§003 2022,07,12(Tue)

公安調査庁 調査第一部 部長室




晴天の霹靂―――そう表現するしかない。


公安調査庁 調査第一部部長である日下部は苦虫をかむ潰した顔で独り言ちる。




先月、経済安全保障関連法の成立、それに先立ち、公安調査庁にも技術関連部門が新設されていた。

正直技術系は専門分野ではないがやれと言われればやるしかないのが公務員。

既に国内の革新的技術や研究に対する注目度の評価も実施している。


尤もこのところは緊急の別件に追われ、それら全ては停止していたが。



そんな中でも、先月末に特許庁から珍しくSランクとして通知が来たのも覚えている。

経済安保戦略上、極めて重要―――それがSランクの持つ意味。

この通報制度が出来て以来、初めてのSランク。

尤も法整備される前に海外出願までされていたため情報封鎖はしなかったとあったはず。

現時点では萌芽的トライアルと考えられ、今後の推移を継続看視、と註があった。

他の仕事に忙殺される中、ざっと要約を見て思ったのだ。

確かにこれが実現可能なら世界を変え得るSランクに相応しい。

が、こんなことができるなら、世界はとっくに変わってらぁ、と・・・。



だがその翌日―――昼過ぎ位にSNSがBUZZった。

後から知ったことだが超BUZZったらしい。

今までガジェット系アイテム一つでここまでネットが沸騰した例はない。

最近は林檎印新型スマホの発表でもここまでは行かない。

件の新型水素電池というそれは、じわじわと忍び寄るカーボンニュートラルの圧力や、軍事侵攻に端を発するエネルギー価格の高騰、それに連動した先の見えない物価上昇と円安傾向。

負のスパイラルに落ちつつある暗い社会背景を反映してか、一気に拡散された。

台風や地震などの自然災害も多発していて潜在的な停電への不安もあったのだろうか。


SNSから検証系YouMoveへ、そしてマスコミもSNSの祭りをいち早く察して通常電波や紙面へ。

結果このコロナ禍だというのに、量販店のあちこちに長い列が出来る始末。

特許庁からも大量の追加資料が送られてきていたが内容を確認する暇もない。

このクソ忙しいときに!!、と憤慨しきりだった。


と言うのも一昨日の10日には衆議院選挙。

そしてその3日前にはその選挙応援演説に訪れた地方都市で、元首相が銃撃され亡くなるという、大事件が起きたさなか、である。



公安調査庁第一部は、国内情報の収集が主業務。

内閣情報室ほどグレーな諜報活動ではないが、選挙に乗じた右派左派の動きや、そこに繋がる諸外国勢力、企業、宗教団体など、監視対象は極めて広範、且つ、根深い。

それに加えて銃撃事件の背景やら、各国暗部の動静やらずっと家にも帰れない日が続いていた。


漸く、漸くだ。

選挙の大勢が決し、銃撃犯人にも政治的な背景は無いとされた。

恐らく今後、銃撃事件の動機であり、その姿勢が多方面から問題視されている宗教団体と、政治家の関係性が取りざたされていくだろうが。




今朝、本来割り当てられた部署の業務に戻ってきたとき、緊急の業務指示があったのだ。

本件に対する詳細な調査とその取り纏めを至急実施し、報告書を閣議提出しろ、と―――。


それは経産省の管轄では?、と抗弁はしたものの、未読の報告書を見れば分かる、と諭された。



で、積みあがった報告書を開いて、まず例のブツの販売数を知った。


発売直後の10日間で4000万台―――。


暫し茫然。

思わずミスタイプを疑った。

累計詳細:入荷数三極+α、合計400万台/日。

10日間―――全て完売。



「可笑しいだろ・・・」



i-PHQNEの出荷台数が全世界で9000万と言われる中、わずか10日で4000万台を完売したと言うのだ。

流石に発売10日でその異常な供給量は停まり、在庫切れにより今後は1/10になるらしいが、それでも日産40万台を生産し全世界に出荷するという。

安い商品じゃない。

日本では16万円―――それこそスマホの最高機種並みだ。

出荷すれば傍から売れ、ネット通販大手Amesinでの予約は既に年を超え来年分まで埋まりつつある。

このまま生産台数を維持できれば、1年間で1億8000万台以上の売り上げになると予想されていた。

特に欧州の市場は過熱気味。

予約数が最も多い。



抑々何故そんなに売れるのか?

