§006 2022,07,18(Mon)

品川 ザ・グランドホール 共同記者会見会場




会場には演壇中央に2席、その後には400インチクラスの大画面、左右に100インチの大型モニターが4台並ぶ。


仕切られた記者席と演壇の間には、主催者から見えるモニターが2台。

更にその間に何かが3台、布を被ったまま置かれていた。

今回の共同記者会見が行われると通知があったのは2日前のしかも土曜日、なんとも緊急の事らしい。

だが、国内主要なメディアと、海外メディアの在日記者にも通知され、且つ、ライブ生配信で全世界に流れるというハイブリット記者会見。

日本時間の開始は14:00。

どうやら海外駐在からも連絡があり、パリとNYでも同時3元で実施するとの事。

パリは早朝、NYは深夜にも拘らず、だ。


日本主催がパナツニックとGSエアサの連名。

EG-Packの発売以来、何かと騒がしい電池業界、今回も何かあると感じた者は大勢いた様で、コロナ禍で席間が広いとはいえ、500人クラスの会場はほぼ満席だった。


定刻3分前―――2名の主催者が着席すると、記者席からどよめきが起きる。

パナツニック社社長・CEO。

GSエアサ社社長・CEO。

通常この手の記者会見で社のTOPが出席となることは少ない。

代表権を有する役員級で足りないのは、余程重大な記者会見のときだけ。


更に定刻1分前、4台の大型モニターに画像が現れた。

全て欧米人・・・示される帯に夫々の肩書を知る。


米国フラグパワー社CEO。

スウェーデンのノーザンボルト社社長。

英国のブリティッシュゴルト社CEO。

フランスのオートモーティブ・ケルズ・カンパニー社CEO。


生産規模の大小はあれ、全員が同一分野でのライバルであり、C国とK国を除く自動車用電池業界のTOPであった。




そして世界に衝撃が奔った。




自動車用新型水素電池のランセンス生産計画―――。


端的に表現するならば、今回共同記者会見を催した参加6社は、今後Li-イオン電池、全固体電池、水素燃料電池に振り分けていた人・物・金、全てのリソースを自動車用新型水素電池の研究開発と生産に充てる、という事だった。


生産する規格は同じ。

4mmCube  64kW:39MWh

5mmCube 125kW:39MWh

6mmCube 216kW:39MWh

の3種の車両用水素電池をライセンス生産する、という内容だった。

出力は馬力換算でそれぞれ87、170,293馬力となる。

組み合わせるモーター次第で、小型車から大型トラックまでカバーできる範囲。

実際の電力消費率は車体によって若干変わるが、通常乗用車では凡そ6~7km/kWhと言われている。

発電容量39MWhだと単純計算で25万km以上。

普通に車の寿命内に電池が切れることのない数字―――つまり給油も充電の必要もない車が出来上がることに成る。

部品調達、組み立ては各社で行い、核となる結晶体:立方晶炭素錯重窒素硼素:Cubic Carbon Confused Boron & Nitrogenと制御用マイクロチップのみIcube社から供給を受けること。

4mmCubeという規格は結晶体のサイズであり、特許にある通り立方体が基準形状になるという事だった。

出力はその体積に線形で1立方cmあたり1MW基準。

実際にはもう少し大きいが、コイルやレーザー発振で消費する電力を除く純粋出力がその値になるとのこと。

提案のサイズは量産化に成功しており、安定供給が可能とか。

日本の2社は既存の設備や関連会社の生産力を活用し再来月9月には双方合わせて月産10万台からスタート。

欧州と米国はやはり10月には生産を開始し、少なくとも来年末までには世界6社合わせて月産1200万台弱を目標とすることが公表された。


昨今、世界の自動車生産台数は年間8000万台前後。

月産1200万台弱という事は、年産で1億4000万台、今後販売される電気自動車の電池取り換え需要も見越して設定された目標値、との説明があった。

言い換えれば、2年後に販売される自動車は、全てこの電池を積んでいることに成る。

なんて強気な、と突っ込む者は皆無。

―――当然だ。

CO2を一切出さず、燃料も充電も不要―――カーボンニュートラルの観点からも、そして性能の観点からも、今の電気自動車、ましてやエンジン車を選択する要素は一つもない。

