第二話 蒼き鎧

 リィズはフィルという名の戦士と出会った。

 それは失われたはずの父の剣、赤魔せきま赤光せきこうを探すという旅の目的を一つ、果たすこととなった。

 戦士フィルはその二振りの剣のうちの一振り、赤光を持っていたのだ。


 レヴィウスの村を出てから街道を少し外れ、ナイトクォリー王国までの間にある小さな村、セリファクルスまで一行は来ていた。

 セリファクルスの村はマーカス王国領にある、森に囲まれ、ひっそりと存在する村だ。

 大街道からはさほど離れていないため、宿場村としても認識され始めている。

 リィズが行動を共にしている隊商はセリファクルスの村に到着すると一晩の宿をとることにしたようだった。昼間は襲われたが、村の宿に入ってしまえば襲ってくることもないだろう。小さな村とはいえマーカス王国からの派遣で衛兵も存在している。それに野盗を撃退してから随分と歩を進めた。あの場にいた野盗たちはリィズとフィル、そして雇った数人の傭兵の活躍で撃退させることができた。数人は逃げ果せたようだが、殆どがあの場で死んだ。

 アジトのようなものがあったとして、そこに逃げ帰ることができても、野盗が無差別で襲ってくるなどという愚考を冒さない限り、今夜は安全なはずだ。リィズとフィルは隊商と同じ宿を取ることにし、食事を済ませると早々に部屋に入り休息を取った。



「野盗だ!」

 村の衛兵が叫んだ。

「村人に絶対に外に出るな、と言って来い!」

「判りました!」

 衛兵隊長に言われ、新米衛兵の一人がまず隊商が宿を取っている碧の森の丸太亭へと向かった。酒場が閉まるにはまだ早い時間だが、休んでいるものは既にいるだろう。新米衛兵は一階のラウンジに飛び込んで叫ぶ。

「野盗が来ました!部屋に戻ってください!外には出ないように!」

「なんだって!」

「昼間の奴らか!」

 店内が騒然とどよめく。何かこの隊商と因縁のある野盗なのか。新米衛兵は一度考えるようなそぶりを見せたが、それもつかの間、答えが出る訳もなく、もう一度叫んだ。

「とにかく!外には一歩も出ないで下さい!」

 そして民家の集まっている場所まで向かおうと、店を飛び出した。その瞬間、新米衛兵の視線は自身の意思とはまるで別に、夜空へと向いた。さらに真上、背後をさかさまに見て、最期には地面。

 まるで宙返りでもしたかのようだったが、地面を見つつ激突した途端、何も見えなく、何も考えられなくなった。

 そして彼の足元に落ちた彼自身の首の上に、首がなくなった新米衛兵の身体はゆっくりと崩れ落ちた。その背後にゆらりと蒼い光が揺らめく。

 男が立っていた。淡く蒼い光はその鎧から発せられている。その手には禍々しいほどの赤き光。たった今新米衛兵の首を刎ねた獲物だ。

 店内のどよめきが止まった。店内の人間達はいきなり新米衛兵を殺した男の登場に声も出ない様子だった。

 男は怒りの形相に彩られた視線で店内の人間に一瞥をくれると、その場を離れてしまった。

 宿の主は直ぐに入口のドアを閉め、鍵をかける。そして何事かを呟くと、徐々に左手に淡い光が宿り、それをドアの錠前に掲げた。魔導の鍵ウィザードロックだ。店主は元冒険者であって古代語魔導アビリティランゲージの心得もあるのだろう。魔導の鍵を開錠するには施錠した術者が開錠をするか、術者よりもさらに高位の魔導師でなければ開錠することができない。地下迷宮や遺跡の扉、宝箱などにもかかっていることが多い、基本の魔導だ。蝶番ごとドアを破壊されては意味がないが、それでもドアが開かないという事実で安堵は得られる。

「とりあえず、騒ぎが収まるまでは外に出ないようにお願いいたします」

 宿の主はそう言って頭を下げた。



 深紅の全身鎧スーツアーマーに身を包んだ騎士が一人、セリファクルスの村の入口で、次々と襲ってくる野盗を屠っていた。

 マーカス王国騎士団、六鉾ろくぼう騎士団が一人、『剣風けんぷう』ウィンドだった。

(正気ではない……)

 ウィンドが野盗を見てまず思ったのはそのことだった。もう既に八人を斬った。言い知れぬ異変を感じてここまで来てみたのだが、ウィンドの判断は正解だったようだ。瞳孔が開ききった眼は正気とは思えず、言葉を発してもそれは咆哮と変わらない。およそまともな判断力を持った人間のそれではなかった。

