第五話 狂気の戦士

 マーカス王国 セリファクルスの村


「マーカス王国騎士団、六鉾ろくぼう騎士、『剣風けんぷう』ウィンド、自由なる風……。それは私、リィズ・アンシェリス・クリスツェンのことよ……」

 ウィンドは、いや、リィズは痛む左肩を押さえ、そう呟いた。六鉾騎士団の実質的リーダーでもある『剣断けんだん』ガレルは、リィズの父、ヨルグ・アンハード・クリスツェンの無二の親友であった。かつて六鉾騎士団が設立される前までは、ヨルグもマーカス王国騎士団の一員として、戦っていたことがあったのだ。

 三年前、父が死に、ガレルがリィズを引き取ってくれた。

 リィズはヨルグに剣を教え込まれていたが、その素質はヨルグをも凌ぐものであった。ガレルは当時十八才であったリィズを騎士団に入れることができなかったため、リィズの素性を隠し、『剣風』ウィンドとして、六鉾騎士団に入団させた。

 この決定は、国王も認めた決定事項であったため、反対する者は殆どいなかった。リィズ自身、父の仇を討つため、ウィンドとして動くことに異存はなかった。そして、リィズが止む無く人を殺める時にもウィンドの仮面は役に立ったのである。

 普段から人と争うことすらも嫌うリィズは、自らの行為をウィンドという仮面の下で行ってきた。それはいつしかリィズの心の逃げ場にもなっていたのだ。

 そしてその行為は、ウィンドとしての人格をも作り出し、リィズは自分が多重人格者になってしまったかのような錯覚にすら陥った。

 リィズとしても、ウィンドとしても、魔導剣、赤光せきこう赤魔せきまを取り戻し、父の仇を討つと心に決め、旅立ち、そして出会ったのは赤光の持ち主。

 結果的にその出会いは赤魔の持ち主と出会うことでもあった。

 数日前のあの夜、リィズはフィルと食事を終えると、部屋に戻り休むふりをした。野盗が追っ手を出してはこないかが心配だったリィズはいつも持ち歩いているウィンドとしての装備を整えると、村の見回りをしていたのだ。

 そこで赤魔を見つけた。

 赤魔の持ち主は確かに父の遺言通り、蒼い鎧を着けていた。しかしリィズはその蒼が塗装ではなく、何某かの魔力で発光した光だったことに気付いた。そしてその鎧の躯体にも見覚えがあったことと、翌朝、フィルの持つ赤光の鞘にこびりついていた血痕で、殆ど答えを得たようなものだった。

