第9話

 祭り囃子の音に、物売りが客を呼び込む声がする。龍明寺の夏祭りは美那郷で一番大きなお祭りだ。町の外からもお客さんが来るので、いつもより人が多い。地元の人間もこの日を楽しみにしている。

 僕は詩織から誘われて、和樹、森さんと一緒に巡ることになった。待ち合わせの六時には、あと十五分くらいだ。詩織と森さんはそろそろ来るだろう。和樹は今日もギリギリに違いない。立花はどうするのだろうか。

 あれから話ができていないので、何もわからない。仲村さんはきっと誘うだろう。二人で巡るのだろうか。

 ポストに入れた立花宛ての手紙は、置いた次の日に確認したら、なくなっていた。宛名も書いておいたので、まさか他人が見ることはないだろう。だが、実際にはどうなったのか確認する方法がない。できれば中身を読んで、警戒を少しは解いてくれていると良いのだが。

「修一くん、お待たせ」

 詩織と森さんだ。詩織は白地に黄色や紫の小さな花が散りばめられた浴衣を着ている。森さんは朝顔のあしらわれた青い浴衣だ。

「今日の浴衣も似合ってるね」

「そうかな、ありがとう」

 僕の言葉に詩織は、はにかんだ笑顔を見せる。

「今日の修一くんの浴衣は、黒地に流水紋なのね。格好いいと思う」

「ああ、美那郷のお祭りにはピッタリだろ」

「そうね。ところで、立花さんと最近お話してる?」

 詩織から立花の名前が出てくるとは。もしかして、彼女の耳に何か良くない話でも入っているのだろうか。

「いいや。立花さんは川遊びに行った後から、ほとんど話せていないんだ。立花さん、町の事務所に移ったから」

「そう」詩織は沈んだ表情を浮かべる。

「どうかしたのかい?」

「うん。一緒に川遊びへ行った仲村さんっていたでしょ」

「ああ、覚えているよ」

 その話か。だったらこちらも丁度知りたい話題だ。詩織の方から話をしてくれて助かる。

「彼女、立花さんのことが好きになってしまったらしくって。今日も夏祭りに誘ったらしいの。でも、お仕事があるって断られてしまったんですって」

「ふぅん。父さんからは『立花さんが最近忙しい』とは聞いてるけど」

「そうなのね。じゃあ、実際にお仕事があるのかもしれないわね」

「何かあった?」

「ここってうわさが早いでしょ。もう結婚したも同然みたいに言う人もいるらしくて。それで立花さんが嫌な思いをしたんじゃないかって仲村さんが心配してて」

 うわさになることくらい、ここに住んでいる仲村さんなら、わかっているハズだ。それを利用しようと思って、自分から周りに話をした可能性すらある。だが、立花がつれない態度を取ったものだから焦っている、といったところか。

「そっか。後で立花さんに会ったら、それとなく聞いとくよ」

「助かるわ。仲村さんにはいつもお世話になってるから、できることはしてあげたいのよね」詩織は胸に手を当てる。

「お待たせ」

 話をしていたら、和樹が息を切らして走って来た。グレーに麻の葉柄の浴衣は、意外に茶髪とマッチしている。予想通り、今日も遅刻だ。すかさず森さんがツッコミを入れる。

「遅いぞ」

「うるせぇな」和樹が悪態をつく。

「まあまあ。じゃあ、行こうか」

 僕はみんなに歩き始めるように促す。参道沿いの屋台をひやかしながら、僕たちは龍明寺へ向かう。歩いていると詩織が話掛けてきた。

「修一くん、修一くん」

「ん?」

「和樹くんと裕美子ちゃん、お似合いだと思わない?」

 言われてみれば、前を歩いている二人は、ケンカしながらも楽しそうだ。

「そうなのか?」

「和樹くんはわからないけれど、裕美子ちゃんは、そうだと思う」

 言われてみれば、お似合いかもしれない。和樹はいい加減なところはあるが、根は真面目だ。森さんみたいなしっかりした相手が良いのかもしれない。

 龍明寺の長い階段を登りきって、僕たちは頂上に着いた。下を見るといつになく明るい町が見える。みんなでお参りを済ませて、帰ろうとしていたら、近付いてくる女性がいた。仲村さんだ。詩織が側による。

「愛さん、どうでしたか」

「やっぱり『仕事が忙しい』って断られちゃった」仲村さんはため息をつく。

「修一くんにも聞いたんですが、立花さん、実際に忙しいみたいですよ」

「立花さん、エリートですもんね。仕方ないか」

 僕は不満そうな顔の仲村さんにたずねる。

「立花さん、どこにいらっしゃいましたか」

「高野さんちの事務所です」

「じゃあ、僕が様子を見て来ますよ。せっかくのお祭りだ。できれば立花さんにも雰囲気を知ってもらいたいので」

 それを聞いて、仲村さんの顔がぱぁっと明るくなった。

「もし来るようだったら、教えてください」

「はい。その時は詩織に連絡を入れます」

「ありがとうございます」

 喜んでいる仲村さんとみんなを後にして、僕は事務所へ向かった。

 事務所までたどり着くと、周囲は静まりかえっていた。みんなお祭りに出ているのだろう。遠くで、お囃子が聞こえるくらいだ。

 事務所の一階には明かりが点いている。立花はまだいるようだ。事務所のガラス戸に手をかけるとすんなり開いた。僕は中に入って、カギをかける。カーテンを閉めて、僕は明かりの方へ向かった。

