第13話

「シュウ」

 外から僕を呼ぶ声がした。僕は窓から見下ろす。慶介が手を振っている。僕は勉強道具をしまうと、急いで階段を降りた。靴を履いて、窓の方へまわる。

「慶介、今日は早いね。まだ午後三時だよ」

「だって、シュウの顔が見たかったからさ」

 慶介は恥ずかしそうな素振りも見せず、さらっと言う。以前、彼が女の子に言ってた時は嫌味に見えた。だが、実際に自分がその立場になったら、ついにやけてしまう。まったく。罪な男だ。

「もう、何言ってるんだか。それはそうと、木曜日に夕ごはんを食べに来た時、遵二に疑われたって言わなかったっけ」

「いや、覚えてるよ。でも、指摘されてから直したら、もっとおかしいだろ」

 言われてみれば、そうかもしれない。男同士で仲がよくても、普通は特別何かあるなんて想像しないだろう。聞かれたり、見られたりしたら困るようなことも、あれからは控えている。今だって本当は抱きつきたいのだ。一度得たハズのものが、手で触れられる場所にあっても自由にできないのは苦しい。

 だが、あと一週間の我慢だ。慶介が都会へ戻る日、僕も一緒に行ける。滞在日数は九日間。その間は人目を今ほど気にせず、一緒にいられる。それにしても、慶介はこの状況に何も感じていないのだろうか。自分だけがモヤモヤした気持ちになっているんだったら悔しい。それとも、僕には興味がないのだろうか。

「今日はこの後、何か用事はあるんだっけ」僕は慶介に聞いた。

「シュウのお父さんから、晩ごはんに誘われてる」

「ウチで?」

「ああ」

「ふぅん。ちなみに、それまではフリー?」

「そうだね」

「じゃあ、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど。いい?」

 言葉の後に沈黙。僕は慶介の口からこぼれ落ちるものを見逃さないようにじっと見つめる。

「もちろん」

 その言葉に心の中で張りつめた糸が緩んだ気がした。どうやら、慶介はまだ僕に興味を持っていてくれているらしい。行きたいところは決まっている。じゃあ、どうやって行こうか。僕が考えていたら、慶介は僕の頭を撫でる。

「シュウ、わかりやす過ぎ。そんなに喜ばれると、かわいくなっちゃうじゃん」

 その言葉に、僕は自分の顔が赤くなるのを感じた。

 慶介が運転する車で、僕たちは進めるところまで進んだ。車を停めて、降りると山道を歩いて登っていく。鳥のさえずりは聞こえるが、周りに人の気配はない。地面には野生動物の足跡があるくらいだ。これだったら、久しぶりに人目を気にしなくても良いだろう。心なしか足取りも軽い気がする。道を外れて森の中を進んで行き、目的地が見える。隣を歩く慶介がつぶやく。

「こんなところに家があるんだね」

「うん。僕と友だちで、たまたま見つけたんだ」

「へぇ。それって和樹くん?」

「違う。別のヤツ。今はもう美那郷にはいないけど」

「ふぅん。慶介くんって和樹くん以外に友だちがいたんだね」

「それ、どういう意味?」

 僕はからかわれたような気がして、思わず笑ってしまう。

「高校のクラスメイトとも、そつなく付き合ってるよ」

「いや。オレも表面上仲良くしている相手はいると思うよ。でも、シュウの話に出てくるのは和樹くんくらいだから」

「それはそうかも」

 そう言われれば、その通りだ。他のクラスメイトとも、会えば話はする。だが、僕との間に妙な距離感がある。それはきっと「高野」という見えない膜のせいだろう。必要以上には近寄ろうともしない。だが、和樹だけは違う。お構い無しにこちらへ入って来ようとすることすらある。あいつのことだから、何も考えていないだけかもしれないが。

「でも、和樹もここに連れて来たことはないよ」

 僕はそう言いながら戸を開けて、中に入る。薄暗くはあるが、壁の隙間から漏れ入る明かりで中は見える。慶介は戸を締めて、室内を見渡す。

「意外と綺麗だね」

「たまに掃除はしてるから」

 陸が出て行った直後ほどではないが、数ヶ月に一度はここで一人で過ごすついでに簡単に片付けている。

「そっか。そのお友だちはシュウにとって、大切な人だったんだね」

「何でそう思うの?」

「だって、その子がいなくなっても掃除をしてるんでしょ。まるで、いつでも帰って来られるように待っているみたいだ」

 そうだ。最初の頃は、ふらっと陸が帰って来るんじゃないかと思って、ここに来ていた。こうやって今でも掃除を続けているのも、淡い期待からと言われたら、そうかもしれない。

「そうかもしれないね」

 僕は板の間に腰掛ける。寄り添うように、慶介も隣に座った。

「素直じゃないな、シュウは。ちなみに、その彼はどういう子だったんだい?」

 何で素直じゃないなんて言われなくちゃいけないんだろうか。

「えっと。陸は僕とは正反対だった。スポーツができて、人との壁がない。僕のことも『高野』じゃなくて、一人の人として扱ってくれて」

「そっか。シュウは自分と向き合ってくれる相手が好きなんだ。でも、それだったら、オレは心配だな」

「なんで?」

「今はわからないと思うけどさ。ここを離れたら、シュウを『高野』って見る人なんてほとんどいないよ。その度に相手を好きになるつもりなの?」

「僕が他の人を好きになるのが心配だってこと?」

「そうだよ。今だって『陸』って奴がシュウの心の中にまだ居座ってるって聞いて、モヤモヤしてるんだから」

「それって、やきもち妬いてくれてる?」

「ああ、そういうことになるな。って、恥ずかしいな。オレの方が年上の癖に」

「うれしい」

 僕は慶介の肩に頭を乗せて、しなだれかかる。慶介は一瞬びくんとしたが、そのまま僕の肩を抱き寄せた。

「慶介、僕にはもう興味がないのかなって思ってたから」

「へ、何で?」

 慶介は驚いたように僕を見る。

「だって、僕はもっと触れたいのに、何でもなさそうな顔してるじゃん」

「それはただ、そういう振りをしてるだけだ。少なくとも美那郷では隠さないといけないから。本当はいろんなことしたくて、堪らない」

「よかった。僕だけじゃなくて」

 僕は慶介の唇に小鳥のようにキスをする。短く何回か続けているうちに、徐々に深く長いものになっていく。

「ところでさ。その陸くんとは何もなかったの?」

 慶介が僕の耳元でささやく。耳にかかる息で首筋に刺激がはしる。変な声が出ないように、こらえながら僕は言葉を絞り出す。

「んっ。何にもないよ。陸は好きな女の子がいるみたいだったから。大体、僕が自分のことを自覚したのも、あいつがいなくなってからだもん」

「なるほど。じゃあ、この場所の思い出は、オレが上書きしてもいいかな?」

「うん」

 答えると、そのまま板の間に押し倒された。そしてーー。

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