見の間に静かに響く。流石に国王と目を合わせる身分ではないので目を伏せて聞いているが、それでもぞわぞわと擽られるような気分になった。しかし、国王はそれ以降何かを口にすることはなく、黙りこくった。代わりに、上座から階段を降りた直ぐ麓に立つ側近と思われる男が口を開く。


 曰く、持ってきた家具などの日用品などは全てそのまま使用して構わないし、侍女達も引き続き専属で殿下のそばにいて構わないとのこと。彼女らもまた王城の侍女達と対等な立場であり、フォスフォフィライト王国の侍女に殿下の侍女達が従う必要はない。王族や貴族が開く茶会や夜会などには招待がくるだろうが、参加の是非は問わない。学園の入学は秋からで今は花々が美しい春の季節なので、それまでは王城で学士を用意する。

 どう考えても破格すぎる条件である。殿下も素直に感謝し受け入れるには不審すぎたようで、無言で考え込んだ。


 チラリと単調に話す男を見やる。



「!…………」



 なんで、どいつもこいつも俺を見てんだ。バッチリかち合った視線をそらす訳にもいかず黙礼すると、無表情だった男が何故か微かに微笑んだ。怖い。

 黙礼したからいいや、と視線を逸らし、再び室内の調度品を眺める。ひしめき合う有力貴族達の隙間から覗くそれらは、どうやらその全てが魔法具だ。相当優秀な【魔法技師】によって創られただろうそれに興味が湧く。


 繊細に防護の魔法が込められた魔法具達は、その全てが特注の品だろう。この場で国王の身に襲いかかろうとする者がいても、その攻撃は国王に届かない。中には【阻害】【拘束】の魔法具もある。

 しれっとと、どうやらこれら全ては、先程から俺をずっと凝視している一帯の男達の中の3名によって創られたもののようだ。そんな3人の男と共に立つ他の7人の男達も含め、10人全員が相当の実力者であることは明白だった。……控えめにいって、大隊長とかくらいだろう。俺如きでは太刀打ちできるかどうか。


 

「ーーノイン」

「はい!」

「……お前……」



 やべ、話聞いてなかった。唐突に俺を振り返って声をかけてきた殿下にうわずった声で返事をすれば、直ぐに殿下の目が三分の一程まで細まった。しかしこの場で叱責する訳にもいかないので、何でもなかったように再度口を開く。



「護衛騎士がノインだけでは心許ない場合、護衛騎士もつけて下さるそうだ。……お前一人では大変なこともあるだろう、と」

「……はい」

「どうする?」



 どうやら更に追加で護衛騎士までつけてくれる好待遇らしい。何処までも基本的には対等であるということをアピールしたいらしい側近の男(仮)は、じっと俺を見つめている。

 俺を真っ直ぐ見つめる翡翠を見返し、首を傾げる。



「ーー大変なこと、とは?」

「……ーー有り難きお言葉ではありますが、お断りいたします。私には私の護衛騎士一人で十分です」

「……承知いたしました」



 すっ、と。少しだけ目を細めた男。


 「大変なことが殿下に起こると言いたいんですか?」という俺の思いは純粋に伝わってくれたようだ。彼方此方から有力貴族共の厳しい目も突き刺さってくる。フォスフォフィライト王国はフローライト王国よりも身分格差が大きいと聞いたから、騎士である俺が軽薄に口を開いたことに苛立っているのだろう。

 「恐れながら国王陛下、発言をお許し頂けますでしょうか」とでも言えば?殿下が俺を真っ直ぐ見た時点で作法として不要であると判断しました。ごめんね。


 こういう所が俺が【騎士】でしかない理由だと思う。知ってるけど正す気はない。だって殿下に言われてないし。


 どうやら護衛騎士にもそれ相応の権利を頂けるらしい。フォスフォフィライト王国の階級規定に則った【護衛騎士】として扱っていただけるそうだ。小耳に挟んだ話だと、戦争大好き国であるフォスフォフィライト王国での騎士の身分はそれ程低くない。【護衛騎士】ともなれば、相当の身分をもらえたってことではないだろうか。

 側近の男の言葉に目を瞬かせて素直に頭を下げる。すると、当然と言えば当然だが、周囲の貴族共の魔力がぶわりと揺らいだ。



「お言葉ですが、!!」

「……如何されましたか?クレブス殿」

「そ、そこな護衛騎士を何故そこまで厚遇する必要があるのです!!偉大なるフォスフォフィライト王国がたかが岩山だけが取り柄の小国と同盟を組むことすら嘆かわしい事実であるというのにーー」



