第11話

 僕たちは二人で僕の家の門をくぐった。いつもは何気なく通るその扉が、今日は異世界へ続く道のようだ。踏み込もうとすれば、僕たちを拒否するかのような抵抗感を覚える。玄関に入ると、中ではお妙さんが掃除をしていた。僕たちに気が付いて、一礼をすると中に下がっていく。父さんと母さんを呼びに行ったんだろう。

 僕と立花は何も話をせずに、二人が来るのを待った。深い川の底にいるかのような静寂が重苦しい。だが、それを破ってはいけない気がした。じっとしていたら、こちらへ急ぎ足で歩いて来る音がした。母さんだ。後ろからゆっくりした足取りで父さんもついて来る。

「修一。高校生が朝帰りだなんて、何を考えているのかしら」

 母さんの言葉は冷たい。こういう時は素直に謝っておいた方が得策だ。

「心配をさせてすみません」

 僕は素直に謝る。隣にいた立花も僕と一緒に頭を低くした。

「まあ、母さん。修一は男の子だ。それに、立花くんも一緒だったんだから」

 実際には全然大丈夫じゃなかったんです。二人でいけないことをしてました。僕は心の中で懺悔する。

「すみません。私の配慮の至らなさで、お母様にご心配をお掛けする事になって。遅くなってしまったから泊まるように言ったのは、私なんです」立花が僕をかばう。

「そうなんですか。立花さんが」母さんは言い淀む。

「はい。美那郷の話を教えてもらっていたんです。修一くんは知識が豊富な上に観察力があるので、話をするのが楽しくて。つい引き留めてしまいました」

「まぁ」

 母さんは僕が立花からほめられるのが満更でもないようだ。上がっていた目尻が、緩みはじめる。

「そもそも、こちらから引っ越す時も、ご挨拶もしないで、申し訳ありませんでした。自分の家にいるかのように良くして頂けて、嬉しかったです」

「そんな、お客様をおもてなしするんですもの。心地よく過ごして頂くのは、当然ですわ」

「なのに、仕事にかまけて不義理をしてしまいました。ダメですね。せめて、感謝とお詫びの印として、こちらを受け取って頂けませんか」

 立花はここに来る途中で買った和菓子の紙袋をカバンから取り出し、母さんに差し出した。

「あら、すみません。私、ここのお菓子大好きなんですよ。そうですか。でも、修一はまだ高校生なんです。次は気を付けていただけますか」

「当然です。もしご迷惑でなければ、僕がこちらへ伺うようにさせて頂きます。その方がご心配もお掛けしないで済みますよね」

「迷惑だなんてことありませんよ。言って頂ければ、いつでも。そうだわ。今日の夜はこちらで食べていってくださいな」

「もちろん、よろこんで」

 頃合いを見計らったように、父さんが母さんと立花の話に入る。

「じゃあ、母さんは食事の準備についてお妙さんと相談してくれ。立花くんはこちらに置いていったものの片付けだな」

「そうね。お妙さんと話をしてきます」

 母さんはこたえて、台所の方へ戻って行く。

「母さんのお許しは出たみたいだ。二人共、自分のやるべきことに取り組んでくれ」

 父さんは僕と立花の肩を笑顔で軽く叩いて、玄関を出ていった。

 僕たちは離れの戸を開ける。二人で一緒にここへ来るのは、久しぶりのような気がした。実際にはたった二週間しか経っていない。でも、なんとか立花との関係を修復するために、いろいろ考え、行動した。その上で、今ここに立っている。立花がここにいなかった二週間の間に二人の関係は進展した。密度が高い二週間だったからこそ、「久しぶり」と感じるのかもしれない。

「久しぶりって感じがするね」立花が僕の後ろでつぶやいた。

「ですね。僕も同じことを考えてました」僕は振り向いてこたえた。

「そっか、そうだよね」立花が笑顔でうなずく。

「修一くんのお父さん、いいお父さんだよね。お母さんも」

 僕も、父さんの子どもを尊重してくれる姿勢は好きだ。母さんは心配性過ぎる気もする。だが、きちんと話せば、なんだかんだ言って最後には許容してくれる。

「そうですね」

 立花のご両親はどんな人なんだろう。彼がどんな人生を歩んで、今のような人間になったのだろうか。そして『ミツアキ』とは、どんな恋愛をしたんだろう。僕は立花のことをまだほとんど知らない。