無論価格はそれなりに高く、日本の場合電池部分だけで卸値は131万、256万、442万円程度になると公表されたが、正直同じくらいの出力を持つ今のLi-イオン電池原価とトントン。

電力容量は比べる迄もない。

更にEG-Packと同じく廃車時結晶体を返納することで各67万、131万、227万程キャッシュバックされるという。

実質差額水素電池の売価は64万、125万、215万となる。

25万キロを平均燃費12km/L、ガソリン単価130円で走ったとすると、それだけでも275万円近くなるのだから、利用者にとってはトータルでどれだけ安くなるかという話。

今まで電気自動車に踏み切れなかった要素、航続距離、電池寿命、価格、そのどれをも完全に払拭してしまった。

水素電池でなければ買わん―――その状況がこの記者会見で確定した。



そして各極に展示してあった布が取り払われ、モックアップが披露される。

中央の水素チャンバーとそれを大きく挟むC型のコイル。

反対側にファイバーレーザー発振器が数本。

チャンバーには太い導線が縦に貫いており、その先に結晶体・立方晶炭素錯重窒素硼素があるという。

立方体のサイズで発電量が決まり、それに比して周辺機器の大きさが決まるため、形状はほぼ同じでレーザー発振部分だけ共用したのかサイズが同じ。

各極それぞれの企業が仕様書を元にモックアップを作ったということで、多少デザインの違いはあるが、基本的な構成は同じだった。

そして、何れにしても小さい。

64kWは180×120×60の弁当箱サイズに収まり、216kWでも270×180×90、お歳暮のお菓子の箱サイズ。

重さも2.6kgと8.7kgに過ぎなかった。




企業側の説明が終わり、質問が開始される。

3極同時開催なので、基本英語が飛び交うが事前に渡されたイヤホンからは同時通訳が流れる。

質問者が別極の場合は、後ろのモニターに映された。




―――Icube社からのライセンス供与となりますが、かなり唐突な発表であると感じています。

合同記者会見に至る経緯を教えてください。


cube社からメールによるWeb会議の招待が来たのが6日前、今月の11日です。

会議日時は翌日。

そして無理を押して出席してみると、そこには日欧米の各経済安全保障担当高官が同席しておりました。


―――会議に出席したIcube社側の相手は社長ですか?


いえ、“LOWI”と名乗るIcube社IT関連統括の女性です。

カメラは実写に見えましたが、人間としては綺麗すぎて・・・今思えば恐らくは極めて精緻な技術で構成されたアバターかと思われます。


―――何故交渉相手がIcube社本物と判断されましたか?


メールの返信されたアドレス、会議のURL全てがIcube社サーバーのものだったことと、米国経済安全保障担当高官が認めたこと、そして決定的だったのは、提案を受諾した翌朝には結晶体・立方晶炭素錯重窒素硼素のサンプルが試作品とともに届けられたことですね。


―――何故御社方、6社が選ばれたと?


cube社の選定基準は不明です。

一応2次募集はする意思があるようなことは匂わせていましたが、基本的には輸出規制に対する除外指定27ヶ国の内、C国やR国等と関係の薄いことを考慮している様です。

ただ、Icube社が独自にこの分野に進出するのは時間がかかりすぎる、と。

それほどに地球の気候変動は既に帰還不能点point of no returnに差し掛かっている、との認識をIcube社は持っている様子でした。


―――!!


故に自動車用水素電池を出すことで大量の余剰人員と設備を持て余す我々6社にランセンスを供与し、不足分は提供することで一気呵成、可能な限り迅速な普及を狙った、と。


―――成程、それを御社方は受けた・・・


いえ。

当初は各極高官との折衝です。

当然本件は高度な経済安全保障案件になります。


―――経済安全保障担当高官・・・ですか?


