二十 逡巡

 うがちゃんが、表情を強ばらせると、とても慎重な、ゆっくりとした動きで、妖精女王から離れ、町中一の傍に来た。




「そんなに来たくないのなら、来なくって良い。俺が怖いんだろう?」




 町中一は笑い掛ける。




「違ううが。もう怖くないうが。でも。あまり知らない人は苦手うが」




 うがちゃんが、申し訳のなさそうな顔をしてから、顔を俯けた。




「うがちゃん。偉い。良く頑張ってこの男に近付いた。でも、もう、良いんじゃない。この男も何もしなくて良いって言ってるし。今回の事は忘れて、チーちゃん達とご飯でも食べて来な。ずっと何も食べてなかったんだもん。お腹空いてるでしょ?」




「平気うが」




 妖精女王の言葉に答えた途端に、うがちゃんのお腹が、グイーン。グルルルと鳴った。




「うががが~」




 うがちゃんが、ガーンという効果音が聞こえて来そうな程の悲壮な顔をしてから叫び、顔をかわいい熊のお手々で覆うと、どこかに向かって走り去って行ってしまう。




「あらら〜。行っちゃった〜」




「チーちゃんも行って来な。あの子一人じゃ心配だし。うがちゃんと遊んで来て良いよ」




「え〜? 女王〜? でんきぃぃぃあんまぁぁぁぁ〜独り占め〜?」




「しないから」




「される〜?」




「されるかっ」




「え〜? されないの〜?」




 町中一はチーちゃんの声真似をして言ってみる。




「君ねえ。浮気してるって女神ちゃんに言い付けようか?」




 町中一に向かって妖精女王が、ちょっと怒ったように言った。




「あははは。冗談ですよ。冗談」




 町中一は、あの下乳を揺らしてみたかったぜぇ。と思い、心の中で舌打ちをした。




「冗談はともかく。真面目な話なんだけど。あの子を家に帰したくないの。女王からも言うけど、君からも帰らないようにって言ってくれない?」




 チーちゃんを見送ると、妖精女王がそう切り出した。




「それは、あれか? 帰られると都合が悪いとか、そういう何かか? 妖精達が何か悪さをしている的な? うーん。そうだとすると、今や大魔法使いとなった俺だからなあ。正義の為に行動した方が良い気がしないでもないかも知れない。ここで賛同するというのもなあ」




 妖精女王が、馬鹿な子を見ている時にするような、この子って本当に不憫というような顔をする。




「妖精はね。悪意には悪意を、誠意には誠意を返すの。君はどっちかしらね?」




「お、俺に、悪意はないぞ。ちょっと、からかおうと思っただけだ。妖精って悪戯好きっていう設定が多いからな」




「設定? ちょっと何言ってるのか分からない。事情があるのよ。事情が」




「事情? どんな事情だ?」




「興味あるんだ? 良いけど、聞いちゃったら後悔するかも知れないわよ。あの子の事、放っておけなくなる。君は、なんだかんだと言ってるけど、優しいからね。きっと、あの子の為に苦労する事になる」




「それは笑える。俺が、優しい? あの子の為に、苦労する?」




「うん。あの女神ちゃんが認めた男だもん」




「うんうん。そうそう。俺って認められているし、魔法も貰っちゃっている。何かあっても俺がなんとかすれば問題はないはずだ。大丈夫だ。聞かせてくれ」




 妖精女王が、目を細めると、町中一の心の中でも覗いているかのように、じっと、町中一の目を見つめた。




「全然心がこもってないなあ。でも、それでもいいや。言質は取っちゃったもんね~。説得に失敗したら、というか、あの子、一途だからね。多分、失敗すると思うけど、そしたら、あの子と一緒に、家族の所まで行ってあげて。それで、あの子の事を守ってあげて」




 妖精女王の言葉を聞いて、町中一は鼻白んだ。




「怖くなった? それとも、面倒臭くなったかな?」




 妖精女王が町中一の目を見つめたまま言う。




「そうじゃない。守ってあげてとか急に言うからだ。そんな事聞いたら、誰だって不安になる」




「実に尤もらしい意見だけどさ。それ本当? 本当にそれだけ?」




「それだけだ」




「そうかな。どんな事を思っても、しょうがないと思うよ。大して知らない子の面倒を見るんだもん。しかも、修羅場になるかも知れないし。女王だったら、嫌だと思うけど」




「修羅場って。そんなに、大変な事情があるのか? そうだとすると、ちょっと考えちゃうな。変な事言うけど、俺、前世では、自分のやりたい事を優先していたから、あんまり他人と関わらないようにして生きていたんだよな」




 町中一は、うがちゃんが走り去って行った方に顔を向けて、小さく息を吐いてからそう言った。




「そうなんだ。まあ、でも、うまくやってよ。君は女神様に認められた男だし、こういう問題で、女王の知り合いで頼れる人間って、今は、君しかいないんだから」




「あのなあ。強引過ぎだろ」




「あの子ね。実は捨てられてたの。この森の入口の所に」




「お、おい。いきなり来たな。しかも、それは、また、随分と、重い話だな」




 町中一は、妖精女王の表情を見ようと顔の向きを変えた。




「重いの。あの子、あんなでしょ。手もあれだし、言葉も話せない。先祖返りしちゃって生まれて来る子は大抵は不幸になるの。獣人って、人間の君から見ると人と獣が混ざってて、かわいいでしょ? だから、売られる子だっているんだから」




「あの子の親だって獣人なんだよな? 普通の人間の子が、先祖返りしたとかで獣人になったとかなら、過剰な反応も分かるけど、程度の差はあるのかも知れないけど、同じ獣人なのに、捨てたり、売ったりするのか?」




「生活がきついってのもある。この森の近くに住んでるほとんどの獣人は、獣人だけじゃないわね。人間も含めて、貧しいの」




 貧困。そういう問題がこの世界にもあるのか。いや。あるんだろうな。そんなありふれた事。町中一は、そう思い、やるせない気分になった。




「社会保障とかってのはないのか? 国とか町とか村とかで、生活の苦しい人達の面倒を見るような何かは」




「社会保障? 聞いた事ない言葉。助け合いみたいなのはあるみたいだけど、それでも限度がある」




「そうか。これは、難敵だな。ちょいちょいっと魔法で悪い奴をやっつけて解決。とはいかない」




「そうでもないかも。領主が貧困の原因みたいなんだ。あいつがいなくなれば、かなり良くなると思う」




「その領主を排除したとしても、また新しい領主が来るんじゃないのぉん」




 今まで黙って話を聞いていた、ななさんがそう言った。

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