第7話

 三十分ほどで掃除が終わって、帰る準備をしていると詩織が近付いてきた。

「修一くん、ちょっといいかな」

「なんだ」

「ちょっとこの後、お時間あるかしら」

「いや、陸と約束があって」

「あら。じゃあ、大丈夫。こっちはうちの親戚のつまらない用事だから、適当に誤魔化しておくわ」

「すまない」

「そんな。気にすることないよ。最初から断ってもらうつもりだったから。行ったって、あの人たちのうわさ話のネタになるだけだもの。でも、聞いたことにしないとうるさいから」

 詩織はため息をつく。聞かずに聞いたことにしても、問題ないだろう。だが、わざわざ聞く詩織の生真面目さが、僕は好きだ。

「それにしても修一くん、陸くんとは本当に仲がいいわよね」

「そうか?」

「二人で約束だなんて、陸くんくらいじゃない?」

「和樹ともあるけどな」

「そうね」

 そう言うと詩織は少しの間、黙った。そして、自分の考えを整理するかのようにゆっくり言葉を紡ぐ。

「もし、私が男だったら。修一くんとは、もっと違った関係になれたのかな」

「なんだ。いきなり」

「男と女だから、私たちはすぐに恋愛とか、結婚に結びつけられちゃうでしょ。私が男だったら、和樹くんとか、陸くんみたいに、もっと自由な関係になれたのかなって」

「確かに。詩織が男だったら、か。もし本当にそうだったら、面白いかもしれないな」

「でしょ。どんな関係になったのかしらね。意外と私の方がライバル意識を丸出しにして、仲が悪かったかも」

「うーん。けど、詩織が男だったら、親友になってたんじゃないか」

「そうしたら、和樹くんも、陸くんも私たちの間に入れないかな」

 詩織は和樹と陸に嫉妬でもしているのだろうか。確かに和樹や陸と同じではない。だが、それはいわばジャンルの違いであって、重要度の差ではない。とはいえ、詩織が男だったら、彼女の言う通り、もっと自由な関係だったかもしれない。

「そうかもしれない」

「でしょう」詩織は満足そうな笑顔だ。

「今日の件は、また何かで埋め合わせるよ」

「私たちの仲だろう。そういうのは、なしにしよう」

 詩織はわざと男っぽい話し方をする。

「そうだな。じゃあ頼んだ」

「ああ。頼まれた」

 詩織が親指を立ててきたので、僕はそれに応えた。

 詩織と別れて、僕はそのまま『例の場所』へ向かった。山を登り、道を外れて森の中を少し歩いたところに、その小屋はある。

 茅葺き屋根の粗末なものだが、しっかりとした造りだ。中は広めの部屋がひとつ。あとは囲炉裏の跡と、奥に空っぽの押し入れがあるだけだ。家具は何もない。

 陸が動物を追いかけて、道を外れるような真似をしなかったら、僕は永遠に気が付かなかったに違いない。初めて見つけた時は長い間、人が使っていない様子だった。

 今は秘密基地として使うために掃除をしたから、中で泊まれるくらいにはなっている。電気は通っていないが、昼間であれば、すき間から漏れ入る光で活動するには充分な明るさだ。

