第6話 旅路・2




「……海の景色も、5日経てば飽きるな」

「ですねぇ」



 殿下と2人、ぼんやりと海を見つめる日々。俺が水魔法でしているお陰でこの船はかなり高速で進んでいるのだが、それでもやはり船旅は長い。空でも飛べれば早いのだろうが、残念ながら人間は空を飛べない。

 出航からおよそ2日は海の景色にキラキラと目を輝かせていた殿下も、今は娯楽のない船旅にすっかり飽き飽きしている様子だ。


 せめてもの娯楽と言えば、魚釣りくらいか。それも直ぐ飽きたけれど。釣り上げた魚がその日の夕餉になるというのは乙なものだったが。

 熟練の船乗り達があの手この手で魚を様々な料理へと変換していく様は見応えがあった。ので、最近は釣った魚を細部まで利用する船乗りの処理が娯楽となっている。


 動き続ける船乗り達を見つめ、殿下は翡翠を瞬かせた。



「こうして同じ景色を見て、同じ作業をして……それでも輝いていられるのは凄いな」

「仕事ですしねぇ」

「仕事でも、億劫になる事はあるだろうに」

「億劫でもやるのが仕事では?」

「そう言われたらそうだけれど……ノインの馬鹿」

「はい……?」



 なんで罵倒された?

 ポカンと口を開けて殿下を見ると、何故か頬を膨らませた彼と目が合う。じっとりと細められた翡翠には、確かに少々お馬鹿な顔をした俺が映っていた。

 「仕事を真面目に熟すって凄いだろ」と拗ねたように呟く彼に、俺はまたもや首を傾げる。いや、仕事なんだから真面目にやるのがーー。



「……確かに、副団長とかみたいに、一から十まで全部手を抜かないような真面目さは尊敬出来ますね」

「お前は直ぐ手を抜くものね」

「要領がいいんですー」

「僕も……初めての学園での生活では、勤勉で在らなければ」



 王子でありフローライト王国の顔となった殿下の場合、勤勉さの主張は大切な事だ。「頑張って下さーい」とだけ口にすれば、彼は苦笑して頷いた。

 魔法と武術に関してはお助け出来るけれど、他は知らない。いや知っているけど興味が無いので教えるところまでしたくない。俺はしたくない事はしない護衛騎士である。


 殿下は俺から視線を外し、白波をぼんやりと眺める。嵐もなく快調な旅路が、かえって彼を緊張させているようだ。

 


「…………」



 こういう時に、どういう言葉をかければ良いのか、時々迷う。義務なのだから、緊張しても怖くても不安でもやらなくてはならないのだから、考えるだけ無駄では無いか。

 考えるのが面倒な時は周囲の意見に従って、自分でしたい事があるなら周囲を使えばいい。


 俺は殿下から視線を外し、空を見上げる。


 ……いい天気だ。不可解な程。



「……殿下は、フォスフォフィライト王国の国王のこと、結構知ってるんです?」

「【火の神】の寵愛を受けたーーと言われるほど強大な魔法力を有する国王だよ」



 アルダイル・フォスフォフィライト。

 広大な領土と武力を持つフォスフォフィライト王国の国王で、【戦争好き】の歴代国王の中でも輪をかけた苛烈さと酷薄さをもつ、【暴君】。己が気に入らぬというだけでその国を滅ぼした過去も持つ恐ろしい男。

 膨大な魔力と卓越した武力、そして柔軟な思考と深い知識で騎士団を指揮し、彼自身も戦争に赴き戦うことも少なくない。当然犠牲も払う戦争に国民の反発もあるが、それ以上の賛美と憧憬を浴びて国政を動かす王だ。


 フローライト王国国王とは、全く違う。

 そう語る殿下の表情は、何処までも暗い。己の父とは別の在り方で国を治める王を、理解出来ないのだろうか。



「ノインは、どう思う?」

「……強いんだなぁー」

「…………はぁ……」

「言いたいことでも?」

「ノインにとって、フォスフォフィライト王国の国王は好印象なのか悪印象なのか、どんな感情が湧くのかを聞きたかったのだけど?」



 ムスッと頬を膨らませた殿下を見つめ、暫し呆ける。好印象か、悪印象か。どんな感情が湧くのか。その質問を考えたところで、何の意味があるのだろう。

 ふ、と空を見上げ、思案する。意味の無い行為ではあるが、それが命令であれば遂行するのが俺のお役目だ。



「中立ですねぇ。為政者として尊敬は十分に出来ますが、私情で動く直情的なところはちょっと」

「ノインは、強い人間が好きなのか?」

「弱い人間よりは好ましいですよ。そりゃあ」



 【火の神】の寵愛を受ける国王の魔力、ひいては魔法を分析することが出来れば、俺の【氷魔法】の研究の役に立つ事があるかもしれないし。魔力元素の書き換えに、火属性の温度変化の元素因子が関連するのかどうか。

