終章

 マーカス王国 セリファクルスの村 


 リィズが目を覚ました場所は、見慣れない部屋だった。上体を起こし、辺りを見回すとそこには二人の六鉾ろくぼう騎士がいた。大きな身体を窓辺に向けた『剣断けんだん』ガレルと、ブロンドの髪の手入れをしている『剣聖けんせい』クレヴィだ。リィズの、ウィンドの数少ない正体を知る者達だった。

「ガレルさん、クレヴィさん」

「目を覚ましたか、リィズ」

 ガレルは声をかけたリィズの姿を見て、嘆息と共にそう言った。年齢はそろそろ五十歳にもなろうというのにその肉体は衰えを知らぬかのように隆々としている。髪には白いものが混じり始めているが、それでもまだ一騎打ちでガレルに勝てるものは王国騎士団の中にはいない。その屈強な騎士の嘆息に、何か安堵の気持ちがあったようにリィズは感じられた。

「どこもおかしなところはない?リィズ」

 クレヴィもそう言ってリィズが寝ていたベッドに近付いた。丁寧にブロンドの髪に櫛を通しているクレヴィは今年で二八歳になる。マーカス騎士団の中でも一、二を争うほどの美貌の持ち主で、何かと話題性に富んだ女性だが、ずっとリィズの姉のように身を案じてくれているたおやかな女性だ。男社会の騎士団に於いて、リィズが唯一気の置けない存在として認識している人物でもある。

「ここは?」

「セリファクルスよ。碧の森の丸太亭。給仕の女の子が慌てて王城にまで知らせを出してくれたらしいわ」

「マーカスの騎士様が倒れている、とな」

(!)

 口々に言うクレヴィとガレルの言葉で、リィズは自分の身に何が起こったのかを思い出した。

 フィルとの戦いの後、フィルが逝き、その身体を抱きしめた時、既に死に絶えたフィルの手にあった赤魔せきまが自分の身体を貫いたはずだった。

 フィルを殺めてしまった自分には似合いの最期だと諦めた。好意を抱いていたフィルと共に逝けるのならそれも良い。そう思っていた。

 しかし、こうして今、リィズは生きている。

「フィルは、どうしたんですか?」

「フィル?あぁ、一緒に戦士もいたみたいだけど、埋葬したって言っていたわ」

 リィズはフィルと共に倒れていたのだ。何故自分だけが生きているのだろう。あの時赤魔は確かに自分とフィルを貫いていた。

「そうですか……」

 あの後、自分とフィルの血を吸った赤魔が赤光せきこうへと変化し、自分のみが癒された。

 そういうことなのだろうか。リィズが素顔を晒す要因となった一撃で怪我を負った左肩までもが癒されていた。骨折や脱臼程度であれば神聖魔導でも治癒することは可能だが、あの後、リィズは確かに胸を貫かれた。あれほどの剣傷は、高みの癒しの神聖魔導キュアクリティカルウーンズでもあの場にいて即座に処理をしなければ致命傷となったはずなのだ。

「赤光は……!」

 リィズはそう言って辺りを見回す。

「ここにある。やっと取り返せたんだな……」

 複雑な面持ちでガレルは言った。リィズが『剣風けんぷう』ウィンドとしてトゥール各地を練り歩いた原因となったものだ。

 ガレルが床に置いてあったのであろう赤光の鞘を持ち、リィズに手渡した。

「これでウィンドである必要もなくなったわね、リィズ」

 穏やかにクレヴィはそう告げた。クレヴィは元々当時十代であったリィズを戦わせることに反対していた。しかしリィズの意志の強さに根負けし、結局は色々とリィズを支えてくれた。赤光を見つけた今となっては、リィズがこれからウィンドとして殺伐とした仕事で手を汚すこともない、と考えているのだろう。

 それにはガレルも同じ思いであったのだろう。リィズを引き取った時、自分の一番近くで守れるとなると、騎士団に入れることが一番だと判断したガレルは全ての事情を説明し、リィズの素性を隠し、ウィンドとして騎士団に入れた。

 しかしガレルはことあるごとにそれを後悔している、とリィズに言っていたのだ。初めてリィズがウィンドとして人を殺めた時からガレルの苦悩は始まったと言っても良い。

 リィズにしてみれば、自分を引き取ってくれたガレルや、騎士団入りを内密ではあるが認めてくれた国王に恩返しをするべきだと考え、任務に没頭しただけであった。

 確かに人と争うことをリィズは好まないが、それでもただ守られるだけの人間にはなりたくはなかった。幸いリィズには父をも越える剣の技術があったのだ。それを生かさずに守られているだけの自分にはなりたくはなかった。

 幾度となくガレルにはそう言ってきた。ガレルはそんな頑ななリィズの個人的な思いを果たすまでは、と今まで葛藤し、苦悩し、リィズを案じていたのだ。

 そしてその思いは果たされた。

 しかし。

「ガレルさん、ウィンドの冑が壊されました。もう一度同じ物を創ってもらえませんか」

 リィズの口から出た言葉にガレルもクレヴィも驚愕した。

「何を言っているんだ。お前はもう戦う必要はない。レヴィウスの村に戻って平穏に暮らすんだ」

「そうよリィズ。私達は貴女が任務を遂行するたびに胸を締め付けられるような思いをしてきたの。これ以上こんなこと続ける必要はないわ」

 ガレルもクレヴィもやはり反対のようだった。再びリィズがウィンドとして六鉾騎士団に戻ることが。

「それならウィンドとしてではなく、リィズ・アンシェリス・クリスツェンとして六鉾騎士団に……いえ、マーカス王国騎士団に入ります」

 リィズは意を決してそう言った。

 先日出会ったナイトクォリー王国騎士団長、旋風の騎士ナイト オブ シルフ、ソアラ・スクエラ、そしてフィル・スヴェイン。二人の男との邂逅がリィズを変えた。

「ソアラ殿とお会いして、私、もっと強い人間になりたい。……そう思いました。あの方は本当に強い方です。そして赤魔の魔力に焼かれたフィルの思いにも報いたい。そう思っています」

