第10話

「修一くん」

 誰かが僕を呼んでいる。うるさい、誰だ。寝ぼけた頭で記憶をたどっているうちに、眠気が一気に醒めた。

 目を開ける。立花だ。紺色の半袖シャツに白いジーンズ姿で、僕を見下ろしていた。僕は布団から身体を起こす。

「朝ごはん作ったんだけど、食べる?」

 立花は二人で熱く情をかわしたことを微塵も感じさせない爽やかな顔だ。もしかして、あれは全部僕が見た夢だったんだろうか。とはいえ、まさか「昨日、僕としましたよね」だなんて聞く訳にはいかない。

「大丈夫?」

 立花は心配そうな表情になった。正直、混乱している。が、あまり考え事ばかりしている訳にもいかない。

「はい、頂きます」

「じゃあ、一階のお台所に用意してあるから、準備ができたら来てね」

 そう言って、立花は部屋を出ていった。僕は布団から出て、着崩れていた浴衣を整える。そのまま風呂場に行って、シャワーでベタついた身体を洗う。すっきりして、台所に入ると黄色いエプロンを着けた立花が、こちらを向いた。

「修一くん、おはよう」

 何かを作っているようだ。フライパンを動かしている。

「おはようございます。何か手伝いましょうか」

「もう終わるから、大丈夫。その辺りに座って、お茶でも飲んでてよ」

 立花の指示に従って、僕はテーブルについた。置いてあるコップに麦茶を注いで、飲む。

「さてと。修一くん、ご飯少なめがいいよね」

「はい」

 僕の答えを聞いて、立花はお茶碗にご飯をよそい、汁物を準備した。そして、お盆に乗せて、こちらに持ってくる。僕はごはんと汁椀を受け取った。

「立花さん、これって」

「うん。修一くんの家で最初の日に出してもらった美那郷の郷土料理の。上手くできているかわからないけど。ちょっと味をみてもらっていいかな」

 立花は器を全て置いて、残りの料理を取りに戻っていった。僕はお椀を手にとって、口をつける。ちょっと味付けがおおざっぱな気もするが、慣れ親しんだ味だ。

「うん、いいんじゃないですか」

「良かった」

「どうしたんですか、これ」

「お妙さんに教えてもらったんだ」

 お妙さんは高野家の男が台所に入るのを嫌がる。立花は高野家の人間ではないが、客だ。簡単には受け入れてくれないだろう。

「よくお妙さんが教えてくれましたね」

「うん、苦労したよ。けど、言葉で説明してくれただけで、作っているところは見せてもらえなかったんだ。だから、上手くできてるか不安だったんだよね」

 立花は残りの皿を持ってきた。ニンジンの千切りが入った卵焼きだ。全て置き終わると立花もエプロンを外して、席についた。

「じゃあ、食べようか」

「はい」

 二人共に手をあわせて「いただきます」を言って、食べはじめる。

「このニンジンが入った卵焼き、甘味があって美味しいですね」

「気に入ってくれて良かった。これ、沖縄料理なんだよ」

「ふぅん。立花さん、料理が上手なんですね」

「そんなことないよ。簡単なものしか作れないから」

 作ってくれた朝ごはんが美味しくて、場の雰囲気が和む。食事をしながら、立花は僕に言った。

「あっ、そうだ。今着てる浴衣は僕が洗っておくから」

「別にいいですよ。そこまでしなくても」

「いや、ちょっと昨日の残り香がするから。オレは、修一くんを守りたいんだ」

「どういうことですか?」

「家へ帰る途中、誰かに会うだろ。その時にオレとのことを疑われるかもしれない。オレは君が自分の故郷に居づらくなるようなことは避けたいんだ」

 確かにこのことがバレたら、格好のゴシップネタにはなるだろう。

「わかりました」僕はうなずく。

「じゃあ、ご飯の後でオレの服貸すよ」

「ありがとうございます」

 食事を済ませたら、立花は二人分の食器を流しに運ぶ。僕が何か手伝えないかと思っているうちに立花はサッと洗ってしまった。

