§005 2022,07,13(Wed)

都内某所 Web会議用コントロールルーム




特殊な部屋だ。

部屋そのものはさほど大きくはないが、前面には幅8m、高さ2mありそうな湾曲したディスプレイ。

2列6人が座れるパソコン用チェア。

机上には個々のモニターとマウス、キーボード。

所謂コントロールルーム然としたWeb対応会議室。




昨日、Icube社から初めて在った返信メール。


指定する時間ならWeb上で面会できること。

その際、国政の科学技術担当上位者と経済安全保障上位者の同席を推奨すること。

そして接続URLと24文字のパスワードだけが記載されていた。



無論、公安調査庁、内閣情報室も巻き込んでメールの真贋も調査した。

確実にIcubeのメールサーバーから出ていることは確認された。

添付されたURLも解析されたが、こちらは途中で暗号化が噛んでいるらしく、現状ではアクセス不可。

因みに接続が出来るのは返信に記載したIPアドレスからのみ、とある。

基本的には此処のシステム以外からは侵入できない設定らしい。

それでもハッカーには関係ないとばかりに、お抱えが盛大にアタックをしているのだろう。


昨日の今日だ。しかも指定時間は早朝5:00―――。

こんな時間に捕まる上位者なんかいねぇと思いつつ、折角の機会ということで

公安調査庁長官に話を通したら、出てきたのは超大物だった。

当然お守りは日下部自身―――宮仕えの辛いところ。



政界、特に民自党はまだ、数日前に起きた元首相銃撃事件で激震中だ。

選挙こそ圧勝し、安定多数を確保したものの、銃撃動機がとある宗教団体とのトラブルであることが分かり始めていた。

実は結構な議員が多かれ少なかれ関与しているという憶測も出始めている。

関連して選挙後に予定されていた内閣改造が早まるかもしれない、そんな噂もでていた。


そんな混乱の中、現れたのは前回の総裁選に立候補し、現総理ともその座を争った人物。

民自党初の女性総裁に最も近いと言われる衆議院議員だった。

何故に彼女が、と混乱したが、どうも改造内閣での内閣府特命担当大臣(経済安全保障担当、及び科学技術政策)に内示があったらしい。

現職は直ぐに退任だから次の人物をということか。

確かに指定担当を兼務しているからちょうどいいのかもしれない。

政府がどれだけIcubeとの接触を望んでいるのか、ということだが、余りの早朝に本人は不機嫌な様子。

時にやらかす事でも知られる議員だ。



「では、アクセスしてみます」



係官が前面パネルに繋がる端末でURLを入力する。

パスワード要求があり、入力すると暫しのローディング。


そして突然、前面のスクリーンに何人もの人が現れた。

更に何か操作をすると、日下部自身と一つ置いて座っている女性議員も映る。


だが、日下部の目は画面に釘付けになっていた。





そう、画面には人物とともにその名前も英語と現地語で表示されていた。


欧州委員会委員長?

EU委員会エネルギー総局長?