会見の趣旨とは外れる為、この席では名前は伏します。

会議の内容は、今回のライセンス供与、及び核心たる立方晶炭素錯重窒素硼素cCCBNと制御ソフトの提供の提案でした。


―――そして各極高官はそれを認めた?


認めたというよりは最終的には請願した、という所でしょうか。

考えてもみてください。

今現在、一国が起こした紛争により全世界的にエネルギー不安が蔓延り、原油は高止まり、電力やガスの高騰が停まりません。

付随した輸送費や穀物価格の高騰により世界的に想定外のインフレが同時進行しています。

EG-Packは既に出ていますが今のところ非常用電源という認識で在り、電力消費を押し下げるにはまだまだ足りず、原油価格は僅かに揺れた程度でした。

安全保障は確かに重要ですが、世界秩序と経済安定が先決―――そう判断したものと考えられます。




三極で誰かが質問し、そして各社TOPがよどみなく答えていく。

日本人だと答え難いことも、欧米人は躊躇なく踏み込んでくる。

確かにその通りだ。

どんなに秘匿したところで製品として出ていく以上、何時かは模倣される。

一方で、今現在採掘される石油の65%は輸送用機器に使用されている。

その9割が自動車用―――。

三極各社が予定通りの生産が出来れば、来年末までに1億4000万台、それは全世界自動車保有台数の10%近く。

つまりは最短今後10年で原油の60%がになる、という事だ。

現在のエネルギー高騰に対する、起死回生のカウンター。

一発逆転の必殺技。




―――では、結晶体・立方晶炭素錯重窒素硼素について質問します。

今回初めて謎だった炭素系結晶体が明らかになりましたが、これはIcube社側から開示があったと認識して宜しいのでしょうか?


そうなります。

会話の中で唐突にあっさりその名称が出てきました。

その4mmCubeのサンプル品がこちらになります。




各社TOPがガラスケースに収められたサンプルを取り出す。

記者の間でどよめきが起きる。

既に全員の手元にサンプルが届いたという事。

鮮やかな赤色透明、さながらレッド・ダイヤモンドの様な結晶体。




こちらのサンプルを元に、今後検証を行っていきます。

尚、結晶の真贋判定法も開示されました。

この様に紫外線を当てると・・・



取り出した市販のペン型紫外線ライト、レジン硬化用の小出力仕様。

当てた途端、色がアレキサンドライトよりも深い赤紫に変色し、角がキラキラと輝きだした。




―――他に科学的な示唆はありましたか?


原理についてはなにも。

会議の席では、先ほど述べた対価を支払えば研究機関にもサンプル出荷することを明言していました。

無論貿易規制除外27ヶ国内に限られますが。

但し現時点で電池としては“起動”するのにはIcube社の定めた仕様と制御用マイクロチップが必須であるという事です。

制御ロジックは非公開ですが、核磁気共鳴、各種レーザー出力の協調制御が必要、という事で、解析や独自開発は研究しても構わないとの事ですが、かなり困難とも聞きました。


―――結晶体・立方晶炭素錯重窒素硼素cCCBNそのものの製法については?


cube社では高純度ダイヤモンドから製造するのが近道、と聞いています。

名前の示す通りダイヤモンド内部格子に窒素と硼素を錯体化したもの、と想像できます。

特許は申請していないので模索はご自由に、と。

研究により自前調達可能ならそれも使用可。

後にメールで送られた資料によると、主成分が炭素であるため、水素チャンバーの中ではある程度高温でも変化しないそうですが、酸素暴露された環境では1000℃前後で酸化、つまり燃焼・焼失してしまうとのこと。

