第12話

 ピピピ。電子音がする。目を開けると、隣には慶介がまだ寝ていた。音はどこからしているんだろうか。だが、この部屋には何も置いていないハズだ。慶介が脱ぎ捨てた服の中にでも、入っているのかもしれない。

「ん」

 慶介が目を擦る。音は大きくなった。どうやら彼の腕時計が鳴っていたらしい。慶介は目をしっかり開けないまま、時計を操作して、音を止めるとまた眠りに落ちる。

 安らかに眠る顔を見つめる。自分がそれを許されているのが嬉しい。しばらく眺めていたら、まるで花のつぼみがひらくかのようにゆっくりとまぶたが開いた。慶介は目を擦る。

「ん。シュウ、おはよう」

「慶介、おはよう」

 慶介が僕の頭を撫でた。そして、腕時計を確認する。

「こんな時間か。じゃあ、起きようか」

 慶介はベッドから立ち上がり、身支度をはじめる。せっかく二人だけの時間なんだから、もっとイチャイチャしたい。そう思いながら、僕は身体を起こす。着替えるならば、二階に上がらないといけない。僕は下着だけ身に付けて、彼に告げた。

「僕は自分の部屋に戻りますね」

「ああ、うん。今日は用事があって、出ないといけないんだけど、せめて朝ごはんは一緒に食べよう」

「はい」

 僕は階段を上がって、サッと準備を済ませる。一階に戻ると、慶介が待っていてくれた。

「じゃあ、行こうか」

 慶介が玄関を開けた。外に出ると、空気が冷たい。二人で手をつないで、朝の散歩にでも行きたいくらいだ。そうだ。外ならまだしも、ここは自分の家の庭だ。じゃあ、大丈夫だろう。僕は前を歩く慶介に手を伸ばす。

 だけど。家の中とはいえ誰かに見られたら、どう思われるだろうか。お妙さんは朝ごはんの準備をしているかもしれない。けれども、権じいが通りかかるかもしれない。母さんが僕たちのことを呼びに来たら、どう説明したらいいんだろう。慶介に触れるか、触れないかのところで、僕の手が止まる。あと数ミリだ。でも、触れるには永遠の時間が必要な気がする。そんなことを考えているうちに、母屋へ着いてしまった。お茶の間に向かうと、父さんと母さん、そして遵二が揃っていた。母さんが僕に声をかけてくる。

「あら。修一、今日は随分と早いのね。立花さんのお陰かしら。お妙さんにあなたの分も用意してもらうわね」

 母さんは立ち上がって、台所の方へ行った。父さんは今日も慶介を自分の近くに座らせると、仕事の話をし始める。一通り、確認が終わったのだろうか。父さんはお茶を飲んで一服する。

「そういえば、立花くんもあと二週間で、元の職場へ戻ることになったみたいだね」

 えっ? なんだって。もう慶介は帰ってしまうのか。もちろん、彼がいつか帰ることを知らなかった訳じゃない。とはいえ、今の話を聞くまで、はっきりと意識していなかった。いや、敢えて考えないようにしていたのかもしれない。だが、数字で言われて、改めてその短さを思い知る。

「はい。美那郷にはもう少しいたかったのですが、残念です」

 慶介は言葉の上では「残念だ」と言った。けど、都会に帰ってしまったら、忘れてしまうんじゃないか。美那郷のことも、そして僕のことも。だって、都会にはこんな何もない田舎と違って、物も人もあふれている。僕はそれに勝てる気がしない。

「僕もさびしいです。良かったら、また遊びに来てくださいね」

 帰らないでほしい、と言ったところで、慶介を困らせるだけだ。でも、だからといって、何か言わないではいられない。ささやかかもしれないけれども、彼の心の片隅に引っ掛かる何かを残そう。そう思って、僕はなんとか言葉を絞り出した。