政府からこの女性議員が来た時も随分な大物を、と思ったが、更にぶっ飛んだ大物―――。

ヨーロッパ各国の首脳と為を張る各国の調整役。

つまり、欧州がどれだけこの製品を出荷するIcubeとの直接交渉を重要視しているか、と言う事に他ならない。

それは危機感の薄い日本政府の比ではないという事か。


他にも、

スウェーデンのノーザンボルト社社長。

英国のブリティッシュゴルト社CEO。

フランスのオートモーティブ・セルズ・カンパニー社CEO

日本からも、

パナツニック社社長兼CEO。

GSエアサ社社長兼CEO。

本人の顔は知らなくても記された肩書は理解する。

世界の、と言うか貿易協定27ヶ国内の錚々たる自動車用電池メーカーのトップが並んでいた。


三極同時・・・成程このための早朝会議か。




「Long time No See, Mr. Liun」



一瞬虚を突かれたが、すぐ挨拶を交わす議員。

確かに英語力とコミュ力は国会議員の中でも傑出している。

挨拶と述べられたお悔やみに礼を述べている。

場合によれば今後元総理の国葬が執り行われた場合、参加の打診まで。

おいおい、気が早すぎるぞ、と心の中で舌打ち。

そんなことになれば、また家に帰れぬ日が続くだろ。



と、また画面が増える。



米国・科学技術担当大統領補佐官、科学技術政策局長。

国家防衛および国際情勢担当副局長。

加えて米国フラグパワー社CEO。


これまた大物だ。

現職の大統領補佐官・・・米国科学技術関連、実務のTOP。



一頻りの挨拶の応酬。

流石に各企業TOPは口を挟まず黙って聞いて居る。


それらの会話から欧米の担当者は、彼女が次の日本の担当閣僚であることを認識したらしい。





そう思っていたら、モニターの中央にウィンドウが一つ。

真っ暗な画面に、遠く、彼方に感じる蒼い光が一つ。



『招待に応じ頂き感謝―――』



それは耳に届いているはずなのに、なぜか鼓膜を介さず直接脳に響いて来るような何とも言えない幽かな、それでいて沁みる様な声だった。

モニタールームのスピーカーが優秀とはいえ直接語り掛けられたよう。

原音声は流暢な英語らしいが、遠く聞こえる。

メインの音声は同じ声で同期した日本語。

英語には明確な敬語という様式がないから訳語はぶっきらぼう。


続いて画面には一人の少女の姿。

背景がリアルで、カメラに映る映像だとはわかる。

だが余に儚く、背景が透けて見えそうなほど透明で薄い存在感。

或いは合成か、何らかのエフェクトか、とも。

抜ける様な白い肌、照明の反射のみプラチナに輝く純白の長い髪をラフに後ろで束ね。

瞑っていた白く長い睫毛の瞼を開くと、発光している様な鮮やかな紫。

見つめられた瞬間吸い込まれると錯覚したその瞳は、中心の深紫、そして光彩の淡い青紫から周辺に行くにつれ赤橙に散る、所謂アースアイ。

バランス的に大きく感じる瞳は、それでもギリギリ人類の範疇か。

寧ろ人が思い浮かべる妖精を擬人化すればこのような姿になるのか。

その髪色や瞳色からも生粋の日本人には見えないが、日本語の発音に癖は無く、さりとてスラブや北欧系民族と言ってしまうのも違う。



『私は“LOWI”―――Icube社IT関連を掌る存在』



期待した社長ではない。

画面は当然録画している。

当然というかやはりと言うか、ここで社長自身が顔出しするなら今までの隠蔽が無駄になる。

だが、掌る―――また委託ということか?

それにしては若すぎる・・・。

誰もが思ったその表情が僅かに出たのか、整い過ぎて人形じみていた少女の表情がクスリと微笑む。

思わず息を詰めたが、同じような気配は他の画面からも伝わった。



『―――察しの通り、Icube社長引き籠りは表に出る意志が皆無』



・・・やりづらい。

隣に居る同性の女性議員ですら呑まれている。



『・・・それでは貴女のようなお嬢さんが交渉相手なのかな?』



言葉を返した勇者は米国大統領補佐官。



『―――心配ない。

見た目はでも、既に21年存在している合法ロリ。

尚も不満なら退席して結構。

―――接続を切断する?』



見た目に侮った、或いはわざと突っ込みを入れた大統領補佐官に、冷淡な切り返し。

URLによるWeb会議接続故に、サーバー直結、接続切断の選択権は全部向こうにある。

これまで一切接点のないIcube社との初めての接触、この機会を逃せば次があるのかさえ不明。

糸口はここにしかない。

無論裏ではCIAを初めとする諜報組織のサイバー部門が当サイトへの侵入や傍受を試みているのだろう。

米補佐官が画面上でも隣の情報担当副局長を見る。

副局長は黙って首を横に振った。



『不満はない。

前言を撤回し―――謝罪する』


『・・・ではこのまま進める』



欧米人らしく肩を竦め、即座に出た謝罪。

恐らくは侵入も傍受も成功していないのだ。

此処で切られたら米国はハブられる。

それだけは絶対避けなければいけない。

その判断が米国高官をして極秘Web会議とはいえ即座に謝る極めて異例の対応に至った。

驚いた顔の一堂に、謝った本人と画面の彼女は何事もなかったかのように続ける。


コレが、Icube社を実質動かすチームの一角なのか。



そして現れたのはプレゼンテーション画面。

標題は

“Licensed to manufacture new hydrogen batteries for automobiles”