異常に高い買い戻し価格はIcube社におけるその原価相当という事ですが、当然再利用が可能。

劈開もありますが基本強固なので焼失以外はほぼ安定だそうです。



現在の燃料電池キャパシタは現代工学の精緻ではあるが耐久性は10年程度、とみられている。

それに対し劣化無し、焼失以外、基本不滅―――。


因みに通常自然状態で炭素の一部が窒素に置き換わると赤色を呈し、レッドダイヤモンドとして極めて希少価値の高い宝石になる。

その産出は一昨年閉山されたアーガイル鉱山のみであり、天然物でこれだけの赤味を有すると1ct:100万$と言う。

人工物、故にこの値段で流通できると言う事。

それでも1g:5ct当たり300万円は上質のダイヤモンドに相当するが、その生み出すエネルギーはまさに無限、だ。



―――では次に経済的安全保障について質問します。

この製品は経済的というよりもそのまま軍事転用が可能と考えますが、その点については供給企業側として如何に考えますか?


安全保障対策そのものは国家が判断する項目で在り、輸出規制や機密漏洩防止等、当然国の指示に従うことになります。

しかし転用を警戒するあまり有用な技術を使わないのは本末転倒であると考えます。

先に言った地球の気候変動の帰還不能点point of no returnについては、我々も危惧しており、その対策として極めて大きい効果が期待できるこの計画を確実に遂行することが地球人としての責務と考える次第です。


―――企業としてのセキュリティはないのでしょうか?


先ほど説明しましたが、“起動”するのにはIcube社の定めた仕様と制御用マイクロチップが必須です。

その仕様の中には起動時の電磁ロック搭載やGPS、ジャイロセンサーの搭載なども含まれます。

起動時にそれらの要件を満たしていなければチェックに掛り起動しないそうです。

またそれらのセンサーが壊れた場合も給電が停止します。

その為、自動車用水素電池にもEG-Packと同じ軍事転用忌避制御が組み込まれていることに成ります。

飛翔体、自律体、連結使用不可、電磁ロックを破ると内部焼失する制御。

加えてGPS搭載により、自動車トンネル以外での水中や地中の給電も停止されると・・・。

更に踏み込めば軍事紛争地周辺や特定国家など地域指定して使用不能にすることも可能だと聞いております。

勿論制御ロジックは非公開ですし、極めて強固なプロテクトが掛かっているものと推定しています。


―――しかしプロテクトなら何時かは破られるのでは?


