第2話 小さな国の騎士様・2
穏やかな表情で湯浴みをする少年を遠目に見つめ、俺は息を吐く。すると、俺の隣に密やかに佇んでいた侍女が、チラリと俺を見上げた。
まだ侍女になったばかりの彼女では、少年ーー【フローライト王国第四王子】の身体に触れ湯浴みを手伝うことは許されていないのだ。離れた場所から殿下の様子をただ眺める彼女は、ゆったりと口角を上げた。
「褒めてください」
「命令遂行できて偉い」
「ふふっ、やったあ」
くふくふと袖口を口に当てて笑う少女ーー、否、少女の服装をした少年を見下ろし、再び息を吐く。
俺が第四王子殿下の専属護衛騎士を任されてからはや三年。隙あらば殿下に仕置きと称して己の性癖をぶつけようとする学士にはいい加減辟易としていたのだ。しかし、学士にとって当然邪魔な存在である俺は入室を許されず閉め出され。
ニヤニヤと笑って俺を見つめながら去って行く学士を無視して殿下の部屋に入れば、彼は血の流れる手の甲を押さえ、涙を堪えて唇を噛み締めていた。
「でも、考えましたよね。ノイン様も。侍女として騎士を入れるなんて」
「お前が素直に応じたことにも驚いたけどね。エーベ」
だから、自分の好きにできる部下を侍女にして彼の側に置き、余裕がある場合には俺を呼び、ない場合には彼自身が守ることにした。騎士団内の反発も多く時間がかかったが、最近ようやく許可が下りたのだ。
騎士団上層部の老害共が急にエーべの侍女入りを許可したのには違和感を禁じ得なかったが、まぁ結果がこれならどうでも良い。
ようやく己の主人を守ることができたことに、何よりも俺がホッとしているらしい。再び息を吐けば、エーベはゆるりと笑みを深めた。
殿下が湯浴みを終え、急ぎで身支度が進んでいく。歴戦の侍女達の手腕は流石のもので、素っ裸だった殿下が次々に豪奢な衣装を纏っていく様はある種の芸術のようだった。すっかり王子らしくなった殿下に拍手を送ると、照れ屋な彼はじとりと俺を睨み付け、深い溜息を吐いた。
可愛い可愛い第四王子殿下。フローライト王国の王族特有の新緑の髪に、翡翠の瞳が美しい。まだまだ子どもだけれど、既に王族としての矜恃も実力も併せ持つ彼のことを、俺は好ましく思っている。王族の中でも一際純粋無垢な所も個人的に推せる点だ。守りたい、その心。
そんな彼は、ふとエーベを一瞥すると、何処か心配そうに眉を下げる。当の本人はその視線に気づいてはいるものの理由は分からないようで、首を傾げているが。
「……君、大丈夫か」
「……わ、私でしょうか」
何したんだお前。
殿下の手前、俺が親しげに話しかける訳にもいかないので視線だけで問いかけるが、彼もどうやらさっぱりのようだ。アホ面を晒している。殿下は益々眉を下げると、「先程、随分動揺していた様だったから」と言葉を続けた。
「君、まだ僕付きになって間もないだろう。兄上達の侍女でもなかったようだし……嫌な場面を見せたね」
「ーー!!いえ、殿下がご無事で何よりでございますわ」
侍女服の裾を摘まんで跪くエーベを見下ろし、殿下はホッとした様子で息を吐く。どうせ、初めて見た恐ろしい場面に動揺する侍女を大げさに演じでもしたのだろう。殿下に余計な心配をかけないよう、後で言いつけておかないと。
「殿下、お時間でございます」という熟練の侍女の声で、場が再び引き締まる。第四王子であり王位継承権が最も低い殿下が陛下の御前に姿を見せる機会など、滅多にないことだ。緊張した様子の殿下が面白くて鼻で笑えば、険しい顔で横腹を小突かれた。
廊下を歩けば、通っていた侍女や侍従が端によけて最敬礼をする。一見敬服しているが、好奇の気配を隠し切れていない。心のない敬礼など不必要だと思うのだが、礼儀は最低限必要らしい。ーー騎士団長曰く。
冷めた目で彼等を見下ろし、殿下に気付かれない程度に悪戯をしていく。殿下に卑しい関心を寄せた罰だ。精々困れ。
通り過ぎざまに次々悪戯していく俺に、エーベが微かに肩を震わせている。曲がりなりにも騎士団所属である彼には俺がしていることなど筒抜けなので。
「……陛下は、どのような御用だと思う、ノイン」
「政略結婚に9リヨン。同盟の人質に6リヨン、大穴で日頃の努力の称賛に1ヨンス」
「僕で賭けをするな。しかも国際通貨で盤石に賭けてくるな」
「殿下はどー思うんです?」
「護衛騎士様」
「はい、すみません」
熟練の侍女の威圧にすぐさま引き下がる俺を、殿下が塵を見る目で見上げる。少年よ、時には引き下がるべき時もあるのだ。訳知り顔で頷き返せば、殿下は深い溜息を吐いた。
「ーー来たか。ルッツ」
片膝を立てて跪く殿下に倣い、俺も陛下に最敬礼を取る。侍女は謁見の間に入る事を許されない為、ここからは俺達2人だけだ。
謁見の間の大扉から、真っ直ぐ最奥へと、一本道のように深紅の絨毯が敷かれた先。俺達よりも数十段高い位置に置かれた玉座には、フローライト王国国王その人が悠然と腰掛けている。殿下はともかくとして、俺が陛下を視界に入れるなどあってはならないので見上げることは出来ないが。