直訳すれば“自動車用新型水素電池の製作ライセンス供与”。


ある者は息を呑み、ある者は唸った。

登録されている特許情報にはサイズ指定は無い。

やはり、EG-Pack構造の“拡大”は可能だったのだ。



続いて示されたのは条件。


実施例図面・・・無償供与

システム仕様書・・・無償供与

使用結晶体・・・有償販売(研究用サンプルも可)

制御チップ・・・有償販売(ライセンス品への搭載必須、仕様公開ナシ)

ライセンス料・・・販売価格の3%



「これ・・・どういう意味かしら?」



声を発したのは我が国の女性議員。



『意味も何も其の儘。

cube社は自動車用電池の製作販売まで自社で手を広げるつもりがない。

もうどの国も企業もEG-Packを調査し、特許から構造は調べつくしているはず。

今回招待した数社で相当数作ることが可能と判断。

必要なら実施例のCAD図面も、構成の事前仕様チェックシステムも供与。

EG-Packで使用している結晶体―――立方晶炭素錯重窒素硼素:Cubic Carbon Confused Boron & Nitrogen、及び、制御用のシステムが入ったマイクロチップは購入して貰うけど。

試作用や研究用のサンプルも売っていいって言われている。

EG-Packは1.6mmの立方体、通称1.6mmCubeを使用しているが、供給するのは当面4mm、5mm、6mmの3種、それ以上の大きさは、量産が困難。

各々最高出力は64kW、125kW、216kW。

仕様書のスペックさえ満たして貰えれば、それ以外全て自前で揃えていい』


『・・・・・・・・・』



言葉もなかった。

条件としては―――破格だ。

立方晶炭素錯重窒素硼素:Cubic Carbon Confused Boron & Nitrogen―――今の今まで謎だった結晶体がいともあっさりと明らかにされた。

その名前がそのまま結晶構造を示している。

窒素だけならダイヤモンドNVCと呼ばれる特殊なダイヤモンドと等しい。

確かに当面結晶体と謎の制御ロジックさえあれば、大型サイズを作ることも可能なのだろう。

ライセンス料も通常独占使用なら10%、それ以外は5%前後が通例。

寡占使用前提だから、3%はだいぶ安い。




「・・・なぜそんな―――、それが出来るなら日本国内で・・・、自社で展開すればいいじゃない!」


『・・・』


『―――そんなことも判らないなら、打診されている経済安保も科学技術も担当大臣を受諾するのは、やめなさい』



cube社の利益、ひいては日本の利益優先しか頭になかった女性議員、沈黙を選んだLOWI、苦言を呈したのはEU委員会エネルギー総局長。

後で聞けば、EG-Packの輸出差し止めを提案したのも女史だったらしい。

これから経済安全保障の任を担う議員として、欧米とは言えライセンスを海外に出すなど頭の片隅にも無かったのだろう。

だが現状格上の意見に黙るしかなかった。

流石に他のメンツは理解したようだ。



『この技術は、超弩級の破壊的イノベーション。

EG-Packは普段使いというよりも災害や停電時のバックアップ、あるいはスタンドアロン電源という位置付けで、且つ複数使用を禁止していたからまだ混乱は小さかった。

社名の示す通りを狙ったマーケティングだったから。

でも自動車用電池は違うわ。

ここに居るCEOは皆、今自社の抱えるLi-イオン電池の工場や燃料電池の展開をどうするか、苦渋の決断を強いられているところ。

EG-Packが今後更に量産体制が整えられ、連結使用を開放すればそれだけでLi-イオン電池は過去のものになる・・・デジタルに駆逐された銀塩フィルムやレコードの様に。