そうですね・・・EG-Packを自力創出できるレベルなら可能かもしれません。


!!―――。




そうだ。

世界中の科学者が躍起になって様々な手法を使い分解や接続を試みても未だ開かないブラックボックス。

新型水素電池の原理すら一切理解できていない世界。

その同じレベルで施されたセキュリティがそれ程容易く破られるとも思えなかった。







世界の反応は早かった。


まず原油先物取引価格が軒並み暴落。

R国の軍事侵攻以降1バレル100ドル以上で高止まりしていた価格は共同記者会見後、まだ開いていた東京市場で半分の50ドルまで急落。

続いて開いた欧州市場で、更に続落、米国同時多発テロ以前の1バレル25ドル前後にまで落ちた。

石油には燃料以外にも化学原料としての利用価値が有るため、一旦そこで落ち着いたが、後僅か10年で現在の6割が需要をなくす。

じゃあ、と産油国がよくやるのが減産だが、6割減となると今度は逆に難しい。

採掘は止めてしまうと再び立ち上げるのに膨大な費用がかかる。

そこまで都合よく止めたり出したりできないのだ。

止めても設備は劣化していき、維持費はかかる。

近年は採掘も深くなっており設備の減価償却も必要。

基本幾らでも売れるから産油国同士の競争など殆ど無かったが、今度はそうはいかない。


それにより、R国の軍事侵攻後もR国からの原油輸入を完全には止められなかった欧州諸国が他国から安く調達可能となる。

一旦は持ち直したR国の通貨は再び一気に下落に転じ、経済圧力が2,3段高まった。

今はその分をC国やI国に回しているが今後の見通しはない。


事業計画は各社とも違うが、早いところでは、既存の設備や組織を用い、cCCBNの供給を受けた上で1か月後には自動車用新型水素電池のサンプル出荷をするという。


これに当然自動車会社も呼応する。


自動車会社は車両用水素電池が供給され始める9月を目途に生産計画を立てるも、当然既存の電気自動車は大きなマイナス、値崩れを起こした。

当然暫定的に後から水素電池に交換する権利を付けた経過措置が取られる。

但し交換は供給が軌道に乗る来年末以降となるが。

内部的には痛みも伴う。

既存の燃料電池開発も関連全社が取りやめを早々に発表した。

また以前から徐々に縮小されていた内燃機関の研究開発に関しても止めを刺された。

今後は、今のアナログレコードのように、趣味的な分野でしか残らないのではないかともいわれる。

言ってみれば産業革命で起きた効率的な動力の獲得の究極の形が内燃機関だともいえる。

(蒸気機関自体は一世紀ころの古代エジプトから存在する)

まだまだ全てが消え去るわけではないが、実質的にその終焉を齎した。

欧州などは近々エンジン車の販売を禁止しようとしていたが、そこにハイブリットや2次電池電気自動車も加える勢い。

いずれにしてもカーボンニュートラルという大命題の元、今後販売される自動車は全て水素電池を使うことは抗えない流れになる。



その一方で。

Li-イオン電池製造の分野で寡占状態、70%以上がC国・K国で占められていた。

既存の電池産業、特に自動車関連は軒並み撤退を余儀なくされる。

自動車用電池の趨勢を握ったと自負していたC国・K国は一転凋落必至である。

軍事的安全保障・経済戦略的な理由から当然のことながら、この2国にはライセンス生産の打診すらなかった。

特にC国は軍事転用の可能性が極めて濃厚で、GPSによる給電停止措置が取られる公算が高いと報道された。

無論世界各国で大規模に立ち上げられたばかりの既存電池工場は、立ち上げ直後から度重なる計画の減産に次ぐ減産を強いられ、一方でライセンス生産を勝ち取った企業は大幅な設備の変更を早くも始めている。

