第1章 大きな国の王様

第5話 旅路




 二週間なんて、あっという間に過ぎていった。


 学士の教育は全て中断され、ひたすらフォスフォフィライト王国へのの為の支度に費やす日々。土産物としてフローライト王国の特産品ーーそれも一級品を彼方此方から集めなくてはならなかったし、船や馬車、家具、衣類などの日用品も王族としての富を見せつける材料になる為、全て新調することとなった。

 殿下は毎日繰り返される採寸と試着に顔色を悪くさせていた。人に素手で触れられることを嫌がる彼にとって、たとえ侍女であってもそれは大変な苦痛の時間だったに違いない。


 俺は俺で、侍女達に先ずはエーべの正体について説明し、同意を得た。熟練の侍女ーーカシアさんには当然「もっと早く教えてくだされば」と苦言を呈されたが、それでも【騎士】として護衛ができない時に侍女として騎士が側に居てくれるのは頼もしいと言うことで、騎士の侍女参入に賛成してくれた。



「ということで、今日からはエーベに加えてネルケも侍女として入ります。はい。ネルケ自己紹介」

「僕はネルケ。ノイン様の直属の部下。よろしく」



 単調に挨拶をした青年、ネルケに侍女達も次々と挨拶をしていく。ネルケもエーベもしっかり訓練を受けてきた騎士なのに、こんなにも女装に違和感がないのはすごいと思う。侍女服に身を纏った二人は完全に侍女達に溶け込んでいた。

 ネルケは社交的なエーベとは違って人見知りするので、打ち解けるまでには時間を必要とする。早めに紹介しておくに超したことはない。


 ちなみに、殿下にはこのことは伝えていない。万が一俺が一緒に居られなくなった時に、騎士が二人側に居るという理由で安堵してしまわれては困るので。向こう側の油断を誘えない。



「たとえ殿下が怪我をしても苦しんでいても、命の危機に瀕するまでは動かないように」

「「はい」」



 単純な命令の様で、難しい命令だ。だからこそ、事前に様々な手段を用意しておかねばならない。かといって侍女達が武装する訳にもいかないから難しい。


 俺の後任に関しては、副団長が決めてくれた。内紛も起こっていない状態での小隊の仕事なんて、定期的にある祭典での準備や警備くらいのものだ。引き継ぎは特に問題なく即日で終了し、既に任務の全てを明け渡している。

 同盟関係における留学の期間が明確に設けられていないということは恐らくは一生涯ーーもしくは同盟関係破綻の時まで人質としてフォスフォフィライト王国に居続けることになるのだろう。同盟関係破綻の時は、殿下を含め俺達全員が死ぬときだ。




「ノイン」



 潮風を浴びて甲板に立っていると、正式な衣装に身を包んだ殿下が近付いてくる。出航して暫くの間は、盛大に見送りをしてくれた国民達の声援に優雅に手を振って応えていたが。船を見えない水の結界で覆って居る間に、いつの間にか港から随分離れていたらしい。

 俺の隣に立った殿下は、何処か退屈そうな目で迫り来る【神の門】を眺める。ここ最近はお互い諸々の作業に明け暮れてまともに話す時間もなかったことをふと思い出した。


 

「ずっと側に居たのに、なんだか久しぶりな気分ですね」

「あぁ。嵐などが来なければ、到着までの一週間足らずはゆっくり過ごせるだろうね」

「今のところは嵐の気配もないですし、大丈夫そうです」

「……流石水属性だな。そういうのも分かるのか」

「地属性が地震や噴火なんかに敏感なのと同じ感覚だと思いますー」

「へぇ……」


ーーご……ゴゴーー……ザバァアア……ンン……


 忙しなく動く船乗り達を横目に、迫り来る【神の門】を見上げる。地鳴りと波の音ともに、船体もグラりと揺れた。俺は殿下の腰を支えて手摺まで誘導し、殿下も俺の指示通り手摺にしがみつく。

 自然でありながら、フローライト王国国王の声を聴く、意思のある岩壁。この国の神秘の護りであり、畏怖の対象だ。国民達は神の門に登ることを許されない。


ーーゴォーー……ザバァアアン……ゴゴーーゴォー


 ゆっくりと開いていく岩壁隙間には、果ての無い水平線が広がっている。



「殿下。護衛騎士様」

「カシアか。どうした?」



 波も落ち着いて手摺の支えが必要にならなくなった頃、背後から声がかかった。カシアさんはヨロヨロと頼りなげに近付いて来ると、「お食事のご用意が出来ました」と微笑んだ。