こんなスケールアップが出来るなら猶更。

これは既存の電池産業、行く行くは末端のガソリンスタンドから石油産業、輸送海運から最後さえしかねない技術と言うことよ。

―――その責任を日本国一国で負えるのかしら?』


「 !!ッ 」



独占すれば、必然なる。

利益は得るかもしれないが、反動も一極に集中するのだ。

破壊的イノベーションは既存の価値観を覆すもの。

その裏には必ず破壊される存在がある。

フィルムしかり、レコードしかり、今やCDすら・・・。

特に今回の技術が及ぼす範囲は余りに広い。

下手に扱えば、国家間紛争も起こしかねない超危険物。



『―――そしてだからこそ未だ無謀を止めないR国も、次を狙っているC国も、決して無視できない存在になる』



―――そう、過去の理想に囚われた支配者が暴挙を犯したように、世界の覇権に妄執する隣国が技術欲しさに軍事侵攻を始めかねない程に・・・。

そこにはR国や、この技術に衰退を強いられる産油国すら追従しかねないことも。


cube社がここまで徹底して軍事侵攻を拒絶しているのは自明。

制御に組まれた軍事流用の拒否・軍事侵攻関連国家へのあからさまな輸出忌避。

全て明確な反戦意志表示だ。

それでも尚軍事流用リスクを押して自動車用バッテリー分野を推進するのか。


つまりはEG-Packだけでは圧力として弱いのだ。

軍事進攻を継続する国や、威力で現状変更を押し進める国には。


彼らの力の裏には、石油や天然ガス、レアメタルに石炭という豊富な資源がある。

一方で気候変動やカーボンニュートラルに対する気遣いは、まるで感じられない。

原油の高止まりは急激な世界的インフレを招いているというのに、同調した産油国は価格を下げる努力をしない。

だからどれだけ世界が非難してもどこ吹く風。

それはそうだ。

非難している国でさえ、その裏で今も生活に必要なエネルギーは結局買わざるを得ないのだから。

非常用に近い電源がどんなに売れたところでそれは新たなマーケットを掘り出しただけの新規開拓ゲーム・チェンジであり、実体産業は痛痒も感じていない。


だが、自動車用バッテリーはどうか?

輸送用のエネルギーとして使われる原油割合は今現在、実に65%。

その9割が自動車用。

例えば、その燃料エンジンが全てEVに変わるとどうなるのか。

EVは充電しないと走れないから、充電する電力需要が急激に高まる。

その膨大な電力需要に対し、全て自然エネルギーで賄えれば何の問題も無い。

が、現実はとても足りない。

例えば日本の場合、今の自動車が全て電気自動車になったら、使っている石油をエネルギー換算した必要電力量は年間760TWhに相当する。

一方で国内発電量はというと、約1000TWh―――。

つまり年間発電総量を、今の1.8倍にしなければ賄えない。

比較的安定供給が出来ていた日本でさえ近年は電力量が逼迫し、計画停電さえ在り得る状況。

安易に発電所を増やすわけにも行かず、原子力にシフトすることも憚れる。

結局60%の石油はほとんどがそのまま電力を作るのに既存の火力発電に回されるだけ。

辛うじて自然エネルギーに代替できると予測される20%程度しか石油需要は減少しない。



ではそんな資源の上に胡坐をかいている彼らに大きな圧力を感じさせるには何が必要か?


今まではそんな都合の良いものは存在しなかった。

だからこそ彼らはここまで傲慢に振舞えた。


だが。

既存の電池を遥かに凌駕する性能。

しかも充電を必要とする2次電池ではない、完全CO2フリー。

充電を必要とせず、給油も必要としない理想的な電源。

現状、模倣のしようもなし。


その破壊的なイノベーションを一気に起こすことだ。

それには三極が共同し、可能な限り早く、そして一斉に拡散することが必須。

目先の欲にくらみ下手に独占などしようものなら、C国やR国、或いはオイルマネーや石油メジャー、更には今の環境活動に利権を持つ雑多な団体からテロリストという名の暗殺者や爆弾魔を送り込まれる事になる。

果てはそれこそ軍事侵攻してでも阻止・略奪を謀りかねない。

目標を絞らせず、一部を潰されても確実に推進できる態勢をいち早く構築する事、それが必要だった。


水素電池電気自動車が迅速に普及することでガソリンの使用量も充電の必要量も確実に落ちる。

序に使用国のカーボンニュートラルも推進できる。

普及が進めば、Li-イオン電池で世界を覇すべく幾つもの巨大工場を立ち上げたC国や、世界に余った石油を回すことでこの冬の天然ガス使用量を削減されるR国とて看過できない。

更に今現在はR国に同調する産油国すら掣肘できる。


その為には一国だけではなく、三極を巻き込む。

従業員がいない0から立ち上げるIcube社自社ではなく、既存電池に関する余剰人員を抱える企業にライセンスすることで、リードタイムをかなり短くできる。

無論他の既存産業に対しても巨大な構造変化が起きるだろう。

それは当然一部痛みを伴うものとなる。

着実に遂行するのは、カーボンニュートラルを目指す大義名分を得て利権を潰せる今をおいてなく、大々的に一気に拡散することが遠いようで近道。


cube社の今回取った手法は、確かに自社の利益こそ損ねているモノの、侵略国家やそれに同調する国家へ圧力、非合法テロへの牽制、ついでに地球規模の気候変動抑制と言う意味で、極めて効果的なのだ。