特許庁の報告書を開いたが、初めは意味が解らなかった。



「・・・は!?」



この小さな筐体に4kWの大出力と925kWhの出鱈目な容量。

3回読み返し、漸く925Whではなく925Whだと認識した。

桁外れ・・・、寧ろ次元が違う―――。


家庭用非常電源どころじゃない。

これが軍事転用されたらどんなことに成るのか。

経済安全保障の範疇を越え、最早軍事的安保懸案。

それが全世界10日間で4000万個完売・・・当然だ。


特に欧州はR国の軍事侵攻以降、経済制裁とエネルギー依存の狭間で微妙なバランス調整に悩む国が多数。

突然の停電も懸念されている中で、この持ち運べる非常用電源は是が非でも手に入れたいアイテムと化していた。


そうEG-Packが輸出されたのは、26ヶ国―――日本の輸出管理に関する規制除外国のみである。

件の紛争中のR国周辺やその行為を容認しているI国、1つの国家を掲げ、周辺国家と間になにかとトラブルの絶えないC国など、人口の多い国では一切販売していないにも関わらず、この数字。

単一民族島嶼国家の日本人には、イマイチ理解できないのかもしれないが、戦乱や動乱、亡命や難民も多数いる地域では、こういった非常用のエネルギー確保は必須。

更にはこの小ささに移動時も負荷にならず、そして最悪売れば必ず金になることも大きかった。

日本の購入理由がアウトドアに比重が大きいこととは対照的だ。



そして。

齎された資料を読むにつれその異常さが浮き彫りになる。



件のブツは全て国内発、だ。

日本生産。

10日分の初期出荷は資料を見る限りかなり前から周到に輸出されていたが、今後についても全て日本からの輸出申請済み。

特許も既に国際出願が為されているが、優先出願は日本。


なのに、である。

今の調査段階では、日本国内に該当している研究の報告はない。

否、今知る限り世界の研究にも、該当項目が見当たらないのだと言う。


当然公安調査庁が情報収集を後回しにしていた間、特許庁から経産省、文科省、加えて産総研や理化学研迄巻き込んで調査が行われていた。

その中に政府主導でいくつか実施している先端イノベーション系の研究予算補助があるが、何処の研究室も、何処の学会も、こんなブツを実現し、況や現実に発売をするという情報は一切持っていなかった。

遠い先の未来を見据えた、超先進研究では似通った例はいくつかあるが、こちらはまだアイディアレベル、理論構築すらこの先何年、何十年かかるか分からないという内容だ。


通常、萌芽的研究がリアルで技術となり、しかも経済的に成立する製品となるまでは、理論成立から20年くらいかかると言う。

現代の電池業界を席巻しているLi-イオン電池とて基礎概念は1976年、原形が出来たのが1980年代、製品使用が始まったのは1990年に入ってからだとか。

次世代と言われる全固体電池がもうすぐ商用化か、というタイミング。

この全固体電池だってアイデアの起源はファラデー、1830年代だと誰かの蘊蓄で聞いた。

その後研究が活発になったのは2000年にはいってからで、技術的ブレークスルーが達成されたのが2013年と言われる。


なのに・・・。

この新型水素電池は、基礎理論も試作工程・商業化検討もすべてぶっ飛ばし、いきなり完成した製品が販売されるという、メガトン級のインパクト。


それは各大学や大企業の研究室も同じで、寧ろ今稼働乃至建設中のLi-イオン電池・巨大工場や、全固体電池の研究開発、ひいては利用サイドの電気自動車設計に至るまで、巨大なパニックを引き起こしているらしい。

こんなぶっ飛んだ性能が実現可能と言うか、となると、今まで積み上げてきた自分たちの時間や努力はいったい何なのか、そもそも今後はどうなるという、悲鳴と混乱に満ちている。