 しかし、リィズはそれを信じたくはなかったのだ。

 傭兵として戦争に参加することをフィルは嫌い、自分に協力する、と言ってくれた。

 最初の出会いもそうだ。襲われた隊商を、見ず知らずのたった一人の戦士が助力してくれた。

 信じたくはなかった。

 リィズはフィルに淡く仄かな好意を抱いていたのだ。

「ぐあ……」

 フィルは突然頭を押さえだした。同時に赤魔の赤い闇が不規則に明滅し始める。

 何かを訴えるように、赤魔が鈍く、強く、鮮やかに、禍々しく繰り返し闇を発している。

「……」

 リィズは何が起こっているのか判らず、立ち尽くした。

「ああああっ!」

 赤魔を取り落とし、フィルは崩れ落ちた。そして苦しみに悶えている。先日の赤魔の光に、いや禍々しい気に焼かれた野盗達がいたことをリィズは思い起こした。

 あれだけの人を狂わせるほどの魔力を発する赤魔の持ち主のフィルに何も影響がないということはないはずなのだ。それが今起こっているのかもしれない。

 そして、その現象の引き金となったのはリィズ、つまりウィンドの正体に驚愕してのことなのかもしれない。

「フィ、フィル……?」

 やっとのことでフィルの名を呼ぶ。

 フィルの手から離れた赤魔が赤い闇を失う。そしてゆっくりと、再び赤い光が灯る。それと同時に魔剣赤魔は聖剣赤光に変化して行く。

 完全に赤光に変化が終わるとその光は消滅した。何事もなかったかのように、赤光はそこに横たわっている。

「うぅ……」

 フィルの身悶えが少なくなってゆく。赤魔が赤光に変化したことでフィルを襲っていた苦痛がなくなったのだろうか。

「フィル」

 リィズはフィルの傍らに膝をついた。その表情は醜く歪んだ狂戦士のそれではなく、普段の穏やかなフィルの表情に戻っていた。

「リィズ……」

「何故、父を殺したの」

 リィズの声は自分でも驚くほど低い声だった。

「殺したんじゃない」

「嘘!父さんは赤魔を持ち去った、蒼い鎧に身を包む男に殺されたのよ!貴方以外にはいない!」

 上体をゆっくりと起こしたフィルにリィズは激昂した。まさかこの期に及んで言い逃れをするとは思いもしかった。

 母を病で失い、それからは父と二人きりだったが、平穏な暮らしをしていたのだ。時折父の元に剣士が現れる時意外は。

 その生活をフィルが壊した。

 父を殺し、赤光、赤魔を奪った。最期の最期まで父は赤光、赤魔のことが頭から離れなかった。

 赤光、赤魔に呪い殺されたも同然だ。

「嘘じゃない。おれがヨルグ・アンハード・クリスツェンと戦ったのは事実だよ。でも殺したのでもなければ、事故で死んだ訳でもない。あの人は自らその道を選んだんだ……」

「選んだ?……死を?嘘……。嘘をつくならもっとましな……」

 嘘だ。ここで欲しいのは真実唯一つ。本当のことが知りたいだけだ。偽りの言葉など何一ついらない。フィルの言葉に困惑し、言葉が出てこない。

「おれは負けた。ヨルグ・アンハード・クリスツェンは本当に強い人だったよ」

 フィルの口から漏れた言葉は、俄かには信じられないことだった。

「負け、た?」

「あぁ、負けたよ。おれは剣士としてあの人を尊敬すらした。でもその直後に、あの人が持つ赤光が赤魔に変わったんだ。あの人は赤魔の魔力に対抗していたみたいだった。おれが赤魔を持つようになって判ったことだけど、赤魔は人の血を吸うたびにその力を増して行く。そしていつしか持ち主は赤魔の魔力に焼かれる」

 淡々とフィルは告げる。

「魔力に……」

 リィズはただフィルの言葉を聞くことしかできなかった。フィルが語っていることが真実だとは限らない。自分の父を殺したことを隠蔽しようとしているかもしれないのだ。

 頭でそう考えていても、心がそれを拒絶している。フィルの言っていることは恐らく全て本当のことだ、と。

「だけど赤魔の力はただ溜まっていく物じゃない。それを開放するのが赤光の役割だったんだ。リィズも見ただろう、おれの身体が赤光で癒されるのを」

「ええ……」

 あれほどの癒しの力は神聖魔導ホーリィランゲージで例えるならばかなり高位の奇跡だ。回復速度が異様なほどに速すぎた。軽症ならばともかく、リィズが与えた一撃は決して軽症などではなかった。

 治癒の神聖魔導キュアライトウーンズは、患部の細胞を活性化させることにより、傷の回復を早めるというものだ。結果、自然治癒の何倍もの働きを強要される細胞と体組織、そして肉体は疲弊する。

 あれほどの傷を受け、神聖魔導で癒された場合、相当の疲労度が溜まるはずだった。しかしフィルはその後もすぐに攻撃に移った。

 あの瞬間は冷静ではいられなかった。狂戦士バーサーカー化したための精神力の強さかとも思ったが、どうやら赤光の治癒の力というのは神聖魔導とは完全に袂を分かつものらしい。

「赤魔が吸った人の血を、赤光が癒しの力として開放する。吸った血が多ければ多いほど、癒しの力は高まる。それがこの赤光、赤魔の構造だよ。そしてあの人の赤魔を抑える力は、おれが負けた時点で追いつかなくなった。手傷を負わされた俺の体を癒しても、あの人は赤魔に焼かれた。その直後さ。赤魔を自分の腹に突き刺して、自らが半狂戦士化するのを防いだんだ」