 玄関を上がり、ダイニングを抜ける。奥の洋間に入ると立花はパソコンとにらめっこをしていた。こちらには気付いていない。二週間ぶりに見る姿だ。どういう反応をされるか怖いが、いつまでも見ている訳にもいかない。僕は声をかけることにした。

「立花さん」

 立花は身体びくりとした後、顔を上げてこちらを向いた。

「ああ、修一くん。元気にしてたかい」

 少し表情は硬いが、普通に接しようとしているのだろう。立花は笑顔で応える。

「はい。仲村さんから『お祭りには来ない』って聞いたんで、様子を見に来ました」

「そっか」

「夏祭りは美那郷あげてのお祭りですからね。僕も『見て欲しいな』って思ってたんですよ」

「だよね。けど、修一くんにどんな顔をして会えばいいのか、わからなくて」

「すいません。気を使わせてしまって。これ、屋台で買ってきた焼きそばですけど。食べますか」

「ありがとう」

 立花は僕から焼きそばの容器を受け取って、食べ始めた。

「この焼きそば、ここの地ビールが合うらしいんですよ。多分ここの冷蔵庫に入ってると思うんで、お持ちしますね」

 僕は事務所の台所へ向かって、冷蔵庫を開ける。予想通り、お客さん用の地ビールが置いてあった。僕はグラスを取り、立花のいる部屋へ戻る。

「やっぱりありました。飲みます?」

「じゃあ、ちょっと」

 僕は立花にグラスを手渡して、そこにビールを注ぐ。泡がグラスのちょうどてっぺんまで上がる。立花はそれをくいっとひと飲みした。

「確かに、この組み合わせは良いね。美那郷は本当に観光資源が豊富なところだよ。あとは見せ方次第だと思う」

 笑顔の立花の話を聞きながら、僕はグラスにもう一杯ついだ。立花はグラスを眺めながら、一人ごとのように言葉を続ける。

「手紙、見た。確かに、自分が周りと違うことに気が付いて苦しんでいる時に自分と同じような相手がいるってわかったら、早まったことをしてしまうかもしれないね」

「すみません。ここではどうしても隠さないといけないことなので。だから、立花さんがそうだとわかって、焦っちゃいました」

「うん。オレもシゲルさんの話を聞いたけど、酷いね。ほとんど村八分だ。あれを見たら、怖くもなると思う。オレで良ければ、話は聞くよ」

「ありがとうございます」

 どうやら手紙は効果があったみたいだ。僕は時計をチェックする。そろそろ良い頃合いだ。

「そういえば、父さんから『ここに置いてある荷物を取ってきてほしい』って言われたんです。すみませんが、探すのを手伝ってもらえませんか」

「いいよ」

「二階にあるらしいんで、上にあがりましょう」

「わかった」

 僕たちは二階に上がる階段へ行くと、外からヒューっと音がした。そして、数秒後に破裂音がする。

「お祭りの終わりに花火をあげるんです。上の部屋から、見えるかもしれませんね」

 僕は先に階段を上がって、電気を点けないまま正面にある雨戸を開けた。

「ほら。立花さん、来てください。綺麗ですよ」

 僕が手で立花を呼ぶと、彼は窓際まで来た。僕たちは並んで、一緒に空を眺める。また、ヒューっと音がすると空に花が散る。

「立派な花火だね」立花がつぶやく。

「でしょ。ところで、美那郷のお祭りがどんな由来か聞きましたか」

「いいや」

「美那郷って元々は違う字なんですよ。実際には蛇を意味する巳を使うんです」

「へぇ。ここは川が多いもんね。川の流れは蛇や竜に例えられる。だから、巳の字を使ったんじゃないかな」

「そうなんです。ここは蛇の里。龍明寺も今はお寺ですが、元々はこの土地に恵みをもたらす白い蛇を奉った山なんです」

「なるほど」

「で、この町には時々白い肌の子どもが生まれるんです。この子には神の使いとして特別な役割があるって言われてまして」

「へぇ。どんな?」

「お祭りの日に外から来た人間と交わるんです。それでこの土地は豊かになると伝えられています」

「えっ?」

「流石にこのご時世、そんなことをさせる訳にはいかないので、随分昔にその風習は廃れてしまいましたが」

「だよね」立花は、ほっとしたように相づちを打つ。

「元々、その儀式も女の子の場合だけなんです。男の場合、基本的にはその対象にならない」

 立花は安心したのか、畳に座りこんだ。僕は説明を続ける。

「ただ、過去には交わった男の子もいるそうです。外から来た男と」

 僕は立花を見下ろしながら、身体をおろしていく。そして、僕は立花の手を浴衣の中へ導いた。その手が僕のお尻に触れると立花は声を上げる。

「えっ、履いてない?」

 僕はその言葉を無視して、立花にまたがる。彼はさっきから蛇に睨まれたネズミのように僕から目を離さない。僕は立花の耳元でささやく。

「大丈夫。このお祭りの時に起きたことは、どんなことでも他人からとがめられることはありません。神事ですからね」

 遠くでは、まだ花火の音が聞こえる。とても大きい。人の営みの音など掻き消すくらいに。

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