あまりにも突然の、しかも超弩級技術的サプライズ。

調べれば調べる程に呆れる完成度の高さと、余りに用意周到な異常な迄の供給量=販売量の多さ。


その資料を読んだだけで売れるのは分かる。

と言うか自分も欲しい。

昨今は日本でさえピーク時の電力需給に陰りが見えている。

高温化する夏場に電力供給が追い付かず大規模小売店では一部照明を落としたりしている。


かと言って気候変動に関するパリ協定を批准した以上、そう易々と発電所は作れない。

自然エネルギーでは供給量が小さすぎるし、火力は論外、水力を作るには土地選定から始めてどれだけの時間がかかる事か。

残るは原子力だけなのだが東日本大震災の経験トラウマ上、じゃあ直ぐに、とは行かない。

どこの原発も安全性含めて再稼働までの道のりは険しい。



そこにこの非常用電源だ。

日本の場合は、地震や台風による停電も危惧される。

また新型コロナ禍中のレジャーとして様々なアウトドア関連の需要が伸びている。

そう言った緊急時の電力バックアップとしての備えや、レジャーへの使用という観点で誰もが一つは欲しいと考えた。

価格は高いが使い切っても四半額保証で買い取ってくれるし、同じ額で水素の再充填も可能。

今なら転売で高額で売れる。


電気料金としては1kWh当たり40円ちょっととなり、家庭用電気料金の2倍弱。

それでも非常用としては在り得ないくらい割安なのだ。


そんな状況が絡み合いこの手の製品としては珍しく爆発的に売れた。

で、通常は、生産が追い付かない。

供給が追い付かなければ、一時的な熱は冷め、販売数はやがて沈静化する。

なのにこの水素電池の場合、発売直後から10日間、国内で毎日100万台出荷―――。

それでなくとも半導体不足の昨今、それ以降今も日産40万台のうち10万台を国内に流通させるというのは、異常なペースだった。




そして何を置いても訳がわからないのはその原理。

手元には産総研や理化学研の調査報告書もある。

但し余りの内容の無さに、現在は先行暫定版であるが・・・。


新型水素電池と謳いつつ既存の燃料電池とは全く異なる機構。

確かに密封された水素ガスを用いているらしく、特許でも明記されている。

破壊したYouMoverも水素を確認したし、筑波の機械研に持ち込まれた分解結果からもそれは報告された。

しかしそのエネルギー発生機構が全く不明。

特許の説明上は従来の水素燃料電池と同じ、熱交換を用いることなく供給される電気エネルギーであるが、理論上非常識とも言える膨大なエネルギー密度。

専門家は口を揃えて在り得ない、としか言わない。

それは、“実物”がそこになければだれも信じることのできない驚愕のスペック。

特許にトリチウムが併記されていたことから、常温核融合ではという者もいたが、ガイガーカウンターを当ててもピクリともしないことから即却下された。

核融合であれば確かに放射性元素は残らないが、反応中は中性子線など放射線が放出される。

この小さな筐体で透過力の高い中性子線の遮蔽は理論上無理、という理由。

何しろ内部温度や水素の封入量など知りたいことは山ほどあるのに、X線でも内部検査をしようとしただけで自壊する。

見事なまでに完全ブラックボックスな代物だった。




どこの政府もその余りの性能をまず疑い、次に世論に押されて慌てて調査し、そしてその結果に戦慄した。

当然最初に販売され、該当すると思われる特許が提出されていた日本に質問は集中する。

その疑問に応える情報は、皆無。

殺到する問い合わせに、こっちが教えてほしいくらいだと経産省担当者は毒づいたとか。


YouMoveに挙がった視聴数稼ぎの動画を全て鵜吞みにするわけにはいかないし、と言って性能が良すぎるからと法律上何の瑕疵もない画期的な商品を即座に販売禁止にする権限と度胸はどこの国も持っていない。