「……」

 リィズは頷いた。聞いてみれば実にそれは父らしい、誇り高き剣士としての最期だ。

 恐らく、父は腕試しを挑んでくる者達を倒した後、その戦いで赤魔が得た魔力を、負けた剣士を癒すことにより消費していたのだろう。そしてそれを熟知していた父は、フィルとの闘いの後、抑えきれないほどに膨らんでしまった赤魔の力をどうにか解放しようと、自らを傷つけ、赤光で癒しの力を使おうとしたのかもしれない。赤魔の許容量を超えた魔力を消費すれば、再び赤魔を制御できる可能性があったのかもしれない。

 答えは総て闇の中だ。

 ただ、赤魔が父の命を奪い、回復させることはなかったという事実だけが残った。

 恐らく父の最期の言葉は、赤魔を引き継いだフィルに自分と同じ道を歩ませないように遺した言葉だったに違いない。

「父さん……」

「すまない、リィズ……。おれは、だけど、この剣でやらなくちゃいけないことがあった」

「やらなくちゃいけないこと?」

 リィズは赤光を取ると、フィルの傍らに置いた。

「妹がいるんだ……。胸を患ってる。もう長くはないと、医者にも言われた。おれは、この剣で、妹をどうしても救いたかった。赤光の癒しの力なら治せると思ったんだ……。どこの教会へ行っても、妹の、病は、神聖魔導では治せない、ものだって、言われた。だ、だから、おれは、君の、父さんの剣を奪い、妹を救うために、ひ、人を、殺し続けた……」

 フィルの言葉が途切れ途切れになる。

「フィル?」

「そろそろその報いが来るみたいだ。血が止まらない……」

「!」

 リィズは先ほどの戦闘でフィルの腹部を突き刺し、傷口を広げたことを思い出した。しかしフィルの傍らにある赤光は何の反応も示さない。

 リィズは赤光をフィルの手に持たせた。

「赤光はおれを見放したみたいだな……。時々感じるんだ……。こいつはただの、魔導の剣なんかじゃ、ないんじゃないか、って。意思を、持っているんじゃないかって」

 夜だったせいでフィルの顔色が変貌していくのが判らなかった。しかし何故赤光はフィルの手にあって、何も変化を起こさないのだろう。

 フィルの言う通り魔導の剣の中には知識剣インテリジェンスソードと呼ばれる、剣そのものに人の意思のようなものが宿り、会話ができる物も存在する。会話ができる物や意思疎通がそれとなく取れる物など、その種類は多岐に渡って存在している。父の打った赤光、赤魔もまた、いつしかそうした意思を持つようになった物なのかもしれなかった。

「フィル!」

 フィルはリィズに振るえる手を伸ばした。

「す、済まないリィズ……。こんなこと、頼めた義理じゃあ、ない、が……。い、妹のことを……」

 糸が切れた操り人形のように、フィルの手が地に落ちた。

「フィル?」

 リィズはフィルの目を覗き込み、名を呼ぶ。ゆっくりとフィルの身体がリィズへと覆いかぶさる。

「フィル……」

 フィルの呼吸音が聞こえない。リィズはフィルを動く右腕で抱きとめると髪を軽く撫でた。

「判ったわ……。貴方の妹のこと、わたし、探してみる……」

 そう呟くと、リィズは目を伏せる。

「わたしはウィンドとして、殺す気で貴方を殺せた。貴方には少なからず好意を持ってはいたけれど、やっぱり許すことができなかった。……でも」

 自然と涙が溢れてくる。リィズはフィルの身体を強く抱きしめた。どんな神聖魔導すらも癒すことのできなかった病を癒すため、フィルは己の限界まで赤魔に人の血を吸わせ続けた。傭兵隊に参加しようと思っていたことも、更なる血を求めてのことだったのかもしれない。

「でも……。もう恨むことなんてできない。赤魔の魔力に焼かることが罪なんかじゃないって、判ったから……」

 その瞬間、リィズの背中から胸にかけて、何かが通った。

「っ!」

 直後に暑い感触がそこから広がってゆく。

「……フィ、ル」

 リィズはフィルの身体を抱きしめたまま、平衡感覚を保てなくなり、ゆっくりと仰向けに倒れた。

 リィズの胸から突き出ていたものは、身体を重ねていたフィルの身体をも貫き、月夜に輝いた。

「せ、せき……魔」

 リィズの意識は暗転した。


 第五話 狂気の戦士 終わり

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