小さな国の騎士様は、大きな国の王様に。
なるかなる
序章 出発の前に。
第1話 小さな国の騎士様
【フローライト王国】は、小さな国だ。
国の周囲を海に囲まれた島国で、その沖合には、フローライト王国の国民から【神の門】と呼ばれる険しい岩壁が国土を囲むように連なっている。敵国がフローライト王国に攻め入ろうと思うならば、船から降りて岩壁を登らなくてはならないし、たとえ険しい岩壁を登り切ったとしても、下った先はまた海という地獄設計。
しかし、国王が直々に許可した者が通るときだけは、岩壁の一部が本物の門のように開き、出入りできるようになる。
そんな神秘に満ちたフローライト王国は、【地の神】の寵愛を受ける国でもある。フローライト王国出身の魔法士はその9割が地属性で、必然的に農業や林業、鉱業が賑わうこととなった。幸いにも地の神の寵愛を受けた王国は自然の資源も豊かで、異国との交流を最小限にしても国民が満足して生活できるだけの水準を維持することができた。
身分格差はあれど、貧富の差は異国ほど明確かつ深刻なものではないため、内乱もここ100年は起こっていない。勿論、各領主が収める貴族領内での平民とのいざこざや内紛はあるのだが、革命規模の内乱はなかった。
そんな、平和と繁栄を体現したようなフローライト王国を、他国が気にしない訳もなく。交流を持とうと擦り寄ってくる小国はともかく、戦力を誇示して侵略しようとしてく異国は後を絶たなかった。フローライト王国は別に他国との交流を絶っているわけではないので、対等な同盟関係を持ってきてくれる国とは仲良くしているが、戦争を仕掛けてくる国に対しては、【王国騎士団】が容赦なく追い返してきた。
【神の門】の内側でただ敵を待ち、岩壁登りに疲弊する敵兵をひたすら叩き潰す作業。小国の騎士団は人数が少ないのでかなり苦戦を強いられた戦いもあるけれど。
「それでも、我らが祖先は一度も敗北を喫したことはないーーでしょう」
聞き飽きた学士の弁舌を遮って続ける。教育が始まった4歳から、耳にたこができる程聞かされてきたこの国の歴史なんて、今更教えてもらわなくたって暗唱すらできる。溜息を吐いてその続きも教本通りに諳んじてやれば、学士は「流石は医王子殿下にございますな」と鼻高々に微笑んだ。
学士が己の知識を披露し誇るだけの歴史教育は、既に所定の時間を大幅に超えている。己の護衛騎士であれば、所定の時間が来た途端颯爽と部屋を出ていたに違いないが、残念ながら己の立場はそうさせてくれない。
室内に控えている侍女数人は職人さながらの微笑を維持しているが、その内心は嵐の様だろう。この学士の教育の
それが、この多弁学士のせいであと
「学士、そろそろ時間が」
「あぁ!!これは失礼。しかし、歴史とは興味深いものでしょう。ついつい話が長くなっていけない。それで、何処まで話したかな」
「学士様、既に半刻超過しておりますわ」
まだまだ話し続けようとする学士の言葉を遮る涼やかな侍女の声。内心で盛大な感謝を述べつつ無表情で学士を見上げると、そこには侍女を醜悪な顔で睨み付ける学士の姿があった。
先程まで理想の【フローライト王国】を誇らしげに語っていたはずの彼が、学士よりも身分の低い侍女に対して軽蔑と憎悪を向けるなんて、どんな皮肉だろう。格差はそれほど激しくないのではなかったか。
己に見られていることに暫くして気づいた学士は慌てて笑みの顔を被り、時計を見つめて「まだご予定までには半刻ありましょう?」と教本を抱え直した。
「半刻で、殿下は陛下の御前に馳せ参じる為のご準備をしなければなりませんわ」
「
「恐れながら、半刻でも間に合いますかどうか」
「……それは君、学士である私の責任だとでも?」
他に誰がいるんだ。ーーとは、この場にいる一人を除いた全員の心の声。険しい顔をした学士は、それでもなお教育をもう少し続けたいようで教本を手放そうとしない。小さく息を吐き、「学士、今日は終了してください」と呟くと、彼は益々不愉快げに顔を歪めて「教育の終了時間を決める権限は学士に委ねられるのではなかったですかな」と教本を握り締めた。