 殿下が頷きで返すと、空気の読める彼女はそれ以上誘いをかけることはなく、頭を下げてまたヨロヨロと戻っていく。


 その様子を見送った殿下は、また水平線へと視線を投げた。翡翠の瞳に海の煌めきが映り込む。



「不安、緊張、恐怖……そんな感じですー?」

「……そんな事ない、と言えば嘘になるな。国境を超える前に、船ごと撃墜される可能性だってあるし、国王にお会いした瞬間、首を撥ねられる可能性だってある」

「えぇ」

「そうなれば、また戦争だ」



 憂うように目を伏せる。



「そうなったとして、別に殿下のせいでは」

「そうじゃない。…………ただ、僕は、全てを取りこぼしたくないんだ。カシア達も、お前も、この国の未来も」

「欲深いですね」

「……そう思うか?」



 顔を上げて俺を見つめる彼を、俺もまた見つめる。


 選び取るためには、何かを捨てなければならない。何処かで必ず何かを妥協しなければならない。そうなった時に、殿下は王子として俺達を使い潰さなくてはならない身分だ。

 助けを求める侍女も、痛みに苦しむ騎士も、殿下は視界に入れてはいけない。ただ悠然と、王子としての責務をこなし続ける。そういう身分に産まれたのだから。


 甘っちょろいなぁ、と思う。



「いざという時、俺や侍女達を真っ先に見捨てる強さも必要ですよ」

「そんなもの、」

「ーーま、そうならないよーに、俺が守るのでご安心くださーい」



 ニコリと笑って殿下を見下ろす。話を切り上げようとしているのが彼にも伝わったのだろう。物言いたげな雰囲気を残しながらも、彼は小さく「頼む」とだけ呟いた。

 何時しか完全に開き切った【神の門】が、俺達を見送ってくれる。通り切る頃には、またこの岸壁は閉じてしまうのだろう。


 そうなれば、俺達は帰還命令がない限りフローライト王国に戻ることは出来ない。



「……閉まりますねぇ」

「…………ノインは今、どんな気分なんだ?」



 どんな気分。

 どんな気分なのだろう。別に楽しみでもないし、嫌でもない。不安でもないし緊張もして居ないし、怖くもない。嬉しくもないし。


 色々な感情を考えてみても、どれも今の気分にはしっくりと当て嵌らなかった。



「……さぁ。どんな気分でもないですね。あぁ、フォスフォフィライト王国に行くんだなぁ……ってくらいで」

「家族や仲間との別れとか、寂しくなかったのか」

「あれ、言ってませんでしたっけ。俺家族いませんよ」

「!……き、いてない」



 あぁ、言ってなかったか。「全員死んでます」とだけ告げれば、小さな謝罪が帰ってきた。別に気にしやしないのに、純朴な人だ。

 ちなみに仲間ーー主に置いてきた部下には滅茶苦茶に泣かれたし最後まで縋りつかれ追い回されたが、撒いた。副団長の書類は重要書類のみ破っておいた。


 ザァァアアーーと響く波の音を聴きながら、客室に入る。カシアさん達がお辞儀をして殿下を出迎え、殿下も手を挙げて応える。

 何故か机の上に2人分用意された食事をぼんやりと見つめていると、殿下がくるりと俺を振り返った。パチリと無垢な翡翠と視線がかち合う。



「ありがとう、カシア」

「身に余るお言葉に御座いますわ」

「ノイン、お前も食べろ」

「はい?」

「船旅でくらい、付き合え」



 首を傾げつつ着席すれば、殿下はようやく満足気に笑った。




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カシア(35)

 フローライト王国第四王子専属の侍女。

 侍女としては熟練であり、第四王子付きの侍女たちのリーダーでもある。ノインの事は尊敬しているが、無礼は許さない。

 褐色の髪に栗色の瞳。



ネルケ(22)

 フローライト王国騎士団所属の青年。

 ノインの直属の部下で、この度侍女として同行することとなった。同行したいが為に、部下から同行者を選定する日の前日に、中性的な容姿の同僚達に下剤を盛った。人見知り。

 栗色の髪に緑の瞳。



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