第四話 剣風の騎士

 マーカス王国 セリファクルスの村


 リィズとフィルの二人は再びセリファクルスの村へ訪れていた。到着したのは夜半も近い時刻であったが、まだ顔を忘れられていなかったためか、碧の森の丸太亭のマスターは快く二人を迎え入れてくれた。

 リィズはとりあえず明日、色々と捜索をしてみる旨をフィルに伝え、早々に部屋へと入って休むことにした。


 リィズは大きな荷物を部屋のベッドの脇に置き口紐を解くと、そのままベッドに体を投げ出した。

 ゆっくりと目を閉じる。

(あれは間違いなく赤魔せきまだ……)

 実物を手に取ったことはなかったが、赤光せきこうを目にした今、あれが赤魔であることは一目で判った。

 そして蒼い鎧。

 あれは蒼い鎧というよりも蒼い光を発する鎧だった。リィズが見た限りではあの光が発していない時は恐らく蒼くは見えないはずだ。

 点と線とが繋がりつつあった。しかし信じたくないという気持ちが生まれた。

 もしもリィズの考えが全て合っているのだとしたら、最悪の結果を招くことになるだろう。

(お父さん……。どうすればいいの?)

 リィズは目を閉じて、疲れた身体を休ませようと、深く息をした。

 

 失語症の給仕の少女がリィズとフィルを見て、何か言いたげではあったが、伝える言葉を持たない彼女は、やはり何も言えずそのまま仕事へと戻っていってしまった。



 ウィンドが目を覚ましたのは、何かが落下し着地したような音がきっかけだった。

 その音は聞き慣れた音でもある。人間が倒れる音だ。セリファクルスの村の碧の森の丸太亭で、仮眠を取っていたウィンドはすぐさま身支度を整え自室を出ると、剣に手をかけた。

 予測通り、そこには蒼い光を発している鎧を着け、手には禍々しい赤き光を放つ剣を握った男が立っていた。

 足元には給仕の失語症の少女が倒れている。呼吸ができているのは見て取れた。ウィンドからでは目立った外傷もなく、血が出ているようには見えないが、倒れたまま身動きは取れないようだった。誰かが気付き、手当てをしてくれればまだ助かるかもしれない。

「貴様……」

 言い知れぬ怒りを覚え、ウィンドは剣を抜くと同時に狂戦士バーサーカーに斬りかかった。その一撃はいとも容易く赤魔に遮られた。

(まずいか……。外に出なければ被害が広がる可能性が……)

 先日の、野盗達がこの男の狂気と赤魔の瘴気に中てられ、狂人化するという症状をウィンドは思い出した。宿にいる者が同じ症状に陥る可能性は高い上に、給仕の少女のことも気にかかる。

 ウィンドは自室に駆け込むと、わざと派手な音を立てながら窓を割り、外へと飛び出した。窓の外には大きな木が生えており、その木の幹を蹴り、勢いを殺し、着地する。狂戦士がついてくるとは限らなかったが、ウィンドの思惑が当たっていれば、恐らくはついてくるはずだった。半瞬後、狂戦士は同じ窓から飛び降りてきた。窓を割った音で誰かが気付いて給仕の少女を介抱してくれれば良いのだが、それを確認する余裕はウィンドには無かった。

(やはりそうか……)

 冑の中で舌打ちをすると、ウィンドは構えを取った。着地からゆっくりと立ち上がる狂戦士の顔を見据える。怒りに飲み込まれた狂戦士の顔は、今思えば確かに彼に似ていた。

(フィル・スヴェイン)

「まさかそんなことだとは思わなかった……」

 狂戦士に向かい、ウィンドは言葉を投げた。狂戦士は動かない。やはりフィル・スヴェインとしての人格が残っているのだ。恐らくは二重人格者か、赤魔に乗っ取られた、フィル・スヴェインの邪悪な部分のみが人格として形成されたものか。