女性議員は知らないがCIAによるプロファイリングの結果として、Icube社がこういう戦略に出る可能性も示唆されていた。

最も効率的にR国、あるいは経済的利益に於いてR国と結託している産油国に対する最善の一手として。

だが自社の最大の利益を求めるのが企業の本質である。

その観点から可能性は低いと断じられた策。

それをなんの衒いも躊躇もなく、向こうから提示してくるとは・・・。



『・・・我が社の正規社員は現状2人だけ―――。過剰な利益は不要』



悔しそうに唇をかむ女性議員が、もしこのまま担当大臣になり、Icube社に不利な扱いなどしようものなら、Icube社はとっとと海外に出てしまうことも理解できていないかもしれない。

正規社員が2人と言うのも初めいて聞いたがそれでも身軽には違いない。

地縁や人縁に柵む大企業とはその性質が全く異なるのだ。

引き籠りだという社長でも、米国に申請すればEB(高名な研究者や特殊技能を有する人向けの永住権ビザ:いわゆる最高級グリーンカードの一種)扱いで即時発効されるだろう。

会社まで移転させてしまえば、日本国に入るはずだった法人税や消費税(理論上今季だけでも数兆円規模)は消えてなくなる。

更には既に構築されたサプライネットが崩壊する。

その規模は想像もしたくない。

それを理解しているのか否か―――、頭が痛い。

説明すれば理解できる地頭は持っているのだが、咄嗟の事態に対する機転は期待できない。

丁々発止の外交には向かないタイプ。

経済安全保障担当、及び科学技術政策担当が今や外交的手腕を必要とすることが理解できるか。

微妙で在った。



『既に地球は帰還不能点point of no returnに差し掛かってる・・・今日は勉強会ではないので、解ってない方は放置して』



痛烈な皮肉。

実際Icube社のIT統括には見限られたらしい。

欧州副委員長さえ苦笑する。



『失礼した。

では、我々EU委員会として今回の提案を前向きに検討する。

特許で言う結晶という構造上、大出力は作れないのかと思っていたが・・・。

それが可能なら、パリ協定やCOP26の宣言を守るためにも絶対欠かせない唯一の技術。

損切りも辞さない』



欧州委員会委員長も追随。



『推進については、各企業TOPの判断もあるが、EUからもバックアップさせていただく。

ただ、―――自動車用となると軍事転用も当然起きる。

C国、R国及びそこに通じる国をどうするか・・・これは企業が対応することではなく夫々の国家が対処すべき事項、だからこの場に各極の情報担当者と経済安保担当者が招待された、と言うことだな?』


『勿論。

制御用チップの中身ソフトウェアは安全保障の意味でも秘匿する。

当面飛翔体や自律移動体に搭載できないことや、連結使用できないことを継続。

システム要件にGPSが入っているから、自動車用トンネル以外の地中や海中での動作も禁止する。

必要ならC国やR国等特定の地域では給電停止するよう組み込むことも可能』






『制御チップもサンプル供与するのではなかったのか?』



返したのは再び大統領補佐官。


挨拶のジャブは華麗に躱され、カウンター気味のフックを貰った。

かなり強烈なものだったが、まだ足には来ていない、と自身を顧みる。

だからこそ、今見極める必要があった。



無問題モーマンタイ

貴国も含め、様々な国が裏表でこのサーバーのセキュリティを攻撃しているけど、まだ第1層さえ突破したのは数名、・・・第2層にたどり着いた者は居ない。

制御チップはただの入れ物。

中身のセキュリティは、このサーバーよりも硬い』



実際EG-Packの性能が明らかになっていたいCIA子飼いのハッカー集団がIcube社のサーバーに侵入を試みているのは知っている。

それが、未だ成功していないことも。


R国親派と言われると言われるKILLMETや世界的に有名なカオナシ、名だたるハッカー集団も同様に攻撃を続けているらしいというのは聞いて居た。

だが、そのどれもが侵入に成功していないことも。

無論、Icube社が表舞台に出てきてまだ2週間足らず。

余りにも時間が短いこともある。

だが補佐官である自分は、直にハッキングを仕掛ける技術者から聞いたことがあった。


“得体が知れない”


攻略対象が、曖昧で掴み処がない、との事だった。

一本道を歩いていたはずなのにいつの間にか底なし沼に嵌ったような。

まるで次元がずれている様な違和感。

実体のない幻を掴もうとしている空虚感。

たった1週間のTRYで既に心折れたスタッフが何人か。

覗き返された―――それが彼らの共通する吐露だと聞いた



『―――因みに、第1層を突破できた者には、ご褒美として個人のゲノム解析を実施、当人も把握できていない遺伝情報と全ての個人情報をコールバックしている。

テンプレだろう?