(何かを探しているのか、それとも、引き寄せられているのか……)

 九人目の野盗の大腿部に深く斬り付けると、ウィンドは村の方へと視線を向けた。

 そしてその視線は一点に集中した。

 蒼い光を発する鎧を着た男がこちらに近付いてくる。そしてその手には赤き光を発する剣。

「まさか……」

 一瞬動きを止めたウィンドの脇を、三人ほどの野盗がすり抜けた。まっすぐに蒼い鎧の男に向かって行く。

「待て!」

 追いかけようとしたが、間に合うものではない。ウィンドの全身鎧は高度な魔導がかけられた鎧で重量は軽減されているとはいえ、革鎧程度しかつけていない野盗の足に追いつけるはずもない。

 赤い光が三人の野盗を薙いだ。その光は禍禍しく輝き、野盗の屍を照らした。そして蒼い光の鎧の男はその赤い輝きをゆっくりとウィンドに向ける。

「赤魔、か……」

 ウィンドは魔導の冑の中で僅かに驚愕の声を上げた。ウィンドも自らの持つ魔導の剣、旒爪りゅうそう谺式かしきを鞘から引き抜き、切先をその蒼い光の鎧に向け返した。

(ついに、見つけた……)

 どんな任務に出ても忘れることのなかった、もう一つの目的。

 全ての元凶。

 ウィンドの目にはその赤魔の輝きは最も不吉な輝きに見え、同時に全てを立ち切る希望の輝きのようにも映った。

 冑の内側でその口が笑顔で歪んだことに、ウィンド自身気付いていなかった。

 両者はゆっくりと近付き、そして無言で剣を合わせた。凄まじい金属音と同時に何とも形容し難い音が鳴り響く。

 両者の剣に魔導の力が秘められている証拠だ。

「うぐあああああああああ!」

 蒼い光の鎧の男は絶叫した。ウィンドは剣を支える腕が抜けるかと思うほどの衝撃を受け、思わず膝をついた。

 あまりに強大な力。物理的な力の差がありすぎた。どれだけ過酷に鍛えた人間の腕力でも、人間を上回る筋力を持つドワーフだったとしても、ここまでの差が出ることはありえない。

(まさか、狂戦士バーサーカー!)

 ほんの一瞬の隙に男の剣をいなし、その目を見たウィンドは、即座に悟った。激しい怒りに満ちたその表情はこの世のものとは思えないほどだった。剣が折れなかったのはその魔導の力の強さ故だ。通常の剣であったならば剣ごと身体を両断されていたかもしれない。

 間合いを取り、ウィンドは男を見据える。


 ――狂戦士。

 善悪の判別もなく身の回りの動く存在全てを破壊しつくすまで、戦い続ける戦士。

 魔族との既約により怒りの感情を爆発的に膨らまされた人間だという説や、体内の感情を司る精霊のコントロールが狂ってしまった人間だという説もある。

 ともあれ、その身体は痛みを感じることすらなく、肉体の持てる潜在能力を全て引き出しながら戦う破壊の化身だ。

 狂戦士の気と赤魔の魔力に野盗たちは気を狂わされてしまったのかもしれない。

 充分な間合いを取ったウィンドは再び剣を構える。力で対抗はできないとなると、速さで翻弄するしかないが、目の前の男が狂戦士だとするならば、恐らく狂戦士の肉体は全筋力が限界にまで活性化している可能性もある。

(私の速さが通用するかどうか……)

 胸中で呟くと、ウィンドは一旦剣を鞘に納め、腰を落した。駆け抜けざまに相手を斬る。剣を握る手に力をかける。ウィンドの持つ旒爪・谺式は鞘走りでの剣の加速度を爆発的に上げる効果を持つ剣だ。

「うぎぃ……」

 剣を大上段に構え、狂戦士は再びウィンドに襲い掛かった。

(!)

 予想外の速さにウィンドの反応はほんの一瞬遅れた。その一瞬の遅れだけで、反撃の機を逸した。

 真上からの豪快な一撃を体捌きで躱すと、また大きく後退して距離を取る。

 一瞬前に自分のいた位置に、今度は横薙ぎの剣線が通った。これでは反撃はできない。距離を保ったウィンドはもう一度剣に手をかけ、腰を落とす。

(次は斬る)

 狂戦士は三度ウィンドに斬りかかった。

 今度は見誤ることはしない。ほぼ重さを感じることなく、絶妙のタイミングで振り抜いた剣は狂戦士の腹を斬り裂くはずだった。

 しかし、その剣は狂戦士の持つ赤魔によって阻まれた。互いの剣の魔導力の強さ故、耳をつんざくような独特な剣戟が鳴り響く。

「うおぁあああ!」

 赤い光がウィンドの剣を乱暴に弾く。あまりの衝撃にウィンドの手から剣が弾け飛んだ。

「くっ!」

 狂戦士の返す剣がウィンドの首を狙う。一撃一撃が全力のためか、若干の間が空く。ウィンドはそれも紙一重で躱すと、また大きく間を空けた。

(知性が、残っている……?)