 戸を開けて中に入ると、咳き込んでしまった。ほこりでもたまっているのだろうか。陸もすぐには来ないだろう。僕は置いておいた雑巾で、板の間を拭き始める。

 それにしても、今日は何の話なんだろうか。また片思いの女の子の話を聞かされるのだとしたら、あまり気が乗らない。僕のことをないがしろにされたかのような気がする。

 でも、どうしてそう感じるんだろうか。モヤモヤを打ち消すように掃除をしていたら、後ろでガラガラと戸の開く音がした。

「相変わらずマメだな」陸が言う。

「待ってるのも暇でね」僕は答える。

「悪い悪い。ちょっと野暮用があってな」

「そっか」

 なんだよ。はっきり言えば良いのに。僕には言えない用事なのだろうか。胸の奥に、どんよりした何かがうごめく。

 陸はこちらの様子を伺うかのような声色で言葉を続ける。

「待たせて悪かった。それにしても、ここ綺麗になったよな」

「僕が掃除してるからね」

「本当に修一はマメだよ。最近も来てるのか」

「うん。たまには一人になりたくて」

「ふぅん。まあ、お前もプレッシャー多そうだもんな」

「まあね」

 陸は家の中を見回す。そして、しみじみとつぶやく。

「ここも見つけて、けっこう経つな」

「小四の頃だから、四年前か」

「よく覚えてるな」

「ああ。『秘密基地だから、二人だけの秘密を持とう』ってキスしたことも覚えてる」

「そんなことあったな。小学生だったから、バカだったんだよ」

 陸は苦笑する。僕はキスが二人の約束の証だと思っていた。でも、陸にとっては「バカなこと」だったらしい。

「ふぅん」

「何を怒ってるんだよ」

「怒ってない」

「ウソつけ。四年も一緒にいたんだから、わかる」

「どうだか」

 こんな風にだだっ子みたいになっている自分自身にびっくりする。だが、なんで怒っているのか自分でもよくわからない。

「修一、この前もそんな感じだったよな」

 陸は手であごを摘まんだ。そして、目線が宙を舞う。三回転くらいしただろうか。瞳を見開いて、僕を見る。

「そうか、ゴメン。俺の恋愛なんて、お前には関係なかったよな。それに付き合わせちまって、申し訳ない。でも、今日はそんな話じゃないんだ」

 それじゃない感がする。だが、自分でもどうしてイライラしているのか、わからない。それに付き合わせる訳にもいかないだろう。これで許してやるか。

「で、何の話だ?」

「ああ、実はさ。俺、引っ越すことになった」

「えっ?」

 僕の頭の中から言葉が消えた。どういうことだ。何も考えられないまま、僕はなんとか言葉を絞り出す。

「いつ?」

「今日の夜だ」

 は? 何をコイツは言ってるんだろう。今日の夜? そんな急に引っ越しなんて、できるものなのだろうか。大体、なんで夜なんだ。いや、そこが問題なのか。考えがまとまらない。

「何で、そんな、急に」

 僕の口から言葉がこぼれ落ちる。陸は床を見ながら、頭を掻く。

「ん。それはさ、夜逃げだから。親の借金で」

「どこに行くんだ」

「いや、俺は知らない」

「なんだよ、それ?」

「俺が誰かに言うかもしれない、って思ってんだろ。そもそも俺も、昨日の夜に聞いたんだ」

「そんな話があるか」

「仕方ないだろ。だって、子どもの俺は何もできないじゃん」

 陸は自分に言い聞かせるかのように、ゆっくり話す。

「でもさ。俺、お前だけには言っておきたくて」

「何で?」

「いや。お前だけが、俺のことを余所者扱いしなかったから。こうやって二人だけの秘密を持ってるのも、お前だけなんだぜ」

 陸と接するようにしていたのは、役割意識からだ。父さんからは、外から来た人のホストとして振る舞うように言われている。それに僕は学級委員だ。

 でも、それだけだったか。

 違う。

 僕は、陸のことが、好きだったんだ。陸は「高野」を意識しないで僕に接してくれた。一人の「修一」でいられたのだ。だから、陸の前ではあまり役割を演じなくなった。お互いに違うもの同士だったが、だからこそ興味を持った。僕にとっては特別で、そして大切な存在だ。でも、もう、きっと二度と会えない。

「修一、泣くなよ。俺も泣きたくなるだろ」

 え、誰が? 僕が? 泣いているだって? 考えが追いつかない。

 そうこうしているうちに、僕の視野が狭くなる。陸が僕のことを抱き締めたのだろう。陸の身体からは、汗と太陽のにおいがする。僕も手を陸の背中に回す。

 ひんやりとした風が、陸の体温を、血液の流れを、そして心臓の鼓動を際立たせる。陸のシャツに押し当てられた場所が濡れる。ということは、やっぱり僕は泣いているらしい。

 顔に暖かい水が滴り落ちてきた。上から落ちてきたということは僕のじゃない。陸の涙だ。ほんの少しだけでも、陸の身体から出たものを僕の中に受け入れられないだろうか。

 僕は口元に触れたそれを舌で舐める。僕が女の子だったら、キスをする展開だろうか。それ以上もあるかもしれない。せめて、キスくらいは。

 だが、拒絶されたら。いや、どうせ最後だろう。何言ってるんだ、最後だからこそ。相反する心の声に、身体は動けない。そのうち、陸がつぶやく。

「もう行かないと」

「そうか」

 僕と陸は今一度、強く抱き締め合う。このまま交じり合えたらいいのに。だが、実際には一センチ、また一センチと離れていく。「行かないで」と叫びたい。だが、それはむしろ陸を困らせるだけだ。じゃあ、何ができる? 何をしたらいい? 疑問文だけが増えていくが、肝心の答えはひとつたりとも思い浮かばない。いくら勉強ができても、目の前にある現実には手も足も出ない。陸は制服のズボンからハンカチを取り出すと僕に渡す。

「もう泣くなよ」

「お前こそ、人のこと言えないだろ」

 陸は一瞬目を見開いた。そして、苦笑する。

「まあな。ってか、修一が悪態をつくの初めてみた」

「こんな重い話をされたんだ。お前だけに特別だぞ」

「バーカ」

 陸は笑顔に戻る。やっぱり、こうでなくちゃ。

「他の奴にもよろしく言っておいてくれ。秋山とか」

 詩織に? 何故一人だけ名前が出てくる? 陸の片思いの相手はもしかして。

 でも、それだったら僕に相談するだろうか。ウワサはきっと陸の耳にも入っているハズだ。僕に一番近いのが詩織だから、名前を出したのか。陸に聞きたい。が、事実を知るのも怖い。僕の言葉を待たずに、陸は口を開く。

「じゃあ、またな」

 そういって、陸は手を振って扉を開けて出て行ってしまった。僕は慌てて靴を履いて、外に飛び出す。

 見ると陸の背中はかなり遠くにある。今から追いかけても追い付かないだろう。陸はすぐに見えなくなる。最後に一度、こちらを振り向いて、手を振ったように見えた。だが、それも気のせいかもしれない。

 僕は小屋に戻り、板の間に座り込む。気がついたら、手に陸のハンカチを握っていた。どうやら返し忘れたらしい。置き土産か。顔に近付けると、さっき感じた陸のにおいがする。僕は鼻でそれをおもいっきり吸い込んで、起きなかった想像に思い耽った。

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