「お父さんから『やるべきことをやれ』って言われたから、オレはここの片付けをしなくちゃ。修一くんの『やるべきこと』は?」

「僕は勉強でしょうね。今日の課題をやっておきます」

「じゃあ、お互いにがんばろう」

「はい」

 僕と立花はハイタッチをする。そして、僕は二階へ上がった。


 後ろで誰かが壁をノックする音がした。僕は問題を解いている途中だったので、振り向かずに「何?」と応える。

「修一くん、晩ごはんだって」

 立花の声に僕は振りむく。彼は部屋の入口に寄りかかって、こちらを見ていた。

「わかりました」僕は応える。

「修一くん、なんか他人行儀じゃない?」

「そうですか?」

「うん。僕のこと、基本的に『立花さん』って言うじゃん。何か距離を感じるんだけど」

「確かに。でも、何て呼んだら、いいですか」

「名前で呼んでよ」

「んー。わかりました、慶介さん。こんな感じでいいですかね」

「二人きりだったら、さんはいらないよ」

「じゃあ、慶介」

「よろしい。じゃあ、ご飯を食べに行こう」

「うん」

「そうそう。そんな感じ」

「はーい」

 僕たちが二人で母屋の茶の間へ行くと、父さんと母さん、そして遵二が待っていた。

「お待たせしました」慶介が頭を下げる。

「いやいや、そんなに気にしなくても。じゃあ、晩ごはんにしようか」

 父さんの言葉を合図に「いただきます」を言って食事をはじめた。

「立花くん。龍明寺の夏祭りには、結局行かなかったのかい?」父さんは立花に尋ねる。

「はい、残念ながら」

「そうか、残念だな。この辺りでは一番大きいお祭りだから、立花くんには是非見て欲しかったんだが」

「申し訳ありません。仕事が立て込んでまして」

「いや。ここには仕事で来てもらってるんだから、仕事優先なのは当然だ」

「すみません。でも、由来については、修一くんに教えてもらいました」

「そうか」

 そう言うと、父さんは考え込んだかのように、黙った。慶介は父さんの機嫌を伺うかのように言葉を続ける。

「やっぱり地域の独自性があるって、大切だなって思いました。美那郷には可能性があります」

「立花くんにそう言ってもらえると、私も嬉しいよ」

 父さんと慶介の話は盛り上がり、お酒が入ってしまったので、今夜は慶介を離れへ泊めることになった。

 離れまで歩く慶介の足取りは若干左右に振れている。この様子からすると、彼はあんまりお酒には強くないのかもしれない。離れの玄関を開けて、中に入ると慶介は後ろから僕にのしかかってきた。

「大丈夫ですか?」

「ん」

 僕は慶介を支えて、体勢を立て直す。彼を板の間に座らせると、一階の部屋の扉を開けた。室内はガランとしていて、生活の気配が消えている。慶介が都会に戻ってしまったら、こんな風に痕跡が全てなくなってしまうんだろうか。

 この部屋は遵二が高校生になったら使うことになっている。だから、塗り潰されるというのが正確だ。とはいえ、慶介本人が消える訳じゃない。いる場所が変わるだけだ。何を僕は悲観的になっているんだろう。大体、今は彼を休ませるのが優先事項だ。

 さて、どうしようか。ベッドを見たら、まだ布団が敷かれたままになっていた。とりあえずあそこに座らせて、水でも飲ませよう。後ろを振り返る。慶介は靴を脱いでいた。彼を手伝いながら部屋へ入り、ベッドに座らせる。そして、僕は二階へ水を取りにいき、それを飲ませた。慶介は一息つく。

「修一くん、ありがとう」

 落ち着いたところで、僕はあることに気が付いた。これは、きちんと言った方が良いだろう。

「僕には名前で呼ばせて、自分は『くん』付けですか」

 彼は何を言われているのかわからないという顔をする。自分では自覚していなかったのかもしれない。少し考え、うなずいた。

「ああ、そうだね。じゃあ、シュウでどうかな」

「よろしい」

 僕は今朝の慶介と同じように返す。彼もそれに気付いたのだろう。表情がやわらかくなった。

「で、この後どうしますか。もうおやすみになられるなら、お風呂沸かしますけど」

「そうだね。お願いする」

「わかりました。せっかくだから、お背中を流しましょうか」

「嫌だ」

「即答ですね。そういえば、川遊びの後も一緒に入ってくれなかったですよね」

「あの時は反応しちゃうとマズいな、と思って」

「へぇ。ちなみに、僕のことはいつからそういう目で見ていてくれたんですか」

「えっ?」

 慶介は決まりの悪そうな顔をして、僕のことをうかがうように見る。僕は逃げられないようにその瞳をじっと見つめた。慶介はため息を吐いて、頭を掻きながら話を再開する。

「言いにくいんだけど。実は、最初見た時にかわいい子だなとは思ってた」

「なるほど。僕が着替える姿をじっと眺めようとしてましたもんね」

「そういうつもりじゃなかったんだ。ただ、綺麗だなと思ったら目が離せなくて」

「僕は慶介にもっと見て欲しいな」

 ぽつりとこぼれた言葉に慶介は目を見開き、喉はゴクリと音をたてた。だが、一生懸命頭を振る。

「そっ、そういうシュウはどうなのさ?」

「どうって?」

「オレのこと、いつから気になってた?」

「そうですねぇ。最初、会った時ですかね」

「ウソだ。ここに来た頃って、けっこう冷たかったじゃん。オレ、嫌われてるのかなって思ってた」

「それは、気が付かれないように必死だったから」

 実は『ミツアキ』も急にボソボソと言われただけだったので、最初は意味がわからなかった。時間が経って、人の名前かもしれないと思いついたので、鎌をかけてみただけだ。

「つまり、お互い一目惚れだったってことですね」

 僕は慶介の肩に頭を乗せて、彼を見上げた。慶介の心臓の鼓動が早まっていく。

「う、うん」

 慶介はぎこちなく僕の言葉に同意する。

「うれしいです」

 僕は慶介の唇を迎えにいった。そしてーー。

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