―――深淵を覗く者を、深淵が覗き返すのは』



―――此奴かッ!?



理解した。

cube社IT総括としては当然そういう仕事もあるだろう。

名だたるハッカーを潰す。

隠れてハッキングを仕掛けているのに、自分でも知らなかった遺伝情報や自らの個人情報を個人アドレスに突然返されたらハッカーはどう思うか。

いつの間にか自分の方が丸裸にされていたのだ。

相手の事は何もわからないのに、自分は赤裸々。

自分の知らない背中の黒子や、遺伝子解析されて持病迄知られていたら・・・。

それがネットで流れ出したらどうなるか・・・。

自らがハッカーだからこそ判るその恐怖。

個人情報が曝されたら、ハッカーとして、そして偽ってきた一般人としても、詰み。

今まで翻弄してきた国家や司法、企業から個人にまでどんな報復が来ることか。

トップクラスのハッカーだからこそ、即座に退く。


そのレベルと同等以上という事は、少しだけ余裕はあるか―――それが補佐官の判断だった。




『制限や、対価はどうなる?』


立方晶炭素錯重窒素硼素cCCBNの解析や研究は別に制限しない。

新たな製法が見つかればIcube社から購入しなくてもいい。

要求仕様さえ達成していれば同様に動作する。

cube社では高純度の天然や人工のダイヤモンドから作る。

よって原価は1g当たり日本円で300万円。

為替変動による差損益が発生しないよう、1g当たり単価はドル建てで$27000、ユーロは€22500でそれぞれの通貨建てで固定取引とする。

但し長期的には為替変動からの単価見直しは独自の判断で実施する。

そして売価はその50%アップ。

製作に必要なエネルギーや設備の減価償却を含めた。

無論関税を掛けるのであればその分乗せる。

これはライセンス料も同じ。


日本円で言えば原価は

4mmCubeで67万

5mmCubeで131万

6mmCubeで226万。

その1.5倍が販売価格。

国内なら消費税も掛る。

欠損がなければ何時でもこの価格で買い戻すし、どの出力でも20万km以上の走行を保証する』


『・・・我がステーツも是非はない。

ランセンス供与はまず此処に居るフラグパワー社に。

研究用のサンプルは機密の保持も鑑みながら別途お願いする。

ゆくゆくC国資本の入っていない会社を選定して追加することは可能か?』


『・・・2次募集は推薦の形で考慮する。

当然こちらでも調査するので、推薦=ライセンス供与ではない』



そう、極言してしまえば各国はIcube社社長個人のことが知りたいわけじゃなく、新型水素電池の秘密を知り、独自に転用したいだけなのだ。

そのサンプルを購入できるというのならそれに越したことはない。


パナツニック社社長兼CEOとGSエアサ社社長兼CEOが懇願するように女性議員を見た。

欧州エネルギー総局長に指摘され、他からはスルーされて腐っていた女史も空気を察し表情を改める。



「日本国もこの2社へのライセンス供与を歓迎いたします。」


『・・・ん。

―――後は企業と詰める』



疲れたようなLOWIの声だけが妙に印象的だった。






会議後、日下部より勉強会と称して当日の他国高官の目算と、C国やR国の軍事侵攻可能性を聞いた女性議員は蒼白になった。

全く考えが及んでいなかったらしい。

自分の覇権の障害になるなら、有用な発明も消してしまえと言うのが彼の国の在り方だ。

他の政府高官はしっかり認識していたし、少なくともLOWIと名乗ったIT総括からは呆れられていた。

その位の思慮や想像力を働かせてほしいものである。

もし、この後もIcube社を粗雑に扱うと、その社長はさっさと米国籍を得て、海外転出してしまいますよ、とも。






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