三十五 事後

 我ながらなんて恐ろしい力を与えてしまったのか。このままだと、取り返しの付かない事が起きるのじゃあないのだろうか。だが。待てよ。待て待て。一時の感情で、この世の至宝とも思える、あの得も言われぬ快楽を、この地上から永遠になくしてしまって、良いのだろうか。




 すべてを思い出した町中一は悩み始めていた。




「あんたん。あんたん。ちょっとぉん」




 ななさんが呼んでいる事に気が付くと、町中一は、答えの出ない悩みをそのままに、思考を打ち切った。




「ななさん。何かあった?」




「何かあった? じゃないわぁん。さっきから呼んでたのに、無視しちゃってぇん」




 ななさんがクネる。




「すまない。考え事をしていた」




「あらぁん。何か良い物語でも、浮かんだのぉん?」




「違う。そうじゃなくって」




 町中一は、そこまで言って、口を閉じた。




「急に黙っちゃって、どうしたのよぉん?」




 言えない。ななさんの事だ。言ったら、絶対に、とっても、それはそれは、嬉しそうに、馬鹿にして来る。町中一は、そう思って、慌てて言葉を切ったのだが、それをそのままに伝えてはごまかした意味がなくなってしまうじゃあないか。と思うと、すぐには返事ができず、これは、どうしたものか? と考え始めながら、何か、ごまかす為の良いネタはないかと、周囲に目を向けた。




「そうだ。もう、スライムも、変な事にはなってないし、うがちゃんの所にできるだけ早く戻らないといけない」




 これは、我ながら、ナイスな回答だぜ。と、密かにドヤりつつ、町中一は立ち上がった。




「ちょっとぉん。急に立ったら危ないじゃないぃん」




 ななさんが、ふいっと、宙に舞い上がる。




「ねえ、人間。これからどこに行くの?」




 スラ恵の声がしたので、町中一は、スライム達の方を見た。




「うん? どうしてだ?」




「良かったら、スラ恵達も一緒に連れて行って」




「え? なんで?」




「スラ恵。ここは、お母さんが説明するわ」




「うん」




「人間。わえ達は、あの快楽をまた味わいたいの。だから、貴方達と一緒に行動させて欲しいの」




「わえ?」




「うん。わえ」




「ななさん。わえって?」




「もうぅん。この会話の流れよぉん。それに、あんたん、小説家を目指してたんでしょぉん? 分からないのぉん?」




「全然分からん」




「一人称よぉん。わえって、スライムちゃん達が、自分達の事を指してるのよぉん。ねえぇん。そうよねぇん?」




「うん。そう。スラ恵はスラ恵って自分の事言ってるけど、他の皆は、ほとんど自分の事、わえって言ってる」




「あー。はいはい。その、わえ、ね。了解了解。理解した理解した。それにしても、滅茶滅茶日本語っぽいのを使うのな」




「あんたん。本当に分かってるのぉん?」




「当たり前だ。俺の頭の中には、千五百三十通りの一人称用の言葉が入っている」




 町中一は、グインっと両目を動かして右上を見た。




「あっそぉん。まあ、良いわぁん。それでどうするのぉん? スライム達は連れて行くのぉん?」




「そうだなあ」




 町中一は、ふう。ツッコミを入れられなくて良かったぜ。と安堵しつつ、自分の足元に並んでいる、スライム達に目を向ける。




「また気持ち良い事しよ」




 スラ恵が言って、艶っぽい目を向けて来た。




「スラ恵ったら。もう、男を手玉に取ろうとして」




「お母さん。お母さんじゃないんだから。そんな事してない」




 うーん。この親子とうがちゃんを一緒にして良いのだろうか。教育上物凄く良くない気がしてしょうがないのだが。と、町中一は、思い、どうやって断ろうかと、考え始めた。




「これはまた意外な展開だわぁん。良いじゃないぃん。魔物が仲間なんてぇん。ねぇねぇぇん。魔物とパーティーを組んでる人間なんて、この世界にはいないんじゃないのぉん?」




 何やらななさんがはしゃぎ出す。




「うん。スラ恵が知ってる限りじゃいないと思う」




「そうねえ。魔王様直属の、言葉なんかを話せる魔物達なら、人間と仲間になってるのもいるかも知れないけど、わえ達みたいなのが、人間と仲間になったみたいな話は、聞いた事ないかしらね」




「あらぁん。素敵。新しい時代の幕開けを感じるわぁん。あんたん。あんたん。良いじゃないぃん。仲間になりましょうよぉん。あの子の、うがちゃんの為にもきっとなるわぁん。あの子だったら喜ぶわよぉん」




 ななさんの言葉を聞いた町中一は、うがちゃんの為か。そういや、こいつらは、うがちゃんの事や俺達の事をどう思っているんだろう? と思った。




「なあ。二人とも。俺達の事、憎くはないのか?」




「憎い?」




「どうして?」




 お母さんスライムとスラ恵が、ほとんど同時に言う。




「どうしってって、俺達は、お前達の家族を殺したんだぞ」




 スラ恵が、はっとしたような顔をしてから、目を伏せた。




「しょうがないわ。わえ達は、弱いもの。蹂躙される為に生きているようなものだもの。一々、家族や仲間が死んだ事を悲しんでいたら、生きてはいけない」




 お母さんスライムが言って、スラ恵に寄り添う。




「強いな」




「ねえ。あんたん。連れて行きましょうよぉん」




「順序がおかしくなったけど、お父さんを、旦那さんを、殺してしまって悪かった」




 町中一は深く頭を下げた。




「そんな。良いのよ。さっきも言ったけどしょうがない事なんだから」




「もう良いよ。そんな事されても、意味ないもん」




 スラ恵が、拗ねたような口調で言う。




「そうね。もうその話はやめましょ。思い出しても、悲しくなるだけだわ」




「ありがとう。でも、もしも、旦那さん、お父さんの事で、やっぱり、何か、言いたいとかってなったら、俺に言ってくれ。すべての責任は俺にある。あの子は何も悪くない」




「頭を上げて」




「仲間にしてくれたら、また、でんきぃぃぃぃあんまぁぁぁをやってくれたら、許してあげる」




 スラ恵が、また、拗ねているような口調で言った。




「分かった。仲間になろう。これから、よろしく頼む」




 町中一は、お母さんスライムとスラ恵を、見ながら言った。

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