玉座へと続く絨毯の両脇には、第一王子から第三王子とその護衛騎士、あとは公爵家と侯爵家辺りが揃っている。チラリと横目に周囲を見渡せば、漏れなく侮蔑を込めた汚い視線が殿下に向かっていた。……四番目に生まれたと言うだけで、よく王族をここまで蔑むことが出来るものだ。お前達なんかよりも殿下は数億倍も尊い存在なのだが。
重々しい陛下の低音が謁見の間に響き、殿下が顔を上げる。作法に則って口上を述べようとした殿下を、陛下が「よい」と軽く制した。
「王子である前に、お前は我が息子。そこな騎士と話すように気軽に話すと良い」
「…………この身には勿体なきお言葉に御座います」
「よいと言っておる」
「……御意に。ーーーーお久しぶりでございます。父上」
「父と子でありながら、顔を合わせて食事をする機会もない。……お前は随分と成長したようだ。身長も伸びたか」
「恐悦至極に御座います。……以前よりも、5セルツ、伸びました」
「そうか……早いものよなぁ」
稀代の賢王と名高い陛下と、殿下の対話が続く。最敬礼の姿勢を保っている俺は自分の足が痺れないかずっと不安なのだが、こればっかりは己の日頃の努力を信頼するしかない。
とはいえ、陛下が殿下を思っていた以上に厚意的に受け止めて下さっているようで何よりだ。ギリギリと歯軋りをする何処ぞのお貴族様は、恐らく陛下が殿下を扱き下ろすとでも思っていたのだろう。てめぇこの部屋から出たら悪戯してやるからな。ちらりと視線だけ上げて顔を覚えておいた。
「勉学にも熱心に励んでいると学士から報告が上がっている」
「……左様、に御座いますか」
さっきがさっきだったので、殿下が少し言葉に詰まる。しかし当然、それを見逃す陛下では無い。「何かあったか」と追及する陛下に、殿下は諦めたように口を開いた。
「先刻、学士様に注意を受けたばかりで、……お恥ずかしいばかりです」
「ほう。何故だ?」
「………………」
うん、分かるよ殿下。どう足掻いても向こうが悪いせいで、告げ口したみたいな謎の罪悪感があるよね。
まぁ、陛下に嘘を吐くなんて反逆に値するので、殿下は正直に先程までの事を話していく。徐々に玉座の辺りから不穏なーー殺気にも似た気配を感じ、俺は微かに体勢を整える。
他の王子の護衛騎士達が、俺の警戒を敏感に察知したのか器用に俺だけにビシバシと殺意を向けてくる。はは、怖い怖い。
「…………史学の学士か」
「……はい。……自分がもっと優秀であれば、定刻に修了出来たのだと思います」
「ほう。……今日はどのような事を学んだのだ」
「国防の歴史についてで御座います」
「では、諳んじてみよ」
声変わりに成功した透明な声が、【神の門】や敵国との同盟関係、敵対関係についての忠実な歴史を唄っていく。流石は殿下だ。学士に言葉では助け舟を出しておきながら、ここで自分の知識を隠してわざと間違えるなど一切しない辺り、良い性格をしている。……本人は無自覚なのだろうが。
耳通りの良い声に、先程までの不穏な気配がなりを潜めて行くのを感じる。俺も倣って警戒を引っ込めれたけれど、悲しいことに騎士達の殺気は消えてくれなかった。絶対後で説教食らうじゃん。
「良く励んでいるようだ」
「勿体なきお言葉に御座います」
「宰相よ。王城の学士には相応しくない者がいるようだが」
「えぇ。殿下、文官長に忠告しておきます」
「ルッツ。これからはお前の知識に相応しい学士がつくだろう」
「……有難く」
俺達を囲っている王侯貴族の中に文官長もいるのだろう。1人、物凄く動揺した気配がする。『中間管理職がいちばん大変なんだ』とブチ切れながら酒を飲んでいた副団長を思い出してしまった。
ーーまぁ、文官長はともかくとして。王城の学士を務めていた名誉を己の欲望のせいで失った学士は、きっとこの先学士として大成することは出来ないだろう。自業自得とはいえ、陛下も惨いことをするものだ。
いとも容易く他人の天職を奪ってしまえる身勝手な残酷さに、知らず口角が上がった。
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ルッツ・フローライト(15)
フローライト王国第四王子。
深緑の髪に翡翠の瞳。
真面目で優秀だが、ノインの無礼を許す柔軟さも備えている。自分の優秀さに対して譲れない矜恃がある。
エーベ(25)
フローライト王国王国騎士団所属の青年。
ノインの直属の部下であり、現在は彼の命令で女装して第四王子の専属侍女として働いている。見習い期間を吹っ飛ばしている(違法)ので、熟練の侍女によく扱かれている。
茶髪茶目。
【単位】
《国際通貨》
1リヨン=10,000円
1ヨンス=1,000円
1ヨン=1円
《フローライト王国の通貨》
1ネル=10,000円
1モレル=1,000円
1エル=1円
《長さ》
1セルツ=1cm
1メルツ=1m
1キルツ=1km
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