 ギリッと歯を食いしばって俺を睨み付ける小太りの男貴族。彼の言葉に同調したように、彼の周囲に居た数人の貴族達が「そうだ。クレブス様の言うとおり」「何故小国の騎士如きに」と言葉を連ねる。

 チラリと男を一瞥すると、何故かビクリと身体を震わせた男は息を詰まらせ、「な、なんだ!!騎士如きが私を見るな!!」と叫んだ。三下感がすごい。


 まぁ、言いたいことは分からんでもない。出る杭は打つ騎士団に身を置いていたから、こういうのには特に何も感じなかった。そりゃそう。

 騎士の身分はそれ程低くない。ーーとは言いつつも、貴族よりは何段も何段もしたであることに変わりはないのだ。


 何処を向いても誰かしらと目が合うので真っ白な床に敷かれた深紅の絨毯の縫い目を見つめる。……へぇ、これも魔法具なんだ。ちゃんと見ないと気付かないくらい繊細な構成だ。おもしろー。

 恐らくここにある魔法具で一番精巧な出来だ。【拘束】【阻害】【防護】全てがうまくかけられている。一つの素材に複数の魔法を込めるのは至難の業だ。ギャーギャー騒ぐ周囲を気にすることなく縫い目の一つ一つに組み込まれた魔力元素を見つめていると、いつの間にか場は静まっていた。


 どうやら、国王陛下その人が手を上げたらしい。重たい沈黙に、数人の息を呑む音が嫌に響く。



「ーークレブス」

「は、はい!!陛下、ーーーーぉ、、ごぇ?」



 ぼとり。



「謝罪しよう。第四王子殿」

「……っ、ーー」

「友好国となった貴国、および貴殿、貴殿の護衛騎士殿を侮辱する発言だった。以後、このようなことがないよう……


 これの首で此度は許してくれないだろうか」



 その言葉に、音がした方を見ないようにしていた殿下が目を見開く。反射で国王陛下が指さした方向を向こうとするので、俺は殿下の目を腕で塞いだ。周囲が微かにざわつくが、しかし、己の王を恐れているのか誰一人許可なく動いた俺をとがめはしなかった。

 殿下の耳元に口を寄せ「見てはいけませんよ。前だけを見て下さい」と呟き、頷くのを確認して手を離す。小さく息を吸い込んだ殿下は、真っ直ぐに国王陛下を見上げた。


 むせかえるような血のにおいには、気づきもしない素振りで。



「…………ーー、友好関係だと伺っていましたが……皆様方の意見はどうやら様々なようだ。私も気を張らねばなりませんね」

「……」



 おお。殿下やるな。



「今一度、約束して下さいますか。私と、私の持ち物に一切の危害などないのだと」

「……あぁ。約束しよう。失礼した」



 先程よりは幾分かーーそれも微かなものだが、温度を含んだ国王の言葉に、殿下も深々とお辞儀で応える。である俺も倣って頭を下げておいた。

 ついでにチラリと貴族の方を見ると、落ちた首と倒れた胴体の周囲を真紅が花咲くように広がっている。なんだ、死ぬ前よりもよっぽど綺麗な姿になったじゃないか。残念なことに、先程まで彼に追従していた取り巻き達は皆離れてしまったが、孤独が故の美しさ、というのも乙なものだ。


 しかし、部屋から出るときに万が一にも殿下の目の入ってしまわないだろうか。俺は別に良いけれど、殿下はこれに目を向ける身分ではない。



「……どうされました?護衛騎士殿」



 ふとかけられた声に前を向けば、無表情で佇む側近の男と目が合った。どうやら彼に声をかけられた者は下々の身分でも話して良さそうだ。男は俺の視線の先にあった赤を温度なく見つめ、口を開いた。



にご興味が?あぁ、言いそびれていましたが、私に声をかけられれば、気軽にお話をしていただけると嬉しいです」

「……では。ーーいえ、ただ、綺麗だな……と」

「綺麗、ですか」

「ただ……殿下の目に映せるものでないのが残念です」



 そう言うと、微かに元気を取り戻したらしい取り巻き達が憤慨したように口を開こうと前に出るが、前に出た先にある赤を見て、また一歩下がった。

 側近の男は俺の言葉を聞いて、今日初めて口角を上げた。「第四王子殿下の目には、赤は不要だと?」と微かに挑発するように言葉を続ける。別に挑発には乗らないで、ただ俺も彼を見返した。



「いいえ。折角美しい赤なのに……と」



 赤は好きだ。唯一楽しいから。心から。

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