【学士】は、この国で高い権限を与えられる。王城勤めの学士ならば尚更で、王族として相応しい人間になる為の教育の為には、時に王子にさえ制約を課すことさえできるのだ。
教育と称して、兄上達が学士達から酷い仕置きを受けている所を何度みたか。そして、己も何度酷い目に遭ったか。ニヤリと歪に口角を上げた学士に、おのずと身体に震えが走るのを感じた。
「ふうむ。最近の殿下は随分と教育に非積極的ですな」
「ーーっ、陛下への謁見は、何よりも優先される最上の命令ですので」
「否。教育の時間である今、殿下は陛下以上に私を優先せねばなりませんぞ」
「は、?」
「お仕置きですなあ」
「殿下!!!」
教本をぞんざいな手つきで机に置いた学士が、でっぷりとしたその腰から鞭を取り出す。慌てて侍女が近づいてこようとするが、「動くな!!!」と学士に叫ばれてしまえば彼女はその身一つ動かせなくなる。
一度外に出れば彼は何もできないが、この部屋だけでは、彼はここに居る誰よりも権力が高いから。
小さい頃からの
まだ新人の侍女が、息を呑む気配がする。……そう言えば、彼女が来てからは一度も仕置きを受けていなかったか。鞭を振り上げる学士に、己もギュッと身体を縮める。来たる衝撃が少しでも軽いものであることを祈って、目を瞑った。
「はーい。そこまで」
「ーーー!?!?」
「殿下。そろそろ謁見の準備しないとですよー。時間見てます?」
「……っ、ーー、ぁ、」
衝撃は来ず。
代わりに聞こえたのは、絶対に己を害することのない男の声で。溜まらず目を開けて振り返れば、そこには振りかぶった学士の腕を軽々と掴んだ青年の姿があった。扉近くでは、侍女達が安堵の溜息を吐いているのが見える。
咄嗟に、彼を呼んでくれたのだろう。新人の侍女の顔は蒼白で、目には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
青年ーー己の護衛騎士の登場に、流石の学士も焦ったのだろう。慌てて「で、では、また教育でお会いしましょう。殿下」とだけ告げると、そそくさと走って部屋を出て行った。
「……殿下、休憩もなく申し訳ございませんが、」
「ーーあ、ぁ。いや、良い。湯浴みの準備をしてくれ」
「御意に」
止まった時計の針が動き出したかの様だ。いそいそと快活に準備を進める侍女達は、先程とは打って変わって晴れやかな表情だ。涙を溜めていた新人の侍女も、いつの間にか湯浴みの準備に行ったのか、姿を消していた。
慌てて己も手袋を着用し、扉の外を見つめている護衛騎士を見上げた。
この国には珍しい白銀の髪と夜闇のような漆黒の瞳を持つ青年。一級品の絹のような髪は艶やかで、漆黒なのに淀みなく何処までも涼やかな瞳を持つ美貌の青年に、しばし見惚れる。
「ありがとう、ノイン」
「ちょっとは抵抗してくれないと困りますよー、殿下はまったくもう」
「不敬罪で殺してやろうか」
「俺がいないと不安なくせにー。照れ隠しですかぁ?」
慇懃無礼なその口調とは相反して丁寧な所作で己の手の甲を撫でる彼を睨み上げれば、彼ーーノイン・イルシュタリアはまた不遜な笑みで「おー怖い怖い」と呟いた。
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ノイン・イルシュタリア(21)
フローライト王国の王国騎士団団員。
第四王子の専属護衛騎士を務めている。
白銀の髪に漆黒の瞳。
国際的な魔法士の資格【魔法士】【魔法技師】【魔法研究学士】を有する魔法騎士。
生意気で慇懃無礼だが、第四王子のことは敬愛している。
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