 リィズはそう言って赤光を受け取ると、鞘から引き抜いた。

 瞬間、赤光は光を発した。手にかかる重量感が一気に失せる。赤光がリィズを持ち主として認めた、ということだろう。

 フィルが言っていた通り、この魔導剣は意思を持っている。そして、歪んだ意思を持つ者は赤魔の魔力に焼かれてしまうことになるのかもしれない。

 フィルの思いもまた、人の命を奪い、その力で、赤光の力で妹を救おうとしたという歪んだ思いであった。フィル自身それを判ってやっていた。許されることではないと判っていたのだ。恐らく初めて出会った時に、赤光をリィズに返そうとしたあの行動も、赤光、赤魔と決別するための、フィルの最後の善意だったのかもしれない。

 報いがきた、とフィルは最期に言った。

 それがフィルの本心を表していたようにリィズには感じられたのだ。

 そして先ほどクレヴィが言った、使いの話。

 碧の森の丸太亭の給仕の少女はフィルに斬られ、倒れていた。しかしそれが、もしも赤魔ではなく、赤光の力を行使した結果だったとしたら。

 部屋から出ればそれはすぐに確認できるだろう。あの時、給仕の少女には外傷はないように思えた。血痕もなく、言ってみれば寝ているだけのようにも思えた。

 試したのではないのだろうか。言葉を失った少女に、再び言葉をもたらすための力が、赤光にあるのかどうかを。

 それは、図らずもフィル本来の、最後の、人間らしい行いだったのかもしれない。

「リィズ……」

「それに、まだフィデス王国には出向いていません。マーカスの騎士として、六鉾騎士団の一員として、フィデス王国国王グランツ・ガレッド陛下に親書を届けなければなりません。このまま任務を放り出すことは、できません」

 少しだけ笑顔になってリィズは言った。

 ガレルとクレヴィは顔を見合わせて苦笑すると、折れたようだった。

「判ったよ。父親に似て頑固な娘だ。あれをそのまま創りだすには時間がかかる。とりあえずはあの声を変える奇妙な魔導だけでもかかったものを急ぎ創らせよう」

「そうね……。赤光は見つけたけれど、赤魔はまだ見つけていないんだものね」

 礼を言うリィズを見てクレヴィは心配そうに言う。こうして見ていると品の良い女性にしか見えない。しかし戦神スランヴェルンの祝福を受けた聖剣を持ち、戦う姿はまさしく戦女神のように凄まじく、鮮烈で美しい。

 戦神スランヴェルンの神官騎士であるクレヴィは滅多なことでは戦わない。神が認めし聖戦ジハードの時にのみその力は発揮される。普段は神官として神殿に勤め、戦の時には、騎士や傭兵の援護に回っているのだ。

「赤魔ならここに在ります」

 そんなクレヴィにリィズはそう言って、赤光を鞘から半分だけ引き抜いた。

「え?」

「魔導剣、赤光、赤魔は二振り一対の剣ではなかったんです。この赤光が時として赤魔に変化する……。そういう剣なんです」

 リィズはそう言って赤光を再び鞘に収めた。先んじて父が打った魔導剣、聖夜の騎士ソード オブ ホーリィナイトが二本一対の剣であったためか、赤光、赤魔も同じように二本一対の剣だと誰もが思い込んでいた。

「私個人の思いはもう果たしました。あとはその機会を与えてくれた国王や、一切私の素性に触れなかった騎士団の仲間達に報いる時です」

 笑顔になり、リィズは言う。

 ウィンドとして、人を殺めることは確かに辛いことだ。特に争いを好まないリィズには、戦いそのものが苦痛だ。

 しかし、それでも討たなければいけない敵がいるのならば、その敵を討つ力を持っている自分がやらなければならない。他の誰にその力があったとしても、リィズがやらなくても良い理由にはならない。責任から逃れるようなことはしたくなかった。

 ウィンドとして国王の親書を目にした時、揺るがない決意は既にそこにあった。セルディシア王国軍やセルディシア王国が使役する魔族はナイトクォリー王国だけの敵ではない。無差別に人を襲い、喰らい、蹂躙する、人類の天敵だ。微力ではあるが、それらを退ける力がリィズにもある。一人でも戦争の犠牲者を減らすために、できることがリィズにはあるのだ。

「……判ったわリィズ。それなら私はこれからも貴女を支えていくから。嫌だって言っても無駄よ。可愛い妹代わりのリィズを死なせる訳には行かないもの」

 そう言ってクレヴィはリィズの髪を撫で、ゆっくりと櫛を入れた。

「クレヴィさん……。ありがとう」

 笑顔から自然にこぼれた涙をリィズは拭いもせずに、クレヴィの手を握った。


 赫き剣閃 終わり

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赫き剣閃 yui-yui @yuilizz

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