「じゃあ、着替えを貸すから、二階に行こうか」

 立花は僕についてくるように合図する。僕は歩きながら、立花に聞いた。

「はい。立花さん、家事得意なんですね」

「どうかな。オレの母親が『これからの男は、家事くらいできた方がいい』って人でさ。しつけられたんだ。でも、最低限のことしかできないよ」

「僕は学校の家庭科でやるくらいなので、そういうことができるのって格好いいと思います」

「そっか。修一くんにそう言ってもらえるとうれしいよ」立花は頭を掻く。

 雑談をしているうちに、僕たちは二階に着いた。立花はタンスの中から、洋服を取り出す。

「多分、この辺りであれば、似合うと思うんだけど」

 ボルドー色の半袖シャツとベージュの短パンだ。僕は着心地を確認するために浴衣を脱ぐ。

「ちょっと、修一くん」

 立花は赤くなって、目をそらす。ああ、そうだった。今、僕は下着を何にも着けてないんだったっけ。

「昨日、散々見たじゃないですか。何を今さら」

「だからってダメでしょ。パンツも貸すから、履いてもらえる?」

「えぇ? こんなになってるのに、パンツ借りたら汚れちゃいますよ」

 僕は熱を帯びた自分自身を立花に見せつける。

「ああ、もう。ダメだって。汚してもいいから、履いてくれない?」

 僕の言葉に立花が反応してくれるのが楽しい。それに「履け」と言いながらも、チラチラと立花の視線を感じる。それが僕の劣情をいっそう掻き立てた。

「じゃあ、これ落ち着けるの、手伝ってください」

「バカ。それじゃあ、服を貸す意味がなくなっちゃうだろ。早く履く、履く。じゃないと、僕は下に降りるよ」

「ちぇ」

 僕は諦めて、立花が渡してきた下着を身に付ける。

「よろしい」

 立花はそれを確認すると安心したようにうなずく。

 僕はそのまま、立花から渡されたシャツと短パンを着た。ちょっと僕には大きかったが、応急措置としては許容範囲だろう。

「やっぱり、似合うね」

 立花は満足げにいうが、僕にはよくわからない。

「そうですか?」

「うん。修一くんってこういう高級感のある色が似合うと思う」

「僕もこの服、好きですよ。自分でも欲しいくらいです」

「そんなに気に入ってくれたんだ。あんまり高いものでもないから、あげるよ」

「やった」

 この服を着ていると、立花の香りがする。これがあれば、いつでも立花と一緒にいる感覚が味わえるだろう。

「そういえば、修一くんが起きる前にお父さんから電話があったんだ」

「父さんから?」

「うん。君がいるかの確認だった。あと、向こうに置いてある荷物をどうするか聞かれたよ」

 そういえば、父さんには昨日のうちに「ここへ泊まる」と連絡しておいた。きっと母さんから、確認しろって言われたのだろう。

「僕はこれから君の家へ行こうと思うんだけど、修一くんはどうする?」

 この様子だと、帰ったら母さんがうるさそうだ。立花がいた方がこちらへの追及は分散できるだろう。

「僕もご一緒していいですか。あと、家へ行く前に寄ってほしいところがあるんですが」

「いいよ。どこだい?」

「和菓子屋です」

「和菓子屋さん?」

「はい。母さんが好きなお店なんですが」

 僕の言葉を聞いて、立花はにっこりと笑う。

「ああ、修一くんに朝帰りをさせちゃったからね。それにオレの引っ越しの件もある。わかった。ナビを頼めるかい」

「もちろんです」

「じゃあ、車を用意してくる」

 立花は階段を降りていった。僕もゆっくりそれに続く。

 事務所の玄関で待っていたら、一台の車が家の前に停まった。僕が近付くと助手席側の窓が開き、中に乗っている立花が座るように合図する。僕がそれに従って乗り込むと車は走り始めた。

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