国家権限で適正分配を理由に通関を差し止めようとしたアルゼンチンでは暴動がおこりかけ措置を断念したとの報告もあった。

実際EG-Packを狙った強奪事件や窃盗など多発しているらしい。

日本の各フリマサイトでは転売額が定価の5倍を越えたところで出品停止措置が取られた。

今も各所で売り切れが続く。

初期販売量のストックが終了し、納入数は1/10になったが、途切れることなく納品は続いているという。




そもそも唯の電池には販売規制がなにもないらしい。

これが直流なら出力の上限規制があるが、出力は交流。

動力を伴っていないので発電機でもない。

Li-イオン2次電池には発熱や発火の事故が多数発生し、後付けで現在は数量規制や容量規制が掛かっているが、今回のブツ:EG-Packは蓄電池ではなく1次電池。

最大出力で長時間使用しても発熱せず、充電も行わない新型電池。

これが蓄電池なら容量や最大出力に規制や認可が必要になるのだが、交流出力の1次電池には電気機器の安全基準であるPSEマークすら要らない。


出力や容量が大きすぎるという指摘はあるが、抑々1次電池でこれほどの交流出力と容量が実現できるなど、完全に規制の想定外なのだ。

少なくとも現行の法律では規制対象にならなかった。


勿論想定外でもこれだけの大電力大容量、次に危険性はないのかという議論になる。

で、実際はというと、破壊しても内部は溶損するものの外部への被害も漏洩もナシ。

出力が100V40Aであるにも関わらず、通常のコンセントを繋ぐと15A以上流れない設定。

これは通常の家庭用配線タップが1500Wまでであることによる。

なので、早速発売5日後にはEG-Pack用40A分配コンセントや、家庭配電盤に接続する家庭用配線キットを販売し始める便乗業者が多数出るほど。

寧ろそっちのPSEマークはどうなんだと問題になった。


給電時の抵抗値変化を監視しているらしい、との報告がある。

接続対象の溶損やスパーク、感電を伴うような抵抗変化時に即時給電を停止するという、極めて安全性の高い制御が施されていて難癖の付けようもない。

なにしろコンセントから引き出した剝き出しの端子に手で触れても感電もせず停止して“CONTACT ERROR”と表示されるのだから。

検証してみれば、家庭用コンセントよりも余程高い安全性を有していたとの事だった。



管理側として原理が不明で、極めて高度な戦略物資に相当する“ブツ”は何らかの規制対象にしたいのだが、現状規制する客観的事由が何一つ見当たらない、と言う優等生過ぎる困りもの。

どの国も出来たのは個人的にせよ国外持ち出し禁止、という安全保障上の緊急措置程度。

そもそも説明書には、X線で自壊する為、空港等の手荷物検査時はX線遮断容器に入れるよう注意喚起があった。





EG-Packは、調査室が衆議院選挙と元総理銃撃で手の離せない間に、日米欧の三極+α・10日間で4000万個を完売している。

その為に日本の安全保障的輸出規制が掛からない26ヶ国には予め10日分のストックを配し、大量のオーダーに10日間だけ完璧に応える柔軟で確実な輸送体制が完成していた。