 【地の神】に愛されるフローライト王国には、火属性はほとんど居ない。たとえ居たとしても、火属性であると言うだけで村八分を食らう程嫌悪の対象となる。その為、近衛騎士隊のような立場ある職には火属性は一人もいないのだ。


 行き詰まっていた研究に何らかの変容が生じるかもしれないという観点で考えると、確かに国王の存在は好印象と言えるかもしれなかった。



「……国王は、気に入った人間を後宮に閉じ込めてしまうらしい」

「へー、お盛んなんですね」

「男も女も、種族も、気に入る要素があればお構い無しなのだと……」

「…………殿下が気に入られる可能性があるってことです?」



 国王の子を産む女を護る役目を担う後宮には、たとえ専属の護衛騎士であれども入る事は許されないだろう。そうなれば、十中八九俺は拷問の末死刑だろう。そうなったとしてもネルケとエーベが居るのだが、俺が死んだ後の戦力としては正直心許ないのも事実。


 俺は殿下の容姿を今一度頭の先から足先まで確認し、溜め息を吐いた。



「なんだ」

「殿下、気に入られちゃいます?顔綺麗ですし」

 


 如何にも真面目そうな顔付きだが、何処か年相応の幼さが産む危うい隙を感じさせる。国王が少年愛をもつ人間であれば、殿下に夢中になるのも無理はない。

 しかし、俺の言葉を聞いた殿下はピクリと眉を顰め、「僕だけじゃない」と口を開いた。


 船の床板に反射して照り輝く日の光が眩しくて、目を細めた。



「国王がノインを気に入る可能性だって、十分にあるだろう」

「はい?」

「ノインの顔だって嫌いじゃないか」

「……そんな風に思って下さってたんですねー」

「揶揄うんじゃないよ」



 ヨシヨシと殿下の新緑を撫でれば、ペシリと軽く払われてしまった。しかし微かに身が赤くなっている。可愛らしい。

 

 まぁ、珍しい髪色で、それ程問題のある容姿では無いことは理解しているけれど、国王の目に留まるほどかと言えば微妙なところだ。いや、目に留まりたくないので別に良いのだが。


 ただ、気になるところはある。



「……第四王子である殿下が人質になると決まった際」

「人質って言うな一応は留学扱いなのだから」

「現実って残酷ですねー!……その時、護衛騎士として誰が来るか、侍女は何人来るのか、全ての資料を交換しているはずですよねぇ」

「あぁ」

「…………【魔法研究学士】が護衛騎士として来る事が分かってて、第四王子を迎え入れることを認めた理由は、気になりますね」



 実力重視で異国の魔法士を積極的に迎え入れる幾つかの国は別として、基本的に多くの国は異国の【魔法研究学士】を自国に入れることを嫌がる。

 領土の土地の大気の魔力含有量や純度を把握されることは勿論、魔法についても見聞を深める材料になるし、異国の魔法士を成長させることになる。言ってみれば、間者の入国を進んで受け入れるようなものだ。

 ーーとはいえ、騎士団の老害共が最後まで反対していたように、送り出す側からしても貴重な戦闘員を失うことになるので、実際に【魔法研究学士】が間者扱いを受けることは無いのだが。間者としては最高の人材だが、間者にするには貴重すぎる。


 ことは、ほぼ確定だろう。だが、断じて俺がフォスフォフィライト王国の戦力になることはない。



「……少なくとも、侍女も含めて俺達が一人になる瞬間は、出来る限り減らした方がいいとは思いますー」

「僕もそう思う。僕はお前と離れないようにするが、ノインも一人行動はできる限り控えろ」

「御意」



 俺が、フローライト王国に付け入る隙になる訳にはいかない。それに、殿下をそうしてしまってもいけない。

 

 俺は目を細め、日の光を睨みつけた。

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