「シュウ」

 慶介が僕の名前を呼ぶ。悲しそうな声だ。どうやら彼も、僕との別れを惜しむくらいには、思ってくれているらしい。そうか。それがわかっただけでも良かった。

 別に一生、会えない訳じゃない。進学は慶介が住んでいる辺りにある大学を考えている。進学が上手くいけば、今よりは近くに住むことになるだろう。だから、僕もがんばらなくちゃ。そう自分に言い聞かせる。その時、父さんが独り言のように呟いた。

「そういえば、修一。二週間後に模擬試験を受けるんだったな」

「はい」

「ふむ、そうか。その試験、立花くんの家の近くで受けてみてはどうかな?」

「え?」

 僕は驚いて、父さんの顔を見た。


 父さんは何を言いたいんだろうか。「慶介の家の近くで、模擬試験を受けろ」だって? 確かに試験を受ける場所の変更はできたハズだ。しかし、果たしてそれに何の意味があるっていうんだろう。僕が意味をつかめていないことを察したかのように、父さんは付け加える。

「模擬試験のついでに志望校も事前に見てきなさい。都会は移動もこの辺りと比べて複雑だ。行くなら、勉強に余裕がある今の方がいい」

 確かに僕の受験する大学は、慶介が住む辺りにある。残念ながら、僕はその辺りの地理には明るくない。せいぜい修学旅行で行ったことがあるくらいだ。本番に「志望校まで行け」と言われて、無事にたどり着けるかと聞かれたら、不安はある。

「シュウ。ちなみに、志望校はどこを考えてるんだい?」

 慶介の問いに、僕は学校名を伝える。

「へぇ、オレの出身校も受けるんだ。他の学校もオレの家から近いよ。もし、来るならオレの家に泊まる?」

 えっ、本当に慶介が住む家へ行くことができる? しかも、短い間とはいえ一緒に生活できるだなんて、夫婦みたいだ。だが、父さんはなんて言うだろうか。僕は父さんの顔色をうかがう。

「立花くんがそう言ってくれると助かる」

「こんなにお世話になっているんですから、お力になるのは当然です」

「立花くんが一緒なら心強い。今日の様子なら、家にいるより規則正しい生活になるだろうからね。修一、どうだ」

「行かせてもらえるのであれば、喜んで行きます」

「よし。じゃあ、決まりだ。詳しいことは、また後で相談しよう」

 その時、さっきまで黙って話を聞いていた遵二が抗議の声を上げた。

「兄貴、ズルくない? 俺も行きたい」

「ははは。別に遊びに行かせる訳じゃないんだぞ。修一が進学したら、次は遵二の番だ。その前にお前は、高校に進学しないとな」

「はぁい」

 遵二は一学期の成績が思ったよりも、よくなかった。志望校に進学をするなら、もっとがんばらないといけない状況だ。痛いところを突かれて、これ以上食い下がるのは難しいと踏んだのだろう。思ったよりもあっさり引き下がった。

 父さんと慶介は食事が終わると、一緒に出ていった。続いて遵二も席を立つ。今日も部活の朝練だろう。遵二は茶の間の襖を開ける。だが、そのまま出て行かず、こちらを振り返った。

「なぁ、アニキ。立花さんと何かあった?」

 突然の言葉に思わず箸の動きが止まってしまった。まさか、遵二に慶介との関係を気付かれているのだろうか。だが、バレる理由に見当がつかない。黙ったままでは「イエス」と取られかねない。まずは否定しておこう。

「いいや、別に」

「そっか。いやさ、今日は妙に仲がいいなと思って」

「ん、何で?」

「立花さん、前は『修一くん』って呼んでたじゃん。でも、今日は『シュウ』って言ってただろ」

「ああ、それか。立花さんにはこの三週間、散々付き合ってきたからな。気を使わなくなってきたんじゃないか。ここ最近、そう呼ばれてる」

「ふぅん、そっか」

 遵二は半信半疑といったところだろうか。何を言えば納得させられるだろう。

「ってヤバいヤバい。こんな時間じゃん。練習に遅れたら、コーチに何言われるかわかったもんじゃない。じゃあ、行くわ」

 遵二はバタバタと玄関の方へ走って行く。とりあえず、誤魔化せた気がする。でも、後で慶介と相談しておく必要はありそうだ。

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