3極の電池関連産業は早くもライセンスの範囲内で独自色を出そうと必死なのだ。


新型水素電池車を増やせば増やすほどカーボンニュートラルには有利。

しかも欧州などはR国からの石油や天然ガスの輸入を極力減らしたい。

その為にもガソリンを喰う今の車を減らし、新型水素電池車に切り替えたい。

一方で生産初期は量の確保が難しい。

となれば輸入も推奨する、ということで新型水素電池車については時限措置で2年間優遇関税が適用されることも表明された。

無論、制限除外26ヶ国以外の第3国への輸出については安全保障の面から検討すべき、と言う声が大きく、今後の最優先課題となっていた。











同日、とあるEG-Pack購入者宅。




「あれ?」


その日、書留で受け取った郵便。

心当たりは無かったが、宛先は確かに自分だった。


空けてみれば、クレカを送る様式の台紙に、何も記されていないブラックカード。

外形はそのままカードサイズ、厚さだけがほんの僅か厚い気がする。

測ってみれば1.05mm。

通常のカードリーダを通過する。



同封された紙には、EGPカード、とあった。

説明としてはEG-Packに付随するポイントカードという事で、使用に応じてEGPというポイントが付与される、とあった。

何でもかんでもポイント化される時代である。

正直乱立しすぎて意味が解らない。


だが、そのカードにはユーザーやポイント確認方法として、起動方法が添付されていた。



示されるまま表面に指で触れると真っ黒だったカード表面に文字が出る。



「すっげ・・・」



貴方は×× 〇〇さんですか?と。

表示画面の枠が無い。

カードサイズのカードだが、よく見ると全面がディスプレイになっている。

文字も滑らかで最新のスマホに負けない位、高精細。

表示される名前は購入時Netに登録した通り。

示されるYesを触れれば、EG-Pack購入後ネット登録した際のパスワードを求められた。

画面にはスマホライクなタッチパネル。

それも入力すると、仮認証が取れたらしく、説明画面が現れた。


驚いたことに表面全面がタッチセンサー式のフレキシブルディスプレイになっておりEG-Pack登録者の専用カードらしい。

自分の買ったEG-PackのS/Nが既に登録されており、その残容量・使用履歴が追える。

と同時に、盗難や紛失時の位置探索や連絡、全放電時のバイバックあるいは水素補充の手続きまでできる専用サービス端末だった。

また詳細設定を使えば、範囲内での電圧や関東/関西の周波数選択、最大電流値を超えない制限電流値まで設定可能である。

尤も通常はオートモードになっておりコンセント変換さえ適宜行えば全世界の電圧・周波数に自動調整してくれるらしいことも説明に在った。


カードそのものにスマホのようなキャリア通信機能はない。

しかしWiFi通信や、各種タッチ決済のプロトコルには対応可能で、クレジットカードとの紐付け登録も本人認証で設定することができる。

そして簡易的なインターネットブラウザまで搭載されていた。

カード自体は固有IDを持てないが、別途携帯IDをもっていれば主要なSNSに接続できる。

マイクやスピーカーも有ることからそれらWiFi環境下ならSNS経由のWeb通話さえ可能であった。



そして、何よりもこの多機能なカードは紙の説明にあるようにポイントカードであるということ。

登録カードやEG-Packの使用に応じてEGPというポイントが付与されるらしい。

その基準は明示されておらず、使用に対し付与されることがあります、という確率的な表現になっていて、消費の何%という基準はない。

現在ポイント獲得できる方法で明らかなのはリサイクル。

特に電子機器やLi-イオン電池など受取先負担で発送すれば、送付した量や品目に応じてポイントが付与される、というもの。

分別の必要もなく、段ボールに詰めて発送してしまえばそれだけ。

宛先は大手宅配業者には登録されているらしく、EGPカードをタッチするだけで事足りるらしい。


一方EGPは現金や他のポイントに変換することはできない。

ポイントによる物品の購入については現在検討中、だそうだ。

だがこのEGポイント、明確な交換対象が一つあった。

それはエネルギー:即ち1p=1kWhという換算率で交換可能だとある。

何処まで有効かわからないが、この交換比率は未来永劫変更しないという誓約迄あった。

仮に925p貯められれば、次回の水素充填がタダになるということだ。

ほぼ4万に相当する、という事か。

中にはSNS登録ボーナスやクレジットカード登録ボーナスなどもある。

1つ当たり10Pほど。

今の日本では1kWhあたり昼夜で異なるが平均すれば家庭用電源で20~30円ほど。

充填費用だと40円余り。

10p:400円ではさほど特別感は無いが、無視できない数字。


何よりもいろんな機能を持ち、他のカードも集約できる。

薄く小さく超高性能。

こんなカードを無料で配っていいの?とも思ったが、便利そうということで財布のカードケースに収めた。











同じく都内某所 一邸宅の縁側



今となっては古い家だ。

古民家、と言ってもいい。

先日、先立たれた連れ合いの一周忌も終えた。

自分の大学教授の退官までずっと寄り添い、支えてくれた存在。

退官後は、二人で旅でもしようかと話していたのに、程なく糸が切れたように倒れ、そのまま病院を退院することなく亡くなった。

こんな経済の事ばかり考えていた男に嫁いで、果たして幸せだったのか、仏壇の遺影は微笑むばかりで何の応えもない。

ただそう言えば生前聞いても同じ反応だったな、と思い出す。


とっくに独立した子供たちが孫を連れて訪れ久々に賑わったのも刹那の刻。

法事が終われば嘘のように森閑。

後期高齢者にはまだしばし間があり、一人には広すぎる家を処分して老人ホームを探すにはまだちょっと早い。

さりとて退官後に誘われていた職は、頻繁に旅に出るつもりだったから全て断ってしまった。

何かが抜け落ちてしまったような、ただ時間を移ろう空虚な日々だけが残されていた。



そんな中で、たまたま買い物に行ったホームセンターで、たまたま発売初日のEG-Packを買った。

きっかけは一昨年の台風だったか、停電で冷蔵庫の中身が全滅し、今は無き妻がひしゃげていたのを唐突に思い出したからだったが、購入後はて、自分に使い道はあるのかと思案した。