「魔導剣、赤光、赤魔は二振り一対の剣ではない……。一本の剣が変化するものだった。そうだろう?フィル・スヴェイン」

 確信に満ちたウィンドの言葉にぴくり、と狂戦士の肩が揺れた。

「くくっ、貴様……。よくこのおれが正気を失っていないと判ったな」

 狂戦士、フィルは言って笑った。怒りに歪められた表情そのままで。

「正気だと……?私の知るフィル・スヴェインは少なくとも平気で人を殺せるような人間ではなかった」

「ふん、どこで見知ったのか判らんがおれは貴様など知らん。知っているのは貴様が六鉾ろくぼう騎士団の一員だということだけ。そして貴様を倒せば名が上がるということだけだ」

 フィルはそう言って赤魔を構える。

「おれを殺してどうする。何故おれを追う」

 フィルの言葉と同時に赤魔と青い鎧から言い知れぬ圧力の様なものが放たれる。心の弱い人間であれば赤魔の放つ剣気に中てられ、正気を失うこともあるのかもしれない。実際ウィンドも中てられるほどではないが、気分が悪くなってきている。

「知らぬ方が良いな……。何故貴様を追っているかなど」

 むしろ自らに言い聞かせるようにウィンドは言う。

 そう、何も知らぬまま、このままこの男を倒さなければならない。

 腰を落とし、いつでも攻撃できるよう、いつでもフィルの攻撃を受けられるよう、ウインドは構えを改める。

「そうか。ならばもはや語る言葉はないということだ。死んでもらう!」

 大振りの上段からの一撃。ウィンドは大きく左に捌き、赤魔が地面に叩きつけられ、礫が飛んで来ることを予測した。その予測通り、爆発でも起きたかのような土煙が上がり、一気に視界が悪くなる。

 左に捌き、そのまま体勢を低くして、フィルがいた位置へと突っ込む。それと同時に剣線が閃く。目標が見えないために、大降りの一撃となったが、その一撃には手応えがあった。

「がっ!」

(一度対峙している……。力に任せた攻撃などもはや通用しない)

 高さから推測して、鎧で覆われていない大腿部を斬ったはずだ。ウィンドはそのまま駆け抜け、土煙を脱する。

 ずん、と音が鳴り、すぐ背後にフィルが迫っていることが判る。ウィンドはフィルを背にしたまま、今度は右へと大きく踏み出した。直後、自分のいた位置に赤魔が振り下ろされる。右足を踏ん張り、くるりと反転すると、土煙が上がった位置から大きな影が迫ってきた。

(速い!)

 しかしフィルもこちらの正確な位置を掴んではいないはずだ。ウィンドはフィルへと踏み込んだ。瞬間、剣線が閃く。しかし蒼い光を発する鎧にその一撃は阻まれる。

(馬鹿な!)

 ウィンドの持つ旒爪・谺式りゅうそう かしきも魔導の剣だ。赤魔ほどの力はないにせよ、その魔力は弱いものではない。フィルの鎧が魔導の鎧だとしてもある程度のダメージは与えられるはずだった。しかしウィンドの一撃は完全に鎧に阻まれてしまった。不意の衝撃にウィンドの腕に痺れが走る。

 驚愕も束の間、ウィンドは頭部に強烈な衝撃を受けた。そのまま地面を転がされる。剣を放さぬよう注力し、勢いが死ぬと同時にすぐさま体勢を整える。魔導の冑でなければ意識を失っていたかもしれないほどの衝撃だった。

 恐らく赤魔の柄で殴られたのだろう。フィルにとって、斬るには近すぎる間合いだったのが幸いした。フィルの動きは先日の戦闘で読んだ動きよりも遥かに速かった。あの時も予想外の速さに驚愕したが、それ以上だ。彼もまた先日の戦闘で全ての力を出していた訳ではないということだ。

(ならば……。いや、まだ……)