その流通経路の追跡調査は内調からEUや米国の関係機関を巻き込んで行われていた。


調査の結果で言えば実際輸出が始まったのは4月初旬、約3ヶ月前からだ。

品目は電池。

R国やC国相手なら戦略物資に当たるが、日本を含め輸出管理に関する規制除外国である27ヶ国間では何ら問題にならない。

しかもLi-イオンを使用しない1次電池であることから、いずれの国でも何の認可も許可も必要なく、抵触する規制もない。

普通に申請がなされ普通に通関している。

どの国も通関時に電池の性能など検査しない。

更に目立つことを避ける為か大量輸出にならないよう、小規模のパッケージでいろんな経路から五月雨式に輸送していた。

現地でも一か所への大量在庫とせず全て分散されたまま7月1日の発売に向け備蓄されていた記録が残る。


27ヶ国それぞれの国内で委託されたエージェントにより、契約のとれた量販店に納品されたのは6月30日。

無論その時点では次回の発注は売れ行きを見てということだった。

エージェント契約の時点で件のブツの異常性に気付いてもおかしくはないのだが、当時はサンプルもなく全てカタログ値で交渉が行われたらしい。

カタログスペックは元から925kWh表記だったが、指摘されてもミスプリでしょうとされていたと言う。

幾人かのエージェントが問い合わせても回答が無かったとのことで、誰もが925kWhは在り得る数字ではなく、ミスプリントと思い込んでいた。

実際925Whでもこのサイズなら破格に近いエネルギー密度なのだ。

重量エネルギー密度で現状Li-イオン電池の10倍、出力荷重値で40~50倍。

―――ちょうど全固体電池が実現を標榜する性能に近い。

故に電池の性能に詳しかった者ほど、水素を含む全固体電池なのだろうと思い込んだという。



それが発売当日になって日本でのSNS爆発に問い合わせが殺到した。

結果発売分単位で入荷分は売り切れ、予約が殺到する。

当然販売側は次回納品の確保に走る訳だが、その時には既に初回入荷量を上限に供給体制が確保されていた。

要望に応え確実に届けるそのネットワーク構成を完全に組んでいたのだ。

発売から10日間に関しては、様々なところから、しかし確実に届くよう構成されている。

初日の売れ行きを見なければ次の注文などは要らないのが普通だが、在庫の切れる9日間分の供給を約束している。

ストックに3か月を掛けた当初の輸入量も、全てそれを見込んだものだった。


尚、今後の30万個/日と言われる今の輸出分について、日本国からの水際の差し止めを諮ったがそれは逆に欧米の強硬な申し入れにより頓挫していた。

肝心の法律が公布はされたが施行前なのだ。

強権を以て差し止める根拠がない。

超高度戦略物資であるとともに、何よりも魅力的な完全ゼロ・カーボン電力でもある。

しかも検証した限りその安全性は全く問題ない。

経済安保を掲げる一方で、カーボンニュートラルを目標にCO2排出削減を目指す先進各国にとって極めて重要な物資となっており、日本の独占など最早出来はしなかった。




まぁ、ただのガジェットであればそれで済んだ。

いや、最近は高度なセンサー類が使われているとそれだけでも危ないのだが・・・。

そう、このブツは紛れもなく、、且つ、―――。


中身の原理は知らずともその性能だけでそう認定されるのは確実で、性能が把握され横槍が入る前に一定数を売る―――。

つまりは検証により925kWhが尽きる10日間に4千万台。

典型的なスタートダッシュ・マーケティング。

売り出し直後の注文殺到を周到に構築された供給態勢で売りぬいた―――。


無論これだけ市井に出回った以上、仮想敵国が手にするのは容易。

持ち出しを規制しようと、船でもなんでもどうにでもなる。

販売されている国の国内で解析することも可能だ。



しかし発売後10日経た現在でもその問題は顕在化していない。


なにせ原理不明。

いまだ分解不能。

そして接続不可。


実際注意書きにある連結使用不能、飛翔体及び自律移動体への使用不能というのが中々に効いている。

4kWは通常の家庭用電源としては十分だが、車両や船舶の電源としては全く足りない。

自動車の最高出力が普通電気自動車でも100kW程度有ることからも自明。

車を動かすには一時的であれ100kW以上の出力密度が必要なのだ。

そのため通常の電気自動車はバッテリーを直列して電圧を稼ぎ瞬間出力を上げている。

この水素電池では制御規制が掛かり、それが出来ない。

自動車産業としては余計な規制だが、それが逆に軍事利用の抑止につながっていることも事実。

更には長距離ドローンやガードロボットの様な遠隔操作可能な攻撃的な装備にも使えないということ。

軍事使用を想定し、それを感知し拒否する制御システムを初めから内包しているという事になる。


一方原理を知るために無理やり分解すれば電子機器や鍵となる結晶体を焼失。