転売するほど金に困っているわけではなく、一人ではアウトドアもない。

本当に緊急用だなと、懐中電灯と置いておくくらい。




その事を、書留を開いて思い出したのだ。

手元にはEGPカード。



「・・・これは―――」



説明書を読んで、慌てて書斎に駆け込む。

長年講義をしてきたのは数理経済学。

退官したとはいえボケるほどの年でもない。

自宅のPCパソコンには長年自身の経験で構成してきた経済のシミュレーションモデルくらいは入っていた。

元は貧困の是正を目指してモデル化した現代社会の縮図。

だが今のモデルで目指した目標を是正できたパラメータはない。



個人的には資本主義も既に限界にあると感じていた。

貨幣は既にその意義を逸脱し、自らを肥やすだけの醜悪な存在になり下がった。

それでも金本位制時代は真面だったが、今や管理通貨制と言うハリボテ。

最近の暗号通貨など一部の大資本が与えた信用だけで回る空虚な資産。

地球上のきん保有量を遥かに上回って膨れ上がった世界経済は余りに脆弱。

無論、かと言って共産主義がいいわけではない。

中途半端な自由経済と、過ぎる理想論が権力集中の温床と化した。


結果、金は富に集中し、富める者は更に肥え、富まざる者は更なる貧困へ。


そう、既得権は誰も離さない。

法律を作ったところで作るのは既得権を持っている者がつくる。

例え無私の者が既得権を放棄する条文にしても、組織として骨抜きにする。

そういうシステムを長い間構築し維持してきた今の世界。


それが貨幣経済というシステムの本質であり、今もって貧困の是正が困難である根本だった。


このモデルでは、エネルギーすらそのシステムの裡にある。

原油産出国、天然ガス、石炭、原子力―――。

持てる者は傍若無人に振舞、持たざる者はその顔色を伺う。



そんなシステムが温暖化を招き、経済やイデオロギーとは全く別の次元で世界的な破局を迎えようとしている。

にも拘らず、未だ指導者と言われる老害や資本家は決して既得権を離しはしないのだ。




「・・・これは・・・モデルを大幅修正しないとダメだなぁ」



シミュレーションがオーバーフロー、破綻した。

原油でも自然エネルギーでもない、EG-Pack、そしてEGポイント。

モデルがそぐわないという事は、これらのファクターが現行のシステムと相性が悪いという事。

それはそうだ。

水素だけで膨大なエネルギーを永遠に生み出すものが今、個人の手にあるのだ。

エネルギーの創出には本来大きな対価を必要としたのに、その価値が如何様にもなる。

今のシステムでは例外中の例外。


つまり、その使い方によって急激ではないだろうが、行く行く貨幣経済そのものを崩壊させかねないポテンシャルを秘めているのである。



「・・・エネルギー本位制Energy Guaranteeポイントか・・・」



小さなカードを見て呟く。

自分の人生はもう晩年に差し掛かっている。

今更何かをするつもりはないが、まだこの世界の行く末を見ていることは出来るだろう。



「資本に支配されない技術―――」



自らの半生で追い求めた帰結。

それが初めて現実の物として目の前に顕現した気がした。

この途轍もない異物に、世界はどんな反応を示すのか。

果たしてどれだけの者がこの事実に気付けたのか。


残された人生、モデルを修正しながら見極めようと決めた。




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