第14話
「修一、忘れ物はない? ハンカチは持った?」
いつもの母さんの心配性だ。まるで遠足に行く時の小学生みたいな気分になる。これでよく僕が慶介と一緒に行くのを許してくれたものだ。父さんの説得には感謝しかない。
「大丈夫だよ。母さん」
「やっぱり私も駅まで着いて行こうかしら」
「母さん、今日はお医者さんのところに行く日でしょ」
「病院なんていつでも行けるもの。そうよ。今からキャンセルしましょ」
電話を掛けに行こうとする母さんを慶介が呼び止める。
「お母さん、修一くんは私が責任を持ってお預かりします。だから、病院をキャンセルするだなんて止めてください。私じゃ頼りにならないかもしれませんが」
「そんな。立花さんが頼りにならないなんてこと、ありませんわ」
「ありがとうございます。お母さんにそう言って頂けると、嬉しいです。あとは私にお任せください」
慶介はじっと母さんの瞳を見つめる。
「そうね、立花さんが一緒なんだもの。わかりました。修一、ちゃんと立花さんの言うことを聞くのよ」
「はい」
僕が答える。そこに父さんが外から戻って来た。
「車の準備はできたぞ。お前たちは大丈夫か」
「はい」
僕と慶介が返事をしたら、父さんは母さんの方を見る。
「じゃあ、母さん。私が出掛ける途中に駅まで送って来るよ」
「わかりました。いってらっしゃい」
心配そうに手を振る母さんに深いお辞儀をして、前を進む父さんの後をついて行く。家の門で振り返ったら、まだ母さんは立っていた。大きく手を振ってから、僕は車に乗り込んだ。
駅に来るのは久しぶりな気がする。ここは町から遠くて、二時間に一本しか電車が来ない。だから、この辺りに住む人間はみんな車で移動する。そのせいで、鉄道会社も管理費用が捻出できないのだろう。以前あった改札とトイレは撤去されてしまった。今、残っているのは駅舎だけだ。中には椅子と時計、空調があるくらいで、時刻表がなければただの小屋にしか見えない。
僕と慶介が電車の到着を待っていたら、入口のガラス戸を叩く音がした。詩織だ。こちらが気が付くと、中に入ってくる。
「こんにちは。修一と立花さんのお二人だけかしら?」詩織が僕に聞く。
「ああ。父さんは僕たちをここに降ろしたら、出掛けてったよ。母さんはついてくるって言ってたけど、病院の日だから家に置いてきた」
「そう。おば様、修一くんのことを大切に思ってるから」
「ああ、わかってるよ」
後ろのガラス戸が乱暴に開く。目を向けたら、和樹が立っていた。相変わらず息を切らしている。
「修一、今日から立花さんのところなんだって? 何で俺に言ってくれないんだよ」
「模擬試験と学校見学だぞ。何でお前に言わなきゃいけないんだ」
「修一と俺の仲じゃん。俺も行きたかった。もっと早く教えてくれたら、なんとかしたのに」
だから教えなかったんだよ。お前がいたら、慶介と二人だけの時間が削られる。僕は心の中で言った。
「和樹くん、一緒に来たかったの?」慶介が尋ねる。
「もちろんです。都会の美容室がどんな感じなのか、実際に見たかったんで」
へぇ。遊びのためじゃなくて、自分の進路のためだったのか。何にも考えていないように見えて、こいつもきちんと考えているらしい。
「じゃあ、来る時に連絡してよ。美容室も僕がいつも行ってるところだったら、紹介できるから」
「マジっすか」
「うん。お客さんの紹介がないと、予約が取れないお店なんだけどね。勉強にはなると思う」
「おお、凄そう。ありがとうございます」和樹は勢いよく頭を下げる。
「いやいや。詩織ちゃんも、来ることがあれば案内くらいはするよ」慶介は詩織にも話を振る。
「うーん。私は多分、行く機会はないと思います」
「そうなの? 進学はするんでしょ。シュウみたいに自分の行きたい学校は、見ておいた方が良いんじゃないかな」
「大学は行きますが、県の国立大にしようと思ってます。あまり遠くに行くのを、両親が嫌がっていて」詩織は目をふせる。
「そっか。お金を出してもらう以上はご両親のご理解は必要だよね。とはいえ、詩織ちゃんの希望も、まず話してみたら良いんじゃないかな」
「そう、ですかね」
外で電車がそろそろ到着することを知らせる音が鳴った。そろそろホームに出た方が良さそうだ。僕たちは駅舎から出る。今日も天気がいい。遠くにはもう電車が見えている。流石に蝉の声は電子音に遮られて、聞こえない。電車を待つのは僕たちだけだ。
「修一くん、帰って来てね」詩織が言う。
「え?」
僕は驚いて彼女を見る。慶介と和樹もびっくりした顔だ。
「ごめんなさい、急に。私、何言ってるのかしら。修一くんがもう帰って来ないような気がして」
「大丈夫だよ、詩織。帰ってくるから」
僕は詩織を抱き締める。自分でもよくわからないが、こうしなくてはいけない気がした。だが、冷静に考えたら、周りからは別れを惜しむ恋人同士にしか見えないだろう。和樹はいいとして、慶介はどう思うだろうか。
考えているうちに、電車がホームに停まった。詩織は僕の身体との間に手を入れる。僕が詩織の顔を見ると、彼女は微笑む。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
僕は慶介に目で「行こう」と伝える。彼はうなずいて、自分の荷物を持った。僕たちは電車に乗り込む。車内にいる客は数えるほどだ。
後ろで排気音と共にドアが閉まった。ドアの向こう側で、詩織が手を振る。僕もそれに振り返す。彼女は相変わらず笑顔だが、その瞳はガラス玉のようだ。
ガタンと音を立てて、電車は動きはじめた。徐々に詩織の姿が小さくなっていく。僕は彼女が見えなくなるまで、見つめ続けた。窓の外が真っ暗になる。トンネルの中に入ったのだろう。
彼女はもう見えない。
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