 ウィンドはその魔導の鎧に秘められた力を発動させようとしたが、踏みとどまった。まだ戦えない訳ではない。

 最後の手段は、最後の手段として用いるべきだ。それすらも通じなかった時はそれが直接死につながる。

「ふん、大したことはない」

 フィルはそう言って、笑ったようだった。怒りに歪められたその表情は笑顔には見えない。先日戦った場所にウィンドは向かう。民家がまだ近いのだ。誰が出てきて赤魔の魔力に焼かれるやもしれない。

「先日の戦い……。何故決着をつけずに私の前から去った」

 ウィンドとフィルは先日の戦場になった場所にまで来ると、再び対峙した。そしてウィンドはそうフィルに問う。

「知ったことじゃないな」

「……そうだな。その魔剣、返してもらう」

 二人は再び睨み合いに入る。

 僅かな隙も逃さぬよう、ウィンドは全神経を集中させ、旒勁りゅうけいを開始した。

 旒勁とは僅かな戦士のみが覚醒する、人間に内在する気の力を利用し、戦闘能力を上昇させる闘法だ。丹田に気を発し、それを体内に循らせ、気を錬る。この動作を錬気れんきと言い、錬気を繰り返せば繰り返すほど気は旒気りゅうきと呼ばれる力になり、旒気そのものが血液循環を早め、肉体や細胞を活性化させるほどの力を持つ。しかし、錬気され、強力になった旒気と共に酷使される肉体や細胞は、錬気に比例した疲労感に襲われる。使い方を間違えればすぐに限界に達してしまうため、旒勁を使う者はそのことを良く考えながら戦わなければならない。

「旒勁、か」

 錬気を行うのに、ウィンドほどの使い手になれば、時間はさして必要としない。ある程度錬気を終えたウィンドを見てフィルが呟いた。

「先日は見せる前に逃げられたからな……」

 冑の魔導の効果の一つにより、変えられたクリアな声が響く。

「マーカス王国、六鉾騎士団、『剣風けんぷう』ウィンド、参る!」

 ぐん、と腰を落とし、ウィンドはフィルに踏み込んだ。今までよりも格段に速い踏み込みだ。閃いた剣線はフィルの首を狙う。フィルはそれを一歩下がってやり過ごすと、右からの横凪ぎの一撃を叩き込む。ウィンドはそれに反応し、左に避ける。フィルの剣が届かない、ほぼフィルの真横にまで瞬時に移動するともう一度剣を抜く。今度は脇腹の鎧に覆われていない、僅かな部位に鞘走りで爆発的に加速されたウィンドの剣が決まる。

「ぐっ」

 手応えはあった。衣服は裂け、傷口が露わになる。傷は浅くはないが、半ば狂戦士と化しているフィルに、この傷は大きなダメージにはならないはずだ。時間を稼げば傷口から流れる血と共に体力も失われる。常人でなくとも数分で動けなくなり、やがては死に至るはずだ。

「があああっ!」

 フィルの叫びと共に赤魔が一際輝きを増す。すると、たった今ウィンドが斬った傷口が塞がれてゆく。

(ばかな……)

 今まで赤魔を見たことがなかったウィンドは、その秘めた魔力がどんな種類のものなのかを知らなかった。一つは人を狂気に走らせるものだという推測はできたが、傷を治す力まであるとは思わなかったのだ。