 狂戦士になりきっていないのか、狂戦士とはまた別の存在なのか。この狂戦士はウィンドの攻撃を予測した。弾き飛ばされた剣の位置はさほど離れてはいない。すぐさま剣に飛びつくと、そこに狂戦士が攻撃を合わせてきた。

 剣をしっかりと手に掴み、真上からの衝撃に対し、全身に力を込める。凄まじい衝撃がウィンドの全身に響き渡る。

(強い……!しかし!)

 ウィンドは次の攻撃が横からくることを予測していた。防御体制を整えられたことが幸いした。しびれる腕を無理やりに動かし、ウィンドは狂戦士の腹を狙う。しかしその一撃は両者が接近しすぎていたせいで、剣の根元の部分が狂戦士の腹部に当っただけだった。近距離過ぎた上に痺れた腕では致命傷を与えることは不可能だ。当りが甘いことを悟ると、ウィンドは即座に距離を取る。

(最後の手段しか、ない、か……)

「う、う、う、う、う……」

(?)

 ウィンドはその全身鎧に込められた魔導の力を発現させようとしたが、そこで狂戦士の様子が急変した。

「うおあ!あがあ!」

 青く光る鎧と赤魔の輝きが強くなる。

「があああああああ!」

 狂戦士はウィンドの少し手前の地面を激しく赤魔で打った。信じられないほどの衝撃が足から伝わる。まるで火球の魔導ファイアボールでも激突したかのような衝撃とともに地面が爆ぜた。勿論熱はないが土煙が上がり、無数の礫がウィンドを襲う。

「……」

 爆発は一度きりだった。土煙と礫の雨がやんだ後、ウィンドの前に狂戦士の姿はなかった。

「……逃げた?」

 一人呟くと、ウィンドは自らの剣を地面に叩きつけた。

(折角見つけたというのに!)

 失態だ。自らの力不足。これほど強大な相手だとは思っていなかった。ウィンドはただ一人、自戒の念に捕われ、立ち尽くしていた。



 翌日、セリファクルスの村でウィンドの姿を見た者はいなかった。隊商に被害はなく、村人も衛兵以外は殺されていなかった。あれだけの野盗と、酒場で一瞬だけ見た狂戦士を一体誰が撃退したのか、知る者はいなかった。

「リィズ、昨日晩、随分と騒がしかったみたいだけど何か知ってる?」

 フィルとリィズは朝食を取り終えて、昨晩の話をしていた。

「昼間の野盗が逆襲に来たって、言ってたわ」

「本当に?おれ、昨日はすぐ酔っちゃって早く寝ちゃったからなぁ」

 ともかく、こうして隊商も、フィルも自身も無事だったのは僥倖だった。命を落とした何名かの衛兵は気の毒だったが、大きな被害もなく村を守れたのは彼らのおかげだ。リィズは目を閉じると、黙祷を捧げた。

「さぁてお前さんたち、そろそろ出発したいんだが」

 隊商の長が二人に声をかけてきた。

「あ、はい!すぐ行きます!」

 フィルは答えると立ち上がった。それに倣ってリィズも立ち上がる。

「?」

 リィズはフィルの後に続いて碧の森の丸太亭を出ようとしたが、不意に足を止めた。

「どうしたの?」

 そんなリィズをいぶかしげに見ると、フィルはリィズの視線が指す先を目で追った。

「赤光に……」

「!」

 赤光の鞘の最下部に赤い染みが着いていた。

「血……?」

「なんだ?昨日の野盗の返り血、かな?」

 フィルは剣を拭くための布を取り出して、それを拭いた。

「……」

 別段、それは拭いた後でも落ちないだとか、血が溢れてくるだとか、そういった奇怪なこともなく、綺麗に拭い去られた。赤光にも別段変わった様子は見られない。

「きちんと手入れはしたつもりだったんだけど……」

「昨日の戦闘の後だものね……。ともかく行きましょう、フィル」

 リィズ達はそう言い合って隊商の待つ村の入口へと走って行った。


 第二話 青き鎧 終わり

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