制御システムは高度な状況判断をしていることが伺えるが、接続のプロトコルさえ不明。

少なくとも既存の無線プロトコルや解析ソフトにも一切の反応を示さない、沈黙の箱。

通信プロトコルさえもオリジナルか、無線を使用しない完全スタンドアローンであろうというのが検証に当たっているチームの見解。

実際電波暗室で測定を試みたが、既存のプロトコルに対し何の応答電波を発しなかった。

完全オリジナルだとすれば、何の情報もなくそれを探り当てることは現代の科学を以てしても不可能だそうだ。


結局軍事的にも移動用電源として位は使えるかもしれないが、攻撃的な武器としての使用は殆ど出来ないのも確か。

複製も改造もできず、使用も限定的―――。


日本や欧米が躍起になって解析しているのに何もわからないということは、当然C国やR国が既に手にしていたとしても、今の段階では同様と考えられる。

無論今後どこまで耐えられるのかは不明だが。

全てに対し余りに強固なセキュリティには、明確で徹底的な軍事使用拒絶の強烈な意志が込められているという事だ。




その意志は製造における生産ネット構築にも表れていた。


この10日間の調査で分かったのは、水素電池の製作に携わった町工場はそれぞれ極一般の部品しか作成して居らず、Icubeと契約した際のエージェントも全て委託。

使われているファイバーレーザー発振器の周波数は特許にあるだけ。

内部に埋められた制御回路は寧ろ携帯電話の流用。

しかも使われるチップは限定的なものではなく幅もある。

寧ろ最新スマホに使われる最新でなく型落ちでも十分なスペックで在り、」世界的に不足している半導体とは被らない範囲で十分使用に耐えるとか。

国内の既存設備を有するメーカーを巻き込んで供給されていた。

今最も作られている携帯電話用の基板だからこそ小さくて、更に部品の幅を拡げることで大量確保が出来ているということか。

外部で作成されている部品に関しては、全てがオープンで何の機密事項も見当たらない、極めて単純な構造であるということ。

構造図や仕様書もすぐ彼方此方からすぐ入手できた。

これで電気など生じるわけがない、と専門家が呆れる程単純な構造なのだ。


で、これらを製作するサプライチェーンも何本もの鎖が複雑に絡み合い、もはやサプライネットという状態。

何処かのリンゴマークよりも広汎で広大な生産自由化を実現している。

スマートフォンよりも単純で簡易な構造なのだからそれも当然と言えば当然なのだが。

筐体やコイル、電極部分はコロナ禍で生産の減少した日本全国各地の中小工場を網羅し、1か所の生産は日産数100個単位でも、それを1000社程度集めることで日産40万個を可能としていた。

半導体不足やU国侵攻などの影響で減産を余儀なくされた自動車部品の下請け工場から、カトラリーの製造工場まで使っている。

その巨大で隙のないサプライネットを組み上げたのも、末端の交渉は全て委託。

恐らく委託された範囲は極狭い限定的な領域。

委託された当の業者は、それがまさかEG-Packの生産ネットだという事すら知らされていなかった。

その小さなピースを立体的に組み上げて構築された全体像。

もし一つのピースに不具合が生じても、それを迂回するルートが幾通りもある、そんな積層型立体サプライネット。

会社の選定から作る部品の図面、個数迄指示し実施の可否や納期、輸送方法まで規定したうえで委託が行なわれていた。


故に、製造に関しては強引な諜報活動をするまでもなく、いくらでも情報が入る。



―――但し。

結晶構造と、制御に関するOSやファームウェアは一切不明。

電子構成は既存だが中身は違う。

現代の携帯OS・・・IO5やAndrogynosがどの基板でも動作するように、EG-PackのOSも汎用性を有しているということ。

現行技術でここまで早く・小さく作れる単純でありふれた構造でありながら、その心臓部である結晶体と、頭脳である制御ロジックだけが見事なまでに完全秘匿されていた。

唯一の手掛かりは発売前日に登録広報公開された特許だけなのだが、使用される結晶体の構造すら明記されていない簡易なもの。



つまり特許侵害防衛のお手本のような防衛体制は、対諜報としても著しく優秀だった。




一通りの資料に目を通して、この案件調査が調査室に回ってきた理由も理解できてしまった。

これは既に画期的な新型電池の新発売、という事態ではないのだ。

科学技術、カーボンニュートラル、経済、貿易、国際関係、そして軍事に諜報・・・。

全てに関わる案件だからこそ纏めは経済安保の先駆けで在った調査室が行うことが妥当と判断されたのだろう。



銃撃事件よりも帰宅できない日々を予期して、日下部はげんなりするしかなかった。





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