 しかし目を凝らして赤魔を見ると、それがすぐさま過ちだったことに気付いた。禍々しい光を発していたはずの赤魔が、いつの間にか赤光に変化していたのだ。

「赤光……」

「ちょこまかと動いて蚊の刺したような攻撃しかできないか」

 フィルはそう言うと、再び剣を構える。途端にその光は禍々しい赤に変わる。光というよりも赤い闇だ。

 ウィンドはフィルの言葉に耳を貸さず、再び踏み込んだ。今度は一段だけではなく、連続の攻撃を狙う。真上から振り下ろす一撃。フィルはそれを赤魔で防ぐ。手に反動が帰ってくるが、その反動を利用し、左から右へと横一閃。それも赤魔を立ててフィルは防御する。ウィンドは頭を低くし、左足でフィルの脚を払おうとその場で回る。フィルの足にウィンドの足が激突する。しかし回転をかけた足払いはフィルの足を払えずに止まってしまった。体勢を起こすと同時に剣を引き、渾身の突きをフィルの脇腹に繰り出す。今度は間違いなくフィルの脇腹にウィンドの剣が突き刺さった。そこで動きを止めず、ウィンドはフィルの腹に足の裏を当て、蹴り剥がすようにフィルの身体を突き放し、同時に引き抜く剣にも力を籠め、傷口を大きく広げた。瞬間、血液が飛び散り、下腹部や大腿部の衣服が見る間に朱に染まって行く。

 フィルは二、三歩よろめいたが、その場で踏みとどまり、赤魔をウィンドに振り下ろす。ウィンドはそれを体捌きで躱すと、再び踏み込んでフィルの首を狙った。

 しかしその剣はフィルの首に当りはしたものの、切り裂くまでに至らなかった。うっすらとフィルの首から血が滲み、怒りで歪んだ顔が嘲笑したように見えた。

(くっ!)

 旒勁を行使しての攻撃だというのに、殆ど効果がない。突きは確実に効果があったが、渾身の力を込めた突きだ。そう何度も決められる訳ではない。そしてフィルには赤光がある。赤光の力を行使すれば腹部の傷もたちどころに治癒してしまうだろう。

 フィルはもう一度赤魔を振り上げ、上段からウィンドを狙う。その剣をまともに受けてはならない。ウィンドは三度体捌きでそれを躱すと、踏み込もうとした。しかしフィルの狙いは、地面を叩き付けて礫を発生させることだった。

 轟音と共に、礫と土煙が発生する。踏み込もうとしたウィンドはまともにその礫を喰らうことになった。

 しかし、その殆どが鎧で弾かれる。ダメージは皆無に等しい。

 ウィンドは判断に迷った。巻き起こった土煙でフィルの姿が見えない。下がるべきか、踏み込むべきか。恐らく先ほど踏み込もうと思った場所にはフィルはいない。下がっても後ろに回りこまれていたら最悪の状況になる。

 その瞬間、視界の隅に赤い光が閃いた。

(右!)

 気付いた時にはその光がウィンドに激突する寸前だった。何とか剣でそれを弾くが、ウィンドは大きく吹き飛ばされた。

 もみくちゃにされながら地面を転がされ、その勢いが止まった時に瞬時に体勢を立て直す。剣は奇跡的に手放さなかった。フィルがこちらに追いつくまでは若干の時間があるはずだった。

 しかし。

「ぐがああああああっ!」

「!」

 身体ごと剣を構えフィルが突進してくる。躱すのも防御するのも間に合わない。辛うじて直撃だけは避けようと身体を捻ったが、赤魔はウィンドの魔導の冑を捉え、勢いのままウィンドの左肩に食い込んだ。全身鎧の肩当てにひびが入り、左肩に酷い衝撃と熱としびれが走った。脱臼か骨折をしたかもしれない。フィルの突進に対する反応が完全に遅れてしまった。フィルとウィンドの動きが止まると、ウィンドの魔導の冑に亀裂が走る。

 そしてその亀裂は見る間に広がり、まるでガラス細工が弾けたような、砕け散ったような、クリアな音が響いた。

「……」

 フィルはそこで剣を引いた。

 砕け散った冑の下から出てきたウィンドの素顔を見ると、フィルは二歩ほど下がったまま、動けなくなってしまったようだった。

「な……どうして!」

 フィルの声にウィンドは額から流れ出す血を拭おうともせず、ゆっくりと顔を上げた。

「私が貴方を追っている理由……。知らない方が良いと言ったでしょう……」

 ウィンドは言う。魔導の冑が砕け、声を変えられていない、ウィンドの本当の声は、その声の主は――

「リィズ……」


 第四話 剣風の騎士 終わり

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